北村さんちの遺跡めぐり

大津市の古墳・遺跡

 国分大塚古墳

滋賀県大津市国分1丁目
 (撮影日2008/11/27)

滋賀県の古墳見学はこれまでも大部分、HP「古墳のお部屋」さんを参考にさせていただいているが、
やはりHP「古墳のお部屋」さんで見た大津市の国分大塚古墳。
「新幹線と名神高速の間の住宅街の中に保存されていますが道が入り込んでいて非常に分かりにくい。」
とあり、場所が分かりにくそうだったのでどうしようかなと思っていたところ、
「滋賀県の歴史散歩(山川出版社)」の新版に詳しい地図が載っていたので、探してみる。


国分大塚古墳実測図(説明板から)
石室のところだけ残り、周りは住宅に囲まれている。
とても「大塚」とはいえない状態


国分大塚古墳の現状
石室が柵の向こうに見える。
 

国分大塚古墳
左側 後円部 右 前方部
 

前方部石室
穴があいているのでカメラを近づけて写真を撮ってみたが
中は写っていなかった。

国分大塚古墳は 全長45mの前方後円墳。南西に前方部を向ける。
 後円部径32m・くびれ部幅19m・前方部幅28m
 周濠がある
 後円部と前方部にそれぞれ1基づつ横穴式石室がある。
 後円部の横穴式石室は全長6.6m
   玄室の長さ4.4m・奥壁幅2.2m・羨道寄りの幅2.15m・高さ1.6m以上
   羨道の長さ2.2m以上・幅1.5m
 前方部の横穴式石室は
   玄室の長さ2.9m・幅1.2〜1.6m・高さ0.9m以上
   羨道は不明

大津市南部の地図y

 若松神社境内古墳

滋賀県大津市大江1丁目
 (撮影日2008/11/27)

この古墳はHP「古墳のお部屋」さんの
「国道1号を東に行き瀬田川を渡って800m程、国道と新幹線の 間に若松神社があります。」
の文章をたよりに地図で若松神社を探し、場所が特定できた古墳。



若松神社正面

かなり立派な神社


境内を探すが、分からなくて、掃除している男性に尋ね、ようやく分かった。
神社鳥居の西側の広場の向こうに石室と陶棺が保存されている。


若松神社境内古墳は中央の茂みの裏にある。
 

若松神社境内古墳石室
石室の真ん中に陶棺が置かれている。

石室の陶棺(当然レプリカだよね)
そのうしろには大きな奥壁の石がある。

奥壁の石を外側から見る。

説明板がなく、詳しいことは分からない。

 膳所茶臼山古墳・小茶臼山古墳
(国指定史跡

滋賀県大津市秋葉台
 (撮影日2006/10/23)

秋葉台運動公園のグランドの北側に茶臼山古墳、南側に小茶臼山古墳がある。
茶臼山古墳は近江で第2位(1位は瓢箪山古墳)、湖南地方では最大規模を図る前方後円墳だという。



グランドの向こうに見える茶臼山古墳の森
森の向こう側に階段と案内板がある。



茶臼山古墳上り口
階段の上に神社がある


墳丘は良好に残っているようだ


前方部にある小さな社
後ろの森が後円部
前方部は広場のようだ。
後円部は深い森に覆われている。

秋葉台茶臼山古墳実測図

前方部と後円部のつなぎの部分はゆるやかなスロープとなっており、
前方後円墳の本来の姿をとどめている。

茶臼山古墳
全長122mの前方後円墳
後円部の径約70m・高さ約13m、
前方部の高さ5.5〜8.5m・幅22.5m
墳丘斜面には葺石があり、後円部墳頂には、円筒埴輪や形象埴輪が並べられていた。
4世紀末〜5世紀ごろの築造


小茶臼山古墳のある森
グランドの南側の林の中に残っているらしいが、
林の中には入らなかった。
説明板がなく、詳しいことはわからない。

小茶臼山古墳
径30m・高さ2.5mの円墳

 皇子山古墳
 (国指定史跡)

