北村さんちの遺跡めぐり
更新日2012/9/11

滋賀県長浜市の横山古墳群と
古保利古墳群
2012/4/30〜5/1
その2  長浜市・古保利古墳群と 高島市・斉頼塚古墳

前日に横山古墳群と荒神山古墳を見学。ビジネスホテルいずみに宿泊。
二日目、朝食を頂き、午前7時50分 ホテル出発。

今日は古保利古墳群を踏破する。
高月の町をウロウロして、昼食を準備、 9時10分 宇賀神社駐車場 着。

長浜市の地図

山本山の南西にある宇賀神社の社殿横から登り始める。
10分ほどで、若宮山古墳に着く。

若宮山古墳
国史跡

長浜市高月町西阿閉
 撮影日2012/5/1

山本山の南に突き出た若宮山の丘上に立地。標高約159m。

若宮山古墳実測図
若宮山古墳は
前方部を西に向けた全長50mの前方後円墳
後円部径32m、前方部幅18m
前方部の狭い墳形や円頭埴輪の出土などから4世紀後半の築造と推定されている。
湖北地方で数少ない古式古墳。
葺石あり 埴輪も採集されている。
主体部は板石がみられることから、竪穴式石室と推定されている。

(文化財学習シートから)
若宮山古墳の南に隣接して1基の円墳が陪塚として知られていたが、
後円部背後墳端から小さな谷状の鞍部をはさんで北に約10mほど行くと直径約10m、高さ約1mの円墳
前方部の先へ約30m行くと直径約20m、墳頂平坦面径約10m、南側高さ約3m・北側高さ約1mの円墳が同じ尾根上にある
さらにそこから尾根上を南へ約50m下ると、直径15〜18m、墳頂平坦面径約10m、高さ約2mの円墳
計5基からなる古墳群を形成していることが判明した。
   (2010年度琵琶湖博物館研究セミナー 「前期小形前方後円墳の史的位置  用田 政晴」から)


若宮山古墳 前方部から後円部

若宮山古墳 後円部から前方部

若宮山古墳 盗掘坑

若宮山古墳 後円部の葺石

若宮山古墳の手前には、古墳状の高まりがいくつか確認できたが、本当の墳丘が特定できないので、写真は載せないことにする。

宇賀神社から登ると、若宮山古墳を過ぎた所に、柵があり、柵を越えた所に、若宮山古墳の説明板がある。(?)

山本山城跡

長浜市高月町西阿閉
撮影日2012/5/1

若宮山古墳から、高さ160m以上の登りは、急こう配でかなりきつい。休みながらゆっくり登る。
ゆっくり登って30分、10時ごろに、山本山城二の丸跡 着。   標高324.9m。

山本山からの眺望 


  左から竹生島、葛籠尾崎

山本山城の大手道は、山本山市場地区の中央部に位置する朝日小学校裏手の登り口と考えられている。
若宮山古墳を見たくて、南西の宇賀神社から登ったが、南東の朝日小学校から登った方が、登りやすかったのかもしれない。


山本山城 二の丸跡
 

山本山城 本丸跡
 

山本山城 本丸から堀切を渡る。
 

山本山城 一番馬場跡
 

山本山城 二番馬場跡

山本山城 馬の蹴跡
 山本山城が歴史に登場するのは治承4年(1180)に、
          山本義経の本拠である山本山城を平知盛・資盛が攻撃した時とされる。
 その後、京極氏の被官であった阿閉(アツジ)氏が入ってその本拠とした。
 元亀年間(1558〜1573)織田信長による浅井攻めに際しては、
      浅井氏の居城・小谷城の支城として位置づけされていたが、
       元亀4年(1573)阿閉貞征が織田信長に降ったことで小谷城は孤立し、
           浅井氏の滅亡の一因となった。
 阿閉貞征は秀吉の与力となり山本山城と伊香郡内の本領を安堵されたが、
   天正10年(1582)本能寺の変で明智光秀に加担して、秀吉方の長浜城を攻めた。
 しかし、山崎の合戦で光秀を破った秀吉に追討され一族全て殺され、山本山城は廃城となった。

山本山から北へ・・・ゆっくり下りて15分ほどで、古保利古墳群の最初の墳丘に到着。

古保利古墳群
国史跡

長浜市高月町
西野・熊野・片山・西阿閉地先

撮影日2012/5/1

   左(南)の山本山から、右(北)古保利古墳群へ・・・・・  東側の麓に下りてから写す。
      パノラマなので、実際とはちょっと違うかも・・・・。

 古保利古墳群配置図  (説明板から)

