北村さんちの遺跡めぐり 
更新日2008/1/20

多賀町から東近江市へ
後編

大岡高塚古墳・金屋南古墳群・楢崎1号墳・四ツ塚古墳群・上蚊野八幡神社古墳
を見て宇曽川をわたり、祇園町に向かう。
午後の部スタート!

依智秦氏の里古墳公園のすぐ南に宇曽川がながれている。
宇曽川を渡ったところが祇園町。祇園古墳群がある。

 祇園古墳群・祇園東古墳群

東近江市(旧湖東町)祇園町
 (撮影日2007/10/7)

祇園町の東の高速道路をくぐったところに八坂神社があり、その境内に1基の古墳が残っている。

八坂神社




祗園西塚古墳
直径約8m・高さ1m余りの円墳



祗園西塚古墳天井石
石室は埋まっているようだ。


名神高速道路建設工事の時(1962年)に「祗園西塚古墳」として調査が行われた。
石室は、渡来人の古墳に多く見られる「階段状石室(羨道と玄室との間に段差を設ける)」という構造。
出土した須恵器から6世紀後半の築造と推定されている。

かつて祗園町には集落内に6基(祗園古墳群)
八坂神社境内に3基(祗園東古墳群)の古墳があった。
石材を抜き取られたり、ほ場整備事業や、名神高速道路の工事によって削り取られて、
今は八坂神社境内に1基の円墳が残るだけ。

付近の地図y

祇園古墳の南に見える森が平柳古墳のある天満宮だ。

 平柳古墳

滋賀県東近江市平柳町
(旧湖東町)
 (撮影日200710/7)



天満宮
昔は天神社といった。
古墳の霊を祭祀して天ツ神の天神社とあがめていたが、
  明治維新に祭神を菅原道真として天満宮となった。

左側(東側)の森の中に古墳が群れを成して残る。
平柳古墳は本来、17基の古墳から構成される古墳群だった。
現在は天満宮の境内に十数基確認されるだけ。
墳丘の残存状態がよい。
大小の古墳がくっついて存在し、群集墳の様子がよくわかる。


平柳古墳群・1番目




平柳古墳群・2番目



平柳古墳群・2番目
石室があったと思われる部分は埋められている。



平柳古墳群・3番目
石室らしいところが陥没している。




平柳古墳群・4番目
他にも古墳らしい高まりがあるが、10月なので、蚊が寄ってきて、早々に逃げ出した。

平柳古墳群から国道307号線を南にいったところに説明板があるのは、八之塚古墳群だ。

 八之塚古墳群

東近江市池乃尻・南花沢町
(旧愛東町)
 (撮影日200710/7)


八之塚古墳群は8基の円墳からなる7世紀代の群集墳。
愛知川の河岸段丘の上段に位置する。
現在確認できるのは、7基というが、確認できたのは5号墳だけだった。。


5号墳のはげた看板
群中最大で 高さが3.4mある。
5号墳を中心に他の古墳が配置されている。





5号墳の墳丘

「八之塚古墳群と地蔵院」という立派な説明板がある。


5号墳実測図(説明板から)



3号墳石室(説明板から)





4号墳実測図(説明板から)




八之塚古墳群配置図
八之塚古墳群の埋葬主体は横穴式石室で、
  羨道から玄室に至る間には階段がある可能性がある。
発掘調査の結果、7世紀の須恵器が出土。

古墳群の立地が、
愛知川を見下ろす墳丘上にあること、
古墳群の所在する地名が「池之尻」ということ、
すぐ北に恵美須池(えびすいけ)と呼ばれる古い溜池があり、この地域の水源となっていること
等を考えると、
水利を掌握した一族の墓群であった可能性も考えられる。
林の中は、虫が寄ってくる。
よく見て歩けば、他の古墳も見つかるのだろうが、
5号墳の写真を撮って、ここも早々に逃げ出した。

さらに南の池田町にも古墳がある。

 池田古墳

滋賀県東近江市池田町
(旧八日市市)
 (撮影日200710/7)

池田の集落に近くなると、古墳らしきものが平地にポコンと見える。

池田古墳全景




池田古墳実測図(説明板から)





池田古墳南側から
外護列石が見られる。
石室が開口している。


一辺23m・高さ5mの方墳
古墳時代後期(6〜7世紀)の築造。
南側に入り口を持つ横穴式石室がある。



横穴式石室入り口




石室内部
石材には丸い河原石が使われている。
埋葬主体部(木棺)はない。
副葬品もない。



愛知川から水を引き込んで潅漑を行う有力者の墓か?

