更新日2015/3/19

群馬県・2014
その12 高崎市④
 2014/11/21~24

11月24日 4日目。最終日に入る。
7時に、「ホテルながい」(高崎市緑町)を出て、浜尻天王山古墳へ。

高崎市東部の地図

浜尻天王山古墳
市史跡

高崎市浜尻
 (撮影日2014/11/24)

宿泊のホテルながい(高崎市緑町)から東に約1kmに古墳がある。
墳丘上に諏訪神社がある。神社駐車場あり。    7時10分  着。

 浜尻天王山古墳 全長53mの前方後円墳 西に前方部を向けている。
  榛名山の中腹、箕郷町から流れ出す伊野川の中流域につくられている。




浜尻天王山古墳実測図


       (説明板から)

後円部に横穴式石室があると考えられている。

墳丘には、
    形象埴輪や円筒埴輪が並べられていた。

 
6世紀後半の築造と推定されている。


 昭和30年の「中川村誌の調査では、
   大八木から正観寺、小八木、浜尻にかけて、31基の古墳が確認されているが、
      現在はこの古墳のほか、2・3を残すのみとなった。



後円部脇から見た
     浜尻天王山古墳


左奥が前方部

前方部上に諏訪神社社殿がある
 右方向に後円部がある。

前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る

北側の墳丘斜面

前方部と後円部は同じ高さになっている。  見ただけではどっちが後円部かわからない・・・・。

石塚古墳

高崎市菅谷字石塚
 (撮影日2014/11/24)

「石塚古墳南」と名付けられた交差点があるので、もっと立派な古墳かと思ったが・・・・・
低い墳丘が残るだけ。   駐車場なし。 

浄眼寺「石塚の薬師」という説明板があるが、古墳については書かれていない。
応仁の時代から、薬師如来が安置されていると書かれている。

 石塚古墳  薬師塚古墳ともいう。
  
円墳と考えられていて、現在は東西で70m・南北34.8m
  円筒埴輪が出土している




南から見た石塚古墳

西から見た石塚古墳

墳丘上にある薬師祠
お薬師様がいらっしゃいます・・・・

 

御庫山古墳と賢海坊古墳

高崎市井出
 (撮影日2014/11/24)

上毛野はにわの里公園の南に御庫山古墳と賢海坊古墳があるというので、うろうろ探していたら、
散歩中の御夫婦が、御庫山古墳まで案内してくださった。

御庫山古墳と賢海坊古墳は、南北に並んでいる。

御庫山古墳は民家の後ろにあり、道路からは見えにくいようだ。

 御庫山古墳
  径23m・高さ3mの円墳
  馬具や刀が出土したといわれているが、詳細不明



北から見た御庫山古墳


きれいになっているが・・・・


資料がない・・・・

御庫山古墳のすぐ北にあるのが賢海坊古墳。

 賢海坊古墳
  径12m・高さ1.8mの円墳
  詳細不明

から見た賢海坊古墳

墳頂には、石祠がある。


上毛野はにわの里公園
保渡田古墳群

高崎市保渡田・井出
 (撮影日2014/11/24)

上毛野はにわの里公園」には
   
国指定の保渡田古墳群、かみつけの里博物館、土屋文明記念文学館、土屋文明歌碑、山村暮鳥詩碑などがある。
8時10分  はにわの里公園駐車場着。


保渡田古墳群配置図
  (説明板から)

保渡田古墳群は、榛名山東南麓の伊野川上流域にある3基の前方後円墳


5世紀後半~6世紀初頭の築造と推定されていて、
二子山古墳→八幡塚古墳→薬師塚古墳の順につくられたと考えられている。



二子山古墳
保渡田古墳群

高崎市保渡田・井出
 (撮影日2014/11/24)

発掘前の墳丘の形状をできるだけ変えないで、堀の部分のみ形を再現して、墳丘が展示されている。
説明板も色々な所に立てられている。

 二子山古墳の墳丘


二子山古墳模式図  (説明板から)