 琵琶湖の北端、塩津湾に面する細長い丘陵上に分布する。
 古墳時代初頭(3世紀代)から終末期(7世紀代・飛鳥時代)の築造と推定されている古墳が、現在132基確認されている。
 丘陵陵線上に約3kmにわたって築造されている。
 首長墓と考えられる前方後円墳8基・前方後方墳8基と、 円墳79基・方墳37基が確認されている。
 小松古墳は3世紀代・全長60mの前方後方墳で、中国製の銅鏡や銅鏃・鉄鏃・水銀朱などが発見されている。
 群中最大規模の西野山古墳は全長90m前後の前方後円墳で、
    築造時期は明らかではないが、立地・墳形から前期末葉の築造と考えられている。
              (説明板から)

  私たちは左から右へ(南から北へ)歩いたので、番号の大きい方から小さい方へ行ったことになる。
 便宜上、南から南地区・中央地区・北地区と分けたが、これは私が勝手に分けたもので、正式の分け方ではない。
ずらりと墳丘が並んでいるので、説明板のある墳丘以外は、特定が難しい。
説明板のあるところも、設置場所があいまいな所もあり、間違っている部分もあることを御容赦願います。

南地区配置図

31番 F-1 旭山古墳  全長32.5mの前方後円墳
30番 E-15 大谷古墳  全長40mの前方後円
29番 E-14 屋ヶ谷古墳  全長27mの前方後方墳
28番 E-9 熊野山古墳  全長27mの前方後方墳
27番 E-7 蝉谷古墳
26番 E-5 岩屋古墳  全長25mの前方後方墳
25番 E-1 上大谷古墳



 F-3号墳 円墳    最初に見た墳丘
 F-2号墳 円墳       2番目に見た墳丘

31番 F-1(旭山古墳)の前に説明板がある。

 31番 F-1号墳 (旭山古墳)     (南地区)
  全長32.5mの前方後円墳   後円部23.5m・前方部長さ10.5m・くびれ部幅8m・先端部幅11m
   前方部は短くあまり開かない。 後円部は不整円形で2段築成。墳丘は総体的に低い。
  主軸方向は N-35°-W。主尾根の高所標高250mに単独で立地。 
  古墳群で最高所に築造されている。

F-1号墳(旭山古墳) 後円部
向こう側に前方部がある。  

F-1号墳(旭山古墳) 前方部から後円部を見る
  
 E-18号墳

 
 E-17号墳

 
 E-16号墳  大谷古墳から見る 

 
 30番  E-15号墳 (大谷古墳)     (南地区)
  全長40mの前方後円墳 
   後円部径26×24.5m・前方部長さ17m・くびれ部幅11m・先端部幅15.5m
  後円部はやや不整円形で、前方部はややバチ形だが、さほど開かない。
 屋ヶ谷古墳の南側に隣接する。 主軸方向 N-10°-W 。  標高237m

E-15号墳(大谷古墳) 後円部から前方部を見る

E-15号墳(大谷古墳) 前方部側

29番 Eー14号墳(屋ヶ谷古墳)の前に説明板がある。 南隣りのE-15号墳(大谷古墳)の説明もある。

 29番 Eー14号墳 (屋ヶ谷古墳) 
 全長27mの前方後方墳  
   前方部長さ11m・くびれ部幅6m・先端部幅11m・後方部16.5×15m
  後方部は長方形で、前方部は短く、さほど開かない。
 標高224m。 主軸方向は N-1°-W。  

Eー14号墳(屋ヶ谷古墳)前方部斜めから後方部
 

Eー14号墳(屋ヶ谷古墳)前方部から後方部
 
 E-13号墳

 
 E-12号墳

 
 E-10号墳

28番 E-9号墳(熊野山古墳)の前に説明板

28番 E-9号墳 (熊野山古墳)
 全長27mの前方後方墳 
  前方部長さ10m・くびれ部幅8m・先端部幅12m・後方部17×16m
 主軸方向は N-19°-W   標高234m
 前方部は短く、あまり開かない 後方部は正方形に近い。

E-9号墳 (熊野山古墳) 

