06.09 野毛大塚古墳ほか

東京都の古墳へ
第1章
 2006/6/25

大阪で就職している長男と、東京在住の娘さんとの結婚が決まり、その娘さんの家へ挨拶に行ってきました。
その翌日、東京都内にある古墳を見てきました。
図書館にあった「武蔵の古墳」(野崎正俊著・新人物往来社)を参考にさせていただいて、世田谷区と台東区の古墳を見ました。
東京都にも古墳が残っているのにびっくりするとともに、開発のすごさを実感しました。

渋谷のホテルを9時ごろ出発。
まず、原宿へ。
表参道ヒルズという建物を見に行った。
東京に行くと友達に言ったら、「六本木ヒルズはもう時代遅れ。表参道ヒルズを見ておいで」と言われたので行ってみたが、開店が11時だというので中には入れず、また渋谷に戻る。
渋谷から東急東横線に乗り「自由が丘」へ、ここで東急大井町線に乗り換え、「等々力」下車。
住宅街の中にポッカリ穴が開いたようにある等々力渓谷をぬけ、野毛大塚古墳へ。

東京都世田谷区等々力周辺の地図y

 野毛大塚古墳
のげおおつか

東京都世田谷区野毛1-25
 (撮影日2006/6/25)

玉川野毛公園の中に整備保存されているが、6月末なので雑草がかなり生えている。
けれど立派な古墳!



野毛大塚古墳正面
段築の様子がよくわかる。

全長82m、後円部の直径76m・高さ11mの帆立貝形前方後円墳

野毛大塚古墳全景
周囲には馬蹄型の周濠(幅13m)がある。

周濠を含めた全長は104m。

野毛大塚古墳の横姿
右側が前方部


三段築成。川原石の葺石がある。
それぞれの段に円筒埴輪が飾られていた。





野毛大塚古墳の形(案内板より)
南西部に長さ15.5m・幅25m・高さ2mの前方部。
その左に長さ7.5m・幅10m・高さ2mの造り出し部。




前方部と造り出し部が並ぶ
後円部頂より




後円部の墳頂には埋葬施設の形が示されている
後円部頂に4基の埋葬施設があった。

埋葬部の図(案内図より)
箱式石棺が発見された1897年当時は円墳と考えられていた。
1982年の調査でも周濠が見つかっただけだった。
1988年の発掘調査で、ようやく帆立貝形前方後円墳と判明し、ほかの埋葬施設が見つかった。
古墳時代中期(4世紀末〜5世紀初頭)の築造(5世紀前半という説もある)。

出土品

第1主体部 中央の粘土槨割竹木棺 甲冑・刀剣・鉄鏃などの武器、武具類、鉄鎌、銅鏡、同釧、玉類、石製模造品、竪櫛
第2主体部 南東側の箱式石棺 刀剣、鉄鏃、玉類、石製模造品
第3主体部 2基の箱形木棺 刀剣、鉄鏃、鉄鎌、玉類など

前方部と造り出し部が並んでいるのがとっても面白い。

等々力渓谷の中に横穴墓があるというので、戻って等々力渓谷を歩いてみることにする。

 等々力渓谷3号横穴
とどろきけいこく

東京都世田谷区等々力1-22
 (撮影日2006/6/25)

住宅街の隙間のようなところに渓谷がある!
以前テレビで等々力渓谷を見たことがあったが、まさかこんな住宅街の中に木がうっそうと茂る流れがあるとは思わなかった。
別世界という感じだ。


等々力渓谷
涼しそうに見えるけど曇りがちな天気で、
蒸し暑く、蚊が怖い。


等々力不動(真言宗流轟山明王院)がある。
不動の滝というのがあって、崖から水が流れている。
この滝音がとどろくところから、等々力という地名がついたという。
今はとどろくほどの水は流れていない。
湧き水もあり、とても街中とは思われない。
そんなところに横穴墓がある。



等々力渓谷3号横穴
横穴簿は全部で6基以上確認されているが公開されているのはこれだけだ。
20mほど北側に1号・2号横穴墓があるという。
1973年に未盗掘のまま、発掘調査が行われた。
谷間のローム層の崖を削って墓道・羨道・玄室が構成されている。
墓道には土器が供えられたり、火をたいた跡があり、墓前祭が行われたことがわかる。
羨道は長さが3.3m、玄室は奥行1.6m・高さ1.9m
墓道を含めると全長は13m
羨門は凝灰岩の切石で組まれている。
川原石が敷き詰められた玄室の床に、成人男性・若い女性・小児3体の遺骨とともに須恵器・土師器・金銅製耳環・刀子・ガラス玉が埋葬されていた。
終末期の7世紀後半〜奈良時代の8世紀の築造

案内板によると「有力な農民の墓」だということなのだが、これはどうなのだろうか?
この横穴の入り口にはガラスがはめられていて、湿気が多くくもっていて、中の様子は写真に取れなかった。残念!

