更新日2015/8/3

群馬県・2015
越後から足を延ばして

その1 沼田市
昭和村
 2015/5/24

越後に来たけど、二日目の午後だけ群馬県へ

新潟県南魚沼市の飯綱山古墳群見学の後、
11時5分 六日町ICから関越自動車道へ
      途中、下牧PAにて休憩 
11時55分 沼田IC     ETC1250

Coco壱番屋沼田インター店 (沼田市横塚町1326-1)で昼食後、秋塚9号墳へ  

秋塚9号墳
市指定史跡

沼田市秋塚町793
 撮影日2015/5/24

事前の下調べがまずかったらしく、そばまで来ているはずだけれど、なかなか見つからない・・・・・
あきらめて帰ろうとしたら、民家そばの高まりに石室の穴が見えた。

1時5分  着。  説明板あり

 秋塚9号墳
  薄根川右岸において15基以上から構成されていた秋塚古墳群最大で、
    傾斜地につくられた山寄せの   
径15.2m・高さ3mの円墳
  南に開口する
横穴式石室は全長8.6m  市内でも最長規模の石室
   玄室には天井石が現存し、羨道との境には冠(まぐさ)石が架構されている。
   1,7mの玄室奥幅に比べ石室が長大であることなど、
        周囲の古墳と異なった、より古式の様相が見受けられる。
  6世紀の中ごろの榛名山二ツ岳の軽石層形成後に、築造されていることや、
  埴輪が設置されていないことなどから、7
世紀初めの築造と推定されている。



秋塚9号墳を北西から見る。
説明板のある所が墳丘

山側から見るとほとんど高さがない
山寄せの古墳だなぁと思う

南に開口している横穴式石室

横穴式石室入口

横穴式石室内部

石室内から外を見る

見つかってよかった!!

奈良古墳群
市指定史跡

沼田市奈良町
撮影日2015/5/24

奈良古墳群は、1時13分~2時ごろまでの見学。
:説明板がある。

 奈良古墳群は、古墳時代終末期の群集墳
  薄根川右岸に「奈良の百塚」といわれるほど多数の古墳があったが、現在残っているのは十数基。
  発掘調査が行われた古墳からは葺石が確認されているが、埴輪は見つかっていない。
  横穴式石室を埋葬施設としている。
  出土遺物は武器や馬具、装身具、須恵器など。
  すべて
7世紀ごろの築造と推定されている。

 最大の7号古墳は径15~20m・高さ3.5m
 横穴式石室があり、武器・馬具・装身具などの副葬品や、墳丘周辺からは須恵器の破片が出土している。
 10号古墳の横穴式石室は、石室側壁に対し直角方向に伸びる小石室がある。
                                                     (説明板から)




奈良古墳群分布図 (説明板から)



古墳群東側が古墳公園予定地となっていて、
  古墳が残されている。



西から見た奈良古墳群
右は5号古墳
奥の建物は病院かな?

南側(奥)のほうが標高が低いので、
南から見た方が墳丘が高く見えるのだが・・・・・。



北西から見た奈良古墳群

5月下旬のため、雑草がかなり伸びている。

墳丘のデータはHP埼群古墳館を参考にさせていただきました。

 奈良古墳群・5号古墳  径10×12.5m・高さ(南側)2.3mの円墳
  
両袖形横穴式石室は  推定全長5.00m、玄室幅1.53m、玄室高さ0.74m
  割石と転石を使用した石室。

5号古墳 墳丘

5号古墳 天井石露出

5号古墳 天井石

5号古墳 石室内部は埋没


 奈良古墳群・6号古墳  径10~11m×13~13.5m・高さ(南側)2.7mの円墳
  未調査のため、詳細不明

6号古墳 墳丘

6号古墳 天井石露出


 奈良古墳群・8号古墳   径6×8.5m・高さ1.5mの円墳
  横穴式石室は全長5mほどか  割石と転石を使用した石室

8号古墳墳丘

8号古墳天井石露出


 奈良古墳群・9号古墳   径6.9×8.4m・高さ1.3mの円墳
  割石と転石を使用した全長4.38mの
両袖形横穴式石室が開口している。
  玄室長2.84m・同幅1.13~1.28m・同高さ1.43~1.68m。
  7号墳と形式的に近く
7世紀前半の築造と推定されている。

9号古墳 
墳丘は大部分削平されている
羨道部には天井石はない。

9号古墳
 横穴式石室内部


 奈良古墳群・7号古墳  径11.7×13.0mの円墳
  割石と転石を使用した
両袖形横穴式石室は全長7.3m
   玄室長4.95m・玄室幅1.4m~1.74m・玄室高1.41~1.73m
   羨道長2.54m・羨道幅0.93m・羨道高0.55m~1.20m。
   奥に行くほど広くなっている
  群中最も早い時期の
7世紀前半の築造と推定される
  墳丘、石室ともに群中最大規模であることから中核的な位置を占めるものと考えられる

7号古墳 墳丘

7号古墳 南向きに石室が開口している

7号古墳 横穴式石室内部

7号古墳 石室内から外を見る


 奈良古墳群・4号古墳  径14×径15m・高さ(南側)3.24mの円墳
  
両袖型の横穴式石室は、全長6.00m
  玄室長2.43m・玄室幅1.42~1.95m・玄室高0.53m  羨道幅0.8m、
  1・2号墳に先行すると推定されるが大きな時代差はない。
  7号墳の発展形態とも考えられ
7世紀後半の築造と推定されている。