E-9号墳 (熊野山古墳)後方部 
 E-8号墳

 
 E-7号墳

 
 E-6号墳

E-5号墳(岩屋古墳)の前に説明板

26番  E-5号墳 (岩屋古墳)
 全長25mの前方後方墳 
  前方部長さ10.5m・くびれ部幅6m・先端部幅9m・後方部14×13.5m
 主軸方向は N-5°-W  標高223.5m
 前方部は低く、ややバチ形を呈するがあまり開かない。
くびれ部より先端部がやや高くなっている。後方部はほぼ正方形。

E-5号墳(岩屋古墳) 後方部
 

E-5号墳(岩屋古墳) 後方部から前方部を見る
 
 E-4号墳

 
 E-3号墳

 
 25番 E-1号墳 (上大谷古墳)
賤ヶ岳展望台まで、6km
片山まで、0.8km

 現在は、琵琶湖湖畔の片山地区から
  山をくぐるトンネルができているが、
   明治27年から昭和37年までは、
     片山の児童は山越えで
       古保利小学校に通っていた。
  その道が残っている。


24 D-42 黒見古墳  全長32.5mの前方後円墳
23 D-41 北谷古墳  全長29mの前方後方墳
22 D-24 井ノ裏古墳
21 D-10 南山古墳
20 D-7 堂谷古墳
19 D-6 堂山古墳
18 D-2 臼ヶ谷古墳  全長28mの前方後方墳
17 D-1 寺ヶ崎古墳  全長52.5mの前方後円墳
16 C-22
15 C-20
14 C-17 野瀬古墳  直径35mの円墳
13 C-16 大浦古墳  全長39mの前方後方墳
12 C-10 西山古墳
11 C-1

 D-43号墳 (24番の手前にある墳丘)
   
 
 24番 D-42号墳 (黒見古墳)
  全長32.5mの前方後円墳 
   後円部径21×20m・前方部長さ13.5m・くびれ部幅8m・先端部幅17m
  主軸方向は N-77°-W  前方部はバチ形に開き、やや低い
   

24番D-42号墳(黒見古墳)と23番D-41号墳(北谷古墳)の間に説明板 木が倒れていて説明板が折れそう!

 23番 D-41号墳 (北谷古墳)
  全長29mの前方後方墳  
    前方部長さ11.5m・くびれ部幅6m・先端部幅12m・後方部17.5×15m
   前方部は短く低くあまり開かない。後方部は長方形。
  尾根頂部付近の標高202m 前方部を北側に向ける。
   
 
 22番 D-24号墳 (井ノ裏古墳)

 
  D-23号墳

 
 
 20番 D-7号墳 (堂谷古墳)

 
 奥は19番(D-6号墳・堂山古墳)
      右手前は20番(D-7号墳・堂谷古墳)


 
 18番 D-2号墳 (臼ヶ谷古墳)
  全長28mの前方後方墳    
   後方部14×12.5m・前方部長さ14m・くびれ部幅6m・先端部幅11m
   墳丘が低く、前方部は細長く、さほど開かない。
  寺ヶ崎古墳より約30m南にある。主軸方向は N-11°-W。   標高182m。  

D-2号墳(臼ヶ谷古墳)とD-1号墳(寺ヶ崎古墳)の間に説明板

 17番 D-1号墳 (寺ヶ崎古墳)
  全長52.5mの前方後円墳  
   後円部径37×35m・前方部長さ18m・くびれ部幅12m・先端部幅23m
   後円部は2段築成  前方部は短く、ややバチ形に開く。葺石あり。
  主軸方向は N-65°-W  丘陵鞍部の標高178m

D-1号墳(寺ヶ崎古墳) 後円部
 

D-1号墳(寺ヶ崎古墳) くびれ部脇から前方部
 
 16番 C-22号墳
 15番 C-20号墳
 14番 C-17号墳 (野瀬古墳)
  直径35mの円墳    大浦古墳に南接する古墳群中最大の円墳
  2段築成 葺石あり

13番 C-16号墳(大浦古墳)前に説明板

 13番 C-16号墳 (大浦古墳)
  全長39mの前方後方墳 
   後方部22×19.5m・前方部長さ17m・くびれ部幅11m・先端部幅23m
  前方部は低く バチ形にかなり開く。
  主軸方向は N-9°-W  標高171m         
 
