掲載日 2014/1/26
東北の旅その13
五日目A
白河市から矢吹町へ
撮影日2013/10/1〜6

東北の旅五日目。大玉村付近の七ツ坦古墳群を見学して南下・・・・
10時56分 国道4号線を南下
11時6分 本宮ICから高速道へ
      鏡石PAにて、トイレ休憩
11時36分 矢吹ICで下りる。  (高速料金 550円)

白河市から矢吹町付近の地図

谷地久保古墳 白河市本沼字岩井戸
撮影日
2013/10/5

福島県白河市北部、矢吹ICから南に約6kmの山あいの標高350mほどの丘陵南斜面にある。
近くまで行くと「谷地久保古墳・野地久保古墳」の案内板が道路わきにある。   11時50分 着。
古墳のある斜面のそばまで車で行ける。誰もいないので駐車可。
白河舟田・本沼遺跡群(下総塚古墳、谷地久保古墳、舟田中道遺跡)として国史跡となっている。2005年指定
平成15年9月の現説資料がインターネットで公開されている。

谷地久保古墳は 径17mの円墳 高さ3.5m以上
 2段築成で、2段目の直径10m。
 安山岩質凝灰岩の切石を用いて構築された横口式石槨は南南東に開口している。
  羨道入口から奥壁までの長さ2.6m
  玄室 幅1.38m・高さ1.18m・奥行1.41m
  前庭部は羨道から南6mほどに河原石が敷き詰められている。
 出土物はない。
 近畿地方において確認されている石槨に共通する特徴をもっている。
 7世紀後半〜8世紀初頭の築造と推定されている。

 大正15年に発見され、石槨の測量が行われている。
  発見当初より奈良県中尾山古墳の石槨との共通性が指摘されていて、
   石槨には蔵骨器が納められていたものと推定されている。
 昭和58年に測量調査、平成13年・15年に発掘調査を実施している。


大きな説明板の右に石室が露出している。
墳丘はよくわからない。

露出した石室 思ったより小さい。
玄室のみが残る

玄室の前に落ちている二つの石は
玄門と羨道の石材
と考えられている。

石室内部。
きれいな切石。




谷地久保古墳からの眺め
野地久保古墳の方角(南東)を見る。


眺望がいい場所ではない
野地久保古墳は中央の林の中かな



白河舟田・本沼遺跡群について
 阿武隈川上流の河岸段丘及び丘陵斜面上に所在し、
 下総塚古墳、舟田中道遺跡、谷地久保古墳からなる6紀後半から8世紀初頭の遺跡群である。
下総塚(シモフサヅカ)古墳(国史跡)は、全長71.8mの前方後円墳(基壇がある)
  円筒埴輪、形象埴輪(人物、盾など)が出土  6世紀後半の築造
舟田中道(フナダナカミチ)遺跡(国史跡)は、6世紀後半〜7世紀前半頃の豪族居館跡
  一辺70mほどの溝で区画されている。

他にも
借宿廃寺跡(県史跡・法隆寺式の伽藍跡・7世紀末の創建)や
関和久官衙遺跡(国史跡・古代白河郡の役所跡)などがある。
次に見学する野地久保古墳もいずれ国史跡になるのではないだろうか。

野地久保古墳  白河市本宮字野地久保
撮影日
2013/10/5

谷地久保古墳の南東300m、同じ山あいの標高340mほどの東側に突出した丘陵の南東斜面にある。

平成20年12月の現説資料がインターネットで公開されている。

 野地久保古墳は 上円下方墳
  下方部は一辺16m・高さ最大0.52m 上円部は直径10m・高さ(残存)0.28m
  石材の観察から、 
    南に開口する横口式石槨(床石長さ1.99m・幅1.44m・厚さ0.73m)があったと考えられている。
  出土物はない
  7世紀中ごろ〜8世紀初頭の築造と推定されている

 平成16年に発見されたが、構築時の位置を保っているのは床石だけで、
       周囲には埋葬部のものと考えられる石材が4個みつかった。
 石の加工の仕方が谷地久保古墳と似ている事から、
   同じ構造の横口式石槨のある古墳の可能性があると考えられている。  (説明板・現説資料から)


上円下方墳と聞いていたので、期待して行ったが、
埋め戻されているようで、墳丘は、確認できない。

立派な説明板がある・・・・・

この後、下総塚古墳を探すが、見つからないので、早々にあきらめ次に向かう。
12時45分 ファミリーマート泉崎関和久店で昼食を買うが、食べるところがない・・・・・
北上!

