掲載日 2013/9/14

不動堂遺跡ほか 撮影日2011/5/26

天気がいいので、ドライブしよう!
富山県下新川郡朝日町の不動堂遺跡まで、まず行って、少しずつ戻ってこよう。
自宅を出発したのが、9時40分なので、昼食も途中で済ませ、不動堂遺跡に着いたのは午後1時。

地図g

地図y

不動堂遺跡
国史跡
下新川郡朝日町横水
撮影日2013/5/26

不動堂遺跡の周りには、朝日町歴史公園、百川豚(イップク)美術館、まいぶんKAN、なないろKANなどがある。


不動堂遺跡配置図 (現地パンフから)
図の左下が入口

昭和57年、
形式の異なった3棟の住居跡を原寸大に復元し、
周囲には、地域の植物を移植して、
不動堂遺跡公園として公開された。

標高約50mに位置している。
不動堂遺跡は、昭和初期から、水田や用水路などで遺物が見つかっていて、遺跡のあることが知られていた。
 昭和48(1973)年からの調査の結果、
縄文時代中期の住居跡21棟と食糧貯蔵庫と推定される小穴9個が発見され、土器・石器が出土した。
 特に第2住居は東西約17m・南北約8m、平面積120uの広さを持ち、
              集会所のような公共性の高い建物とみられている。


不動堂遺跡公園入口


植栽が邪魔していて、
復元住居が見えない。



不動堂遺跡

左から第2、第1、第4住居跡

第1号復原住居   長軸6m×短軸4.5m

第1住居内部いろり復元

左奥・第1号復原住居   右手前・6号住居跡

第4号復原住居 長軸7.5m×短軸5.3m

第2号復原住居 長軸17m×短軸8m

第2号復原住居内部
4個の石組炉と2個の埋めがめなどが配列されている。

第9号住居跡

第17号住居跡

公園の一角にある休憩舎には、住居跡の説明や出土品の展示がなされている。


不動堂遺跡 出土品の展示1

不動堂遺跡 出土品の展示2


阿古屋野古墳 黒部市阿古屋野
撮影日2013//5/26

『黒部市ふれあい交流館あこや〜の』のすぐ近くにあり、あこや〜のの駐車場の案内図にも描かれている。
 午後2時40分 着。

 標高94mの阿古屋野台地にある
 阿古屋野古墳は、布施川の右岸の台地の縁辺にある。
 一辺19m・高さは3.5mの正方形の方墳。

 実際の古墳に、1メートルの盛り土をして復元している。
 もとは6基の円墳や方墳があったが、現在は1基しか残っていない。
 消滅した古墳には、刀子塚や管玉塚があり、管玉や刀剣、須恵器が出土している。
 管玉は緑色の碧玉製で、8個出土したという。(木棺直葬か?)
 周溝がある。
                           (説明板  日本の古代遺跡富山  から)

北西から見た阿古屋野古墳

北東から見た阿古屋野古墳
古墳の断面図を記した説明板がある。

阿古屋野古墳の周溝復元

阿古屋野古墳から見た景色
3km先に日本海がある。


杉谷古墳群再訪

富山市杉谷
撮影日2013//5/26

午後4時 着。
6号墳は初めての見学。
4号墳のふもとの駐車場に駐車。4号墳から6号墳の見学に行く。
地図y

  杉谷古墳群配置図  (現説資料より)

杉谷4号墳

撮影日2013//5/26

平成24年8月29日の杉谷4号墳現説資料が、インターネットで公開されている。

杉谷4号墳墳丘測量図 (1999年)
   (現説資料から)

杉谷4号墳は、四隅突出型墳丘墓
現状では一辺約25m・高さ約3m 
隅部に長さ約10〜12m・幅12〜14mの、
      先端がバチ状に広がる突出部をもつ。

周溝を含めると、一辺が約47〜48m の大きさとなる。
     (1974年の調査で判明)
2012(平成24)年の調査で、
 突出部の形状や周溝の様子があらためて確認された。
 周溝内から700点の土器片などが出土した。
杉谷 4号墳は、大形で発達した突出部の形状や出土した土器からみて
     弥生時代終末期〜古墳時代初頭 (3世紀頃)の築造と推定されている。
         (現説資料から)
四隅突出型墳丘墓は、山陰地方に特有の弥生時代の墳墓で、杉谷4 号墳の調査を機に、
 北陸地方でも、 福井県に8基、 石川県に1基、富山県に7基が確認されている。