二子山古墳は 墳丘長108mの前方後円墳
   後円部径72.5m 前方部幅72,5m

周りに内堀と外堀がめぐる。
外堀まで含めた全長は213mとなる。

内堀の中には円形の中島が4つ存在している。

3段築成 葺石あり


 数千本の円筒埴輪が、墳丘や内堤・外堤に並べられていたと考えられている。
 器材・家・人物・動物などの形象埴輪は内堤の北側に並んでいた。
 墳丘頂部に大型の舟形石棺がある。
 
5世紀後半の築造と推定されている。
 
 南東1kmにある豪族居館(三ツ寺Ⅰ遺跡)を拠点として、
              榛名山麓の伊野川流域を統治した豪族の墓と考えられている。


南側から見た二子山古墳

左・前方部
右・後円部

後円部手前から見る 向こう側に前方部

南西から見た二子山古墳

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る


 二子山古墳の埋葬施設
 後円部頂上には、石棺がある
  石棺は頂上に掘られた方形の穴(5.3×7.6m)の中央に置かれ、
                        周りにはたくさんの石が詰められていた。
  盗掘されていて、棺蓋がなくなっている。
  長さ3m・幅1.2m・高さ1mの舟形石棺で側面に複数の縄掛け突起がある。
  棺の西には、遺物を入れる石組の空間が設けてある。
  石棺の石材は、高崎市南部の観音山丘陵の凝灰岩を10kmほど運んで来たもの

 この石棺は度重なる盗掘を受け、蓋を失い、棺身部も割られているので、出土物は破片しかない。
 破片から推定されるものは
  金製の飾金具、ガラス玉をあしらった金銅製の冠または履、雲母製装身具、金銅製馬具、
  金銅製の矢入れの道具、多量の玉類(勾玉・管玉・丸玉・臼玉)、
  鉄刀、鉄鏃、挂甲、鉾、鉄製農工具など

 
石棺の横には、小形の竪穴式石槨(木棺を石で囲んだもの)がある。(追葬)

後円部頂上の石棺上には
棺身部分の原寸大写真が置かれている。

石棺脇に副葬品室がある。

二つの埋葬施設 (説明板から)
舟形石棺の設置後、しばらくしてから       
小さな埋葬施設を追加している  

石棺(東斜め方向から) 
 (説明板写真から)

もう一つの埋葬施設(竪穴式石槨)
 (説明板写真から)


 二子山古墳の中島
 内堀の中には、中島と呼ばれる4つの円い島がある
 
いずれも径18mで、斜面に葺石があり、円筒埴輪列がめぐっていた
 北中島では円筒埴輪のほかに須恵器大甕の破片も出土している。
 南東中島では、家形埴輪片のほか、土師器小型壺や須恵器高杯・ハソウなどの土器群も出土。
 中島は葬送儀礼がおこなわれた場所だと考えられているが、
            場所ごとに内容の異なる儀礼がおこなわれた可能性が高い。

墳丘から見た中島
 

発掘時の北中島
 (説明板写真から)


 二子山古墳の埴輪
 墳丘の中段平坦面には円筒埴輪が口を接し、列になって並んでいた。




出土した埴輪の様子の展示

古墳の築造からしばらくして、平坦面が崩れたので、
これを立て直した様子を観察できる。

二子山古墳の東側には、竪穴式小石槨が保存されている。



北畑遺跡の竪穴式小石槨  (移築保存)



北畑遺跡の竪穴式小石槨 

現在は二子山古墳の東側に移築されているが、
   二子山古墳の西側で10基発見された

保渡田古墳群に葬られた王に使えていた人たちの
       墓地だったと考えられている。


 6世紀榛名山が大噴火したさいの角閃石安山岩を使用している
 この遺跡では、他に5世紀末~6世紀代につくられた10基の古墳も確認されている
 古墳の大きさや、埴輪の数・種類に差があるのは、葬られた人々の階層の差と考えられている。
     (帆立貝形古墳・円墳・円筒埴輪棺など)
 小石槨は、この中でも、河川に近い崖際につくられ、
     小規模な古墳に埋葬された人たちより、低い身分の人たちと考えられている。
 また、埋葬空間の規模が80cm程度と小さく、
     「子どもの墓」や「一度埋葬した後、骨を再び埋葬した墓」だという学説もある。
                  (説明板から)
 二子山古墳と保渡田Ⅶ遺跡・北畑遺跡の位置関係  (説明板から)





