更新日2016/9/9

長野県北部の旅
その6
 長野市3
篠ノ井地区周辺
2016/5/5〜5/7

篠ノ井地区の古墳見学。

地図g

布施塚古墳 (群) 長野市篠ノ井石川
撮影日2016/5/6 16:00

森将軍塚古墳の次に見学。
長野市文化財データベースによると布施塚古墳群は、3基となっている。

 布施塚古墳は、当初は前方後円墳(全長32m)と考えられていたが、
  昭和55年の測量調査の結果、2基の円墳である可能性が高くなった。
  径20mと、径10.5mの円墳他にもう1基の円墳がある。
  耕作で裾はかなり削られている。
  発掘調査は行われていないため、墳形や築造年代などは断定されていない。
                    (長野市文化財データベースから)

布施塚古墳(群)
2つの円墳  右奥にもう一基ある。
確かに前方後円墳に見える。 農地となりどんどん削られている


川柳将軍塚古墳
姫塚古墳とともに国史跡
長野市篠ノ井石川
撮影日2016/5/6 16:30

布施塚古墳の南西約1.5kmの山の中にある。
狭い道だが、近くまで自動車で行ける。
川柳将軍塚古墳の手前に東屋があり、錆びた案内板がある。駐車スペースがあったので駐車。
案内図によると、この辺りから川柳将軍塚古墳の陪塚がいくつか並んでいるらしい。


案内板を過ぎたあたりから陪塚群が続く。

道路から見た陪塚群

100mほど歩くと川柳将軍塚古墳が見えてくる。

 川柳将軍塚古墳は 千曲川をのぞむ標高480mの山頂上に立地している
    (とはいうものの、現在は見通しはよくない)
  全長93mの前方後円墳  前方部を北北東に向ける。
   後円部径45m、同高10m、前方部幅26m、同高5m


川柳将軍塚古墳墳丘図

   (古墳辞典から)


  葺石あり 円筒埴輪あり
  濠が残っている。
  後円部に、内面は朱に塗られた竪穴式石室(長さ5.4〜7.2m・幅1.8m)がある。
   側壁は割石を小口積み
  銅鏡42面、銅鏃、筒形銅器、筒形石製品、碧玉製琴柱形異形石製品、車輪石、
  硬玉製勾玉、金銀環、管玉、平玉、小玉など多数が出土したと伝えられている。
  銅鏡6面、琴柱形石製品2、玉類が現存し、長野県宝に指定されている。

  前方部にも竪穴式石室(長さ2.7m・幅1.2m)があり、
   構造は後円部と同じく、遺物も出土したと伝えられている。

  4世紀末〜5世紀初めの築造と推定されている。

  寛政12年(1800)、農民により発掘、多量の遺物が出土。
  明治26年(1893)、地元民が発掘
  昭和4年(1929)、学術的調査
             (説明板・長野市文化財データベース・古墳辞典から)

後円部頂

後円部から前方部を見る

くびれ部から前方部を見る

前方部側 奥に後円部

前方部から後円部を見る

周濠跡   左・くびれ部から後円部 右は道路側

前方部側の向こうにも陪塚群がある。
埴輪円筒棺も出土している。

 埴輪円筒棺 
  埴輪円筒棺は、昭和4年閃緑岩の環境整備のため植林を行なった際に発見された。
  川柳将軍塚古墳の前方部端から数mはなれたところに
     直径は4m・高さ1mの小円丘があり、そこから出土している。
  埴輪円筒棺はほぼ水平にすえられていて、
   両端は素焼きの大型土器片や円筒埴輪片で封じられ、
    円筒棺の周囲もこれらの破片で補強されていた。
  通常の埴輪円筒棺の製作技法と異なり、
   大形の甕形土器を積み上げるという方法で行われていて、
    その凸帯も口唇状をなしている点が注目される。
  また、三角形の窓が2か所ほぼ対称に開けられている。
  この形状は、この地方から出土した他の埴輪円筒棺とは全く異なる特徴をもつ。
  埴輪円筒棺は、ほとんど主墳に対する陪塚的性格のもので、
      この棺も川柳将軍塚古墳に対する追葬的陪塚と考えてよいであろう。

