小松市   地図g  

河田山古墳公園
こうだやま

小松市河田山国府台1-5
(撮影日2003/4/27
2012/4/12)

加賀産業道路を辰口丘陵公園から小松のほうへ行くと、左手に工場団地と住宅団地(国府台ニュータウン)が見えてくる。
このあたりは古府台地と呼ばれ、前方後方墳2基、前方後円墳2基、方墳が35基、円墳が21基、不明2基の計62基の古墳があった。
そのうち9基が保存された。
1・2・4・5・9・12号墳は保存(2・4・5号墳は台地縁部に残っているようだ。)
33号墳の石室は資料館内に復元されている。
古墳時代の前期(4世紀)から終末期にかけて築造された古墳群で河田山古墳群と呼ばれている。
この古墳公園には、
河田山1号墳と、北陸地方では数少ない切石積み横穴式石室2基が保存され、
傍らには河田山古墳群史跡資料館(無料)がある。

2003年の河田山古墳公園

撮影日2003/4/27

河田山12号墳
移築して復元された古墳。
1辺15mの方墳
墳丘後ろ側にコの字上の周濠、前面は墳丘を囲むように列石が設けられている。
7世紀中頃の築造

河田山12号墳石室内部
玄室の奥行き5m、幅2.25m
横穴系の入口を持ち、凝灰岩の切石を使用して作られた埋葬施設を
凝灰岩製切石積横穴式石室と呼ぶ。

河田山1号墳
河田山12号墳の横の尾根に現状保存された前方後方墳
写真を見ても古墳とはわからない。
全長約25m、前方部約14m、後方部約15m。
前方部が三味線の撥形に開く前期古墳の特徴を持つ。


2012年の河田山古墳公園

撮影日2012/4/12



公園案内図

公園内には、
河田山古墳群の中でも最初に造られたグループに属する1号墳(前方後方墳)
終末期に属する切石積横穴式石室を持つ9号墳12号墳(移築)が保存されている。

資料館内では33号墳の石室が復元されている。






河田山古墳群33号墳石室復元 
   (資料館内 展示)
(撮影日2014/3/20

切石積横穴式石室
7世紀中ごろの築造と推定されている。
どんな天井だったのだろうか?!

資料館の職員の方が、「今日は天気がいいので、12号墳の石室の扉を開けました。」と
おっしゃったので、急いで見に行く。
石室の中にはいるのは初めてだ。

 河田山12号墳   移築して復元された古墳。
  1辺15mの方墳
  墳丘後ろ側にコの字状の周濠をめぐらし、前面は墳丘を囲むように外護列石が設けられている。
  7世紀中頃の築造
  凝灰岩製切石積横穴式石室
  羨道をとおり羨門をくぐると小さな前室があり、前室と玄門をへだてた奥が玄室となる。
  玄室は奥行き5m、幅2.25m
 天井部がアーチになるものは、類例は国内になく、
  朝鮮半島南西部にある陵山里古墳群や宋山里古墳群に
  ルーツがあるのではないかといわれている。

 12号墳  墳丘

 12号墳  石室入口
  羨道をとおり羨門をくぐると小さな前室がある。

 12号墳  石室内部 
   両側の柱は玄門

   柱の手前が前室 奥が玄室

 12号墳 玄室から入口を見る。
 側壁の3段目の石がカーブを描いて
                 整形されている。

  アーチ型の天井があったのだろうと推測できる。

  河田山1号墳
 河田山12号墳の隣りの尾根に現状保存された前方後方墳
 全長約25m、前方部約14m、後方部約15m。
 前方部が三味線の撥形に開く前期古墳の特徴を持つ。



河田山1号墳

墳丘の上に立っても、
古墳の形を思い描くのは、なかなかむずかしい。




1号墳のそばの斜面に
横穴式石室を持つ9号墳が保存されているというが、墳丘の確認はむずかしい。
とても横穴式石室があるとは思えない。 (ムムム・・・・)

この古墳群に近接して、南側の向かいに埴田古墳群(5〜6世紀の円墳8基)がある。
那谷金毘羅山古墳は10mの円墳で横口式石槨がある8C初めの古墳。と資料館の中の説明に書かれていた。

小松市の地図

 2015〜2016年の河田山古墳群とその周辺     

小松市国府台ほか
撮影日2015/10/26・2015/11/7
2015/11/7・ 2016/3/6

2015年秋は、小松市埋蔵文化財センターの遺跡調査ボランティアに参加し、数回河田山古墳公園に通い、
河田山1号墳の周辺の測量を体験した。
次回は移築されている12号墳石室内の床の発掘だということだったけれども、いつになるのでしょうね?


河田山古墳群配置図
 (河田山資料館展示から)

前期古墳
中期古墳
終末期古墳
時期不明古墳
保存古墳


河田山古墳群は
前期には前方後方墳や前方後円墳という首長墓形式のものが各尾根に分散して築かれたが、
中期に入ると伝統的な形の方墳が特定の尾根筋に連続し、小型のものは密集する。
際だった有力墓はみられず、点在する円墳の内容がやや充実する。
小地域の氏族墓域としての性格が強く、古墳群の展開は5世紀末には終わりを迎える。


現在の河田山古墳群周辺

12号墳(移築)・1号墳・9号墳が河田山古墳公園に保存されている

2号墳・4号墳・5号墳・8号墳が現状保存されている

他は消滅

5号墳の場所は、まだはっきりしない・・・・。



埴田山古墳群は、今回見学した古墳(後述)

 河田山古墳群  (コウダヤマコフングン)
 河田山8号墳     撮影日2015/10/26


径10mほどの円墳か?

小松埋文センター長の樫田さんの案内で
遺跡調査ボランティアの人たちと一緒に見学。

 河田山2号墳     撮影日2015/10/27

8号墳と似たような大きさか
 周溝らしきものもある

近くに巨石がある。石室か?
上の白いのは帽子。大きさの目安に。

 河田山4号墳     撮影日2015/11/7

径20m位ありそうだが、

ジャングルの中。


一部削られているようにも見える。


 河田山の火葬墓  河田山資料館展示から
河田山1号墳の南西斜面で、土を掘りくぼめただけの簡単な土壙が数箇所発見された。
そのうちの2基の土壙から、火葬骨をおさめた須恵器の骨蔵器が出土した。

1号火葬墓は、縦約65cm・横約50cmの隅を丸くしあげて、四角くほりこんだ形の土壙である。
この土壙の山側隅に、丸底の須恵器壺を利用した骨蔵器が埋納されていた。

2号火葬墓は掘りこまれた明瞭な土壙ではないが、
    須恵器坏身を蓋にし、台付須恵器壺を転用した骨蔵器が納められていた。

いずれも須恵器の特徴から奈良時代の火葬墓である。

1号火葬墓骨蔵器

2号火葬墓骨蔵器
国府創立以前の有力者の墓域が、奈良時代においても続いていたことが注目されている。

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