滋賀県大津市錦織1丁目
 (撮影日2006/10/23)

大津市錦織町にある皇子山古墳。
坂道の中、住宅が建て込んでいて、道がくねくねと曲がっていて狭く、駐車する場所もない。
皇子山古墳は丘の上にあるらしいから、下から見えるのかと思ったら見えない。
大津宮関係の遺跡の前、少し道路が広い所に無理やり車を停め、歩く。
「皇子山古墳⇒」という小さな標識を見つけ、そっちのほうへ行くがなかなか着かない。
ようやく、上り口の階段があり、その急な階段を登ったところにあった。

皇子山古墳は、昭和45年、発掘調査された。
古墳の向こうには新しい国道161号線が通っている。
標高160mくらいに位置する。


皇子山古墳後方部端

皇子山古墳後方部


皇子山古墳くびれ部

皇子山古墳後方部脇から前方部を見る

皇子山古墳全景は 全長約60mの前方後方墳。後方部を北に向ける。
後方部長さ約35m・先端部幅約28m。

斜面に葺石がある。
地面を削りだした上に盛り土をした古墳である。
後方部に4ヶ所、前方部に1ヶ所の埋葬施設がある。
葺石の間から見つかった土器から、4世紀後半ごろの築造と推定されている。
古墳の東側面は西側面に比べて、葺石がていねいにふかれており、明らかに琵琶湖を意識した造り方となっている。

皇子山は宅地造成などで破壊されそうになったが、保存運動が高まり、その結果保存されることになったという。
皇子山2号墳も保存されているというが、わからなかった。

案内板から
皇子山古墳が造られている錦織(にしこおり)・皇子が丘地域は、大津宮が営まれていた地として全国的に良く知られている。
この地は、大津宮遷都が行われるかなり以前から、人々が定住し、活発に活動していたことが、今までの発掘調査で明らかになっている。
縄文時代の土器片が錦織や国鉄湖西線西大津駅付近から出土しており、
      遺構は発見されなかったものの、すでに、縄文時代に人々の活動が始まっていたことがわかる。
弥生時代から古墳時代にかけて徐々に遺跡が多くなり、
      古墳時代の初めには近江で最も古いといわれている皇子山1号墳が琵琶湖を見下ろす皇子山の頂上に作られる。
これに続いて、6世紀後半〜7世紀初めにかけて、山手の丘陵一帯に小さな古墳がいくつも造られるようになる。
この付近では、宇佐山の麓一帯に30基余りの古墳(宇佐山古墳群・山田古墳群)が知られている。
当地域を含めた坂本から皇子が丘にかけての同時代の古墳は大部分が横穴式石室を持ち、
   しかもその他の地域とは異なったドーム状の天井を持つ横穴式石室は、
     当地域一帯に居住していた渡来系の氏族(錦織・大友・穴太・三津氏など)が残したものだというのが定説となっている。
さらに、この渡来系の氏族たちが、のちの大津宮遷都にあたって大きな力となったことは容易に推測できると思う。
いま、大津宮については、発見から10年、発掘調査により徐々に建物の配置などが明らかになりつつある。
いまからそう遠くない時期に、大津宮の全貌がはっきりすることだろう。
このように、当地域は、市内でも早くから開かれた地域のひとつとして、
     皇子山古墳・大津宮(いずれも国指定史跡)をはじめ貴重な埋蔵文化財が多く残されている。

 福王子古墳群
滋賀県大津市
 (撮影日2008/5/4)

福王子大明神は無人の小さな神社。

福王子大明神正面
手前左側は新しい寺がある

私たちは神社後ろの階段を上り境内に入った。

その境内には穴が7、8個ある。
それが全部天井がなくなった横穴式石室。
狭いところに、荒れ果てた横穴式石室が並ぶ。
すごい!

