掲載日 2013/10/26
東北の旅その1
一日目
岩手・江釣子古墳群から
撮影日2013/10/1〜6

初めての東北に、さぁ出発!!

2013年10月1日の早朝、午前3時半、自宅出発
徳光ETCスマートインターから北陸自動車道へ入る。
5:15  蓮台寺PA 休憩
5:35  名立谷浜PA  ガソリン給油       出発から 178.9km
6:11  大潟PA  朝食(おにぎり)
7:16  新潟中央JCT〜磐越自動車道へ
7:39  阿賀野川SA 休憩
9:00  五百川PA 休憩
9:10  郡山JCT〜東北自動車道
10:30  泉PA  休憩
11:40  前沢SA  昼食   前沢牛焼肉丼を食べる。

12:35  北上江釣子ICから一般道へ
12:42  岩手県北上市の江釣子古墳群史跡センター  着

岩手県の地図

岩手県の古墳地図g

江釣子古墳群 岩手県北上市上江釣子
撮影日
2013/10/1

史跡センターをめざして来たが、閉館していた。完全閉館だ。震災の年に閉館してしまったようだ。
近くの民俗資料館も閉館していた。
史跡センターは、五条丸支群のあるところだ。

江釣子古墳群は、
五条丸(史跡センター周辺)・猫谷地(東北自動車道東側)・八幡(八幡神社周辺)と旧和賀町長沼の4支群の総称。
      (長沼支群は史跡センターから西へ4kmの和賀東中学校周辺に位置する。)
1951年(昭和26年)に猫谷地支群が初めて発掘調査が行われ、北東北の古墳群の調査の先駆けとなった。
その後も1962年(昭和37年)に五条丸、1972年(昭和47年)に長沼で調査が行われた。
7世紀後半〜8世紀にかけての径6〜15mの円墳、130基が確認されている
河原石を積み上げた小規模な長方形の石室があり、墳丘の外周には馬蹄形の溝がめぐる。
勾玉、切子玉、蕨手刀、直刀、馬具などが数多く出土。
玉類は(勾玉・ガラス玉)はまとまって見つかり、首飾りと考えられている。
中でも金張ガラス玉は国内でも数例しかない貴重な出土品で、古代に大陸との交易があったことを推測させる。
     (説明板から)

      江釣子古墳群配置図  

 現地説明板を参考にして、私個人のメモから作成したので、あくまでもイメージ図です。
   古墳番号のわかるものは番号を記したが、わからないものは○で表わしている。
 ほかにも墳丘らしい石の集まりがあちこちに見られる。
 
史跡センター前に付近の絵地図があるが、植え込みがジャマでよく見えなくなっている。

江釣子古墳群・五条丸支群

江釣子史跡センターの敷地内に古墳が復元されている。
壊れた古墳が多いので、古墳群の古墳の元の構造を知ってもらうためにつくられたそうだ。


復元古墳の墳丘
背後の建物は史跡センター
 

復元古墳の石室

復元古墳は民俗資料館の北側の17号墳と18号墳の間にもあるようだ。

史跡センターから見た民俗資料館
左から民俗資料館本館
 旧及川家住宅  保管庫

保管庫の周りに墳丘が残る。


五条丸支群は、史跡センターの南側と、
   民測資料館の北側に墳丘が残っている。
資料館前に説明板がある。
江釣子古墳群五条丸支群は和賀川北岸の自然堤防上に立地する古墳時代末期の円墳群
1962年(昭和37年)の発掘調査で50基の古墳を調査し、周溝を含めた直径が6〜15mで、
   主体部が河原石を小口積で長方形に積み上げた石室があることがわかった。 
奥壁に大きな石、左右側壁には数ヶ所に立石を配置し、閉塞石があるものが多いことから、
   横穴式石室の流れをひくものであるとわかってきた。
石室内から、蕨手刀・切子玉・ガラス小玉などの玉類が出土している。
現在27基の墳丘が残っているが、総数は100基以上あったと推定されている。(説明板から)

