さきたま古墳群1

東京池袋で、甥の結婚式に出席した帰り、
埼玉県行田市のさきたま古墳群とその周辺の古墳・群馬県前橋市の総社古墳群と大室古墳群に行ってきた。
大きな前方後円墳や立派な横穴式石室をたくさん見学して来た。
見学してから一ヶ月以上たった現在も感動がさめていない。
金文字が発見されて国宝となった鉄剣が出土した「稲荷山古墳」も見てしまった。
この感動をホームページにまとめてしまわないと、ほかの古墳を見学にはいけない。
30くらいの古墳を見学し、写真も200枚くらいあるので、数回に分けてまとめようと思う。

さたきたま古墳群その1 見学日 2006/4/16
加筆 2013/6/2

東京池袋のホテルを8時40分ころ出発。
途中ガソリンを補給して、10時50分ごろにさきたま古墳群に到着。
さきたま古墳群は国道を挟んで北側と南側に分かれている。

    埼玉県行田市の地図y

 さきたま古墳群
さきたま風土記の丘

埼玉県行田市
 (撮影日2006/4/16)

さきたま古墳群配置図


黄緑色で示したところは
  さきたま風土記の丘
として整備されている部分。

周堀は推定復元図して示してある。
2013年5月、松任図書館で「シリーズ遺跡を学ぶ・鉄剣25文字の謎に迫る ・埼玉古墳群」という本をみつけた。
それを元に、このページに加筆しました。 (2013月6月)


古墳の大きさ



古墳の築造順  丸墓 二子山

主軸長 後円部径 後円部高さ 前方部幅 前方部高さ 時期
稲荷山 前方後円墳 120 62 11.7 74 10.7 5C後半から末
二子山 前方後円墳 138 70 11.30 90 14.9 6C初頭
愛宕山 前方後円墳 53 30 3.4 30 3.3 6C前半
丸墓山 円墳 105 - 18.9 - - 6C前半?
瓦塚 前方後円墳 73 36.5 5.1 47 4.9 6C前半から中頃
奥の山 前方後円墳 70 43 6.8 47 7.4 6C中頃
鉄砲山 前方後円墳 109 55 9.0 69 10.1 6C後半
将軍山 前方後円墳 90 39 不明 68 9.4 6C後半
中の山 前方後円墳 79 42 5.1 44 5.4 6C末から7C初め
浅間塚 円墳 58 - 8.7  -    6C?
戸場口山 方墳 一辺40  -  -  -    7C前半から中頃

まず、「埼玉県立さきたま史跡の博物館(旧さきたま資料館)」に入館し、その後、南側の古墳を見学することにした。

県立さきたま史跡の博物館  

埼玉県行田市埼玉
 (撮影日2006/4/16)

さきたま古墳群の出土品の展示を中心に、埼玉県の史跡の説明がある。
国宝の「金錯銘鉄剣」も展示されている。
すばらしいものがたくさんあった。

何といっても「金錯銘鉄剣」がすごいんだけど、あまりにも有名なのでここでは触れない。
私は、この「金錯銘鉄剣」が出土した稲荷山古墳を見学できたことに、感動している。

私が個人的に一番すごいと思った展示物は「帯金具」(稲荷山古墳出土)だった。
布のベルトに一枚一枚縫い付けたもの(布の部分は朽ち果てている)だそうだが、その小さな一枚一枚に
竜の姿が描かれている。
手彫りだから模様が少しずつ違う。
そこがすごいと思った。

館内の写真撮影の許可を頂いたが、撮った写真はホームページには載せられないということなので、撮るのをやめた。
将軍山古墳展示館とあわせて入場料は200円。

このあたりは昔「埼玉村」だった。「埼玉県」の地名の発祥はここである。

 奥の山古墳
さきたま古墳群・渡柳三大墳

埼玉県行田市
 (撮影日2006/4/16)



奥の山古墳の復元図
上には、鉄砲山古墳がある。

奥の山古墳は
全長66.5mの前方後円墳
後円部径37.0m・高さ6.1m  前方部幅57.5m・高さ6.5m
盾形の一重周壕があると考えられている。。
濠を含めた大きさは96mになる。
後円部北西側くびれ部に出島状の造出がある。
円筒埴輪と形象埴輪(弾琴、騎馬男子、武人、家、太刀、盾、ゆぎ、鹿、馬など)が濠から出土。
                       (墳丘から落ちたもの)
6世紀中ごろの築造と推定されている。