古墳その1

石室内部

石室の上から

突き出た石材

古墳その2の露出した石材

古墳その3

木立の中に石材が見える

古墳その4 古墳その5 古墳その5

石室がぽっかり

社殿(右)の横に露出した石室
 (左側は隣の寺の塀)

後ろの階段横の崖に露出した石室

説明板がない。
福王子古墳群は17基確認されているそうだ。
滋賀県文化財学習シートには「大津北郊古墳群」として、掲載されている。

福王子大明神の後ろの階段の向かいにに大伴黒主神社がある。
ここにも古墳があるという。

大伴黒主神社登り口

祭神は 大伴黒主(六歌仙の一人)

登り口横に横穴式石室を再利用したような物置があったが、
詳しいことは不明。

百穴古墳
国指定史跡

滋賀県大津市
 (撮影日2008/5/4))

かなり急な斜面に横穴式石室がいっぱい並ぶ。

説明板後ろの斜面全体に横穴式石室がある。

横穴ではなく、
すべて墳丘を持つ円墳の横穴式石室が露出したものだという。
墳丘は崩れてしまっている。



これだけ石室がくっついているということは、墳丘も重なり合っていたのか?
64基の径10m前後の横穴式石室を持つ小円墳が確認されているが、
崩れたり、埋没したりしたものを含めると、100基くらいになるという。


古墳配置図 (説明板から)
●のところに説明板が設置されている。

 昭和16年(1941)国指定史跡となる。
説明板があるが、詳しいことは書かれていない。
古墳のナンバーも分からない。

百穴古墳いろいろ

 その1
 その1・石室上から
 その2

 その3

 その4

 その5

 その6

 その6の室内の石棺

 その7

 その8

 その9

 その10

 その11

 その12
 その13

天井石が大きいのが印象的。
このままだと、近い将来、全て崩れてしまうような気がする。

滋賀県文化財学習シートでは大津北郊古墳群として説明がある。

大津北郊古墳群(滋賀県文化財学習シートから)
比叡山の東側山麓部、大津市錦織から坂本にかけての地域は、県下でも屈指の古墳時代後期の古墳群の密集地域で、
福王子古墳群、大通寺古墳群、百穴古墳群、穴太野添古墳群、袋古墳群等30箇所余りの古墳群があり、
この中に約1000基以上の古墳があるといわれている。
  大津北郊古墳群の特徴
  1.横穴式石室の造り方は、石室の四壁を徐々に内側に傾けて石室をドーム状にし、
    最後に天井に大きな石を1ないし2個置いて構築するというもの

    (他の地域の一般的な横穴式石室は、石室の壁面を垂直に近い形で積み上げる)
  2.玄室の平面形が正方形や横長の長方形のものが多い。
    (他地域のものは長方形が多い)
  3.副葬された遺物にミニチュア炊飯具セットが含まれる場合が多い
  これらの特徴は、この古墳群が、大陸から日本に移り住んだ渡来人との関係が深いことを示している。

古墳のしくみ(説明板から)




ドーム上の天井


 桐畑古墳

滋賀県大津市滋賀里1丁目
 (撮影日2008/5/4))

百穴古墳から少し北に桐畑古墳がある。
石室の中に不動さんが祀られている。
百穴古墳と同じ丘陵の北側尾根東斜面に位置している。


桐畑1号墳全景
羨道の立派な天井石が残る。



桐畑1号墳玄室内部

天井石がないので明るい。
不動尊が祀られている。


桐畑1号墳・玄室から外を見る
羨道部天井石が大きい!

桐畑 1号墳
 直径20mの円墳
 石室は東に開口する両袖式
 玄室の長さ5m・幅3.1m・高さ3.6m以上
 羨道の長さ6m・幅1.4m・高さ1.6m

 石室の天井がドーム状
 玄室の天井石はなくなっている
 現在は玄室内に不動尊が祀られている。


1号墳背後の山の中にも石材が見えるが、確認には至らない。

説明板によると
桐畑古墳群は 熊が谷古墳群の支群で
6基の円墳が確認されている。
このうち3基から横穴式石室が見つかる。
古墳時代後期の築造と推定されている。
石室の天井がドーム状になっていることから渡来人の墓ではないかと言われている。

百穴古墳と同じ仲間の古墳のようだが、百穴古墳よりも造りが丁寧で規模も大きいような気がする。
どうなのだろうか?