円筒埴輪棺が出土した場所には石碑が建つ。
「円筒棺史蹟」と刻まれている。

埴輪円筒棺
器高79.8cm・直径37cm・平均壁厚1.8cm
(説明板写真から)


川柳将軍塚古墳の前方部側にある陪塚2基

左の墳丘の奥にもう1基ある。



円筒埴輪棺の出土した墳丘とは別のもの

川柳将軍塚古墳は、今回見学した中で、最も見ごたえのある古墳だった。

姫塚古墳
川柳将軍塚古墳とともに国史跡
長野市篠ノ井石川
撮影日2016/5/6

川柳将軍塚古墳の北200m、比高差30mを登らなければならない。

 姫塚古墳は、川柳将軍塚古墳と同じ尾根の200m北、標高510m、比高差30mの高所にある
  全長31mの前方後方墳
    後方部長さ20m・後方部高さ4m・前方部高さ2m
  墳丘の残存状況は、極めて良い。
  内部構造は、未調査のため不明、遺物の出土も伝承がない。
  川柳将軍塚古墳に先立って築造されたと推定されている。
  詳細は不明だが、4世紀中ごろの築造と推定されている。
            (松本市弘法山古墳とほぼ同年代)
                  (説明板・長野市文化財データベースから)

登り口の道標「古墳の里 川柳」
と刻まれた石碑

登り道はかなりきつい・・・・。

前方部手前から、墳丘を見る
奥が後方部



左・後方部 
 右・前方部




前方部から後方部を見る。

後方部から前方部を見る

山の中にひっそりとあります。

丸山古墳群第4号墳
長野市指定文化財
長野市篠ノ井
撮影日2016/5/6

老人憩いの家敷地内に、石室が保存されている。だれもいないので、勝手に見学させていただいた。

 丸山古墳4号墳は 善光寺平南域西縁の薬師山の麓にある円墳で、
       丸山古墳群の中では、最も低い標高400mの位置につくられている。
  円墳と考えられているが、規模は不明
  東に開口している横穴式石室は幅2m・長さ5.1m。
   天井石は1枚を残して全て取り去られ、羨道部もほとんど破壊されている。
   玄室と羨道の境が不明確だが、側壁の状態から玄室の長さは4.2mと考えられている。
   側壁は一部加工の自然石を中段から上をもち送り式にせり出しながら積み上げ、
         奥壁には最大幅2m・高さ2.52mの1枚石を用いている。
    線刻絵画が描かれていて貴重である。
  金銅製太刀、刀子、鉄鏃、金環、丸玉、轡、雲珠、須恵器瓶、釘などが出土。
  古墳時代後期の築造と推定されている。
  石室の規模は、近くの池ノ上古墳とほぽ同じである。
       (説明板から)    

柵の中に石室が保存されている。

奥壁の周辺しか残っていない。


中郷神社前方後円墳
長野市指定文化財
長野市篠ノ井石川
撮影日2016/5/5

中郷神社境内の北西部にある。
南の中郷神社から行けば案内表示があったのに、北から直接墳丘を目指してしまった。

 中郷神社前方後円墳は 
    西方の山地から、東方に突き出た馬の背状の高地を利用してつくられている。
  後円部の南からくびれ部にかけて大きく変形しているが、復元すると
   全長53mの前方後円墳
    
 後円部径30m・高さ4.5m  前方部幅24m(現状21m)・高さ3.5m
   前方部を山側の西方に向けている。
  葺石がある。こぶし大の小礫が散在している。
  内部構造は詳細不明だが、
    前方部頂や後円部頂には板石が散在しているので、竪穴式石室だと予想されている。
  出土物は伝えられていない。
  5世紀代の築造と推定されている。
 後円部の東南に、囲むように3基の陪塚が存在したというが、
        現在は径7mと10mの円丘が見られる。
 北方1.5kmには川柳将軍塚古墳がある。
        (説明板・長野市文化財データベースから)




前方部斜め後ろから
  墳丘を見る。



左奥が後円部

後円部側に説明板

後円部頂

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る


中郷神社前方後円墳は2日目の最後の見学。
2日目の夜は、戸倉上山田温泉柏屋に宿泊。一泊2食付きなので、午後6時までに到着。
食べきれないほどの食事と温泉でのんびりしたいところだったが、
         翌日の見学地を調べるのに時間がかかってしまった・・・・・。

