北村さんちの遺跡めぐり
更新日2008/6/7

福井県   饅頭山古墳群・丸岡城・中川の古墳
に行ってきました

足羽山古墳群には何度か行ったが、その中で整備されているという饅頭山には行っていない。
季節も良いのでちょっとドライブ!
そのあと丸岡城に置かれている石棺中川の古墳を確認しようと出発。
福井市の地図

饅頭山は足羽山の西の端にある。
1号墳と2号墳が並んでいるという。
足羽山の西にある「みどり図書館」に駐車して、徒歩でいけばすぐだ。
ひたすら、みどり図書館を目指す。
きれいなみどり図書館でトイレを借り、図書館から饅頭山に一直線に続く遊歩道をあがる。
足羽山古墳群のページも合わせてご覧下さい

地図g

饅頭山1号墳・2号墳
(足羽山古墳群)

福井市足羽山公園
撮影日2008/3/23

通称饅頭山と呼ばれている足羽山の西尾根にある。

遊歩道の突き当たりにある饅頭山1号墳
すぐ南(右)に饅頭山2号墳がある。





饅頭山1号墳の墳頂から見る景色



墳頂には埋葬部が示されている。

饅頭山2号墳墳頂から1号墳を見る

饅頭山1号墳東西28m・南北26mの円墳
2段築成で南側にテラスがある。
埋葬施設は石棺直葬と推定されている。(石棺片が出土)
鉄刀・鉄鏃・短甲・冑などの武具類の破片が出土
5世紀中ごろの築造と推定されている。

饅頭山1号墳から2号墳を見る

向こう側(南西)に2号墳の石室が開口している。


饅頭山2号墳墳丘

饅頭山2号墳は 、直径12mの円墳
南西に開口する横穴式石室を持つ。
6世紀の終わりごろの築造と推定されている。

饅頭山2号墳石室入口
右片袖形
羨道長3.5m・全長9m



饅頭山2号墳石室内部
奥壁の大きな石が印象的。
天井石は復元されたものも含まれると思う。



饅頭山1・2号墳実測図   
     (説明板から)


饅頭山1号墳は、 東西28m・南北26mの円墳

饅頭山2号墳は 、直径12mの円墳

足羽山古墳群の地図(参考: 饅頭山の説明板・山頂古墳前の説明板)


@六地蔵宝塔の円墳
A 龍ヶ岡古墳 円墳 直径30m・高さ7.5m 家形石棺 消滅
B 山頂古墳 円墳 直径60m・高さ7m 継体天皇像
C 稲荷山古墳 円墳 直径30m・高さ7m 平和塔
D 古墳群 小円墳群
E 大塚山古墳 円墳 直径50m・高さ7m 半壊
F 柄鏡塚古墳 前方後円墳 全長61m
後円部径31.4m・高さ5m
前方部長さ29.6m・幅15.5m・高さ7m
半壊
G 饅頭山1号墳 円墳 直径28m
G 饅頭山2号墳 円墳 直径12m 横穴式石室
H 宝石山古墳 舟形石棺 慰霊碑
I 小山谷古墳 円墳 舟形石棺 消滅

福井市の地図y

饅頭山を見て、いったんみどり図書館まで戻り、
車に乗り、
図書館の北にあるコンビニ(ファミリーマート若杉店)で昼食を買い、
西墓地公園側から足羽山に登り、
宝石山古墳を捜す。

宝石山古墳跡
(足羽山古墳群)

福井市足羽山公園
撮影日2008/3/23


宝石山古墳跡

慈母観音を祀った慰霊塔が建つ
昭和20年の福井空襲の犠牲者と
昭和23年の福井大地震の犠牲者の魂を慰めるため、
昭和36年に建立された。


塔内に安置されている慈母観音像
ガラスにさえぎられてよく見えない

宝石山古墳
径20m・高さ2mほどの円墳
1958(昭和33)年、凝灰岩製の舟形石棺が出土。
石棺は、棺身長2.28m・幅1m 内法長1.85m・幅0.67m・深さ0.25cm
排水孔がある。縄状突起がある。
副葬品は
棺内から、 鉄刀・刀子・鹿角製刀装具・鉄鏃・櫛
棺外から 鉄刀・鉄剣・鉄鉾・鉄斧・鉄鏃
棺内には、男女2遺体が発見された。
5世紀後半の築造と推定されている。

