掲載日 2013/12/2
東北の旅その6
三日目A
雷神塚古墳から
撮影日2013/10/1〜6

3日目の午後に入る。
仙台東部道路で 仙台港北ICから名取ICへ
名取ICから3kmほど南下すると、墳丘が・・・。
名取市周辺の地図

宮城県の地図g

雷神塚古墳 名取市美田園5丁目
撮影日
2013/10/3

雷神山古墳ではない。雷神塚古墳という円墳である。  13時10分 着。
益田川の北岸にある。


雷神塚古墳実測図 (名取市HPから)

直径30m・高さ5mの円墳。2段築成。周濠があった。
発掘調査はされていない。
出土遺物はない。
 5世紀頃の築造と推定されている。
浜堤上に造営されている。
浜堤とは、砂浜の海岸線と平行する位置で、砂などが堆積してできた高まりのことで、
 水はけのよい土地なので、昔から集落などが営まれることが多い。

雷神塚古墳 北から見る

雷神塚古墳 墳丘に上がる階段がある。

雷神塚古墳  東から見る

雷神塚古墳  墳頂

雷神塚古墳と、次に見学する毘沙門堂古墳の間に塚根塚古墳があったそうだが、見当たらない。
塚根塚古墳は塚根の浜堤上に築かれた古墳で、直径24mほどの円墳と推定されているが、
保存状態は良くないそうだが・・・・?

毘沙門堂古墳 名取市杉ヶ袋
撮影日
2013/10/3

増田川の南岸の堤防横にある。


毘沙門堂古墳実測図 (名取市HPから)

直径50m・高さ8mの円墳だが、
墳丘南側が張り出したように崩れた形状になっているため、
帆立貝式前方後円墳の可能性もある。
葺石なし
古墳のまわりから薄手の円筒埴輪が採集されている。
墳頂付近からは土師器破片などが発見されている。
 平成6年の集中豪雨で墳丘北側が一部崩壊した際、
  円筒埴輪と朝顔形埴輪がまとまって発見されていて、
  墳丘部北側に同時に配列したものと考えられている。
 埴輪の焼成には窯(かま)を使用していたことがわかった。
 5世紀中ごろの築造と推定されている。

 現海岸線から約2kmの標高2mほどの旧浜堤上に立地する。
 円墳とすれば、県内でも最大級となる。           (名取市HPから)

毘沙門堂(古墳)入口 東から見る

毘沙門堂古墳 背の高い墳丘

毘沙門堂古墳 墳頂に上がる階段

毘沙門堂古墳墳頂のお堂
懸額には「毘沙門大王」と書かれている。

毘沙門堂古墳に津波は来たのだろうか?

経ノ塚古墳跡 名取市下増田字西経塚
撮影日
2013/10/3

毘沙門堂古墳から南に約700m。
立派な古墳だったらしいが、今は「古墳跡」と書かれた説明板がある。

 経ノ塚古墳は、名取市東部の海岸線から約2km内陸の浜堤上に築かれた、
  直径36m・高さ約7mの円墳。周堀あり
  明治45年の調査により家形埴輪・鎧形埴輪・円筒埴輪 が発見された。
  大正12年の隔離病舎建設の際は、
  墳丘から1.8m掘った所に粘板岩製の長持型組合石棺が出土し、
  その中から、2体分の人骨、
   直弧文が入った鹿角刀装具をつけた直刀2口、刀子1口、漆塗の櫛などが発見された。
  長持型組合石棺・鹿角製刀装具・家形埴輪・鎧形埴輪については日本最北の出土例であり、
  出土品等から、5世紀中頃の築造と推定されていて
  畿内政権と密接な関係を持つ、有力者の古墳と考えられてる。
  出土した埴輪の中で、東北大学に保管してある家形埴輪・鎧形埴輪・円筒埴輪は、
  国の重要文化財に指定されている。

  特に家形埴輪は草葺四柱造りの屋根だけであるが、
  屋根の棟に4本のかつお木がのっていて当地方の建物の様子を示すものとして重要である。
      (名取市HP・説明板から)

経ノ塚古墳跡

土取工事や道 路工事などで
 墳丘は完全に崩されてしまった。

ほんの一部が残っているのかな?

