掲載日 2014/2/22
東北の旅その17
六日目C
会津坂下町
撮影日2013/10/1〜6

喜多方市の古墳見学を終え、旅の最終目的地、会津坂下町へ。
前日訪れた大安場公園の職員の方から、
 亀ヶ森・鎮守森古墳が、史跡公園化に向けて発掘作業が進められていると聞いたがどういう状況なのか・・・・。

地図





亀ヶ森古墳・鎮守森古墳の配置図

  (説明板から)




亀ヶ森古墳
国史跡
宇内青津古墳群
会津坂下町青津
撮影日
2013/10/6

「史跡亀ヶ森・鎮守森古墳」として国史跡となっている。
平地にあるから、すぐ見つかる。

亀ヶ森古墳は、全長127mの前方後円墳
 後円部径67m・墳頂径50m高さ10m 前方部長60m・幅60m高さ5.8m
 後円墳は3段築成 葺石あり 埴輪あり
 前方部は墓地となり、後円部には稲荷神社・観音堂が建てられ、
  中世は館として利用されたため、 築造当初の景観とはかなり異なる。
 周囲に堀跡の水田を残している。
 出土した壷型埴輪や円筒埴輪から、
4世紀末の築造と推定されている。
 平成4年に試堀調査。


南から見た亀ヶ森古墳
左が前方部



中央の裾に見える赤いところは
六地蔵


西から見た亀ヶ森古墳前方部前端 奥が後円部
発掘が行われている。

発掘の様子  前方部先端の石積みか?

北側には周溝跡がはっきり残る。

南東にある後円部上り口 

後円部頂西側(くびれ部側)には稲荷神社(左)

後円部頂中央には、20mほどの円形の土壇がある

後円部頂東側には観音堂がある。
会津三十三観音 第三十二番札所 青津観音。

後円部から見た前方部
墓地となっている

会津大塚山古墳の調査の後、会津盆地の古墳の研究が進められ、
亀ヶ森古墳・鎮守森古墳を中心とする古墳群の存在が明らかとなり、宇内青津古墳群と呼ばれている。
宇内青津古墳群は、前方後円墳12基・前方後方墳3基・円墳多数・方墳多数が確認されている。

鎮守森古墳
国史跡
宇内青津古墳群
会津坂下町青津
撮影日
2013/10/6

「史跡亀ヶ森・鎮守森古墳」として国史跡となっている。
亀ヶ森古墳の南西50mにある。


鎮守森古墳実測図 (説明板から)

鎮守森古墳は 全長56mの前方後方墳
前方部長30m高さ4.7m 後方部長26m・高さ2.1m
墳丘とほぼ相似形の周堀があることが確認された。
亀ヶ森古墳とほぼ同方向に並んで築造されている。
後方部には八幡神社がある。周堀がある。

後方部東南角と前方部北西角に、陸橋状の高まりがある。
出土した二重口縁壺から、
   4世紀中ごろの築造と推定されている。

前方部前端は、後世に剣先形に改変されている。




北から見た鎮守森古墳
左が後方部

前方部東南角の陸橋状の高まり
右奥が後方部上り口

南側にある後方部上り口
 

後方部は2段築成のようだ。
上には小さな祠

後方部から前方部を見る

平成元年、亀ヶ森古墳・鎮守森古墳の西の男壇(おだん)遺跡・中西遺跡・宮東遺跡が発掘調査され、
 男壇・宮東遺跡からは前方後円形・前方後方形・方形・円形などの周溝墓を発見、
 中西遺跡からは当時の集落跡が出土した。
これらの遺跡から出土した土器は非常に北陸色の強いものであって、
亀ヶ森・鎮守森両古墳の系統を考える上で重要な遺跡である。    (亀ヶ森後円部頂の説明板から)

上宇内古墳
宇内薬師堂

宇内青津古墳群
会津坂下町大上
撮影日
2013/10/6

宇内薬師堂に古墳を見学に来たが、
国重文の薬師如来像をはじめ、県重文の日光月光菩薩像、町指定文化財の十二神将像などがある。

重要文化財「木造薬師如来坐像」は、会津五薬師の一尊の西の薬師で、宇内薬師として信仰を集めた古仏
木造薬師如来坐像は高さ180.5cmの欅の一本彫造。
国宝勝常寺の薬師如来坐像の流れをくみ、平安時代の10世紀ごろの造像と考えられている。


宇内薬師堂山門
  両側に仁王様がにらみをきかせている。

宇内薬師堂本堂
   

本堂をのぞき穴から見る。
中央は薬師如来ではなくて、阿弥陀仏だ?!
薬師如来像は、予約しないと見られない!!