 民俗資料館の北側の墳丘の見学

民俗資料館横の「古墳みたまの像」

「この古墳群は、
この地域全体の祖先の墓であり、
そこには、われわれ子孫の生生発展を
常に見守っている「みたま」が存在する。
この「みたま」をこの像が象徴している物で
あることを信じ、敬慕するものである」
と刻まれている。

左 五条丸16号墳 右 15号墳
背後に小さく見えるのは、史跡センター

中央 五条丸18号墳
木の根本にある墳丘は復原古墳か(模型?)
右側の建物は保管庫

 史跡センターの南側から南西側の古墳の見学

五条丸9号墳 奥に8号墳

五条丸8号墳

五条丸10号墳
 

五条丸5号墳 左奥7号墳、右奥6号墳
5号墳は道路を曲げて保存されている。

その他墳丘らしきもの その1

その他墳丘らしきもの その2

墳丘は大事にされていて、墳上に祠があったり、花が供えられたりしている。

 江釣子古墳群・猫谷地支群

五条丸支群から東北自動車道をくぐった東側すぐにある。
説明板がある。
1951年(昭和26年)の発掘調査で5基の古墳が調査され、主体部が河原石を小口積した石室であることがわかった。
奥壁に大きな石、左右側壁には数ヶ所に立石を配置し、閉塞石がある。床面には数ヶ所に仕切石が置かれている。
横穴式石室の流れをひくものと考えられている。
石室の南面に河原石を敷きつめたテラス状の張り出し部をもつものもある。
石室内から蕨手刀・刀子・鉄鏃などの武器類
勾玉・切子玉・ガラス小玉などの玉類、金銅製の耳環や飾金具、土師器などが出土している。 (説明板から)


猫谷地10号墳

猫谷地11号墳

猫谷地12号墳

猫谷地6号墳



猫谷地1号墳

墳丘は立入禁止となっている。

石室が見られる古墳だったが、
地震被害のため一部埋め戻したという。


猫谷地1号墳
径12m・高さ90cmほどの円墳で、封土は、石室をわずかに覆う程度
 南北6m・東西5mほどの楕円形状に河原石が積まれ、
  南北3.5m・東西75cm・高さ1mほどの石室が確認された。
 石室には天井石はなく、北面に立石があり、この付近から頭がい骨破片と歯が出土。
 石室南面には横穴式の羨門をふさぐように板状の石が壁をつくり、付近から黒色の土師器が出土。
 羨門の南側に台形状の張り出し部があり、意識的に壊したと思われる須恵器の壺が発見され、
  祭祀に使われたものと推定されている。1951年発掘調査
史跡センターの西400mほどにある。

天井石がないというのは、初めからないのかな?

 江釣子古墳群・八幡支群

猫谷地支群からさらに東へ。
えづりこ古墳公園の中に墳丘が残っている。駐車場もたくさんある。
公園前に説明板がある。

八幡支群は、標高約70mに位置し、隣接した地域には古墳時代から平安時代にかけての大集落跡がある。
本格的な調査は実施されていないが、直径5〜8mの墳丘が8基残っている。


支群名の由来となった八幡神社

八幡4号墳

4号墳そばにある墳丘 その1

4号墳のそばにある墳丘 その2

八幡支群に使われている石は、他の支群よりも小さいようだ。
勢力の違いや年代の違いがあるのだろうか?

 江釣子古墳群・長沼支群

見学しなかったが・・・・・。

旧和賀町藤根の低位段丘にあり、4支群中の西端に位置する。
13基の円墳が確認されていて、1972年(昭和47年)、5基が調査された。
径9m前後・高さ1mで隅丸方形状の周堀がめぐるらしい。
河原石積みの石室で仕切石・立石をもつものや、羨門部が「八」字状に張り出すものもある。
遺物は他の支群と同様だが、錫釧・金張りガラス玉がある。

こんなに沢山の墳丘が見られるとは思っていなかった!!!ので、午後2時を過ぎる。

角塚古墳へつづく

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