掲載日 2013/11/2
東北の旅その3
二日目A
宮城・鳥矢ヶ崎古墳群から
撮影日2013/10/1〜6

2013年10月2日 東北二日目、厳美渓を見学後、鳥矢ヶ崎古墳群へ。  
小雨が降る・・・・・・。写真が暗い・・・・・。


鳥矢ヶ崎古墳群周辺の道のあちこちにある
        「鳥居」のマーク!!



近くに青雲神社があるからか?

周辺の地図

宮城県の地図g

鳥矢ヶ崎古墳群
トヤガサキコフングン
県指定史跡 
栗原市栗駒猿飛来鳥矢ヶ崎
撮影日
2013/10/2

9時 着。  史跡公園として保存されているとはいうものの、草ぼうぼう状態だ。


鳥矢ヶ崎古墳群 入口

鳥矢ヶ崎古墳群 案内図 (現地説明板)
鳥矢ヶ崎古墳群は、
奈良時代〜平安時代の群集墳
数十基の小円墳で構成されており、S46年発掘調査うち2基で発掘調査が行われている。
1号墳は北方型(辺境型)といわれる形式の古墳
2号墳は中央型の古墳

ふたつの地域の接点であることを示す古墳群である。

鳥矢ヶ崎古墳群
墳丘番号が書かれた標柱があちこちに立てられている。

鳥矢ヶ崎古墳群 A17号墳
こんもりとしている!

1号墳
覆い屋に保存されているが、
壊されているのか、よくわからない石室だ。
径6.3m・高さ0.6mの円墳
長径3.5m・短径2.8mの長方型に
河石を敷きつめて石室の形式をつくり、
南から入る横口式の羨道の痕跡を残しているが、
   竪穴式に上から遺体を葬る形を取っている。
 明治44年に馬具や直刀などが出土。(東京博物館蔵)
 昭和46年の発掘調査では、敷き石だけは築造当時のまま残っていた。
 北方型(辺境型)といわれる形式の古墳で、岩手県の奈良朝期の古墳の特徴をくむものとしては、
   宮城県では初めての発見で、この種の古墳の南限である。
 周湟(マワリミゾ)は、自然の地形を利用し、 盛土の裾には土留め石が置いてある。
 出土品には、内黒土師器・須恵器の破片が確認されている。
 奈良期末期〜平安朝初期の築造と推定されている。 (説明板から)

2号墳

直径7m・高さ1mの円墳。周湟の幅2m。
中央型の古墳。


 傾斜する地面に北を枕にして木棺を置き、それに盛り土をして墳丘が造られている。(木棺直葬)。
 木棺は、長さ2.8m・幅0.7mの組合式木棺。
  木棺内部から、腕、ろっ骨、腰骨、大腿骨などの一部と鉄製刀子、金銅製帯金具19、
  棺そばから ワラビ手刀
  封土の中から 内黒土師器片ほか、鉄製品が土質化したものなど、多数が出土した。
 金銅製帯金具からみると、国司に準ずる人物の墓と考えられている。
 奈良朝(8世紀)の築造と推定されている。

鳥矢ヶ崎古墳群は、花盛り!


鳥矢ケ崎古墳群のノハラアザミ

鳥矢ケ崎古墳群のヤマハギ

鳥矢ケ崎古墳群のアキノキリンソウ

鳥矢ケ崎古墳群のキキョウ

鳥矢ケ崎古墳群のワレモコウ

鳥矢ケ崎古墳群のヌルデの虫えい

鳥矢ケ崎古墳群は、築造時期が、平安時代まで続くというのが、ちよっと信じられない・・・・。

保土塚古墳 遠田郡美里町桜木町
撮影日
2013/10/2

小雨が降っている。  10時15分  着。
旧小牛田町の小牛田公園に保存されている。

保土塚古墳は、現状径50m・高さ4mの円墳だが、
 後世に南側の前方部か失われたもので、本来は前方後円墳(全長66m)とする見方もある
 5世紀末〜6世紀の築造と推定されている。

保土塚古墳  東から
左側に前方部? 

保土塚古墳
 南側から見る。

保土塚古墳の墳頂から東裾を見る

保土塚古墳 墳頂から南を見る。
前方部の痕跡は見あたらない。

保土塚古墳の墳頂には忠魂碑が立っている。

保土塚古墳の北にある陪塚? 径15mほどか?

西からみる  左・陪塚  右・保土塚古墳 

どこから見ても円墳にしか見えない。惚れ惚れするようなきれいな円墳だなあ・・・・。

後藤神社古墳 遠田郡美里町桜木町
撮影日
2013/10/2

保土塚と同じ小牛田公園にある。
保土塚古墳から小さな谷をはさんだ南側に、「後藤神社古墳」と書かれた標柱が立っている。

後藤神社古墳は、
  古墳時代中期の古墳と推定されているが、地ならしが行われたため形状は明らかでない。


後藤神社古墳
奥に小さなお堂がある。


後藤神社古墳 
この角度から見ると古墳に見えるかな?

