掲載日 2013/12/26
東北の旅その9
四日目A
村田町の古墳
撮影日2013/10/1〜6

4日目、秋保温泉を出て、まっすぐ村田町に行く。村田町には古墳が集中している。
村田町の古墳探索にあたり、HP「宮城県柴田郡 古墳の散歩道」を大いに参考にさせていただきました。

村田町付近の地図

宮城県の地図g

針生古墳 村田町村田字針生
撮影日
2013/10/4

村田町役場から南に約1km。田んぼの中に前方後円墳形で低く残る。8時50分 着。

針生古墳全長100mの前方後円墳
 西から東に張り出した尾根の先端につくられている。
 長年畑として使われてきたので、詳細不明。

北から見た針生古墳

左(東) 前方部  
 右(西) 後円部

針生古墳  前方部から後円部をみる

針生古墳 後円部から前方部を見る

針生古墳  北東から見る
手前・前方部
墳丘が削られて全体に低くなってしまっている。

針生古墳 南東からみる
後円部は前方部より高くなっているが、
  見にくいかな。

愛宕山古墳
薬師堂古墳
龍泉院横穴墓群
柴田郡村田町関場
撮影日
2013/10/4

針生古墳から南に約3km。
山の中にあるが、ふもとに立派な説明板があり、駐車もできるようなので、行ってみる。9時20分 着。 

愛宕山古墳周辺図 (説明板から)

「愛宕山古墳、附薬師堂古墳」として県指定史跡になっている。
標高90mの尾根上につくられた前方後円墳2基。

愛宕山古墳全長約90mの前方後円墳 後円部径55m
 墳丘は県内第3位の規模を誇り、葺石、埴輪をもつ。
 埴輪は野焼で、東北地方でも最も古い時期のもの
 4世紀後半の築造と推定されている。
  平成2年の、後円部地中レーダー探査で、
 後円部墳頂下に、竪穴式石室とみられるものが確認されている。
北西20mのところにある薬師堂古墳は   全長28mの前方後円墳 後円部径15m・高さ5m
この丘陵のふもとには、龍泉院横穴墓群がある。
説明板のある龍泉院前には駐車スペースがある。
駐車していると、龍泉院から、男性が出て来たので、挨拶して、階段を上るとしばらくで神明社が見えてくる。



神明社の後ろに、愛宕山古墳の前方部への上り道がある。



愛宕山古墳

前方部への上り道

前方部の墳上にある石祠

くびれ部から後円部を見る
  

後円部から前方部を見る

後円部上の愛宕神社?

左の石碑は「山津見神社」、
右の石碑は「愛宕神社」と刻まれている。

どちらも昭和六年の日付がある。


薬師堂古墳

手前前方部 右奥後円部

前方部上の石祠

前方部から後円部を見る

後円部上には石仏

龍泉院横穴墓群は先程の男性に案内していただいて、見学する。   (建物に入ってからでないと近付けない)

龍泉院横穴墓群
愛宕山古墳のある丘陵の麓にあり、凝灰岩の崖を掘って造られていて、現在6基が確認されている
 平成7年、すでに開口していた2基の発掘調査が行われた。
1号横穴は、全長8m、玄室は縦3m・横2.5m・高さ1.7mで天井はドーム型。
 前庭部から、須恵器・土師器・鉄鏃などが出土
2号横穴は、全長7m、玄室は縦横  1.7m・高さ1.1mで天井はドーム型。
 玄門は非常に小さく造られている。
 玄室の中からは、副葬品は見つからず、羨道から金銅製耳環・象嵌入直刀・須恵器などが出土。
古墳時代後期、7世紀中ころ〜後半の築造と推定されている。

2号横穴 入口

入口はかなり狭い




2号横穴 床面

2号横穴 内部天井

龍泉院から愛宕山古墳にかけての丘陵上には、
古代末期から中世にかけて栄えた無畏山霊感寺という大きな寺院があり、多くの堂塔があったと言い伝えられている。
しかし寺院がどこにあったかということはよくわかっていない。
霊感寺の資料は、東京国立博物館に所蔵されている梵鐘の拓本が唯一のものである。
拓本によると、梵鐘は応安7年(1374)に作られて、
 「真季」という人が寄進して、住職の名が「得秀」だということが分かる。
      (説明板から)

