白山市   地図g

東大寺領横江荘遺跡
国史跡

松任市横江町
(撮影日2004/4/10 )

「横江荘荘家跡」は、平成28(2016)年、「東大寺領横江荘遺跡・荘家跡地区」に名称変更となった。

2004年の
横江荘荘家跡

松任市横江町
(撮影日2004/4/10 )

松任市で石川県鉄工団地が造成されたとき、調査された。(昭和45年)
出土品は平安初期を中心とするもので、多くの土器・木器が発見されたが、
墨書土器の「三宅」という文字と、地名の「横江」ということから「東大寺横江荘」と確認された。
4棟の建物跡が確認され、開発か保存かでもめたが、荘家の一部が保存・整備されている。

三宅とは・・・・・荘園の管理事務所のことです。
なぜ、こんなところに東大寺領があるのだろう?
 横江荘は、817年(弘仁8)年に死んだ平城天皇の妃朝原内親王の残した領地のひとつで、
翌年母の桓武天皇の妃酒人内親王によって東大寺へ寄進された。
 8世紀後半から9世紀初頭にかけて、東大寺が北陸に多くの荘園を開拓したが、
その管理機構の発見は全国的に珍しい。


横江荘入口の石碑と周りの風景




横江荘荘家の中心棟跡
荘官の住居と推定されている。
奥のほうは倉庫・収蔵庫跡と推定されている。




平安初期(822年ごろ)に記された仏教説話集「日本霊異記(ニホンリョウイキ)には、
 加賀の古代を彩る悪女の横江臣成刀自女(ヨコエノオミ ナリトジメ)が出てきて、
 その子・横江臣成人は、母の罪を償うために仏を作り、写経をして供養し、母を救ったそうだ。
この説話から、「横江臣」一族が存在したと考えられている。


2008/7/9の北陸中日新聞に「東大寺領横江荘遺跡」の記事が掲載された。

石川県白山市の「東大寺領横江荘遺跡」で、9世紀前半の石川郡庁の正殿跡とみられる柱列跡が発見された。
大型回廊型遺構に続く出土で、調査地が郡庁跡であることが確定的になった。
荘園と郡庁跡が一体で見つかったのは全国で初めて。  (記事抜粋)
 
我が家から、整備されている中で、一番近い遺跡。
今後、保存も考えられているようで、また、見学に行きたいと思う。
地図


2018年の
東大寺領横江荘遺跡

白山市横江町
(撮影日2018/10/14
・10/21)

2018年10月14日に、白山市民交流センター(白山市役所内)で
平安のドラマ・横江荘は語る 東大寺領横江荘遺跡 立荘1200年記念シンポジウム」が開催された。

シンポジウムの様子

参加者は200人以上。


基調講演1「東大寺と横江荘」大阪歴史博物館長 栄原永遠男氏
基調講演2「古代の掘立柱建物官衙と寺院」島根大学法文学部教授 大橋康夫氏
シンポジウム「横江荘のナゾにせまる」
  パネリスト 吉岡康暢(国立歴史民俗博物館名誉教授)  栄原永遠男氏 
      大橋康夫氏 田嶋明人氏(白山市文化財保護審議会委員)

 「酒人内親王献入帳」について
 宮内庁正倉院には「酒人内親王献入帳」(弘仁9年[818])が所蔵されている。

正倉院文書に書かれた
  横江荘

 (抜粋)
 (パンフから)
 この献入帳には、美濃国厚見荘、越前国横江荘、越後国土井荘を、娘の朝原内親王の遺言により、内親王と桓武天皇の御魂をなぐさめるため、春秋の金剛大般若経輪読会の経費として施入したと記されている。
 弘仁9年3月27日、朝原内親王の遺領であった「厚見荘」「横江荘」「土井荘」を東大寺に寄進したのは、桓武天皇の腹違いの妹で、唯一の妃であった酒人内親王であった。

この文章に出てくる越前国横江荘跡が、現在石川県白山市横江にある。

横江荘遺跡全体図
 (シンポジウム資料から)