3日目・最終日は、前日見逃した篠ノ井地区の古墳の見学から始める。
今回は南から北へ・・・・

越将軍塚古墳
長野市指定文化財
長野市篠ノ井石川
撮影日2016/5/7

長野自動車道のトンネルの上にある。
車で行けるか不安だったが、強行突破・・・、塚穴古墳の前を通り、越将軍塚古墳の前に到着。

 越将軍塚古墳は  径33m・高さ6.7mの大円墳
  周溝がある。
  中腹に幅1mの段築がある。墳丘裾部周辺に根石がある。
  竪穴式石室は南北に主軸をとり、割石を小口積みにしている。
   石室は上縁の長さ6.2m、北の壁幅1.4m、南の壁幅1.2m、高さ0.7〜0.9m
   安山岩を使っているが、赤彩の痕跡はない。
   床面に円礫が敷きつめられている。
  滑石製小玉・小鉄片・円筒埴輪、土師器が出土している。
  5世紀代の築造と推定されている。
  この古墳から出土したと推察されている内行花文鏡がある。

 標高490mにある山上立地の大円墳で、長く前方後円墳とみられてきたが、
    昭和47年の実測調査と53年の石室再発掘により、竪穴式石室のある円墳と確認された。
            (説明板・長野市文化財データベースから)


墳丘

尾根先端にあり、実際より大きく見える。



見方によっては
  前方後円墳に見えるかも・・・





越将軍塚古墳そばの案内図

遊歩道なのに、自動車で来てしまった・・・

「東谷古墳」というのがあるけど、どんな古墳なのかな?



塚穴古墳
千曲市指定文化財
千曲市上野
撮影日2016/5/7

越将軍塚古墳の手前にある。ここは千曲市。

 塚穴古墳は  直径12m・高さ4.5mの円墳
  南に開口する横穴式石室は玄室長さ5m・奥壁幅2.7m・高さ2.5mの羽子板状の両袖式
   奥壁は大石を2枚並べ、その上に横長の石をのせている。
   側壁は、下部に横長の大きな石を2段積み、天井は大きな石5石で石室をきずいている。
   羨道は長さ2.7mほど現存している。幅1.7m・高さ1m
   出土物はないので、年代は不明。             (説明板から)


道路から見上げる塚穴古墳


墳丘は上の部分だけ

手前に巨石が転がり落ちている

石室開口部

天井石が抜かれている

玄室内部

奥壁と天井

玄室から外を見る

塚穴古墳の西近くに「龍洞院領境石」というのがある。

龍洞院領境石と案内板

詳細不明

この南西1kmに、龍洞院という寺があるので、
ここまで龍洞院の領地だということか・・・。


ネットで調べても、な〜んにも出てこない・・・。


八幡宮古墳 長野市篠ノ井塩崎
撮影日2016/5/5

越将軍塚古墳から北東に800m、越将軍塚古墳のある山の東麓にある古墳。

 八幡宮古墳は 台地の斜面にある。
  墳頂に八幡社を祀る。   詳細不明

北西から見る

南から見る

墳頂に八幡社を祀る。

石には「八幡宮古趾」と刻まれている。

西側は道路で削られているようだけど、この古墳のために、道路が曲がっている。

鶴萩古墳
長野市指定記念物
長野市篠ノ井塩崎
撮影日2016/5/5

八幡宮古墳の北約500m、名刹長谷観音の参道北脇にある。

東側の道路からの入口の案内板


    

 鶴萩古墳は 善光寺平南縁部に位置する
  土石混合でつくられた径15.5m・高さ2.9mの円墳
  横穴式石室は玄室6.7m×2.8m・高さ2.8m
   胴張りで、壁面は巨石を組み合わせ、5枚の天井石を乗せる。
   奥壁の鏡石は2.3m×2.7m
   羨道は3.9m×0.75m 左側壁の一部を失っているがほぼ完存している。
  6世紀後半の築造と推定されている。    
       (説明板・長野市文化財データベースから)




