能美市(旧寺井町)  地図g   

和田山古墳群
(能美古墳群)
(和田山末寺山史跡公園)

寺井町和田山
撮影日2002/8/13
2003/4/27
2011/12/14

前方後円墳1・円墳14・方墳2・不明6の計23基が確認されている。

和田山末寺山古墳群配置図

この図では、左側から3分の2が和田山古墳群  右側が末寺山古墳群となる。

4世紀後半ころ、方墳の14・9号墳がつくられる。
5世紀に入ると、中央尾根で単独墳的に径10〜30mの円墳が継続的につくられる。
5世紀半ば頃、北尾根で墳長約55mの5号墳(前方後円墳)がつくられる。
6世紀前半には、切石積横穴式石室のある6号墳がつくられる。

現地にある公園案内図

上の配置図とは向きが逆となっている。


駐車場に駐車して和田山に上がると
まず13号墳を見学することとなる。
が、1号墳から順番に紹介することとする。

データについては、現地説明板と発掘報告書ではちょっと違っていたりもするが、基本的には発掘報告書を基にした。

 高床式倉庫跡

高床式倉庫跡   右後ろは2号墳

 1号墳と2号墳の間にある。

 古墳時代以前、弥生時代にこのあたりに集落があった。
 そのころの貯蔵庫のあと。8本の柱跡。



         撮影日2002/8/13

 和田山1号墳(鈴塚)  

       撮影日2002/8/13

         撮影日2011/12/14
 和田山1号墳(鈴塚)
  径24m、溝幅4.5〜5.5m、高さ溝底より5m、盛土厚さ2.2mの円墳
  粘土床を持つ木棺と推定。
  六鈴鏡、管玉4、刀子3、ガラス丸玉4、朱の塊21などとともに幼児の下顎歯がみつかった。
  この古墳の下には竪穴式住居跡がある。
  6世紀前半の築造と推定されている。
  復元整備

和田山1号墳から出土した六鈴鏡
    
(青銅製 径10.4cm)

   (説明板から)

 和田山2号墳(鏡塚)  

      撮影日2002/8/13

        撮影日2011/12/14
 和田山2号墳(鏡塚)
  長径19m短径18m、溝幅2.5〜4m、高さ溝底より約4mの円墳
  粘土床を持つ木棺
  遺物は四神四獣鏡1、鈴付銅釧1、短甲1、槍1、直刀2、剣2、矛2、
               鏃53、斧1、砥石1、管玉13、杏葉3、轡1、櫛11、袴帯1。
  周溝部より有蓋高坏2、坏身1、坏蓋1、土師器片(甕1体分)。
  5世紀後半〜6世紀前半の築造と推定されている。
  復元整備
  ※四神四獣鏡・・・中国の漢代(紀元前202〜西暦220)に流行した銅鏡で漢式鏡ともいう。
    四神は、東の青竜・西の百虎・南の朱雀・北の玄武。
    四獣は、当時の人々が想像した神仙な動物のことで、怪しげな獣や鳥の類。
    持ち主を守るためのお守り。

和田山2号墳から出土した
左 四神四獣鏡
(青銅製 径12.1cm)
右 鈴付銅釧 (青銅製 長径15.4cm)
   (説明板から)

 和田山3号墳

      撮影日2011/12/14

      撮影日2011/12/14
 和田山3号墳は 最も大きな円墳
  径約35.5m(周溝外端43m)、溝幅2〜4m、高さ溝底より約5m。
  周溝部より土師器片
  主体部未調査。
  6世紀代か?

 和田山4号墳

       撮影日2002/8/13

        撮影日2011/12/14
 和田山4号墳
  径18.5m〜19mの円墳
  溝幅2〜3m(周溝外端23.5〜24m)、高さ溝底より約1.7.m。
  周溝より、有蓋高坏4、坏身2、はそう1、土師器片
  主体部未調査。大きな盗掘。変形著しい。
  
5世紀後半の築造と推定されている。
  復元整備

和田山5号墳(冑塚)