4号古墳 墳丘

4号古墳 天井石はひとつ落ち込んでいる

4号古墳 すき間から奥壁を写す


 奈良古墳群・3号古墳  径10.5m×12.5m・高さ(南側)2.5mの円墳
  両袖形横穴式石室は全長5.9m、玄室長3.1m・幅2.05m・高さ1.76m。
  羨道長2.8m・幅1.06~1.43m・高さ0.73m。
  2号墳に先行して、
7世紀後半の築造と推定されている。

3号古墳 墳丘

3号古墳 横穴式石室

3号古墳 石室内部

石垣は、かつてここが田畑だったころに、地境としてつくられたものだ。

 奈良古墳群・2号古墳  径13.0×径11.5m・高さ(南側)3.07mの円墳
   南南西向きに開口した
両袖形横穴式石室は全長4.64m。
    玄室長2.49m、幅1.85m、高さ1.60m  羨道長2.15m、幅0.97m~1.09m、高さ0.65m~0.90m
    割石と転石を使用した通し積み
  1号墳と類似点が多く
7世紀後半の築造と推定されている。
  以前は農作業等で貯蔵穴として利用されていたらしい。

2号古墳


墳丘はかなり崩れている。

天井石の一部がなくなっている。

2号古墳 玄門に扉石が残っている

2号古墳 奥壁


 奈良古墳群・16号古墳    径5.5×径6.0m・高さ(南側)1.2mの円墳
  墳丘、主体部ともにほとんど削平されている。



16号古墳

雑草に埋もれているので、見えない


右奥は1号墳


 奈良古墳群1号古墳  径12.5m×径14.0m・高さ(南側)3.54mの円墳
  南西向きに開口している
両袖型横穴式石室は全長5m
   玄室長2.86m・幅1.93m・高さ2.05m  羨道長2.14m・幅0.95m~1.25m・高さ0.95m
   羨門・玄門がある。転石(河原石)及び割石を使用している。
  
7世紀後半の築造と推定されている。

1号古墳 墳丘

1号古墳  天井石

1号古墳 石室入口から石室内部を見る
中ほどの天井石がなくなっている。

1号古墳  奥壁部分

10・11号古墳は、奥の方にあり、雑草も深くなっているので、同じようなものだろうと思い、見学しなかった。
が・・・・


奈良古墳群10号古墳
  径11.0m×12.0m・高さ(南側)1.93mの円墳
  無袖型横穴式石室は全長5.20m
   玄室長3.00m・玄室幅1.05m~1.42m・玄室高1.42m~1.70m
   羨道長2.20m・羨道幅0.85m~1.05m・羨道高1.42m。
  玄室の右壁部に、ト字形に主軸にほぼ直角で側室を付設している。
  
7世紀初め頃の築造と推定されている。



10号古墳 石室平面図
   (説明板から)



ト字型側室付設袖無し型横穴式石室は
群馬県内ではもう1例確認されているだけ
(群馬町のオハンナ古墳)
分布域の最東端にある。

奈良古墳群11号古墳
 径8.0~10.0m×径12.0~13.0m・高さ(南側)2.0mの円墳
 墳丘は大部分削平されている。
 天井石2石と奥壁・側壁の一部が露出。
 構造的には1・2号墳と同系で
7世紀後半の築造と推定されている。

10号墳の石室を見学しなければならなかった・・・・・失敗した・・・・・・
広々とした平地に、円墳がポコンポコンとある景色は、壮観だった。

奈良古墳群から、追墓古墳へ行くのにナビを利用したが、ややこしく、道を上ったり下ったり・・・・・。
なかなか着かない・・・・

追墓古墳
オッパココフン
市指定史跡

沼田市神沼須町
 撮影日2015/5/24

ぬまた聖苑の敷地内に移築されている。  2時10分  着。
説明板あり。

 追墓古墳は  径13m・高さ3mの円墳 
  山石や河原石の葺石がある。 埴輪はない
  
両袖形横穴式石室は全長6.1m 玄室長さ3.6m・同幅2.3m
   奥壁の下半分は凝灰岩、他は安山岩が使用されている。
   玄室天井には4m近い巨石が使用されている。
  盗掘されていて、金張耳環1だけが出土。
  墳丘周囲から須恵器の破片が出土。
  
7世紀前半の築造と推定されている。
   (6世紀中ごろに堆積したとされる榛名山二ツ岳噴出の軽石層の上につくられていることや、
      石室や須恵器の特徴などから)
 
 もとは市道の出入口付近に所在していたもので、
       ぬまた聖苑建設の際に発掘調査後、石室を移転し推定復元された。
                                                (説明板から)

追墓古墳は ぬまた聖苑の庭となっている。

追墓古墳 横穴式石室

追墓古墳 石室内部

鍛屋地2号墳
カジヤチ2ゴウフン
村指定史跡

昭和村森下
 撮影日2015/5/24

住宅街の中に公園として残されている。
石室を元の状態に復元し、墳丘は復元していない。

 鍛屋地古墳は 墳丘径19mの円墳で、墓域は径22.5mとなる。
  自然石乱石積
両袖型横穴式石室全長約7.6m 側壁長さ左7.4m・同右7.97m
   玄室中央から奥壁よりには強い銅張が認められる
   開口部には小口積された閉塞が残っている。
   床には扁平な河原石を敷いて、その上に玉砂利混じりの黒褐色土を敷いている
   玄室と羨道の境には、河原石の割石を2石用いて、しきみ石としている。

  石室内から五鈴鏡、耳環、玉類、直刀、馬具ど300点以上が出土
  前庭部付近から須恵器、土師器などか出土
  
7世紀前半の築造と推定されている。8世紀初頭まで使われていた。
 平成5年発掘調査                                     (説明板から)

鍛屋地古墳 石室復元

石室入口には、柵がある・・・

石室内部

奥壁側のすき間から入口側を見る

天井石

塚原古墳群へつづく

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