南側に開口した石室

東から見た墳丘

石室開口部

玄室

玄室から外を見る

この鶴萩古墳と次の池ノ上古墳はどちらも斜面にあり、よく似た墳丘だ。

池ノ上古墳
長野市指定記念物
長野市篠ノ井石川
撮影日2016/5/7

丸山古墳群第4号墳と中郷神社前方後円墳の間にあるが、時間の都合で次の日に見学。

 池ノ上古墳は  土石混合によって築かれた、直径15.5m・高さ4mの円墳
  横穴式石室があり、墳丘・石室とも保存状態がよい。
   玄室4.2m×2.5m・高さ2.3mで胴張り、持ち送りで巨石を積み上げている。
   奥壁の鏡石もかなりの巨石を用いている。
   羨道は5m×1.2mと長いのが特徴だが、天井石がほとんど失われている。
  6世紀後半の築造と推定されている。

  付近には池ノ上古墳群を形成する規模の小さい古墳がいくつも見られるが、
        その中の主墳的存在の古墳。
                 (説明板・長野市文化財データベースから)

東から見た墳丘

石室入口

羨道から玄室を見る

玄室内部

奥壁と天井

玄室から外を見る

    

田野口大塚古墳
長野市指定史跡
長野市篠ノ井石川
撮影日2016/5/5

池ノ上古墳から西へ約1.5kmの丘陵にある。
近くまで行くと、いくつか案内板があるので、なんとか行きつくことができる。

 田野口大塚古墳は  標高540mほどのなだらかな丘陵頂部に築かれた
  全長40.5mの前方後方墳 、後方部長さ27m・幅28.5m・高さ4.5m 前方部長13.5m・幅15.5m
  前方部と後方部の比高差は2.8m
  後方部墳頂は一辺14mの平坦面となっているが、盗掘坑で中央が大きくくぼんでいる。
  前方部が短く小さく、後方部後縁にきわめて小さな突出部がある。
  前方部西側に幅6m・深さ75cmの周溝と後方部北西隅の斜面に葺石が確認されている。
  竪穴式石室があると考えられている。
  出土遺物はない
  5世紀中葉の築造と推定されている。
  昭和61年(1986)に墳丘測量調査

  川柳将軍塚古墳は千曲川沖積地に面しているが、
  田野口大塚古墳は、沖積面から山地に入った細長い盆地を望む小高い丘の上にある。
                    (説明板・長野市文化財データベースから)

田野口大塚古墳遠景
丘陵上といっても、平野部を見ることはできない

田野口大塚古墳入口

左・後方部 右・前方部

後方部から前方部を見る

後方部の盗掘坑

前方部から後方部を見る

前方部先にある倍塚

     
    

腰村前方後円墳
長野市指定文化財
長野市篠ノ井小松原
撮影日2016/5/7

川柳将軍塚古墳の北北東約5km、篠ノ井地区では最も北にある古墳。(紹介した中ではだが・・・)
東の道路そばの農協にいた男性二人に、駐車のお願いをして。見学。

 腰村前方後円墳(腰村1号古墳)は、 犀川近くの川中島を見渡す丘陵地に位置する。
  全長43mの前方後円墳   後円部径24m・同高4.5m  前方部幅21m・同高4m
  前方部と後円部の高さの差が小さい。
   かつて後円部頂から板石が掘り出されたことがあり、竪穴式石室の可能性がある。
  後円部から円筒埴輪と形象埴輪の破片が採集されていて、
  6世紀初頭の築造と推定されている。
     今のところ善光寺平でもっとも新しい前方後円墳と考えられている。

  腰村1号古墳とも呼ばれ、南方70mの地点に2号古墳とされる円墳があるが、破壊が著しい。
  1号古墳の北方150mの地点に、
   3号古墳と呼ぶべき横穴式石室のある古墳があったが、
     明治年間に破壊されたという。
                    (説明板・長野市文化財データベースから)

全景 西から見る

左・後円部 右奥が前方部

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

前方部脇から後円部を見る

東の道路から見上げる腰村前方後円墳

見学して駐車場に戻ったら、先ほどの男性が、地元の歴史について書かれた本を持ってきてくださったが、
時間が無くて、話もできず、お礼を言ってそのまま帰って来てしまった。
残念・・・・

大室古墳群へつづく

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