掲載日 2014/1/6
東北の旅その10
四日目B
国見から伊達市へ
撮影日2013/10/1〜6

東北の旅4日目。宮城県の古墳見学を終え、13時6分、福島県に入る。
入った途端、除染作業の一団に遭遇。
福島県の最初は国見町。

国見町の地図

王壇古墳
町指定史跡
伊達郡国見町西大枝字王壇
撮影日
2013/10/4

民家の前に墳丘。説明板がある。

王壇古墳は 阿武隈川の広い段丘上にある
   直径15mの円墳   墳丘の南と西に幅2〜3m3mの周溝が残っている。
 7世紀ころ(古墳時代末期)の築造と推定されている。
 明治時代の文献によると、付近には数基の古墳があったらしいが、現在残っているのはこの1基だけである。
 平成5年に調査された。(といっても、発掘されたわけではなさそう。)
 
王壇古墳  南から見た墳丘

王壇古墳  実は後ろは削られている。

王壇古墳  周溝の痕跡が残る。

王壇古墳  墳丘に石材が見えるが・・・・・。


森山第4号墳
町指定史跡
伊達郡国見町森山字上野薬師
撮影日
2013/10/4

長栄寺の裏山にある。といっても、長栄寺の後からすぐ、覆い屋に保護された石室がある。
案内板もある。説明板もある。

森山第4号墳径18m・高さ3.25mの円墳
 墳丘中央部にある横穴式石室は、玄室長さ2.7m・最大幅1.34m
  奥壁部が丸みを持つ胴張形を呈している。
  玄門部は、国見石で構築されている。
 玄室内から、銀環2、直刀2、打製石斧1、琥珀玉が出土
 7世紀後半の築造と推定されている。

円墳4基からなる森山古墳群の1基。
 胴張り型の石室を持つ古墳は、福島県内に20例が確認されているが、半分は信連盆地に分布する。
 昭和46年発掘調査。

石室覆い屋

覆い屋内部  羨道はほとんど消滅している。

玄室内部 石室天井石もない

玄室内部から入口を見る

奥壁に細長い石を立てているのが、特徴かな・・・。
ほかの3基はどこにあるのだろうか?   

八幡塚古墳(塚野目1号墳)
県史跡  
伊達郡国見町塚野目前畑
撮影日
2013/10/4

墳頂に八幡神社がある。    13時45分 着。
平成23年3月に立てられた説明板がある。

八幡塚古墳(塚野目1号墳)全長68mの帆立貝式前方後円墳
 後円部径52m、高さ約6m 西側前方部は削平されている。
 葺石、、周濠(幅7〜8m・深さ平均1.5m)をもつ。
 埴輪(円筒埴輪、朝顔形埴輪、形象埴輪、人物埴輪)が出土。
 円筒埴輪については本宮市の天王壇古墳で出土した埴輪と形や特徴が似ており、
   同一工人によって作られたと考えられている。
 5世紀中ごろの築造と推定されている。。
 34基以上確認されている塚野目古墳群の主墳。
 福島県中通り地方では、最大規模級のもので、大型の朝顔型円筒埴輪が出土している。
 近くには、多くの石製模造品などが出土した、祭司遺構である矢ノ目遺跡がある。

八幡神社正面 南から見る

後円部へ上る石段

後円部頂の八幡神社

後円部頂から、墳裾を見る


錦木塚古墳(塚野目4号墳)  伊達郡桑折町伊達崎字錦塚
撮影日
2013/10/4

八幡塚古墳から南に300mほどのところにある。

錦木塚古墳(塚野目4号墳)は 全長42mの前方後円墳
 後円部径18m・高さ3.5m  前方部は最大幅30m・高さ3m
 北側くびれ部に造出しがある。
 後円部南側にある横穴式石室は、全長6.3m
 ガラス玉32、直鉄刀3、鉄鏃、銅椀、須恵器などが出土した。
 7世紀前半の築造と推定されている。
 1994年に発掘報告書が出されている。



東から見る錦木塚古墳

草や木が繁茂していて、形状がよくわからない。

手前が後円部か?
奥に前方部がある。

錦木塚古墳はヤフーの航空写真で見ると、主軸が東西にある(西に前方部)の前方後円墳のようだ。

塚野目5号墳  伊達郡桑折町伊達崎字錦塚
撮影日
2013/10/4

錦木塚古墳のすぐ東側に低い墳丘がある。



塚野目5号墳


円墳だというが、四角く残っている。



堰下古墳
町指定史跡
伊達郡国見町泉田字堰下
撮影日
2013/10/4

住宅団地の中に、築造当時の姿に復元されて史跡公園として残っている。



1号公園(歴史公園)に堰下古墳はある。


公園の名前、もっとすてきな名前を付けてほしいな・・・・

南から見る




堰下古墳平面図 (説明板から)