  和田山5号墳

  前方部脇から後円部を望
 
     撮影日2003/4/27

  和田山5号墳
  
後円部脇から前方部を望む
 
    撮影日2003/4/27

 和田山5号墳 後円部から前方部をみる
 
       撮影日2011/12/14   

  和田山5号墳 前方部から後円部を見る
   撮影日2011/12/14
   
和田山5号墳実測図  撮影日2003/4/27
  説明板から
和田山5号墳は
主軸長56mの前方後円墳
後円部径29m・高さ5m 前方部前端幅47m 
前方部高さ4m・くびれ部高さ3.5m
周溝なし。  
後円部に2基の埋葬施設(粘土郭)がある

能美古墳群のほぼ中央の尾根につくられている。
副葬品は
A郭(全長7.14m)眉冑・頸甲・短甲直刀・剣・刀子・鏃・鍬鋤・斧・貨幣・刀装具・神獣鏡・金鈴・青銅鈴・櫛

B郭(全長4.47m)乳文鏡・珠文鏡・短甲・槍・直刀・剣・刀子・鏃・鋤・斧・石突・鉄板・櫛

これほどたくさんの武具が副葬される古墳は日本海側では見つかっていない

貨銭と呼ばれる中国貨幣も出土した。
5世紀後半の築造と推定されている。

  眉庇付冑と三角板鋲留短甲
    (能美市立博物館)

   刀の柄を飾った三輪玉
    (能美市立博物館)


和田山6号墳(石塚 

     撮影日2002/8/13

        撮影日2011/12/14
 和田山6号墳(石塚)
  径28m溝幅約6m、高さ溝底より4.5mの円墳
  切石積式横穴式石室
  開口していたので出土品は勾玉1個と須恵器だけ。
  大きな盗掘。変形著しい。
  周溝には、外と墳丘をむすぶ3ヶ所の土橋が設けられていた
  周溝より須恵器片が出土。
  6世紀前半の築造と推定されている。
  復元整備


 和田山7号墳 

和田山7号墳
 墳形確認できない。
 変形著しい。築造年代不明。


           撮影日2011/12/14

 和田山8号墳
和田山城として利用されていた。

       撮影日2002/8/13

         撮影日2011/12/14

       撮影日2011/12/14
  和田山8号墳
  墳形未確認。前方後円墳といわれているが、円墳かも?大型である。
  周溝を城の空濠として利用か?
  和田山には、室町中期に加賀一向一揆で活躍した、和田坊主が築城した和田山城があった。
  古墳の墳丘を物見櫓に改造した。一揆軍のたてこもる虚空蔵城や鳥越城攻撃の基地に使われた。


 和田山9号墳(義盛塚)

和田山城の櫓台として変形している。
 長辺26m、短辺22m、高さ4mの方墳

  撮影日2011/12/14
木棺直葬。1964年調査。
遺物は素環頭太刀1、直刀2、剣1、ヒスイ勾玉1個、碧玉製管玉143個。
4世紀中期の築造と推定されている。
山城櫓台として整備     

 和田山10号墳  消滅。
 和田山11号墳  確認できない。

 和田山12号墳

和田山12号墳
 長径20.5m短径18.5m、高さ溝底より2.7mの円墳

 内部主体は木棺直葬
 遺物は直刀1、鏃9、土師器片9.
 5世紀後半〜6世紀前半の築造と推定されている。

大半消滅。
            撮影日2011/12/14


 和田山13号墳

       撮影日2002/8/13

        撮影日2011/12/14

       撮影日2011/12/14
和田山13号墳
  径12m溝幅2mの円墳
  内部主体は粘土床と推定。
  遺物は堤瓶1、坏1、短頸壷1、高坏脚部1、高坏坏部1。
  6世紀後半の築造と推定されている。 

  復元整備


 和田山14号墳

和田山14号墳方形周溝墓
 1辺約13m、高さ1.2m。
9号墳に接してつくられている。和田山最初の古墳といえる。
 溝より壷片出土。
 周溝より土師器甕片、釶が出土
 4世紀前半の築造と推定されている。

 復元整備


       撮影日2011/12/14

和田山14号墳の周溝から出土した壺
   (説明板から)

 双口壺 高さ67cm

 土器棺として作られたものと推定されている。


和田山15号墳 確認できない。
和田山16号墳 確認できない。
和田山17号墳 消滅。
和田山18号墳 存在しない。
和田山19号墳 存在しない。
和田山20号墳 消滅。
和田山21号墳 確認できない。