新田東山古墳  泉崎村大字北平山字新田東山
撮影日
2013/10/5

野地久保古墳から西北西に約3km、
泉崎第二小学校の西側の住宅団地の一番高所の階段の上に墳丘が残されている。
標高300mの丘陵にある。
ヤフーの航空写真では、はっきり見えていたのに、探すとなかなか見つからない。 13時5分 着。
説明板がある。

新田東山古墳は 全長28mの帆立貝形前方後円墳
 後円部径20m 前方部8m
 埋葬施設は確認できなかった。 周溝から須恵器などが出土。
 5世紀後半の築造と推定されている。
 住宅地の造成工事に先立ち、平成元年調査。
泉崎村では、他に原山1号墳がある。


北東から見た新田東山古墳


周溝跡も残っている

前方部は左奥(南西)の方角か?

新田東山古墳の周辺だけが、
宅地造成から取り残されている。


今は公園というより草むらだ。

泉崎横穴群
国史跡 
西白河郡泉崎村大字泉崎字白石山
撮影日
2013/10/5

新田東山古墳の北1.3km。
横穴は閉じられていると分かっていたが、公園になっているのでここでようやく昼食。
13時15分 着。

泉崎横穴は、昭和8年 道路工事中に数個の横穴と共に偶然発見された古墳時代の横穴墓
 丘陵南斜面に造られ、玄室、前庭部(羨道)で構成。
 玄室部は長さ約2.3m、幅約2m、高さ約1.2mを測り、屋根の形状は宝形造となっている。
 屍床は奥壁に平行して一段高くなっていて、排水溝がつくられている。
 奥壁と側壁、天井部には赤色顔料によって人物や馬、三角文、渦巻文などが描かれている。
出土遺物は直刀や刀子、銅環など。6世紀末〜7世紀初頭の築造。

泉崎横穴内部と壁画 (説明板から)

正面壁画には
主人と見られる騎馬人物が、
  弓をつがえて耳の長い小動物を追いかけ、
その後ろに手をつなぐ4人の人物、
捧げものをする女子人物3人が描かれている。
左右の壁には馬
左の壁は、人が馬をひく
天井には渦巻きと円文


泉崎横穴群の公園

壁画の劣化を防ぐため
 覆屋によって保護されており、
 通常は非公開。
年に数回、一般公開が行われるという。

この辺りの民家はとても立派、お寺のような民家が連なる・・・・。

大壇古墳群
県史跡
石川郡石川町新屋敷
撮影日
2013/10/5

泉崎横穴から西に約7km
遊歩道があり、きれいに整備されている。 13時40分 着。



配置図 (説明板から)

大壇古墳群は 丘陵台地にあり、
前方後円墳3基・円墳6基で形成されている。
未調査のため詳細不明。
古墳群で最大の1号墳は全長35.5mの前方後円墳
    後円部径25m・前方部幅21m。周溝跡がある。
    6世紀初頭の築造と推定されている。
円墳の最大は4号墳で径25m。
横穴式石室があると考えられている。
古墳時代後期(6世紀初頭〜7世紀初頭)の築造
         推定されている。
  (説明板・石川町HPから)
1号墳



1号墳全景


左奥 後円部
右手前 前方部

1号墳 前方部から後円部を見る
   

1号墳 後円部から前方部を見る
 後方に見えるのは2号墳  

2号墳 前方後円墳

左奥は1号墳 形はよくわからない 
7号墳 円墳

 
6号墳 円墳

 
4号墳 円墳

 
3号墳 前方後円墳

8号墳から見た3号墳 前方部は左側 
5号墳 円墳

9号墳 円墳

 
8号墳 円墳

斜面の低い所にある。 

悪戸古墳群
県指定史跡
石川郡石川町中野字悪戸
撮影日
2013/10/5

大壇古墳群から北東に約3kmの山あいにある。   14時10分 着。
古墳時代後期の群集墳だそうだが、民家に向かう道に露出した石室だけ見学。


9号墳石室露出 石室奥しか残っていない

9号墳石室内部  ボロボロだ
悪戸古墳群は、阿武隈川の東岸、南北にのびる丘陵の西斜面に位置する。
 9基の円墳からなっている。
 以前は、11基あったが、2基は破壊されている。
 7基の古墳は、径15〜18mで、封土の上部は平坦に近く、高さ1.5〜3mで周濠(古墳のまわりがある。
 石室の一部を露出したものがある。
 1号墳は、最高地に位置する民家の背後にあって、推定径18〜20m・高さ3m。
   すでに開口している石室は全長6mの無袖式。鉄鏃などが出土。7世紀初頭の築造と推定されている。   
 9基のうち、2基は半壊。されている。
   (福島県教育委員会資料から)

