更新日2015/10/14

氷見市の古墳4
氷見市史から
2015/5/6

氷見市史に、氷見の古墳について詳しく掲載されている。
これを参考にして、氷見市の古墳探索へ・・・・・

地図g

5月の連休中、二日間、氷見市に通う。

その4は、加納横穴墓群と加納蛭子山古墳群 です。

加納蛭子山古墳群
上庄川流域の古墳群
氷見市加納
撮影日 2015/5/3・6

加納横穴墓の説明版のあるところから、登る。
加納横穴墓のところまでは遊歩道がついているが、それより上は、よじ登る。
見学は、B3号墳➡B2号墳➡B1号墳➡A1号墳➡A2号墳➡A4号墳の順だが、便宜上A支群から順に紹介しようと思う。

 
支群 名前 大きさ 高さ
 A      1号墳 帆立貝形   全長32.5m 6m
 2号墳  前方後円墳  全長25m 3m
 3号墳  方墳  9.5× 6m  1.2m
 4号墳  円墳  径19m  3m
 5号墳  円墳  径7.5m  1.5m
 B    1号墳  前方後円墳  全長28m 2.5m
 2号墳  方墳  10× 8m 1.2m
 3号墳  方墳  16× 9m 1.5m
 C       1号墳  方墳  5.5×3.5m  0.8m
 2号墳  前方後方墳  全長17m 1.3m
 3号墳  方墳  7.9×6.8m  1.6m
 4号墳  方墳  5.8×4.6m 1.0m
 5号墳  方墳  6.5×4m 0.8m
 6号墳  方墳  11.5×7m 1.2m
 D   1号墳  円墳  径8m 0.5m
 2号墳  円墳  径7m  0.5m


 加納蛭子山古墳群は 
 南の上庄川と北の余川川との間にある丘陵・蛭子山の東端部、標高30~68mのところにある。
 中世には山城として利用されていたが、険しい斜面には加納横穴墓群がある。
 
A~Dの4支群16基が確認されている。  
 横穴墓群の発見は大正11年だが、
   古墳群は昭和59年、径30mの円墳や前方後円墳などの5基の発見に始まる。
 平成12(2000)年に計16基の古墳から構成されることがわかった。

 加納横穴墓群と合わせると古墳時代後期から終末期にかけて、勢力が維持されていたと考えられている。
   A支群は支群中最高所の尾根(標高68m付近)に位置している。
 
帆立貝形古墳1・前方後円墳1・方墳1・円墳2の計5基 
 
帆立貝形古墳は5世紀代前半に、前方後円墳はその後に続いて造られたと考えられている。
    A1号墳   全長32.5mの帆立貝形古墳 高さ6m  南側の張り出し部は幅15m
  尾根頂部南端にある。
  張り出し部は西側の墳丘裾にもあるが、同方向に大小4面あり、山城の遺構の可能性がある。

墳丘

大きな背の高い帆立貝形古墳だが、
張り出し部はよくわからない

A1号墳墳丘測量図 (氷見市史から)

A1号墳墳頂部

A1号墳 後円部から前方部を見る

A1号墳  前方部から後円部を見る
    A2号墳  全長25mの前方後円墳(とみられる)  後円部径15m・高さ3m 
  墳丘裾はやせ尾根で不明確な部分が多い
  後円部墳頂には盗掘坑とみられる凹みがある。
  A1号墳との間を溝で区画している。



A2号墳
 
前方部正面



A2号墳  後円部から前方部を見る

A2号墳  後円部

    A3号墳   9.5×6mの方墳 高さ1.2m
    A4号墳   最大径19m・高さ3mの円墳
 盗掘坑らしいものある。 尾根頂部北端にある。

 A4号墳 墳丘



A4号墳 墳頂部




   B支群はA支群から南東側へ下降する尾根にある。
  先端近くに標高44.2mの三角点がある。
  前方後円墳1・方墳2の計3基
  支群中の中間レベルの尾根にあり、
  