東近江市の地図y

池田町の西の妙法寺町にも古墳があるというが、場所がよくわからないので、能登川の方に向かう。
途中、あいとうマーガレットステーションでトイレ休憩。(午後3時)

きぬがさ山トンネルの東側出口付近の水田の中に「狐塚古墳(現存3基)」があるというが、分からず。
きぬがさ山トンネルの上のきぬがさ山にも、「猪子山古墳群」があるという。
能登川病院の裏山あたりに、数基の石室が開口しているらしいけど、
   どこから登ればいいのかなぁと言いながら、きぬがさ山を一回り。
歩かないと登れないねー・・・・・・。
又今度来よう。

と、きぬがさ山の東出口に戻り、その南にある百々矢神社に向かう。

 百々矢1号墳

滋賀県東近江市山本
(旧五個荘町)
 (撮影日200710/7)



百々矢神社
祭神は応神天皇
弓矢の神様だそうな。
鳥居の左側にかなり変形した1号墳がある。



百々矢1号墳
周りは削られ、噴水なども作られている。
保存ということからいうと、×





墳丘上に露出した天井石
石室が開口している。




石室内部
ごみだらけ
以前は石室に入り込めたようだが、
今は入るところが見当たらない。
デジカメを石室に突っ込んで撮った。




古墳の説明は全く無い。
付近に住んでいる人も、ここが古墳だとは思わないのではないかしら。
能登川・五個荘の地図y


百々矢神社からまた北へ。
能登川病院近くの神郷町へ。

 神郷亀塚古墳

滋賀県東近江市神郷
(能登川町)
 (撮影日2007/5/3)


乎加(おか)神社
延喜式内社。
滋賀県神崎郡でもっとも古い記録の残る神社
本殿、幣殿、祝詞殿、玉垣、・拝殿、手水舎からなる明治期の建物は
国有形文化財。



乎加神社本殿
本殿は明治22年の伊勢神宮遷宮時に譲り受けたもので、
同25年に移築されたと伝えられる。

両側の地面から直立した柱によって屋根が支えられている。



神郷亀塚古墳は、鎮守の森の北側、乎加神社の社地にある



神郷亀塚古墳
前方部は削られて、細長い土手のようになっている。



神郷亀塚古墳は、
全長36.5m・高さ4m(現在3.6m)の前方後方墳
前方部14.5m・後方部22m
周囲に幅2〜12mの濠をめぐらせていた。
後方部に二つの埋葬主体部(木槨墓)がある。


木槨墓とは朝鮮半島から伝わった埋葬法で、板囲いの四角い部屋の中に棺を納める墓。
第1主体部(東側)の木槨墓・・・・幅1.3m・長さ4.6m・深さ1.2m
第2主体部(西側)の木槨墓・・・・幅1.15m・長さ3.5m・深さ1.1m
古墳の盛り土と二つの墓穴からは、きわめて小さく砕かれた土器の破片が数百点出土。(土器破砕祭祀の跡か)
最古級の前方後方墳がこの地で見つかったことで、邪馬台国が大和にあったという証拠だという説もあるそうだが、
  果たして真相は???

東近江市の地図

午後4時過ぎて、薄暗くなってきた。
神郷の南の正瑞寺にも古墳があるというので見に行ったが、暗すぎてよく分からず、
あきらめて、午後5時、家路に着く。


午後5時30分 米原ヤンマー付近通過
午後7時    敦賀平和堂にて夕食
午後10時   自宅到着

多賀・東近江  おわり

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