見学を終えたら、先程の男性がお茶を入れて待っていてくれました。
その方は、龍泉院の住職さんで、文化財保護委員もなさっているそうだ。
こんな方のおかげで、立派な説明板も設置できるのだなぁと思った。
家に上がって、話をしていかないかと誘われたが、
 時間がないので、庭先でお茶を頂いて、お礼を言って、次に向かう。

愛宕神社古墳 刈田郡蔵王町平沢字立目場愛宕神社
撮影日
2013/10/3

愛宕山古墳の北西約2kmにある、蔵王町との境の丘陵の尾根に3基の古墳が連なっている。
愛宕神社古墳、古峰神社古墳、夕向原古墳。
南側の麓から、車で愛宕山神社古墳まで行ける。標高は約160m。
10時15分 着。

愛宕神社古墳は、神社建立によって大きく破壊されているが、
 全長150〜180mの前方後円墳だといわれている
 詳細は不明

後円部

後円部上の社殿

北西に前方部があり、鳥居がある。
鳥居の向こうは、雑草が茂っているが、
参道が麓に続いているようだ。

前方部から後円部をみる。
右手前に鳥居がある。
 
見学しなかったが、・・・・・
古峰神社古墳は、愛宕神社古墳から峰伝いに北東約270mにある
 全長38mの前方後円墳
 後円径26m・高3.5m・頂径10〜12m、前方幅約16m・長14m・高2.5m、くびれ幅16m。 
夕向原古墳1号は、古峯神社古墳より峰伝い北東約350mにある。標高は159m、
 丘陵下の水田からの比高約80m。
 全長64mの前方後円墳
 後円径約38m・高5.5m・頂径約12m、
  前方幅約23m・長約20m・高2.5m、くびれ幅約19m。 
 周濠あり(後円部後端と前方部前端に)、

愛宕神社古墳が、全長150〜180mの大きさとすると、宮城県内一の大きさとなってしまうが・・・・・・。
調査をして、はっきりした結果がほしいですね。

法領権現古墳 村田町沼田字弁天
撮影日
2013/10/3

村田町には、「方領権現古墳」と「法領権現古墳」の二つがある。
方領権現古墳は、全長64mの前方後円墳で今回は見学しなかった(忘れた・・・)。
法領権現古墳は、円墳だが、前を通りかかり、見学する事ができた。

法領権現古墳大きな円墳と考えられているが、詳細は不明。

古墳入り口の神社の鳥居
鳥居の懸額には、「二渡神社」と書かれている。

神社への参道の階段を上る。
雑草をかきわけ、かきわけ・・・上る・・・・。

法領権現古墳 ころんと高い墳丘

墳丘上にある社殿
墳丘をすりばち状に削って建てられているようだ。

上がる途中は、雑草も茂っていたが、墳丘上はきれいになってる。
神社があるから、大事にされている。

小塚古墳 村田町沼部字小塚
撮影日
2013/10/4

田んぼの中に楕円形で残っている。
畑として使われていたようで、低くなっている。

小塚古墳は、全長70mほどの前方後円墳と考えられているが、詳細不明。

小塚古墳を西から見る。

背景の山に同化して
  良く見えないかな・・・・

調査は、これから、ぼちぼち・・・・・。

嶋館古墳   柴田郡大河原町千塚前
撮影日
2013/10/4

嶋館神社は、残っている額により、文永11年(1274)以前の創建と考えられている。 11時 着。

嶋館古墳は、後円部には嶋館神社、前方部には祇園社が祀られている。
 全長35mの前方後円墳 後円部径20m・高さ5m 前方部幅16m・高さ3.5m
 5〜6世紀の築造と推定されている。
 周溝の存在は不明。                 (説明板から)

嶋館神社 正面の拝殿の後ろに後円部がある。

 拝殿すぐ右後ろに国魂神社がある。

嶋館古墳後円部 この背後に前方部
 嶋館神社の社殿がある。

東裾から見る墳丘 
左が後円部  右の前方部にも階段がある

嶋館古墳 後円部から前方部を見る
前方部には祇園社(石祠社)がある

嶋館古墳 前方部から後円部を見る

住所は大河原町だが、村田町の古墳と同じグループに含まれる。

千塚浅間古墳 柴田郡村田町沼辺字千塚
撮影日
2013/10/4

嶋館古墳から西300mにある山(森)は前方後円墳だという。
山の周りをまわって、説明板を見つけた。
説明板のそばに住む男性が、ちょうど帰宅したところだったので、
古墳への上り口はどこですかと聞いたら、「上れません」とはっきり言われて、上るのはあきらめた。