現在、赤枠で囲まれたところが、
 国指定史跡となる。

昭和47年に、
 荘家跡地区が国指定史跡となる。
平成18年上荒屋遺跡地区
平成28年に残りの部分が追加指定された。



 発掘調査の経過
 昭和45年、鉄工団地の造成予定地は以前から「ソウエン」と呼ばれ、
   横江荘跡があるのではないかと一部の郷土史家より指摘されていたため、
   鉄工団地造成前に、埋蔵文化財の確認調査が実施された。
 調査の結果、
   「三宅」と書かれた土器と共に、掘立柱建物やこれに付随する建物の跡が発見された。
 この調査の成果から、
   これらの建物が818年に酒人内親王から東大寺に寄進された横江荘の荘家跡と判明した。
 このため、3,948.23uが昭和47年国指定史跡となる。(荘家跡地区)
 その後、史跡の周辺で多くの発掘調査が行われ、
   収穫された稲穂を保管した倉庫の跡が多数発見
された。
 これらの倉庫は条里制に基づき、間隔を置いて計画的に配置されていた。
 古代では倉庫が集まったエリアを倉院と呼んでいた。その規模は6町(654m)、南北(545m)。
 横江町に隣接する金沢市上荒屋地区では、昭和60年〜平成元年の発掘調査で、
  条里制に基づいた土地を区画する溝跡、
  小型の舟が入ることができる運河の跡や倉庫の跡、
  その倉庫を管理する荘家跡などが発見
された。
 この運河の跡からは、文字が書きこまれた大量の墨書土器や木簡、
  まじないに使う人形・斎串などが出土
した。
 これらの出土品から、この辺りに「綾庄」という荘園があり、
   その後「東庄」になったことがわかる。(上荒屋遺跡地区)  
 平成20年、工場建設に伴う発掘調査で、
   南北両側に約50mの回廊を配置し、南側に門があり、
   中央に庇を持った7間×2間の主殿がある建物跡が発見
された。(中央地区周辺)
 周辺ではこれまでに、五重塔のミニチュアの陶器(瓦塔)や
   都で作られた高級な香炉、鉄鉢とよばれる仏器が多数見つかっていたことから、
   大型建物跡は寺跡とも推測されている。
 平成28年、倉庫群、回廊状建物跡を含む53,923.89uが国指定史跡に追加指定された。
 それに伴い、荘家跡と上荒屋遺跡も、東大寺領横江荘遺跡と名称変更となる。

遺跡は確認されたが、横江荘がどのように成立し、発展し、衰退していったかは、謎の部分が多い。
五重塔のミニチュアの陶器(瓦塔)が、上荒屋遺跡地区と、回廊のある中央地区で見つかっているが、
  ここに寺院はあったのか?など
いろいろな可能性が、考えられている。
国指定史跡の指定を受け、白山市が土地の取得をしたらしいが、この活用はどうするのか?というのも大きな問題だ。

東大寺領横江荘遺跡誕生1200年を記念して、地元の白山市横江町では、
   2018年、年間を通じて「荘園まつり」事業が行われている。
古代米(黒米、赤米)の田植えを行い、
  夏は白山市指定無形民俗文化財「横江の虫送り」にて太鼓と松明による害虫駆除と秋の豊作の祈願し、
  事業の集大成として、収穫した古代米を、平安時代の人々を想いながら、奈良の東大寺へ献米するそうで、
このシンポジウムの翌日、横江町の代表者が、東大寺まで行ってくるそうだ。

 東大寺領横江荘遺跡・荘家跡地区  撮影日2018/10/21
昭和47年 最初に国指定史跡となったところ
 東大寺領横江荘遺跡・中央地区  倉庫群、回廊状建物跡   撮影日2018/10/21
平成28年、国指定史跡の追加指定されたところ
2018年10月 あたりはセイタカアワダチソウの群生する空き地となっている。
上荒屋遺跡地区については、金沢市の東大寺領横江荘遺跡・上荒屋のページをご覧ください。

正倉院所蔵の1200年前の古文書に「横江荘」の名前が書かれていて、そこから横江荘が見つかったというのが、すごい!

平安初期(822年ごろ)に記された仏教説話集「日本霊異記(ニホンリョウイキ)には、
 加賀の古代を彩る悪女の横江臣成刀自女(ヨコエノオミ ナリトジメ)が出てきて、
 その子・横江臣成人は、母の罪を償うために仏を作り、写経をして供養し、母を救ったそうだ。
説話の主人公としての「横江臣」だったが、
 金沢市畝田寺中遺跡で、「横江臣」・「語成人」と書かれた木簡が出土したことから、
 「横江臣」が実在したことがはっきりした。
 (悪女の話は別にして・・・。)


加賀の遺跡のトップ