二子塚古墳の外堀の北西にあるのが
         保渡田Ⅶ遺跡。

二子塚古墳の外堀の西にあるのが
         北畑遺跡。



   保渡田Ⅶ遺跡は、二子塚古墳の外堀の北西にあり、大量の人物埴輪を出土した。

  

八幡塚古墳
保渡田古墳群

高崎市保渡田・井出
 (撮影日2014/11/24)

かつてこの古墳は大きく削られていたので、築造された当時の姿に復元し、公開されている。




調査時の八幡塚古墳実測図 (古墳辞典から)

1929年に調査
1993年から史跡整備関連の調査。

6世紀初頭に噴火した榛名山の洪水堆積物が下段を覆うため、
  埴輪配列が良好に遺存していた。

調査時、古墳の頂部は削られていて、発掘するとすぐに石棺があらわれた。
      すでに盗掘されていた。



八幡塚古墳復元模式図  (説明板から)


八幡塚古墳は
全長96mの前方後円墳
 後円部径57.5m 前方部幅62.5m
 周囲には内堀・外堀・外周溝がめぐり、
     それらの間には内堤・外堤が設けられている。
 墓域の長さは全長190mとなる
内堤には2列の円筒埴輪列が全周し、
    外堤には円筒とともに盾持ち人埴輪も配置されている

内堀内には、4基の中島(径13mの円形)がある。
  中島には、2段築成で円筒埴輪列・祭祀土器・家形埴輪がある。
 3段築成 葺石あり


 
5世紀末の築造と推定されている。 
 
 
形象埴輪配列区は、内堤の2ヶ所(A区・B区)あり、かつて大量の人物・動物埴輪が出土。
 墳頂部には、舟形石棺がある。

外界との垣根である円筒埴輪は、幾重にも列をなして並べられ、その数6000本と推定される。

内堤から見た墳丘

中島と墳丘

前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る
手前の後円部地下に埋葬部展示室がある。

前方部先端側の内堤には、埴輪が復元されている。

 八幡塚古墳  A区形象埴輪配列区
  内堤の上に、円筒埴輪による区画(11m×5m)を設け、54体ほどの形象埴輪が置かれていた。

  この区画の最初の調査は1929年(昭和4)に行われたが、出土埴輪の約半分は失われた。
  現存資料や記録類、新たな出土資料を検討したうえ、想定復元
  椅子に座った人々のグループ、立ち姿の人々のクループ、狩りをする人と動物、
  整列する人と動物のグループなどいくつもの場面が見られ、
  さまざまな儀礼の様子を表わしたものだと考えられている

埴輪復元

 今城塚古墳の埴輪復元を思いだす・・・・・
 B区の形象埴輪配列区は、
   A区と同様に多くの埴輪が並べられていたようだが地表が削られ、詳細は不明

後円部頂から階段を下りると埋葬部の展示室がある。

 八幡塚古墳 埋葬施設は後円部頂に2ヶ所ある
  後円部の中心に舟形石棺が置かれていて、
             その脇に竪穴式石槨(木棺を石で囲んだもの・追葬)がある。
  石棺は全長3.15m・幅1.45m(突起含む)で、内部が赤彩されている。
  盗掘されていたが、ガラス玉450や金銅装馬具片・散乱した弓飾り等が出土。

 この石棺の脇には、石棺の突起を現地で欠き取り、遺物をおさめる副葬品室が造られていた。
  鉄で農工具を模したミニチュアの祭具などが出土した。

 竪穴式石槨は破壊されていたが、挂甲片・鉄鏃・玉類が散乱して出土。
                                             (説明板・古墳辞典から)

