北村さんちの遺跡めぐり

東近江市2  八日市町北部

建部大塚古墳群 東近江市建部下野町
 (撮影日2014/9/21)

建部大塚古墳群は、建部大塚から建部南町に点在する。
建部大塚古墳群の特徴は、規模の大きな古墳が10基以上群をなしていることと、
  その分布が吉住池の東縁辺から大同川両岸の微高地に位置していることで、
     愛知川左岸中流域の水源地を管理していた人たちの墓と考えられている。
元は大塚支群3基・上日吉支群6基が確認されている。

大塚庵古墳は、建部下野町の県道52号線がカーブするあたりの西側にある。
目印だという半鐘の梯子は無くなっている・・・・。説明板がある。

 大塚庵古墳  (大塚支群) 東近江市建部下野町
(撮影日2014/9/21)
 現状で径15mほどの円墳 
  のひとつで、
    横穴式石室がある。
  古墳時代後期の築造と推定されている。
  羨道部や封土の一部を失っているが、玄室の長さ4.6m 高さ1.6m幅1.6m。  (説明板から)

東側から見た大塚庵古墳

南側から見た大塚庵古墳

石室入口 羨道部はなくなっている。

石室内部

建部大塚古墳は、大塚庵古墳から脇道に入り、南約50mにある。
そばで農作業をしていた男性に挨拶して見学。

 建部大塚古墳  (大塚支群) 東近江市建部下野町
(撮影日2014/9/21)
 現状で径10mほど。周囲を削られている。
  横穴式石室が開口している。    現存長5.7m、幅2.3m、高さ2m以上

石垣で補強された墳丘

庭の築山になっている。
石灯籠の向こうに開口部。

石室入口手前には
巨大な天井石が落下している。

石室入口 南側に開口している


石室内部

草だらけで、石が見えなくなっている。

建部日吉町公民館前の広場に上日吉1号墳がある。横穴式石室が完全に露出している。

 上日吉1号墳  (上日吉支群) 東近江市建部日吉町
(撮影日2014/9/21)
 墳丘はなく、横穴式石室が露出している。
  石室の長さは、現存長5mほど。

公民館前の広場にある石室

西から見た石室

天井石が並んでいる 内部は埋まっている

すぐ北にある日吉神社参道 

東近江市埋蔵文化財センターの前に、石室のみ移築復元されているのが、上日吉2号墳

 上日吉2号墳 東近江市山路町 埋蔵文化財センターに移築復元
撮影日2018/11/11
 上日吉古墳群 2号墳は  1辺9mの方墳
  横穴式石室がある。
 建部北町の圃場整備で発見されたが、
   現在は、石室だけが保存され、埋蔵文化財センターの前庭に移築復元されている。

案内板

移築復元された石室

 上日吉支群の1・3号墳は、発掘調査で
     6世紀末〜7世紀初頭の築造と推定され、鉄製武具、馬具や須恵器などが出土した。
            (説明板から)

瓦屋寺山古墳群 東近江市建部瓦屋寺町
 (撮影日2018/4/30)

瓦屋寺山古墳群については
東近江市のHP「東近江市の遺跡紹介」のリーフレット「箕作山東麓の遺跡」も参考にさせていただいた。

 瓦屋寺山古墳群
 東近江市(旧八日市市)建部瓦屋寺町の箕作山(ミツクリヤマ)の山麓にあ.る。
 箕作山の山中や山裾には、
  6世紀後半(古墳時代後期)の築造と推定されている古墳が数多くある。
  主に円墳で、横穴式石室が残っている。
 箕作山では、東麓だけでも
  瓦屋寺山古墳群、延命寺山古墳群、北山古墳などの古墳が見つかっている。
 中でも瓦屋寺山古墳群は、山中に57基ほどが確認されている。

 発掘調査は行われていないので、詳細不明。

瓦屋寺山古墳群配置図

(リーフレットより)


赤で示した古墳を見学した。

北山古墳は、箕作山(ミツクリヤマ)の東麓、八日市自動車車検場のすぐ南にある。

手作り感のある案内板

「郡」→「群」
 惜しい…

この案内板の後ろに北山古墳がある。
道路からすぐの所にあるので見学しやすい。

 北山古墳 (瓦屋寺山古墳群B支群42号墳)
 墳丘は不明瞭
  大型の横穴式石室は全長9.5m
   玄室長4.1m・幅2.2m・高さ3m  羨道長5.4m・幅1.4m・高さ1.8mの両袖式
  石室入口前の墓道が曲がっている。
  発掘調査では、排水溝が確認されている。
  昭和48年に土取り作業中に発見され、発掘調査後復元したもの
  7世紀の築造と推定されている。
 箕作山の東麓にある瓦屋寺山古墳群の1基。
 瓦屋寺山古墳群中、最大級の石室。

北山古墳 

石室付近だけが残っている

入口前の墓道が曲がっていて、
右奥に石室がある。

石室入口

羨道部  奥が玄室

羨道から玄室を見る

玄室の奥壁

玄室から入口を見る

瓦屋寺山41号墳は北山古墳の西50mにある。南の道路から石室の穴が見える。崖の上!

 瓦屋寺山41号墳
 墳丘は流出していて、横穴式石室が開口している。
  羨道の前側は破壊され、かなり埋まっている。
  玄室長4m・幅1.6m・高さ2m以上の片袖式

道路から見えるが、
高台の畑の奥の崖の上にある

開口部  羨道部はかなり埋まっている

羨道部の天井は
玄室の天井より低くなっている

玄室  奥壁の石がおもしろい! 