 赤塚古墳
倭神社

滋賀県大津市滋賀里3丁目字天塚
 (撮影日2008/5/4)

「赤塚の明神さん」として地元では親しまれている。
本殿の改築のとき、花崗岩の板石が5、6枚発見された。
墳頂に本殿が建つ。


倭神社正面
周りより少し高くなっているが
古墳とは気づかない。
祭神は 倭姫(ヤマトヒメ・天智天皇の皇后)


赤塚古墳の墳丘
正面左側(東側)に前方部?


神社の由来の説明板には
円墳か前方後円墳
かは不明と書かれている。
円墳とすれば、直径30〜40m・高さ2.5〜4mほどの規模。
5世紀後半の築造と推定されている。

 穴太野添古墳群

滋賀県大津市穴太
 (撮影日2008/11/27)

図書館で滋賀県の地図を見ていたら、穴太野添古墳群が掲載されていた。

昭和44年、県道工事の前に、7基の古墳を発掘調査、昭和54年の分布調査で、152基の古墳が確認された。
昭和61・62年、墓地拡張工事の前に17基の古墳を発掘調査。


穴太野添古墳群配置図
(説明版から)

すべてが円墳
内部主体は1基を覗いて横穴式石室 
 31号墳は小石室



12号墳
発掘時、天井石は1石しかなかったが
奥壁から羨門までほとんど残っていた。

12号墳は両袖式横穴式石室で、
   玄室幅2.1m・長さ2.8m、羨道幅1.3m・長さ4.2m
6世紀終末〜7世紀の築造と推定されている。

手前・11号墳
奥・13号墳

15号墳
石室は見えない

16号墳

発掘時、玄室の天井石はなくなっていたが、
         羨道の天井石が残っていた。
床面には敷石がある。
棺台とみられる40cm四方の石が3個置かれていた。

16号墳は両袖式横穴式石室で、
 玄室幅2.1m・長さ3.1m、
 羨道1.1〜1.4m・長さ6m・高さ1.5m
17号墳


17号墳の墳頂に穴があいている!
穴にカメラを突っ込んで写して見ると ↓

17号墳石室が見えた!
花火の燃えカスがある。

穴太野添古墳群、 
  持ち送り技法を使った横穴式石室ミニチュア炊飯具の出土から渡来系の氏族の墳墓といわれている。

 平石古墳

滋賀県大津市日吉台
 (撮影日2006/10/23)

日吉台市民センターの前にある地図の中に、「平石古墳」と「茶臼山古墳」が出ている。

日吉台という住宅地の中に周りを削られて、古墳のあるところだけ丘として残っている。


平石古墳のある日吉台第3号公園

山の上に露出した石室が保存されているらしい。
以前は見学できたらしいが、
現在は柵ができて厳重に鍵がかかっている。

木の岡丘陵の背尾根筋に造られた、横口式石槨をもつ古墳時代終末期の方墳(標高140m)
石槨の形式が奈良県飛鳥の高松塚古墳や志賀町の小野妹子墓と類似している。
追葬施設に副葬された土師器から7世紀後半(白鳳時代)に造られたと考えられている。
石槨の規模は幅1.4m、残存長3.37m墳丘は南北5m・東西14m

日吉台・木の岡地区の地図y

茶臼山古墳
(木の岡古墳群)

滋賀県大津市木の岡町
 (撮影日2006/10/22)

茶臼山古墳は住宅地のはずれに、林として、残っている。

茶臼山古墳
現状は林だが、前方後円墳の形がよくわかる。

木の岡丘陵の最も南に位置している。
全長約83mの前方後円墳
三段築成
埴輪なし。葺石あり。
後円部約39m・前方部長約48m・幅約23.5m・高さ3.6m。
幅約5m深さ約1mの周濠が確認され、壺形土器が出土し、
5世紀の築造と考えられている。
木の岡茶臼山古墳の前方部側に、かつてもう1つの前方後円墳が存在した。
      (全長40m・後円部径21m・高さ2.5m・前方部幅10m・高さ1.5m)