後円部の埋葬施設の配置
(説明板から)

左奥に竪穴式石槨     右奥に石棺蓋石
手前に舟形石棺

舟形石棺の右脇にあるのが副葬品室

石棺の蓋の一部が、少し離れて置かれている。

八幡塚古墳から、他の2基が見える。


八幡塚古墳墳頂から見る二子山古墳

八幡塚古墳墳頂から見る八幡塚古墳
  左奥の林です

  かみつけの里博物館が開館するまでには、まだずいぶん時間がある。
見学したかったが、次へ・・・・

薬師塚古墳
国史跡
保渡田古墳群

高崎市保渡田字薬師前
 (撮影日2014/11/24)

紫雲山東陽院西光寺の境内になっていて、かなり削られているが、墳頂に石棺が保存されている。
寺駐車場あり 説明板あり

墳丘は国指定史跡、出土品は「上野国保渡田薬師塚古墳出土品」として国指定重要文化財となっている。



薬師塚古墳 復元図  (古墳辞典から)

全長105mの前方後円墳
2重の堀がめぐるが、外堀は全周しない。
堀を含めると全長165mとなる。

3段築成 葺石あり
円筒埴輪はあるが、総量は少ない。

5世紀末~6世紀初頭の築造と推定されている。


 後円部頂に、凝灰岩の刳り抜き舟形石棺が置かれている。 長さ3.15m
 出土品は江戸時代に、この中から発見されたという伝承がある。
 出土品には、小形の国産鏡・装身具の各種玉類・儀式の際に馬を飾る馬具類などがある。
 中でも馬具は異例な形式のもの
 
 外堀には、6世紀初頭噴出の榛名山の火砕流が堆積しているので、それ以前に築造されている。
 保渡田古墳群の他の2基に比べ、 
     埴輪量・葺石施工量・外堀掘削量が少なく、中島もないなど簡素なつくりになっている。


南から見た薬師塚古墳  東陽院西光寺の建物の後ろにある

北から見た薬師塚古墳     左後円部
南側は寺の建物が建っていて、墳丘は良く見えない

東から見た墳丘 手前後円部

西から見た墳丘 手前・前方部

後円部から前方部を見る

くびれ部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

後円部頂の赤い屋根のお堂の向こうに
石棺の覆い屋がある。

保存された石棺

石棺の蓋は破片となる

はにわの里の駐車場にあった周辺案内図には、薬師塚古墳の北に「天子塚古墳」というのがあったので、
見学に行ったが・・・・・違うものを見てきたようで・・・・・・
さあ、次!

上小塙稲荷山古墳
市史跡

高崎市上小塙町
 (撮影日2014/11/24)

横穴式石室のある古墳。
上小塙稲荷山古墳と出土した須恵器5を含めて市史跡となっている
墳丘上には烏子(スナイゴ)稲荷神社の社殿が建てられている。
 
この地は、古くは須苗郷と呼ばれ、須苗子、烏子などとも記され、
   この烏子稲荷神社は、須苗郷全域の総鎮守として崇敬されてきたそうだ。  (神社由緒から)

 上小塙稲荷山古墳径50mの円墳 高さ9m以上
   2段築成
  上段部に自然石を用いた
横穴式石室がある。
    無袖型横穴式石室は全長10m 玄室長5.5m・幅2.1mでテラス上に北西向きに開口する。
  須恵器は出土しているが、埴輪はない。
  
6世紀前半の築造と推定されている

 石室の開口方向や構築が不合理なので、古い古墳の再利用の可能性もある。
 地割から帆立貝形や前方後円墳とする意見もある。


上小塙稲荷山古墳現形図

石室実測図
                         (説明板から)




南から見た墳丘

オキツネサマ その1

オキツネサマ その2

北向きに開口した石室   入室はできない

石室内部

周堀を利用したような池

南東から見た墳丘


まだ午前10時。次は八幡台地の古墳見学だ。

剣崎長瀞西古墳につづく

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