  

温南(山)古墳 (別名・地頭塚)
ウンナンヤマコフン
名取市堀内鶴
撮影日
2013/10/3

「温南古墳入口」という案内板は見つけたが、現地に行っても説明板はない。
そばのお堂の前に、駐車。13時45分 着。

温南(山)古墳

42〜44mの帆立貝式古墳
円筒埴輪 形象埴輪が採集されている。

詳細不明

墳頂には三角点があるそうだ。

かめ塚古墳
県史跡
岩沼市字亀塚
撮影日
2013/10/3

温南(山)古墳から真西に1km、東北本線のすぐ西側の水田中にある。
形の整った前方後円墳である。


かめ塚古墳実測図
 (宮城県文化財調査報告書第1集から)

主軸長39.5mの前方後円墳
 後円部径16.3m・高さ2.45m
 前方部幅10.3m・高さ2.05m
   細長い柄鏡型
墳丘の表面はなだらかで、段築や葺石は認められない。
墳丘上から須恵器の破片が出土。
発掘調査が行われていないため、詳細不明
5世紀代の築造と推定されている。

かめ塚古墳 西から見る
左 後円部



かつて墳丘に立派なクロマツが2本生えていたが、
  マツクイムシの被害を受けたために切られてしまった。

かめ塚古墳の西側に「かめ塚西古墳」と書かれた標柱を発見したが・・・・・古墳らしいものは見つからない。

家に帰ってから調べたら・・・・・・
かめ塚古墳の西側には「かめ塚西遺跡」が隣接している。
かめ塚西遺跡は、現状は水田や畑になっているが、弥生時代から奈良・平安時代にかけての複合遺跡である。
ということがわかったが・・・・?

かめ塚古墳から、さらに西へ1.5kmほどの長岡字塚越の丘陵上に、長塚古墳と新明塚古墳がある。

長塚古墳
チョウヅカコフン
岩沼市長岡
撮影日
2013/10/3

長塚古墳は八雲神社の南側にある。 

 長塚古墳は 直径37m・高さ4.2mの円墳
  段築あり 埴輪などの遺物は出土していない。
 昭和26年に國學院大学によって発掘調査が行われている。
  墳丘全体に黄褐色粘土を用いて構築されていることが確認されている。
  築造の年代は不明。

北から見た長塚古墳
木がすっかり切られている。

東から見た長塚古墳
これから調査がされるのだろうか?

  

新明塚古墳 岩沼市長岡
撮影日
2013/10/3

長塚古墳の南東200mほどのところにあるが、ぐるっと迂回して南側の長徳寺に駐車、
そこから北にのぼり、墓地のもっと北側の野原に、ようやく古墳の標柱を見つける。
あきらめる寸前に、墳丘発見!

新明塚古墳全長16mの小さな前方後円墳
 後円部径9m・高さ3m 前方部幅5m・高さ1m
 昭和25年に國學院大學によって調査が実施されている。
 遺物は出土していないので、築造年代は不明。



新明塚古墳  南西から見る
墳丘に標柱が立っているが、
 空に同化して見えないかも・・・。

小さいが、
ちゃんと前方後円墳の形をしている!
墳裾に咲く赤いヒガンバナが、とてもきれいだ。

小さくても、ヤフーの航空写真で確認できるのがスゴイ!
先に見学したかめ塚の小型版?

長徳寺前には、「長徳寺前遺跡」の標柱がある。
 長徳寺前遺跡は、江戸時代の寺院・礫石経塚の遺跡である。

時刻は14時30分
これからまた、名取市に戻って・・・・・
賽の窪古墳群につづく・・・・。

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