更新日2015/8/25

越後の旅・その6

大萱場古墳から
撮影日2015/5/25

5月25日、越後の旅・第3日目、最終日。
朝食後、7時15分、ホテルルートイン長岡をチェックアウト。

長岡市の地図

大萱場古墳
市指定史跡
長岡市西陵町
撮影日2015/5/25

工場地帯の西陵公園にある大萱場古墳。
月曜日の朝なので、通勤時間にぶつかるかと思ったが、周りは意外に静か・・・・。
7時30分ころ 着。   説明板あり。

 大萱場古墳は 15m・高さ2.5mの円墳。周溝あり。
  
横穴式木芯礫室」と呼ばれる特異な墓室を持っている。
   木の柱を組んで、次にその柱を中心として粘土やこぶし大の礫を塗り固めて墓室をつくり、
   遺体をその墓室に運び込んだ後に、内部に火をつけて火葬している。

   まるで竈(カマド)のような仕組みから「竈塚」とも呼ばれている。

  室内から、鉄刀・刀子・鉄鏃・銀環・ガラス小玉・水晶切子玉などが副葬されていた。
  古墳周囲から須恵器の大甕と平瓶などが出土。
  
7世紀初めころの築造と推定されている。

 大萱場古墳のような墓室は、
   6世紀後半~7世紀前半にかけて今の大阪府を中心に近畿・東海地方、関東地方にみられるが、
   県内では大萱場古墳だけ。

 火葬の風習は、67世紀に朝鮮半島から渡来人によって伝えられ、
                    全国的に寺院がつくられた奈良時代に普及した。
 被葬者がいち早く仏教思想を取り入れた渡来人、もしくはその関係者ではないかと考えられている。

               (説明板・HP長岡再発見から)

西陵公園の中に墳丘が残されてい

古墳への上がり口

墳丘 周壕があったように見える

墳丘上から墳裾を見る

埋葬施設は埋め戻されている。残念

長岡市のその他の古墳群 長岡市内
撮影日2015/5/25

長岡市内で確認されている古墳には、ほかにもある。
見学には行っていないが、データがあったので、記しておく。

 麻生田古墳群    長岡市麻生田町


麻生田古墳群
(古津八幡山パンフから)

尾根上の標高110~113mに位置する。
1990年の測量調査で2基の古墳が確認されている。

1号墳は 全長18.6mの造出付円墳
 造出部以外をほぼ一周する周壕がある。
 周壕は部分的に途切れていて、
     古墳と外部をつなぐ通路と考えられている。
2号墳は、円墳と考えられている。

2基とも、古墳時代前期の築造と推定されている。
 
 大久保古墳群  長岡市寺泊町軽井


大久保古墳群
(古津八幡山パンフから)

丘陵尾根の標高43.9mに位置
前方後方墳2基、方墳1基(後世の塚)や
    複数の塚状の高まりからなる古墳群


1号墳
全長25m2号墳全長18m

古墳時代前期の築造と推定
されている。
 下小島谷古墳群  長岡市下小島谷


下小島谷古墳群
(古津八幡山パンフから)


前方後方墳2基、方墳1基がある。
 奈良崎遺跡1・2号墳  長岡市島崎


奈良崎遺跡1・2号墳
(古津八幡山パンフから)

最も高いところが標高34mの奈良崎遺跡で確認された古墳。
尾根上にある。
1号墳径18mの円墳
埋葬施設は木棺と考えられていて、鏡や玉類が出土
古墳時代前期後半の築造と推定されている。

隣接する
2号墳一辺10m以上の方墳で周壕がある
古墳時代前期の築造と推定されている。

位置がよく分からない・・・・現状がどうなっているのかもわからない・・・・

吉井行塚古墳群
ヨシイギョウヅカコフングン
市指定史跡
柏崎市大字吉井
撮影日2015/5/25

柏崎市公式HPの名所・旧跡案内に紹介されていて、案内地図がある。
道路脇に案内板を見つける。   8時5分  着


吉井行塚古墳の案内板

小さくて見過ごすところだった・・・・・

ここを上がったところにある


古墳は藪の中・・・・・。

 吉井行塚古墳群は、丘陵上の標高30mにある
   
前方後円墳1基・円墳1基・小マウンド2基からなる。
  
1号墳全長32mの前方後円墳、県内で3番目の大きさをもつ。
  
2号墳径18mの円墳と考えられている。
  小マウンド2基は古墳かどうか不明


  1988年測量調査


吉井行塚古墳群 配置図

(古津八幡山遺跡パンフから)


「行人さん」と書かれた案内板

「前方後円墳1号」(1号墳)と書かれた案内板

「古墳2号」と書かれた案内板

2号墳墳丘 かろうじて確認できるか・・・

藪がすごくて、墳丘はよくわからない

丸山古墳
市指定史跡
上越市大潟区潟町1381
撮影日2015/5/25

新潟県立大潟水と森公園」の 鵜ノ池内の小島に丸山古墳がある。

9時16分 丸山古墳入口駐車場   着。





丸山古墳の位置
   (現地案内板から)