宮の前古墳
県史跡
石川郡玉川村大字川辺字宮ノ前
撮影日
2013/10/5

悪戸古墳群から北へ約10km、玉川工業団地のある丘陵の東斜面にある。
工場誘致がかなわなかった空き地の奥にある。
そばに川辺八幡神社があるから、地名が「宮の前」なのか。
説明板がある。

宮の前古墳は、墳丘の形は不明
 南南東に開口する石室は、切石積横穴式石室で、
  内部は、高さ1.8m・幅2.05m・奥行3.9m、玄室と羨道に分かれている。
  丁寧に整形された直方体の切石を組み合わせてつくられている。
 7世紀後半の築造と推定されている。

空き地の奥に説明板と標柱が見える

標柱の横に石室開口。

石室入口 滑らないように気を付けて上がる・・・

羨道と玄室は門状の石で分けられている。

玄室の奥壁 四角いきれいな石室!

玄室から入口を見る

畿内でもあまりないような切石積みの見事な石室だ。
羨道と玄室の境にある門がステキ!!

鬼穴古墳(1号墳)
県史跡
西白河郡矢吹町神田東
撮影日
2013/10/5

宮の前古墳から西へ約1kmの所にあるが、間に丘陵と阿武隈川があるので、
南に迂回しないと行けない。
墳丘横の会社の建物はすっかり荒れてしまっている・・・・。
説明板がある。

鬼穴古墳(1号墳)は、東西径26m南北径27m・高さ4.1mの円墳
 工場敷地の整地により裾部を削られている。
 墳裾から埴輪が出土している。
 南に開口する横穴式石室は全長8.84m
  玄室は両袖式でやや胴張りで長さ5.34m・最大幅2.3m・高さ1.9m
  羨道残存長さ3.5m  玄室天井石は3枚残る
  
  玄室と羨道は仕切石によって区画されている。
  羨門及び羨道の一部は耕作によって失われている。

北から見た墳丘

石室開口部

石室内部

石室内部から外を見る

西の林の中に、2号墳(未発掘)があったというが、見学忘れた…。

谷中古墳群 西白河郡矢吹町
撮影日
2013/10/5

鬼穴古墳と宮の前古墳の間、阿武隈川の西岸にある。



谷中古墳群は3基


1号墳の石室が露出
1号墳後ろに(仮)2号墳があるが見えない・・(白い袋の左側)
右奥に(仮)3号墳の小さな墳丘





谷中古墳群は 阿武隈川の氾濫原にある。
現存3基の古墳群
 昭和44年に1号墳の調査。
 1号墳は石室は全長9.3mの横穴式石室
  天井石は3m四方の大きな石が使用されている。
  石室を中心に半径20mの範囲から円筒埴輪、形象埴輪の破片が発見され、
  石室内から鉄鏃片と耳飾1点が出土した。
  昭和50年の周溝調査で、幅5mの周溝が検出され、長軸50mの前方後円墳と考えられている。

谷中古墳群1号墳 墳丘は削られている。
 

谷中古墳群1号墳 石室
手前の羨道部は埋まっている。

谷中古墳群1号墳 左の石が奥壁

谷中古墳群1号墳 玄室もほとんど埋まっている

谷中古墳群1号墳のそばに、別の墳丘(仮2号墳)。


谷中古墳群(仮)2号墳の墳丘も削られている。
背後の高まりは(仮)3号墳

谷中古墳群(仮)2号墳の露出石材
 

仮2号墳のそばの白い袋は、除染作業で使われている袋に似ている・・・・。


鬼穴古墳の南200mにある白髭神社
  谷中古墳から見る

古墳か?







北上!
須賀川大塚に向う途中、説明板発見!

久当山横穴古墳群の説明板


久当山横穴古墳(矢吹町史跡)は、
説明板背後の丘陵に15基確認されている。
古墳時代後期の築造と推定されている。



「すみれの会」が植えたというサルビアの花がきれいな道路を北上!!

須賀川大塚古墳につづく・・・・。

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