平和塔(稲荷山古墳跡)の横の小山のベンチで昼食。
この小山も小円墳らしい。
カラスが弁当の残りを狙っている。
あわてて食べて、丸岡城に出発。
丸岡城の敷地に牛ヶ島石棺が置いてある。

地図g

丸岡城
牛ヶ島石棺

坂井市丸岡町
撮影日2008/3/23

丸岡城は平地の中にそびえ立つ。


牛ヶ島石棺

丸岡城天守閣に続く坂の途中に展示されている。



 牛ヶ島石棺
 牛ヶ島地区の東方のもと白山神社の杉林の中にあった円墳(御野山古墳)の西側から出土したものといわれ、 
 同地区の八幡神社境内に置かれ、村人は何も気づかぬまま祭に立てる幟竿の控石に使われていた。
 足羽山で発見された石棺と同時代の古墳時代中期後半のものと考えられている。
 福井笏谷石(凝灰岩)製
 外形 長さ2.10m・幅0.76m・高さ0.3m
 内法 長さ1.7m・幅0.28〜0.44m・深さ0.14m

 刳抜式で、縄掛突起が前後左右に各一個ずつある。
 蓋の板石は、小川の橋に利用していたが、現在は所在不明。    (説明板より)

丸岡城には、かなりの数の観光客が訪れている。


丸岡城天守閣
 
(重要文化財 別名霞ヶ城)
天正3(1575)年、織田信長が一向一揆の平定を期して豊原寺を攻略し、
信長は柴田勝家の甥、伊賀守勝豊を豊原に派遣し城を築かせた。
天正4年、豊原城を丸岡に移した。
これが現在の丸岡城となる。
勝豊のあと、安井左近家清、青山修理亮、青山忠元、今村盛次等が一時的に支配したあと
本多成重以下4代の居城となった。
元禄8年5月から明治維新までは有馬家が領主となった。

昭和9年に 国宝に指定されたが、昭和23年  福井大震災で倒壊。
昭和25年に国の重要文化財に指定され、昭和26〜30年 復元工事を行う。
二重三層、外観は上層望楼を形成、通し柱を持たず、初重が上重を支える支台をなす。
屋根は石瓦(笏谷石)、基礎の石垣は野面積みで日本の城郭建築史上最古の様式のもの。
(説明板から)

八幡神社

天守閣横にある。
丸岡城内の鎮守社としてこの地にあったが一時衰退。
丸岡城の再建の際の残材で建立されたものだそうだ。


昭和23年6月の福井大震災で、
    棟より落下した石製の鯱

天守閣にのぽる階段横に展示されている。

鯱は、もともと木彫銅板張りであったものを、
昭和15〜17年の修理の際に、石製の鯱に改めたもの。
それが地震で落下してしまった。
当時は銅版の入手が困難だったので、
やむなく天守閣の石瓦と同質の石材で造りかえられた。
現在の天守閣にのっている鯱は、昭和27〜30年の修復時に、元の木彫銅板張りに復元した。

「人柱お静」の慰霊碑



伝説「人柱お静」(説明板から)
柴田勝家の甥、柴田勝豊が天正4(1567)年に丸岡の築城の際、天守閣の石垣が何度積んでも崩れるので、
人柱を入れるように進言するものがあった。
その人柱に選ばれたのは二人の子どもをかかえて苦しい暮らしをしていた片目のお静だった。
お静は一人の子を侍に取り立ててもらうことを約束に、人柱になることを決意し、天守閣の中柱の下に埋められた。
それからほどなくして、天守閣は立派に完成。
しかし、勝豊は他に移封し、お静の子は侍にしてもらえなかった。
お静の霊はこれを恨んで、毎年、年に一度の藻刈りをやる卯月のころになると、春雨で堀には水があふれ、
人々は”お静の涙雨”と呼び、小さな墓をたて、霊をなぐさめた。
「ほりの藻刈りに降るこの雨は、いとしお静の血の涙」という俗謡が伝えられている。




