野々市町    地図g

末松廃寺
すえまつはいじ
国史跡

石川郡野々市町末松
(撮影日2004/4/10
2018/11/6 )

地図

末松廃寺跡は江戸時代から知られており、
『石川訪古游記』には水田中の巨大な石(唐戸石)を金沢の東本願寺別院へ移そうとしたが、
地中に深く埋まって動かせなかったことが記されている。
 唐戸石は塔心礎で、長径2.24mの巨大な石に、直径58pのほぞ穴が穿たれている。
昭和12年(1937)には
 地元の高村誠孝氏発案の発掘調査によって古代の寺院跡であることが初めて確認されて、
 昭和14年(1939)の国史跡指定に至る。
昭和36年(1961)、高村氏が寺城内で和同開珎銀銭(市指定文化財)を発見したことがきっかけとなり、
  昭和41・42年(1966・67)には文化庁による本格的な発掘調査が行なわれた。
この調査によって、
 末松廃寺は金堂を西、塔を東に並立させた、
 法起寺(ホッキジ)式の伽藍配置の寺院であったことが判明した。
金堂の規模は東西19.8m、南北18.4m、塔の一辺の長さは10.8m。
建立の年代は白鳳時代の660〜670年頃とされる北陸最古級の寺院であり、
  創建時の金堂、塔は8世紀初頭頃までに倒壊し、
 金堂は8世紀後半に規模を縮小して再建されたが、塔は再建されていないことが判明した。
 出土した瓦が、能美市の湯屋窯跡[ゆのやかまあと]で焼かれて運ばれたものであることや、
加賀南部・能美地域産の須恵器が多くみられること、
塔心礎が手取川で産出される安山岩を加工したものであるということがわかっている。
 昭和43年(1968)から3年をかけて遺構の一部を復元する整備事業が行なわれ、
現在は史跡公園として親しまれている。
平成26年(2014)からは、史跡公園の再整備に伴う発掘調査を実施している。
   (HP野々市デジタル資料館から引用)

  




2004年の末松廃寺 (撮影日2004/4/10 )

  


末松廃寺 配置図
能登国分寺くらいの規模の敷地に感じられた。

末松廃寺 北側入口
 塔跡
 柱跡から棟の大きさは一辺10.8mとわかった。
 白鳳時代としては超大型の規模で、高さは56mと推定されている。
 塔心礎石は長径2.24m・短径1.65mで上部には径58p・深さ11pの柱孔がある。
 能登国分寺跡の塔心礎より一回り大きいので七重塔ともいわれている。

塔跡

水田にころがっていた塔心礎

今は塔跡の真中に鎮座している。


焼き物で作られたミニチュアの塔
塔が倒壊した後、
再建されない塔の代わりに祀られていたもの。
平安時代の作。
(2004/6/5 御経塚遺跡横の野々市町埋蔵文化財収蔵庫にて)
 金堂跡

東西20m、南北18.5mの大きさで
 周りに雨落溝があり、
 創建時の屋根に葺かれた瓦が堆積していた。
金堂の西側で瓦に混じって
 銀の和同開珎(708年製とされる)1枚が
 発見された。
 掘立柱建物跡

掘立柱建物は、
 柱が礎石や土台の上に立てられず、
  地面に穴を掘りその中に
  柱の根元を埋め込んで建てられた建物。
5棟の掘立柱建物跡が見つかっている。
平安時代後期に建てられたものと推定されている。
建物の用途ははっきりしていない。

発掘調査の結果、金堂を西、塔を東に配置した発起寺式伽藍構成となっていることがわかったけれども、
   中門、回廊、僧坊は見つからなかった。

 末松廃寺      撮影日2017/11/14


末松廃寺出土の
  軒丸瓦  平瓦

 
  (ふるさと歴史館展示から)

他にも
末松廃寺出土の
「銀製和同開珎」も展示されている。

 

2018年の末松廃寺
「瓦塔」片に女子像
末松廃寺の至宝

白山市市民交流センター
(撮影日2018/11/6)

2018年11月1日の北陸中日新聞に、「全国初、野々市・末松廃寺で女子像が描かれた瓦塔が見つかった
という記事が載った。
東大寺領横江荘遺跡でも、瓦塔が見つかったという話を聞いたばかりだったので、グッドタイミングだった。

11月6日、野々市図書館で本物が展示されていたので、さっそく撮影!
     (「学びの杜ののいちカレード開館一周年特別展 末松廃寺の至宝」)

 末松廃寺の至宝
 今回見つかった土製品は、平成30年度に実施した、中門を確認するための発掘調査で見つかった。

天女が描かれた
  瓦塔片


縦19cm
横9.5cm
厚さ1.5cm
板状の土製品

天女イラスト
 今回発見された土製品は、瓦塔の一階にあたる部分で、
   描かれている女性は裳(モ)と呼ばれるロングスカート状の衣服を身に着け、
   つま先が跳ね上がった履(鼻高履)をはいている。
 払子(ホッス)と呼ばれる道具を手にしていて、弥勒菩薩に仕える天女を描いたものと考えられている。
 瓦塔は、9世紀頃を中心に作られたもので、、
   木造の塔を模してつくられた高さ1.5m〜2mほどの土製の小塔。
 実際に寺院に塔を建てる代わりに安置され、信仰の対象とされたと考えられている
 末松廃寺では、これまで7点の瓦塔片が見つかっている。
  いずれも小片だが、屋根に葺かれた瓦や柱などが表現されている。
  柱を表現した部分はベンガラで赤く塗られている。


今までに発見された瓦塔片
(説明板から)
 末松廃寺は、7世紀後半に建立された北陸最古級の寺院
  昭和14年に国史跡に指定された。
  昭和36年、地元住民が寺域内で和同開珎銀銭を発見し、
 これを機会に史跡整備を前提にした発掘調査が行われ、
   金堂を西、塔を東に配置した法起寺式の建物配置で
   7世紀後半(白鳳時代)に建立され、8世紀なかごろ(奈良時代)に建て替えたと考えられている。
 また金堂の周囲から大量の瓦が出土し、能美市の湯屋窯跡で焼かれたことがわかった。
 昭和46年、史跡公園として整備完成し、平成26年度からは再整備に向けて発掘調査が行われている。


末松廃寺遺構全体図
金堂を西、塔を東に配置した法起寺式の伽藍
(説明板から)

2018年12月11日、中門跡と考えられる柱穴の列も
   発見されたと発表された。

柱穴は、天女像の描かれた瓦塔片の発見場所の
   そばで見つかったが、これは、
   8世紀中ごろの立て直しの時の
   中門跡と考えられている

 


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