京銭塚古墳
キョウセンヅカコフン
遠田郡美里町素山町
撮影日
2013/10/2

小牛田駅の近くにある。住宅街の中。
南の道路沿いにコンビニがあったので、チョコを買い駐車させてもらう。



ンビニ(南)から見た京銭塚古墳

後方部の森しか見えない。
後方部は、かなり高いことがわかる。



京銭塚古墳実測図  (説明板から)

京銭塚古墳
全長66m高さ4mの前方後方墳。
国内最北端に位置する前方後方墳。
埴輪はない。
内部構造や出土遺物など詳細は不明。
5世紀末〜6世紀の築造と推定されている。

京銭塚古墳 前方部からの上り口
大きな説明板がある。
発掘調査はなされていないようだ。

京銭塚古墳 くびれ部あたりから後方部への道
後方部墳頂には寺がある。

京銭塚古墳 後方部から前方部側を見る。
 

京銭塚古墳 前方部東側脇から後方部を見る。
周堀の痕跡がある。

民家や道路で削られてしまっているので、知らないと古墳とは思わないかもしれない。
後方部の墳頂には孝勝寺別院が建っていて、住人がいるのであまり近付けない。

青塚古墳
市指定史跡
大崎市古川塚目字屋敷
撮影日
2013/10/2

11時25分着。


青塚古墳全景


左手前が南だから、前方部があったはずだが
痕跡がみあたらない。

手前の畑のあたりが、発掘調査されたようだ。
青塚古墳について、古くは「奥羽観蹟聞老志(1719)」に、
 古墳の規模は「東西30間・南北50間」と書かれている。
大崎平野のほぼ中央に位置し、江合川や支流の旧地形路が形成したとみられる自然堤防上に立地する。

青塚古墳想像図 (説明板から)

青塚古墳は  前方部を南に向けた
 
全長90mの前方後円墳 (前方部は削平されている)
 後円部径55〜60m
 周堀は後円部北側で37m南側で65m
 主体部は木炭槨状のものとされるが詳細不明。
昭和33年に熊野神社の再建の際、主体部が発見された。
昭和55年には、規模や性格の確認のための発掘調査。
 南側で前方部縁墳麓と推定される周堀落ち込みも確認された。
 大型壺形土師器が出土したほか、杯・高杯・壺・甕・台付甕などの土師器が出土。
 塩竃式土器と考えらている。
出土した遺物から
4世紀代の築造と推定されている。
  (説明板・古墳辞典から)

青塚古墳上り口

青塚古墳 墳頂の熊野神社社殿

青塚古墳 後円部から前方部方向を見る

青塚古墳 後円部頂から墳裾を見る。

青塚古墳後円部西側 
墳丘が削られて低くなっている。

青塚古墳 南西から見た後円部
南西側にも鳥居があり、
墳頂に上がれるようになっている。

伊勢堂古墳
市指定史跡
大崎市古川塚目字屋敷
撮影日
2013/10/2

遺跡地図を見ていたら、青塚古墳のすぐ西に伊勢堂古墳というのがあるので、探してみる。
青塚古墳から西に200mくらいのところにある。


伊勢堂古墳

小さなお堂があり、小さな高まりが残る。
詳細不明。

お堂があるところだけ残っている。


小さすぎてなかなか見つからず、お昼近くになってしまった。

お昼になったので、イオン加美店にて、昼食。

夷森古墳 別名 大塚森古墳
町指定史跡
加美郡加美町米泉字小池
撮影日
2013/10/2

13時3分 着。 地名もエビス森。


北西から見た夷森古墳
周りが耕作地となった中に、ポコッと墳丘があるので、すぐわかる

夷森古墳 実測図  (古墳辞典から)

径46.7m・高さ7.8mの前期の円墳
墳頂部は平坦
3壇築成 斜面部分には河原石の葺石がある。
周囲には、幅20mほどの周壕がある。
切り通し状の墓道がある。
 墳頂で、石敷きの排水施設を持つ、
  短辺8m・長辺12m・深さ1.7mの墓壙内から
東西2基の粘土槨(割竹形木棺)が検出された。
 東粘土槨の木棺は、長さ7.9m・幅1mの割竹形で遺物なし
 西粘土槨の木棺は長さ7.7m幅0.8mの割竹形で、
  ガラス小玉と管玉の首飾り、漆塗りの布製品・矢の一部などが出土
 墳頂や墳丘上段斜面から朱彩の二重口縁壺破片が多数出土。
 被覆粘土の検討から、二つの棺はほぼ同時に埋葬されたと考えられている。
 
4世紀末の築造と推定されている。
 1995年から5年間にわたり調査。

南から見た夷森古墳
 

夷森古墳の広い墳頂部
何が埋まっているのだろうか?

方墳みたいに見えるのは、墳裾が削られているからのようだ。

大黒森古墳 加美郡加美町米泉字北原
撮影日
2013/10/2

夷森から南へ約200m、送電線の西側のゆるい丘陵(北原囲)の東南の突端部をにある。
そこは俗に大黒森と呼ばれている。
大黒森には12基の古墳が確認されているが、代表的なものが大黒森古墳。


大黒森古墳実測図  (古墳辞典から)
径36.7m・高さ6.1mの円墳
墳丘端部は東南方向にやや張り出している。
  (平面的には楕円形)
墳丘北部は掘割で区画されている。
墳頂部から
  夷森古墳と同様の長さ6.9mの
    
割竹形木棺が発見された。
棺内からの出土はない
朱彩二重口縁壷の破片が出土している。
夷森古墳に先行する時期の築造と推定されている。

 いつの頃からか大黒墳丘に大黒様が祀られている。  
 なお、倉持文書に大黒屋敷という記述があるので、近くに倉持氏の 屋敷があったと思われる。
 その真下、北側からのびる丘陵突端部の杉林の中にある。
 1998年から継続的な調査がされている。

大黒森古墳 上り口に立つ標柱
少し 上ると墳丘

大黒森古墳 鳥居の後は墳丘
鳥居をくぐると、
赤い鉄の手すりのついた階段がある。

大黒森古墳 墳頂には高さ1.5m位のお堂がある。
大黒様が祀られている。

大黒森古墳 墳頂から墳裾を見る
 

説明板はない。
雑草だらけで、墳丘が良く見えないのが残念だ。

色麻町 御山古墳へつづく

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