 木の岡丸山古墳
(木の岡古墳群

滋賀県大津市木の岡町
 (撮影日2006/10/22)

この古墳は住宅地のはずれ、まだ畑の残るところにある。
正確には「木の岡下坂本陵墓参考地」という。または木の岡本塚・木の岡円山ともいう。
木の岡丘陵の最も高い所に位置している(標高146m)。

木の岡古墳のある林

案内板はない。

墳丘は後円部に比べ、前方部の長さが短く、前方部の高さも著しく低い
帆立貝形の前方後円墳全長73m
後円部径55m・高さ10m
前方部最大幅38m・長さ18m・高さ1.5m
埴輪なし。葺石あり。
東側に空堀があったと推定されている。



陵墓参考地なので、礼拝所がある

礼拝所の奥は真っ暗でどうなっているのかわからない。

天智天皇皇后陵として陵墓参考地となる。


木の岡丸山古墳の東側に陪塚的な円墳が3基あった。
  2号墳 径16m・高さ1.6m
  3号墳 径18m・高さ1.3m
  4号墳 径14m・高さ1.4m

木の岡丘陵の下の平地には車塚や鹿道古墳がある。
  車塚古墳 径25m・高さ3.3mの円墳  周濠・埴輪・葺石はない。
  鹿道古墳 径14.3m・高さ2.4mの円墳

 高峰遺跡

滋賀県大津市日吉台
 (撮影日2006/10/22)

弥生時代中期末の竪穴建物跡と古墳時代の古墳2基からなる複合遺跡。
第10号公園に保存されている。

高峰1号墳全景
左に2号墳が見える

1号墳は前方部を琵琶湖に向けた全長45mの前方後円墳
地すべりによって崩壊したため完全な調査ができなかったが、
埴輪や葺石をそなえた古墳時代中期のもの


高峰2号墳
古墳の上に国道新161号線の高架が通る。
2号墳径18m・高さ3mの円墳
古墳の頂上は平坦になっている。
中心の埋葬施設は木棺を直接埋めたもので副葬品は発見されなかった。




2号墳から1号墳を見る



古墳ではない高まりから2号墳を見る
奥に見えるのは1号墳



高峰古墳実測図(案内板から)

2号墳は円墳だが、前方後円墳のように整形されている。

古墳と重複するように発見された竪穴建物跡は、
いわゆる高地性集落(標高120m前後)と呼ばれるもので、
集落のまわりには防御用の環濠がめぐっていた。
建物内には巨大な砥石や未完成のやじりが発見されている。

 春日山古墳群
国指定史跡

滋賀県大津市堅田・衣川
 (撮影日2008/11/27)

「滋賀県の歴史散歩(山川出版社)」の新版に詳しい地図が載っていた。
妙法寺手前の道にかすれて字が読めなくなった「春日山古墳群」の木製の説明板。
次に、はっきりと字が読める立派な金属製の説明板。
妙法寺と岡入溜池の間の山道の奥にある。
以前に宅地開発を業者が試みて、失敗したとかで、その名残の石垣が残っている。
(中世の城の石垣の跡かと思ってしまった。)


春日山古墳群配置図
(説明板から)
堅田平野に面した丘陵上に築かれている。
5世紀代に築かれた前方後円墳の春日山古墳と
6世紀中ごろから7世紀初頭にかけて築かれた223基の後期群集墳で
構成されている。


春日山古墳は全長65mの前方後円墳
2号墳径30m・高さ3.5mの円墳
19号墳径29.6m・高さ4.5mの円墳

1号墳箱形棺
20号墳木棺直葬
他の古墳はすべて横穴式石室となっている。




春日山古墳実測図(説明板から)

全長65mの前方後円墳
後円部径32m・高さ6m
前方部長さ25.4m・幅20m・高さ3.5m
段築なし 埴輪なし 葺石なし 周堀なし
5世紀中葉の築造と推定されている。

春日山古墳
後円部から前方部

春日山古墳
前方部から後円部



春日山古墳の墳裾にある古墳
石室の石材が露出か?