径約28m、高さ約2.5mの円墳
葺石あり
円筒埴輪が立て並べられている。
埋葬部は壊されていたが、箱式石棺と考えられていて、
    刀子形石製模造品が出土。
5世紀中ごろの築造と推定されている。


塚野目古墳群や天王壇古墳(本宮市)との強いつながりが考えられている。

平安時代末には、経塚として利用されていたことが分かっている。

(平成25年3月に立てられた説明板から)

   滑り台になっている見晴らし台から東方向を見る。
   付近では一番高い所

堰下古墳  斜面の様子

岐阜県の川合次郎兵衛塚1号墳を思い出させる石積みだ。

大塚古墳 伊達市保原町大字大泉字大塚27番地
撮影日
2013/10/4

伊達市の保原町には、寺や神社があったおかげで、残された古墳がいくつかある。
14時30分ころ、伊達市保原町 着。

大塚古墳は、保原総合運動公園の東隣にある。熊野神社となる。
保原町で確認されている古墳の中では最大規模。
ちょうど、発掘調査が行われていた。

大塚古墳は、直径約40m・高さ4mの円墳
 7世紀頃の築造と推定されている。
 室町時代の文書にも大塚の地名があり、「大きな塚のある村」としてこの地方で有名だったようだ。
 墳丘上に熊野神社が祀られている。
平地に築かれている古墳は開発のため早い時期に消滅している例が多く、
 大塚古墳をはじめ、野崎観音塚古墳、前山古墳、愛宕塚古墳などの古墳が
      保原町に集中して残っているのは大変珍しく、貴重である。
              (説明板から)

大塚古墳 南から見る

大塚古墳 北から見る

大塚古墳 西から見た墳丘

大塚古墳 発掘の様子 


化粧塚
大塚古墳の南20mの所にある。(すぐ横)


南北朝時代に、
 陸奥守北畠顕家(一時霊山居城)に仕えた侍女たちが、
 顕家の戦死を悲しみ、持っていた化粧品を埋めて供養したという
 伝承がある。


どう見ても古墳です。
女性の持つような物が出土したのかもしれない・・・・

発掘調査結果に期待です。
周辺には、他にも円墳があったようだが、全て消滅したそうだ。

次は、
大塚古墳の説明板にある「野崎観音塚古墳」、「前山古墳」、「愛宕塚古墳」の3基の見学。

観音塚古墳(前山古墳) 伊達市保原町5丁目
撮影日
2013/10/4

長谷寺(チョウコクジ)の境内にある古墳。
長谷寺の創建は永徳元年(1381)に定善和尚が中興開山したと伝えられている。


長谷寺山門の横に墳丘がある。

長谷寺山門は元代官所保原陣屋を移築(昭和61年に改築)したもので、
昭和62年伊達市(旧保原町)指定有形文化財となっている。

保原陣屋は寛保2年(1742)、
   白河藩主松平定賢により旧保原城の西側に築かれた建物
陣屋の正面は、城郭の大手門に当たるもので、
     その建築形態をたどることのできる門遺構となっている。

観音塚古墳は、前山古墳とも呼ばれていて、頂上には信達三十三観音霊場第二十四番札所、卯花広智寺観音がある。
古墳についての説明板はない。詳細不明。


東から見た観音塚古墳 墳頂に観音堂。

南から見た観音塚古墳 

信達(しんたつ)三十三観音めぐりとは、
福島県の県北地区にある33カ所の観音さまを巡拝する民間信仰だそうで、
次に見学する野崎観音古墳も信達三十三観音の一つ。

野崎観音塚古墳
野崎寺観音
伊達市保原町
撮影日
2013/10/4

保原駅のすぐ西の野崎寺にある。
古墳についての説明板はない。詳細不明。


野崎寺

写真中央に墳丘があり、その上にお堂と鐘楼がある。

る。
手前に堀があって、まるで古墳の周堀のように見える。



信達三十三観音霊場第二十五番札所 野崎寺観音となっている。
本尊は、近くの池で拾われて、弘法大師作といわれる正観世音菩薩。
管理は二十四番札所と同じく長谷寺。


南から見た野崎観音古墳

野崎観音古墳 墳頂の観音堂

愛宕塚(神社)古墳 伊達市保原町大泉
撮影日
2013/10/4

大泉駅の北200mくらいの所にある。大塚古墳の北西500m付近。
周りより少しだけ高まりのあるところに、小さなお堂がある。
古墳についての説明板はない。
石斧が出土したともいわれているが、詳細不明。


東から見た愛宕塚古墳

墳頂の愛宕神社

低い墳丘なので、知らないとわからないかもしれない。

15時20分を過ぎて・・・南相馬市の桜井古墳の見学に出発・・・・・。
ところが、南相馬への道のりは険しく・・・・、遠く・・・・・
桜井古墳につづく。

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