渓谷から等々力不動さんを抜け、住宅街に戻ったところの、広い道路を挟んで向かい側に小さな森がある。それが御岳山古墳だ。

 御岳山古墳
みたけさんこふん

東京都世田谷区等々力1-18
 (撮影日2006/6/25)

もと御嶽神社があったのでこの名前がついた。


御岳山古墳正面
木がうっそうと茂り、中に入り込めないような状態だったのでこの写真だけ写した。
直径42m・高さ5mの円墳
5世紀後半〜6世紀中葉の築造と考えられている。
内部主体は、粘土槨と推定されていて、副葬品は七鈴鏡(都指定文化財)、短甲(二つ分)、直刀。
埴輪辺も発見されている。

御岳山古墳の東側にも、いくつか見ることの出来る古墳があるらしい。
が、御岳山古墳の状態を見たら、ほかの古墳も期待できる状態ではないような気がする。
このあたりの見学はこれでやめよう。

上野公園の中に古墳があるというのでそちらへ向かう。
渋谷まで戻り、昼食をとり、JRで上野へ。

     東京都台東区上野周辺の地図y

 擂鉢山古墳
すりばちやま

東京都台東区上野公園5
 (撮影日2006/6/25)

上野公園の東京文化会館の後ろ、管理事務所の横に小山がある。
それが擂鉢山古墳だ。


擂鉢山古墳全景
左側が前方部




擂鉢山後円部に登る階段
右側には公園管理事務所がある。
階段を登ると丸い墳頂があり、
石のベンチにホームレスらしきおじさんが昼寝をしている。


現存長70mの前方後円墳
後円部径43m・高さ5m、前方部幅23m。
円筒埴輪が出土。埋葬部は不明。


後円部から前方部を見る
前方部はだいぶ削られているようだ。



上野の古墳群ではほかに3基の古墳が確認されているが、消滅してしまった。

公園の案内図にも擂鉢山と書かれている。
でも古墳だと気づく人はどれだけいるのかなあ。

このあと国立科学博物館に入った。
本館は工事中で見学できず、新館だけの公開だったが、建物の中が複雑で迷路のよう。
内容はいいけど、建物自体はいまいちだ。

4時過ぎの上越新幹線に乗り、午後9時ごろ帰宅した。

東京というと、全てが開発に飲み込まれて、昔のものは全然残っていないと思っていたけど、
残そうとする努力も忘れられていないのだなあと実感した。

荏原台古墳群について
世田谷区野毛から大田区の田園調布あたりの多摩川下流の東側は荏原台(多摩川台)古墳群が広がっていた。
昭和の初め頃は50基ほどの古墳が存在していたという。

荏原台古墳リスト

@ 稲荷丸北古墳 世田谷区上野毛3-9-25 直径20mの円墳 五島美術館の庭
A 野毛大塚古墳 世田谷区野毛1-25 全長82mの前方後円墳 玉川野毛公園内
B 等々力渓谷
3号横穴
世田谷区等々力1-22 横穴墓 等々力渓谷
C 御岳山古墳
(西岡10号墳)
世田谷区等々力1-18 直径42mの円墳 等々力不動のそば
D 狐塚古墳 世田谷区尾山台 直径40mの円墳 御岳山古墳の東南東350m
現状は児童公園
E 八幡塚古墳 世田谷区尾山台2-11 直径30mの円墳 宇佐八幡神社の裏手
浅間様古墳
(西岡34号墳)
大田区田園調布4-33 横穴式石室開口 蓬莱山古墳の北西250m
観音塚古墳 大田区田園調布 消滅
地面の高まりが残っている
蓬莱山古墳の北西。
豊富な副葬品が出土した。
H 蓬莱山古墳 大田区田園調布4-4 全長97mの前方後円墳 多摩川台公園の北西端の西隣
I 亀甲山古墳 大田区田園調布1-36 全長107.25mの前方後円墳 多摩川台公園として整備されている
ほかに9基ほどの古墳が北方の蓬莱山古墳のほうに向かって連なっている。
J 浅間神社古墳 大田区田園調布1-55 全長70mの前方後円墳 浅間神社の社殿が古墳上に建つ。
出土した埴輪のレプリカが大田区古墳展示室に展示されている。

       荏原古墳群配置図



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