春日山古墳周辺の地図y

 小野地区の古墳について

滋賀県大津市小野
 (撮影日2006/10/22)

小野地区の南半分にはローズタウンという大きな住宅街が広がっている。

小野神社の辺りは、開発の波がまだ来てなくて、昔の風情のままだ。
小野神社の参道前に付近の遺跡の大きな案内図がある。


@ 小野神社 ・同社内に小野篁神社あり
 本殿、重要文化財(室町時代)
小野神社古墳群、円墳、横穴式石室、円墳、箱式石棺、1基
A 石神古墳群 ドーム型玄室あり
円墳3基、石棺
B 小野道風神社 ・本殿、重要文化財(室町時代)
・道風神社古墳群、前方後円墳(34m)
 円墳(28m)、外1基
C 石釜古墳群
(石神西方550m)
・円墳14基(横穴式石室、玄室あり)
D ヨウ古墳群
(石釜の谷を隔てて南側)
・円墳3基(横穴式石室、玄室あり)
E 曼陀羅山古墳群 ・円墳10数基(横穴式石室)
・大津市側を含め117基
F 和邇大塚山古墳 曼陀羅山(193m)北山頂にある前方後円墳(72m)
・出土品、鏡、硬玉製勾玉、碧玉製管玉、銅鏃
G ゼニワラ古墳 円墳
H 唐臼山古墳
(小野妹子の墓)
横口式石槨
I タタラ谷遺跡 ・古代製鉄遺跡
J 知原遺跡 須恵器の窯跡 多数の須恵器の出土
K 曼陀羅山古墳群 34号墳 円墳(横穴式石室)
L 天皇神社 ・本殿、重要文化財(鎌倉時代)
・円墳2基
M 中畑遺跡
小野遺跡
・集落遺跡

絵地図なので、道がよくわからない。

 ゼニワラ古墳
(曼陀羅山古墳群

滋賀県大津市小野朝日2丁目
 (撮影日2006/10/23)

小野朝日2丁目の集会所のそばの公園から、林の中に少し入ったところにある。



ゼニワラ古墳全景

径20.5m・高さ5mの円墳
左片袖式の横穴式石室を持つ。

石室入り口
羨道はほとんど埋まっている
天井石の下、少ししか開口していない。
玄室の長さ4.42m・幅2.17m・高さ2.45m
羨道の長さ 4.3m・幅1.0 m・高さ(0.5m)
袖部幅0.8m


石室入り口
角度を変えて
 



      

ゼニワラ古墳実測図
標高149mの曼陀羅山山麓に所在する。
この山麓には総数117基で構成される曼陀羅山古墳群が形成されているが、
石室の規模は、曼陀羅山古墳群の中でも最大規模のもののひとつである。
古墳の年代は、出土した須恵器の杯身から
6世紀第V四半期(575年頃)と考えられる。
和邇・小野地域の最有力豪族の代表者のひとりか?
ゼニワラ古墳の奥に「大塚山まで800m」という案内板がある。
曼陀羅山山頂にあるという大塚山古墳。
どんな山道なのか?・・・・・。雨もポツポツ降っているし・・・・・。
今度にしよう。

 唐臼山古墳
(曼陀羅山古墳群

滋賀県大津市小野水明1丁目
 (撮影日2006/10/22)

ゼニワラ古墳の東にある。
小野朝日町の東隣の小野水明1丁目の、住宅街の真ん中に取り残された小山に、小野妹子公園がある。
その公園の頂上に小野妹子神社がある。 

小野妹子神社
小野妹子を祀るようになったのは
江戸時代以後だという。




この小さな社殿の後ろに石棺らしき石がかなり破壊された状態で残っている。

唐臼山古墳の破壊された石棺
知らないと、石棺とは気づかないほど
破壊されている。
石室は発掘調査された。
石室全長5.45m・幅1.6m・高さ1.21m
長方形の箱形石棺 横口式石室
奥壁石1枚・東壁石3枚・西壁石3〜4枚を立岩として連ね、
4枚ほどの天井石で覆ってあったと推定されている。
7世紀前葉

 
小野神社

滋賀県大津市小野
 (撮影日2006/10/22)

唐臼山古墳から北へ600mぐらいのところにある。
小野神社の参道をまっすぐ行くと小野タカムラ神社。
その左側にあるのが小野神社だ。

小野神社

古墳の上に建っている?