前方後円墳は前方部が狭長でくびれ部が緩やかに移行する様式で
    4世紀代初頭の可能性
がある。     


B支群 墳丘測量図   (氷見市史から)
上から B1号墳、B2号墳、B3号墳

B1号墳は前方後円墳
B2号墳・B3号墳は方墳

B3号墳は、氷見市史では方墳となっているが、
  北側に前方部らしきものがあるので、
    前方後方墳のように描かれている・・・・?
    B1号墳  全長28mの前方後円墳 後円部幅15m・高さ2.5m 前方部幅7.5m・高さ1m
  前方部が南東に向く。
  やせ尾根の幅いっぱいにつくられている。

B1号墳 前方部から後円部を見る

B1号墳 後円部から前方部を見る

      B2、B3号墳はB1号墳の南東側に連接し、尾根を分断するように造られた方墳。
 B2号墳     10× 8mの方墳

B2号墳 墳丘

B2号墳 墳頂
    B3号墳
  1
6× 9mの方墳だが、北側に前方部らしきものがあり、前方後方墳の可能性もある。

B3号墳 墳丘

B3号墳 墳頂に三角点がある



B3号墳  後方部から前方部を見る。 



(前方後方墳だとしたらだが・・・)


 C支群はB支群の下方で、北東方向へ折れ下降するやせ尾根の標高30mあたりに
  
前方後方墳1・方墳5の6基が一列に並ぶ。
  各古墳は、幅5.5~7mの尾根幅いっぱいに造られた長さ4~8mで連接している。
  
C2号墳全長17mの前方後方墳とみられ 前方部幅6.5m・後方部幅5.5m・後方部高さ1.3m
 C支群は低位にあり、丘陵のやせ尾根に連接する。
  全体に小規模、低平な墳丘で、
弥生時代終末~古墳時代初頭の可能性
 D支群はA支群から北東側へ下降する丘陵の標高50mあたりにある
     径7~8m・高さ0.5mの低平な小型の
2基の円墳で、6世紀代の可能性がある。

藪の中だ・・・・・。

加納横穴墓群
市史跡
氷見市加納
撮影日 2015/5/6

2回目の訪問となる。 前回の訪問記

 加納横穴墓群は 
  余川川と上庄川に挟まれた丘陵の東端、通称蛭子山の中腹、標高10~40mの範囲にある。
  
58基確認されているが、未開口のものもほかにあると考えられている。

  基本的に、玄室と羨道から構成される。
  玄室平面形は隅丸正方形のものが主体で、平均奥行2.33m・平均幅2.38m
  立面形はドーム型とアーチ型がある。
  排水溝・礫床・壇・棺台といった施設が一部にみられる。
  羨道は長さ0.4~0.5mと短いものが主体である。
  羨道入口(羨門)上部に段々の刻みをほどこした横穴墓が14基確認されている。

  遺物としては
   碧玉製管玉2・滑石製小玉4・ガラス製小玉128・勾玉5・切子玉4・耳環類14・魚形1などがある。
   土器は多くが散逸しているが、須恵器12が、氷見市立博物館に保管されている。

 背後の尾根には蛭子山古墳群がある。
 この丘陵は長期間にわたって墓域として利用されていたと考えられている。
 横穴墓は、追葬も考慮すると、
6世紀後半~7世紀末から8世紀初めの築造と推定されている。  



加納横穴墓群分布図



(氷見市史から
昭和39年・氷見高校歴史クラブの発表)  

横穴墓その1

横穴墓その2

横穴墓その3

横穴墓その4
 大正11年(1922)、土地所有者により横穴墓が発見され、調査、38基が確認された。
 昭和24年(1949)、30基の実測調査
 昭和29年(1954)、東21号の発掘調査
 昭和34年(1959)、38基の横穴墓の実測調査
 昭和48年(1973)、西22号・西23号の発掘調査
 昭和48年に市史跡となる。

前回の見学のときと全体の雰囲気は同じだ。

氷見の古墳探索その5に つづく

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