2013年5月の杉谷4号墳 その1

2013年5月の杉谷4号墳 その2

杉谷6号墳

撮影日2013//5/26

杉谷4号墳から、大学構内に入る遊歩道があり、大学の競技場の横から杉谷6号墳の墳丘に上がる。
平成22年9月4日の杉谷6号墳のがインターネットで公開されている。


杉谷6号墳実測図  (現説資料から)

杉谷6号墳
現状は、長さ約51m・幅約30mの長方形墳だが
調査の結果、
現状よりも一回り小さい長さ約49mの長方形と確認された。
高さは北側で約2.5m、南側で約3.5m。
周溝はない。
埋葬施設の痕跡は、今のところ見つかっていない。
遺物は、弥生から古墳時代の土器と縄文土器が各1点出土。
築造時期の解明は今後の課題。

杉谷6号墳のある丘

杉谷6号墳の現状

調査から3年近くたち、墳丘はすでに雑草でおおわれている。
たくさんの写真を撮ったが・・・・・、墳丘の確認も難しくなっている。

小長沢3号墳

富山市婦中町小長沢
撮影日2013//5/26


図書館で見た婦中町史に掲載されていた古墳だが、場所がようやく特定できた。
以前は羽根丘陵の東南ふもとの若宮八幡神社が、小長沢3号墳かと思ったが、本で見たのとは雰囲気が違う。
 以前のページ
ふもとではなく、若宮八幡神社の北200m程、丘陵を上がったところにある古墳だった。
「神明社」をキーワードに探したり、尋ねたりしたが、地元では「こんぴらさん」と呼ばれているようだ。
(こんぴらさんと呼ばれているが、神明社だそうな・・・・・?!)
午後5時15分 着。

小長沢3号墳は、長沢丘陵の東縁斜面の神社境内に所在する
 18×13m・高さ1.8mの方墳。                     (婦中町史から)

小長沢3号墳 墳丘上に小さな神社がある。

小長沢3号墳 北から見た墳丘

近くには二本榎遺跡がある。
二本榎遺跡は、石鏃、石錐・石匙・有孔小玉などが出土して縄文中期の遺跡だが、
2011年、隣接した場所の調査で、横穴式石室がある円墳が発見された。
小長沢3号墳とその円墳の関係はどうなのだろうか?

小長沢3号墳を探すに当たり、小長沢集落在住のおじさんに大変お世話になりました。
一緒にどこにあるか考えていただきました。ありがとうございました!

新町大塚古墳

富山市杉谷
撮影日2013//5/26

図書館で見た婦中町史に掲載されていた古墳だが、場所がようやく特定できた。 午後5時30分着

 新町大塚古墳は 王塚・千坊山遺跡群内にある
  現状で南北径10m・東西径6m・高さ2.3mの円墳
  長沢丘陵の東縁斜面にある。
  (八尾小杉線と王塚へ至る東西にのびる道路が交差する地点から
                  主要地方道を北へ220m行った地点の道路に西接)
                                            (婦中町史から)

北東から見た新町大塚古墳

新町自治会がたてた説明板では、
「チンチン山  (円墳)鎌倉時代〜室町時代
 径約8mの円墳で、
昔旅の僧がこの地まで来て病気で動けなくなり、
この地で鉦をたたきながら読経をしていたが、
そのうちなくなったとのことです。
頂部には高さ約40cmくらいの石塔が立っており、
梵字で大日如来を表わしたものがある。
このことから各願寺と関係あると考えられる。」
とある。

発掘調査では、縄文土器が出土したとか???

北東からみた新町大塚古墳

新町大塚古墳 墳頂の石碑  梵字が刻まれている。


地図y

午後7時10分  自宅着。

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