玄室から入口を見る
下の穴が羨道部

北山古墳の南西200mに、瓦屋禅寺へと登っていく石段の参道がある。

瓦屋禅寺 登り口

瓦屋禅寺は
聖徳太子が四天王寺建立に際し、
山麓の土を採って瓦18万8千枚を焼かせてその用に供した後、
この地に寺を建立し瓦屋寺と号したのが始まりとされている。
参道中腹には聖徳太子の腰掛石がある。
その周辺にも、多くの古墳があるようだ。
参道の南の集落の民家裏の3基の古墳を見学。

北から30号墳、28号墳、29号墳。

瓦屋寺山28・29・30・39号墳
瓦屋禅寺参道周辺の古墳
瓦屋寺山古墳群
 28号墳    石室の前に倒木があるが、立派な石室が残っている。

石室付近
 

石室入口

石室内部

石室内部から外を見る
28号墳墳丘
 30号墳  群中最大の円墳

石室が見える
 

かなり上に石室がある。

石室入口

石室内部
 29号墳

左側に石が見える

石室か

埋まっている。
 39号墳  麓近くの参道東側の南斜面に、石室が開口。

墳丘と開口部

奥壁

石室内部から入口を見る
片袖式石室だ

配置図には、ほかにも多数の古墳が書かれているが、はっきりと墳丘を確認できるものは少ない。

綾の森古墳 東近江市妙法寺町
 (撮影日2014/9/21)

旧八日市市の妙法寺町、東八日市変電所の東にある古墳。
現在は小さな神社となっている。


南から見た綾の森古墳

石室跡が神社となっているようだ。
神社名がわからない・・・・

石材の上に小社がある。
横穴式石室があるというが・・・?

斜めからみる。


西から見た綾の森古墳

墳丘の南半分が
    削られているというのが分かる。

詳細は不明・・・・。

八咫の森古墳 東近江市妙法寺町
 (撮影日2014/9/21)

綾の森古墳から南約400mの神社も古墳だという。墳丘はない。


八咫神社 東から見る

八咫神社社殿


八咫神社社殿の後ろは、
   地形が丸くなっている。


元は円墳?  

詳細は不明・・・・・。

熊の森古墳 東近江市妙法寺町
 (撮影日2014/9/21)

八咫神社から南東をみると、彼岸花で赤く染まった前方後円墳が見える。
前方後円墳なのに、詳しいデータが見あたらない。


八咫神社付近から見た熊の森古墳

彼岸花が咲いていて
      とてもきれいだ!

左(北)・後円部  右・前方部
全長30mくらいか?

南から見た熊の森古墳
手前・前方部  右奥に後円部

西から見た熊の森古墳
左・後円部

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る
ずっと奥に綾の森古墳が見えるかな・・
東側墳裾に立つ
「市邊忍歯別命(イチベオシハワケノミコト)山陵

      
 と刻まれた石碑

市辺皇子の陵墓という言い伝えがある。

市辺皇子は履中天皇の皇子で、
 いとこの大泊瀬皇子(後の雄略天皇)に
  この地に狩に誘われ、射殺されたと
    伝えられている。
 近くに宮内庁認定の市辺皇子陵墓があるが、
     この古墳は、それ以前の江戸時代に、市辺皇子の陵墓と考えられたという。

 池田古墳

滋賀県東近江市池田町
(旧八日市市)
 (撮影日200710/7)

池田の集落に近くなると、古墳らしきものが平地にポコンと見える。

池田古墳実測図(説明板から)

一辺23m・高さ5mの方墳
外護列石が見られる。
古墳時代後期(6〜7世紀)の築造。
南側に入り口を持つ横穴式石室がある。
 石材には丸い河原石が使われている。
 副葬品もない。


池田古墳全景
 

池田古墳南側から
  石室が開口している。

横穴式石室入り口

石室内部

池田古墳周辺の地図y

磐坂市辺押磐皇子御墓
(古保志塚古墳群)
八日市市市辺
 (撮影日2018/4/30)

 市辺の若宮神社すぐ東の県道沿いに二基の古墳が並んでいる。

北の道路から見た
  磐坂市辺押磐皇子御墓


右側に見えるのが
  帳内佐伯部売輪の墓
   (西側の古墳)


左方向に
  市辺押磐皇子の墓がある。

 古保志塚古墳群
 東側の古墳は、直径15m・高さ3.5mの円墳
 西側の古墳は、直径6.5m・高さ1.9mの円墳でともに横穴式石室がある
 古墳時代後期の築造と推定されている。

東古墳その1

西古墳その1

東古墳 墳頂に石

西古墳その2 方向を変えて見る
 磐坂市辺押磐皇子御墓
 当地に所在する古墳2基は、明治8年(1875)、
  市辺押磐皇子イワサカノイチノベノオシハノミコノハカ(磐坂皇子)
    ・帳内佐伯部売輪トネリサエキベノウルワ(仲子)の墓に治定され、
     現在は宮内庁書陵部の管轄下にある。
 日本書紀によると、安康天皇3(455)年に、
  天皇が暗殺された後に有力皇子たちの抗争が続き、允恭天皇の子大泊瀬皇子は、
  履中天皇の子市辺押磐皇子を近江来田綿の蚊屋野に誘い出して殺害し即位する(雄略天皇)。
 市辺押磐皇子の2遺児億計(兄)、弘計(弟)は、雄略天皇の追求を逃れて播磨に潜伏するが、
   やがて都にのぼり顕宗(弟)、仁賢(兄)天皇となる。
 顕宗天皇のとき、狭々城山君倭フクの妹置目の記憶により
  市辺押磐皇子及び帳内佐伯部売輪の遺骨が発見され、
  この蚊屋野の地に二つの墓が築かれたという。
 これらの記事から、この2つの古墳が2人の墓と定められた。


東近江市の遺跡 終わり

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