 和田山22号墳

        撮影日2002/8/13

        撮影日2011/12/14
  和田山22号墳は、径約14m、溝幅1.2〜2m、高さ溝底より約1mの円墳
  溝中より土師器・須恵器。
  主体部未調査。
  5世紀後半の築造と推定されている。
  復元整備。


和田山22号墳から出土した大甕

    (説明板から)

  高さ 42.8cm

 和田山23号墳(杯塚)

  和田山23号墳 
      左手前に4号墳がある
         撮影日2002/8/13    

  和田山23号墳
          左奥は3号墳
       撮影日2011/12/14    
 
和田山23号墳(杯塚) 周溝内の須恵器の出土状況
     
(説明板から)

和田山23号墳(杯塚)

  径約22m、溝幅2〜4m、高さ溝底より約3mの円墳
  主体部未調査。
  周溝の西側の底から大量の須恵器が出土。
  6世紀代の築造と推定されている。
  復元整備

和田山23号墳出土の須恵器に刻字
日本最古
 (2013/9/20の北陸中日新聞から)

2013年9月19日、石川県能美市教育委員会は
和田山23号墳から出土した古墳時代中期(5世紀末)の須恵器2点から文字が刻まれている
ことを確認したと、発表した。
和田山古墳群は、石川県能美市の平野部に点在する「能美古墳群」のひとつ。
3世紀後半〜6世紀前半に築造された前方後円墳や円墳など計23基が確認されている。
うち19基が現存。北陸では唯一、六鈴鏡や鈴付銅釧が出土している。
隣接の末寺山古墳群とともに、「和田山・末寺山古墳群」の名称で、国史跡に指定されている。
23号墳径22.5mの低い円墳。
1977年(昭和52年)に発見され、周溝の一角におびただしい須恵器が整然と置かれていた。
有蓋高坏46個体が四角く並べられ、
  その上に脚付壷、ハソウ(胴部に穴のあいた小壺)を乗せた器台が置かれていた。
有蓋高坏は、異なる六つの工人集団によってつくられたもので、
大阪の陶邑窯(スエムラガマ)など遠隔地から運ばれたものも含まれている。
葬送のまつりに関係した祭壇と考えられるが、こうした出土状態に例がない。
5世紀末の築造と推定されている。    (和田山23号墳前の説明板から) 
「未」の刻字のある小型つぼは高さ15.3cm。
胴体部分ほぼ中央に縦横2cmの範囲に刻まれている。
「未」は十二支のヒツジを表わし時刻や方位を示す文字だった可能性がある。
「二年」の刻字のある有蓋高坏(皿に脚を付けた盛りつけ用の土器)
ふたに縦1.3cm・横3.5cmの範囲に刻まれている。

「二年」もなんらかの時を示していると考えられている。
   (つぼの写真は能美市教育委員会提供)

これらの文字は、先端が細い道具で、
  土器を形作ってから乾燥するまでに書かれたと推測されている。
文字が刻まれた最古の須恵器は堺市と滋賀県野洲市で1点ずつ出土しているが、
  製作年代はいずれも6世紀ごろだった。
今回の確認で5世紀終わりにさかのぼることとなった。

ふたつの須恵器は1977年の発掘調査で出土して、
 つぼの刻線は文字の可能性が指摘されていたが、
 2011年に市が出土品を再調査した結果、
  新たに「二年」と読める刻線がふたに見つかり、専門家に鑑定を依頼していた。

須恵器は能美市立博物館で、9月21日〜10月27日に特別展示される。 


 和田山24号墳

和田山24号墳
    右奥は1号墳
和田山24号墳は、
長径14m、短径13m、溝幅2mの円墳
木棺直葬(全長5m、幅0.7m)。 
鉄製の武器、直刀、矛、やじり、斧、管玉2個。
6世紀中頃の築造と推定されている。
復元整備
       撮影日2011/12/14


 和田山25号墳

和田山25号墳は 
 長径13m、短径11.7m、溝幅1.3〜1.4mの円墳
 内部主体は木棺直葬(全長2.5m、幅0.4m)。
 6世紀代の築造と推定されている。


     撮影日2011/12/14

能美市の地図y

加賀の遺跡のトップ