延喜5(927)完成の延喜式に「小野神社二座名神大」とあり
日吉神社と並ぶ官弊大社であった。
現在の社殿は、江戸時代に再建されたと伝えられている。
祭神は、
第5代天皇孝昭天皇の第一皇子、天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)と
その七世の孫、米餅搗大使主命(たがねつきのあめおみのみこと)
米餅搗大使主命は、王仁天皇の頃に日本で最初に餅をついた餅作りの始祖といわれ、
現在ではお菓子の神様として信仰を集めている。
この神社は、小野妹子、小野タカムラ、小野道風などを生んだ古代の名族小野市の氏神社である。
推古天皇の代に小野妹子が先祖を祀って創建したと伝える。
平安時代、小野タカムラ(802〜852)のときに、
同族が小野神社に集まって氏神を祀った事は「続日本後記」にくわしく載っている。

小野篁神社
小野神社の摂社だけれど、小野神社より立派。




石神古墳群

滋賀県大津市小野 
(撮影日2006/10/22
2008/5/4)

4基の円墳からなり、横穴式石室を有する古墳時代後半のもの。
2,3,4号墳は6世紀後半の築造


石神古墳群配置図(案内板から)



   石神古墳群データ
規模 玄室 羨道 袖部
1号墳 横穴式石室    長2.7m
幅1.50m
高1.02m
長1.80m
幅1.00m
両袖式
幅1.0m
1974年発掘調査
半壊
2号墳 円墳
横穴式石室
径10m
高さ2.4m
          道路により一部削平
半壊
3号墳 円墳
横穴式石室
径10m 長4.62m
幅2.57m
高2.95m
長1.3m
幅1.57m
高1.80m
両袖式
幅0.6m
完存
4号墳 円墳
横穴式石室
径8m 長3.90m
幅2.66m
高3.27m
長1.96m
幅1.25m
高1.20m
両袖式
幅1.2m
完存

石神1号墳 (撮影日2006/10/22)

1号墳はS49に発掘調査された。
1号墳の大きさ・形は不明
南南東に開口する横穴式石室がある。、
石材は砂岩と花崗岩のまるみをおびた川原石で、和邇川から運んできたものと考えられている。
出土した遺物は、主に須恵器の杯身、杯蓋、提瓶など。
7世紀前半ころ
の築造


石神1号墳の石棺
蓋石と底石らしき石が置かれている。



墳丘はない。

石神2号墳 (撮影日2006/10/22)

径10m・高さ2.4mの円墳
道路により一部削平されている。


石神2号墳全景

石神2号墳石室

発掘されていないのか、石室の規模のデータがない。

石神3号墳 (撮影日2008/5/4)

径10mの円墳
玄室の大きさは、長4.62m・幅2.57m・高2.95m


石神3号墳全景


石神3号墳は私有地のようなところにある。
金網の破れたようなところから入ると、お茶室があり、
お茶室のお庭に取り込まれるように石神3号墳がある。
お茶室もお庭も荒れ果てているが、元はここでどんな人たちがお茶をたてていたのだろうか?

石神3号墳石室入口

石神3号墳石室内部
石神4号墳 (撮影日2006/10/232008/5/4)

径8mの円墳
玄室の大きさは、長3.90m・幅2.66m・高3.27m


石神4号墳(撮影日2006/10/23)

石神4号墳(撮影日2008/5/4)


石神4号墳石室内部(撮影日2008/5/4)


右の三角は石材だが、
左の三角はタケノコ?


近江の遺跡トップ

トップページ