文字が刻まれた石垣をみつけた







「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」
丸岡城六代目城主となった本多成重の父親「本多作左衛門重次」が
陣中から妻に宛てて送った手紙の文面

最も短い手紙文といわれる。
「お仙」というのは、本多成重の幼名「仙千代」のこと
丸岡町ではこれにちなみ、年1回、心のこもった短い手紙を募集、「一筆啓上賞」というイベントで町おこしに成功した。
坂井市になった現在も、「新一筆啓上賞」として、続いている。
今年のテーマは「未来への手紙」だということだ。

天守閣のふもとにある一筆啓上茶屋で、一休み。
「さくら」と名の付いた桜風味のソフトクリームを食べる。 
「お仙」・「お静」と名の付いたソフトクリームもある。どんな味なのだろうか?


一筆啓上茶屋の庭から見た丸岡城天守閣


白い大きな建物は歴史民族資料館
坂井市・あわら市の地図y

中川に向かう。

中川北古墳
中川中古墳
中川南古墳
(横山古墳群)

あわら市中川
撮影日2008/3/23

2007年4月に行ったが、場所がよく分からず帰ってきた。
今回はしっかり調べたので大丈夫だ。横山古墳群のページも合わせてご覧下さい。

中川の集落と国道8号線の間の林の中に3つの前方後円墳がある。
横山古墳群のD支群の中川北古墳・中川中古墳・中川南古墳だ。
南側から林に入った。
集落と国道に挟まれた狭い林だが、急斜面の山の中という感じである。
斜面を登ると、木が切られていて、見れる状態になっていた。
3基の前方後円墳の間には円墳らしい古墳もいくつか確認できる
人間の目では、古墳に見えるが、カメラのレンズを通すとよく分からないのが残念。

中川北古墳 後円部から前方部を見る。



中川北古墳 後円部



中川北古墳 後円部のくぼみ




中川北古墳の南にある円墳その1



中川北古墳の南にある円墳その2




中川中古墳
 左側後円部 右側前方部


見てもよく分からなかったが
後円部は円というより四角い形をしているという。

中川南古墳 後円部から前方部を見る

後円部径11m・前方部長さ30m
後円部の大きさに対し、前方部がかなり長い。
円墳を避けるように前方部が作られている。

中川南古墳 前方部から後円部を見る



中川南古墳の南にある円墳その1






中川南古墳の南にある円墳その2





中川中古墳→中川南古墳→中川北古墳の順に築造されたと推定されている。

3基の古墳の比較

名前 全長 後円部
後円部
高さ
前方部
長さ
前方部
特徴

中川北古墳 27m 18m 3.2m 11m 17m 葺石なし

中川中古墳 41m 22.5m 4m 20m 24.5m 埴輪あり
葺石なし

中川南古墳 45m 11m 3.8m 30m 26m 葺石なし
埴輪なし

上の3基の古墳の東側、
国道8号線の東側の山の入口に「ここは横山古墳群です」とかかれた看板がある
ここには、横山古墳群のD支群の中川奥古墳(4基)と城ヶ岳古墳があるはずだ。
中川奥古墳4基を探して、林の中に入ってみたが、
倒木・雑草・ぬかるみと、おまけに急傾斜の山の中。
古墳らしい隆起は見られたが、特定までには至らなかった。

名前 全長 後円部
後円部
高さ
前方部
前方部
長さ
   特徴
中川奥1号墳 47m 29m 7m 41m 24m 2段築成葺石あり埴輪あり
中川奥2号墳 40.5m 21.5m 4m 25m 20m 葺石なし埴輪なし
中川奥3号墳 22m 13m 1.8m 18m 10m 埴輪あり葺石なし
中川奥4号墳 32m 16m 2.6m 19m 14m 埴輪あり
城ヶ岳古墳 47.5m 23m 4m 17m 24.5m 葺石なし・埴輪なし

城ヶ岳古墳は標高121mの尾根頂上に存在する。
坂井市・あわら市の地図y

饅頭山を見ることができ、中川の古墳も確認でき、満足のドライブだった。
中川の古墳の大きさのデータはHP「遺跡ウォーカー」を参考にさせていただきました。ありがとうございました。

福井県の遺跡トップへ

トップページ