奥の山古墳全景
(西側から)


堀は、現在は水堀に復原。





奥の山古墳全景
(南側から)

調査範囲がせまかったので
よくわからない古墳


 中の山古墳
さきたま古墳群・渡柳三大墳

埼玉県行田市
 (撮影日2006/4/16)



中の山古墳の復元図

全長79mの前方後円墳

後円部径39.0m・高さ4.4m  前方部幅40.0m・高さ5.5m
二重の堀がめぐっていた。

6世紀末から7世紀初めの築造と推定されている。




中の山古墳(南側から)
かつて石棺が出土したという。





中の山古墳の墳頂に立つ私

降りてから「古墳に登らないで下さい」という看板発見。
ごめんなさい。
さきたま古墳群で登ることができる古墳は
       丸墓山と稲荷山だけだ。
堀から須恵器の技法で作られた埴輪壺(須恵質埴輪壺)が多数出土した。
群中最も新しいと思う。

 鉄砲山古墳
さきたま古墳群

埼玉県行田市
 (撮影日2006/4/16)




鉄砲山古墳の復元図

全長109mの前方後円墳

後円部径56m・高さ9m  前方部幅73m・高さ10.1m
長方形の二重周壕がある。周壕をふくめると全長163mとなる。
北西側のくびれ部に造出がある。張り出しの存在は不明
円筒埴輪・土師器・須恵器が出土
堀は二重にめぐる。
6世紀中〜後半の築造と推定されている。





鉄砲山古墳

後円部側から

江戸時代に古墳の周辺が砲術練習所になったため、この名前が付けられた。




鉄砲山古墳(左が前方部)




堀から円筒埴輪・土師器・須恵器の破片、が出土。
鉄砲山古墳の後円部の一部は私有地らしく、石屋の石が置かれている。

 浅間塚古墳
さきたま古墳群

埼玉県行田市
 (撮影日2006/4/16)

最大直径58m・高さ8.7mの円墳。(現状)
神社が建てられたときにかなり変形している。
元は前方後円墳だという説もある。
墳丘東側にある池は周堀のなごりだと考えられている。



浅間塚古墳

墳頂の上に前玉神社の社殿が建つ。
富士山信仰が盛んになってから浅間神社が合祀された。

境内に立つ日露戦争記念碑と忠魂碑は近くの若王子古墳の石材だそうだ。
浅間塚古墳はさきたま風土記の丘の区域外にある。

奥の山古墳・中の山古墳・戸場口山古墳は渡柳(わたりやなぎ)地区にあるので
「渡柳三大墳」と呼ばれている。

 戸場口山古墳
さきたま古墳群・渡柳三大墳

埼玉県行田市
 (撮影日2006/4/16)

大正年間の土取りにより消滅している。現在は、宅地になっている。
周壕の確認調査が行われた。



戸場口山古墳の復元図

一辺40mの方墳
二重の周壕がある。
周壕を含めた大きさは83m。
7世紀前半から中ごろの築造と推定されている。

高さは4mほどで石棺が発見されたといわれている。

 瓦塚古墳
さきたま古墳群

埼玉県行田市
 (撮影日2006/4/16)



瓦塚古墳の復元図

全長73mの前方後円墳

後円部径30.7m・高さ5.1m  前方部幅41.9m・高さ4.9m
長方形の二重周壕がある。
周壕を含めた長さは115mとなる。
前方部の左くびれ部に造出がある。幅8.2m・突出部6.5m
張り出しはなく、外部から中堤へ渡る幅2mの陸橋がある。
円筒埴輪がある。

古墳の祀りを演出した弾琴、武人、男子、女子などの人物埴輪のほか、
   盾・家・馬・水鳥・犬・鹿・太刀などの形象埴輪が49体が、陸橋近くの中堤で出土。
造出から、土師器、須恵器などが出土

6世紀中ごろの築造と推定されている。



瓦塚を前方部から見る








瓦塚古墳西側くびれ部にある造出部




瓦塚古墳は、くずれていて元の形がわかりにくくなっていたが、復元された。



瓦塚全景


左後円部



埼玉県行田市の地図y

お昼になった。
駐車場に焼きそばの屋台が出ていたので、その焼きそばを食べる。
大急ぎで食べて、さきたま古墳群の国道北側の見学に行こう!


 関東の旅さきたま古墳群その2へつづく

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