円墳のように描かれているが、方墳と確認されている。


駐車場から、ゆっくり歩いて15分。




遊歩道の景色

いろいろな植物も観察できる。

ジキタリス 紫花

ジキタリス 白花

水連

シロハナノアザミ

ノアザミ

離れ小島のような所に、古墳がある。

 丸山古墳は 鵜ノ池に囲まれた半島状の台地の中央にある。   単独で存在する


丸山古墳実測図
   (説明板から)


 
一辺18.5m・高さ3.5mの正方形墳

4辺はほぼ正確に東西南北に方位を合わせている
2段築成 周溝がある
4世紀後半~5世紀前半の築造と推定されている

1987年発掘調査





丸山古墳 墳丘   周りは清掃作業中・・・・

丸山古墳 方向を変えて見る

離れ小島になぜ古墳が・・・・

菅原古墳
県指定史跡
越市清里区菅原
撮影日2015/5/25

菅原神社に前方後円墳が残っている。
10時30分  着。



菅原神社

創立は天武3年(675年)
延喜式神名帳に越後国頸城群十三座の一つとして登録されている
古くから菅原天神として崇められている。

菅原道真朝臣、菅原道雄郷(道真公の御子)を祭神とした神社。


境内には、「史跡 黒保遺跡出土炉跡(市史跡)」も保存されている。

 史跡 黒保遺跡出土炉跡(市史跡)
 本区馬屋地内黒保(クロボ)は縄文時代の遺跡として、早くから注目されていた。
 明治43年の調査で、多数の土器や破片とともに発見された。当時の日本で最初の発掘である。
 炉は住居の中の火たき場で、焼土、灰、灰木炭粒、土器片が多くある。
 明治43年当時、
   日本ではじめて見つかった炉跡として人類学雑誌293号に「先住民の火焚場として発表された
 
 前面の石だたみは、昭和4年に発掘された本区岡野町諏訪古墳の石棺の底部をここに移したもの

     (説明板から)



史跡 黒保遺跡出土炉跡


 菅原古墳群は 古墳時代後期の群集墳
  
前方後円墳1基(菅原古墳)と 100基以上の円墳で構成されている
  当地岡嶺丘陵の東側斜面に、南北約1.5kmにわたり、古くから大小古墳があった。
 菅原古墳  菅原神社境内にある
   菅原古墳群の最南端の丘上にただ1基つくられている前方後円墳

菅原古墳 墳丘図

全長30mの前方後円墳
  後円部径18m、高さ1.8m

 後円部墳頂に
  横穴式石室の天井石とみられる石材が露出している。

 6世紀前後の築造と推定されている。






菅原古墳全景

菅原古墳 前方部から後円部を見る

菅原古墳 後円部から前方部を見る
手前は石室天井石

菅原古墳 石室の大きな石材も露出している。

菅原古墳  周溝や周堤もあるようだ
 円墳群は開墾等により多くが消滅し、現存するのは28基程となっている。
  発掘調査が行われた古墳からは
    竪穴式石室や横穴式石室から土師器や須恵器、装身具、武器、武具、馬具などが出土している。
  5~6世紀の築造と推定されている。
 前方後円墳は県史跡、
 現存する円墳で最大の1号墳と移築された16号墳の石室が市史跡、

 
出土品が市の有形文化財・考古資料に指定されている。

菅原神社境内には、円墳の痕跡に見える高まりがいくつもある。


神社社殿も墳丘上にある?

高まりその1

高まりその2

高まりその3

高まりその4

高まりその5

高まりその6

高まりその7 石材露出?

高まりの上に石碑が立っているものが多い。

塚之宮古墳
八幡宮
市指定史跡
上越市板倉区針478
撮影日2015/5/25

板倉区針にある八幡宮は古墳の上に建つ。
11時ごろ  着。

 塚之宮古墳は 現在は東西15m・南北20m 高さ4mだが
  本来は
径25m・高さ5mの円墳と考えられている
  墳頂の一部が削平され八幡宮の社殿が建つ。
  
古墳時代末期の築造と推定されている。

 八幡宮は上下板倉郷105ヶ村の総鎮守社として、
            山代国の石清水八幡宮の分神霊を勧請して祀られている
 八幡宮本殿は  茅葺切妻流破風造で 間口3.64m・奥行5.46m・棟高3.5m
 現在の本殿は文政8年(1825)の建築で、江戸時代の宮大工の優れた技術を見ることができる。

 
塚之宮古墳・八幡宮本殿 ともに市指定文化財となっている。

八幡宮正面

八幡宮社殿 その下には塚之宮古墳



塚之宮古墳


社殿裏裾から、墳丘を見る

塚之宮古墳 墳頂の様子

塚之宮古墳 周溝跡?

説明板には「古墳は奈良時代末ごろの築造」とかかれていたので、びっくりした・・・・・・

斐太歴史民俗資料館へつづく

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