平成17年のキャンペーンのポスターがある。
この仏像が薬師如来像。
国重文の薬師如来像は本堂後ろの収蔵庫にあるらしい。

本堂西にある古墳は、白山神社となっている。

上宇内古墳円墳と考えられているが、詳細不明。

上宇内古墳 墳丘

六地蔵の横に上がり口がある。



上宇内古墳 墳丘上

小さな3つの石祠が並ぶ。

昔は、栄えたお寺だったのだろうな・・・・・・。
会津には、多くの立派な仏像があるな・・・。

臼ガ森古墳
宇内青津古墳群
会津坂下町青津
撮影日
2013/10/6

上宇内古墳から南に約3km、史跡公園になっているという杵ガ森古墳の少し手前に、墳丘がある。
墳丘上には愛宕神社の社殿が建つ。
上がり口が、正面(南側)と東側の2ヶ所ある。

臼ガ森古墳墳長50mの帆立貝形前方後円墳
 後円部径36m・高さ5m

東側入口

東から見た墳丘

愛宕神社正面(南側)上がり口

南から見た墳丘

旅に行く前に調べた位置とは違っていたので、新しく確認された古墳かと思ってしまったが、これが臼ガ森古墳だった・・・・。

この臼ガ森古墳と次に見学する杵ガ森古墳の間に米ガ森古墳というのがあったと伝えられているが、
今は、位置もわからない。

杵ガ森古墳と稲荷塚遺跡
宇内青津古墳群
会津坂下町青津
撮影日
2013/10/6

臼ガ森古墳から、南に約300m、
稲荷塚遺跡と杵ガ森古墳は隣り合っていて、史跡公園として保存されている。

稲荷塚遺跡史跡公園

南から見る
左 杵ガ森 右稲荷塚遺跡 手前が2号墓


杵ガ森古墳は、調査前は後円部しか残っておらず、
開発のため記録保存されることになっていたが、
発掘調査で前方後円墳と分かり保存されることとなった。






杵ガ森古墳と稲荷塚遺跡の
          発掘時の位置関係


   「シリーズ遺跡を学ぶ・東北古墳研究の原点(新泉社)」から


現在は杵ガ森古墳と稲荷塚1〜4号墓が保存されている。
杵ガ森古墳は、後円部が楕円形で残り、発掘前は円墳と考えられていて、開発で消滅するところだった。
発掘調査で、東北最古級の古墳とわかり、保存されることとなった。

杵ガ森古墳は 全長45.6mの前方後円墳
 後円部径25.6m・高さ2m 前方部長さ24m・幅先端19m
 後円部2段築成
 前方部はすでに削られて存在しなかったが、相似形の周堀がある。
 周堀から、古墳時代前期の、赤色壺形土器や器台などが出土した。
 奈良県の箸墓古墳と形が似ていて、大きさは6分の1となる。
 4世紀前半の築造と推定されている。

南から見た杵ガ森古墳 手前前方部
前方部は削られていた・・・・・

東から見た杵ガ森古墳
後円部も低くなっている

杵ガ森古墳 後円部から前方部を見る

杵ガ森古墳 前方部から後円部を見る

杵ガ森古墳の周りに稲荷塚遺跡の周溝墓がある。

稲荷塚遺跡は、杵ガ森古墳発掘調査に伴い、新たに発見された古墳時代前期の遺跡と考えられている。
平成2・3年の調査で、
   古墳時代の竪穴住居跡が15軒、掘立柱建物跡3棟、方形周溝墓10基などが発見された。
稲荷塚遺跡と杵ガ森古墳の関係は、
   古墳時代前期初頭の集落跡(稲荷塚遺跡)の跡に杵ガ森古墳がつくられ、
   その周囲に次々と杵ガ森古墳の埋葬者と縁のある方形周溝墓がつくられていったものと、
   竪穴住居跡を避けてつくられているものもあり、
   このような住居跡は、杵ガ森古墳や方形周溝墓群の墓守が住んでいた可能性も考えられている。
稲荷塚遺跡の400m北には、
   前方後円墳の臼ガ森古墳と古墳時代前期の森前遺跡があり、
   古墳時代前期にはこの付近が繁栄していたことがうかがわれる。

稲荷塚4号墓
方形周溝墓(一辺12.7m)
 

稲荷塚3号墓
前方後方形周溝墓
(後方部一辺9m・前方部4.5×4.7m)

稲荷塚1号墓
方形周溝墓(一辺9.6m)
 

稲荷塚2号墓
造出のある方形周溝墓
(方形部一辺9.9m)

稲荷塚遺跡と杵ガ森遺跡の築造順序にはまだまだ議論があり、確定ではないようだ。

東北の旅すべての日程を終え、帰路につくこととする。
16時12分 会津坂下IC
16時52分 阿賀野SA
17時20分 新潟中央JCTから北陸自動車道へ
18時46〜19時11分 名立谷浜SAにて、カレーライスの夕食
20時30分 呉羽PA
21時13分 白山ICから一般道へ・・・・・・現実に戻り、翌朝食のパンと牛乳を買い・・・・・
21時40分  帰宅

走行距離2100kmを越える大旅行か終わった・・・・・ なんと言っても、南相馬市が遠かった・・・・・

東北の旅シリーズ おわり

飛騨の古墳探索につづく・・・・・・・・

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