見つけた説明板
千塚山古墳(千塚浅間古墳)
全長75mの前方後円墳
前方部が南にある。
前方部がバチ形に開いている。
埴輪なし
形からすると
古墳時代前期(4世紀前半)の築造の
 可能性が高い
と考えられている。

東から見た千塚山古墳

墳丘がすけて見えるような・・・・

後円部頂には、
 朽ち果てそうな小さな祠があるそうだ。

千塚というくらいだから、周辺には多くの古墳があったのだろう。
前期の古墳がこの地にあるとは、驚きだ!

11時20分を過ぎて、島館古墳のそばのショッピングセンター「フォルテ・ヨークベニマル」(大河原町)にて休憩。
隣りは「えずこホール」という名の、会館があるが、「えずこ」ってなんでしょうね。
お昼にはちょっと早いなぁ・・・・・。
白石市へ。

鷹巣古墳群
県指定史跡 
白石市鷹巣
撮影日
2013/10/4

東北新幹線白石蔵王駅のすぐ北のトンネルの上にある。 12時5分 着。

住宅団地の中に、公園として残っているが、
雑草がかなり大きくなっていて、墳丘を確認するのは難しくなってきている。

鷹巣古墳群は、白石市東部の鷹の巣丘陵・達平丘陵上にある古墳群
 東から西にのびる丘陵の尾根にそってつくられている。
 前方後円墳4基・円墳37基の計41基が確認されている。
 昭和40年代に10数基の調査が行われ、
  木棺直葬・木炭郭・箱式石棺・横穴式石室といった多様な内部主体が検出された。
 最大のものは前方後円墳である瓶ケ盛古墳で、主軸長56mの帆立貝式前方後円墳。
 ほかに小型前方後円墳が3基ある。
 出土物は、
  土師器・須恵器のほか、石製模造品、直刀・鉄鐵などの武器類、
  各種玉・金環・銀環・銅釧などの装身具類などがある。
 古墳時代中期の5世紀頃から後期の7世紀頃までの長期にわたり築造されたと推定されている。

 昭和40年代の宅地造成に伴い、多くの古墳が失われたが、
  一部が県史跡に指定され、小分公園として保存されている。
  12・15・16・17・20・21・22・24・25号墳の9基が保存されている。 
   (県HP・説明板から)
群中最大の瓶ヶ盛(カメガモリ)古墳(12号墳)

瓶ヶ盛古墳 実測図 (古墳辞典から)

瓶ヶ盛古墳は全長56mの帆立貝式古墳前方後円墳
 白石地方最大の前方後円墳
2段築成 周溝がある 
円筒埴輪の破片や、
  鶏や水鳥などと考えられる鶏形の埴輪が出土している。
未調査のため内部構造等は不明
瓶ヶ盛古墳の北側に遊歩道があり、遊歩道沿いに説明板がある。

瓶ヶ盛古墳前方部の北側に説明板がある。 

瓶ヶ盛古墳後円部 
18号墳(山の神古墳)の箱式石棺  (宅地造成に伴い移築復原されている)

18号墳の箱式石棺

18号墳は、径22m・高さ2.5mの円墳で、
  古墳群の中では瓶ヶ盛古墳に次ぐ大きさ。
 墳頂から20cmの深さのところで、
  石棺が発見された。
 周囲から副葬品として、
    鉄鏃や勾玉、石製装飾品などが出土。
 古墳周辺から埴輪の破片が見つかっている。
 5世紀後半の築造と推定されている。
19号墳の横穴式石室 (横穴式石室だけが移築復原)

19号墳の横穴式石室保存

19号墳は径11m・高さ1.6mの円墳
 周りに幅2mの周溝がある。
 すでに盗掘を受けていたが、副葬品として
 耳環・ガラス製小玉・鉄製刀子などが
  発見されている。

この住宅団地には、ほかにも公園があって、古墳が保存されているらしい。

12時20分、宮城県はここまで。
12時45分ごろ セブンイレブン白石馬場前店で、コンビニ弁当の昼食。
福島県に向かってひたすら南下・・・・。
宮城県はこれで終わるが、福島県・王壇古墳につづく・・・・・・

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