 
 12番 C-10号墳(西山古墳)
  C-5号墳  
 
 11番 C-1号墳

見晴らしのいい、坂道の段に腰かけて、昼食。涼しい風が吹いている。
北地区の配置図

10 B-16 木戸越古墳  前方後円墳
9 B-12
8 B-10 木戸古墳  円墳
7 B-6 小松古墳  全長60mの前方後方墳
6 B-4
5 B-1 ヘソ岩古墳  全長22.5mの帆立貝形前方後円墳
八ツ岩支群  後期群集墳
4 A-5 己ノ脇古墳
3 A-3
2 A-2 西野山古墳  全長78mの前方後円墳
1 A-1 深谷古墳
瀧ヶ谷古墳群
西野宮山古墳群
    B支群

10番(B-16号墳・木戸越古墳)の手前に古保利古墳群の大きな説明板がある。

 10番 B-16号墳 (木戸越古墳)       前方後円墳


 9番 B-12号墳
 8番 B-10号墳 (木戸古墳)   円墳

7番(B-6号墳・小松古墳)の前に説明板がある。

 7番 B-6号墳 (小松古墳)

小松古墳墳丘実測図

(滋賀県文化財保護協会 紀要15号
  小松古墳から見えてくるもの から引用)


全長60mの前方後方墳
   
   後方部34×29m・前方部長さ23m・くびれ部幅14m・先端部幅22m
  前方部は低く短くあまり開かない。
後方部は長方形を呈し、2段築成の可能性がある。
主軸方向はN-2°-W。  標高194mで主尾根の高所に立地する。
古墳群中最大の前方後方墳。
 発掘調査が行われている。
  盗掘坑から、2面の漢式鏡と銅鏃、鉄器類(鉄鏃・刀子・ヤス)、赤色顔料が出土した。
  墳頂部では大量の土器類を用いた埋葬儀礼が行われていたと考えられている。
  古保利古墳群では最も早い3世紀中頃の築造と推定されている。

小松古墳 前方部脇から後方部を見る

小松古墳 前方部から後方部を見る


小松古墳 後方部から前方部を見る 


小松古墳 後方部の盗掘坑 
   B-5号墳

奥に小松古墳がある。


 
 6番  B-4号墳







 
 5番 B-1号墳 (ヘソ岩古墳)
  全長22.5mの帆立貝式古墳。 小松古墳の100m北にある。




墳丘がよくわからない。

群集墳の八ツ岩支群のあたりに着いた!

分かれ道 

案内板には、
「遊歩百選」
  山本山まで、3.5km    賤ヶ岳まで、4.0km
  余呉湖まで、8.5km    西野水道まで、1.3km
とある。
西野山古墳を通り、賤ヶ岳まで行く道
湖側の深谷古墳に行く道
東側の麓に行く道
今私たちが来た、山本山に行く道    が、ここでぶつかっている。

 八ツ岩支群
  古保利古墳群の中で、横穴式石室を採用する後期群集墳。
  この中のA-22号墳は、朝鮮半島の高句麗に由来する横口式石室を採用するとともに、
    副葬品として多量の鉄滓が納められていた。
  A−22号墳の被葬者は、鉄生産に従事する渡来系氏族と考えられる。

八ツ岩支群 その1

八ツ岩支群 その2


八ツ岩支群 その3 石材が露出している
 

八岩支群の中を通り西野山古墳まで登る。かなりの急坂を行く。途中にも墳丘。

 4番 A-5号墳 (己ノ脇古墳)
     A-4号墳  円墳
 3番  A-3号墳  円墳

A-3号墳 墳丘

A-3号墳 墳丘上に石材が・・・・・?

2番  A-2号墳 (西野山古墳)の前に説明板

 2番  A-2号墳 (西野山古墳)
  全長78mの前方後円墳  
   後円部径51.5m・前方部長さ34.5m・くびれ部幅20m・先端部幅28m
   後円部2段築成 前方部はあまり開かない。
   くびれ部よりやや前方部寄りに造出がある可能性が高い。葺石あり
  主軸方向は N-46°-E。標高245mの主尾根の高所に単独で立地。
  群中最大規模で残存状況もよい。

 西野山古墳 後円部側

西野山古墳 後円部から前方部を見る


西野山古墳 前方部から後円部を見る


西野山古墳 後円部脇から前方部を見る

西野山古墳から、北にずっと行くと、賤ヶ岳に行く。
墳丘は、この先は無いので、引き返すことにする。
あと一つ、1番の深谷古墳は、西野山古墳の西にあるが、道がないので、
八ツ岩支群の所まで引き返し、琵琶湖寄りの道を進む。
西野山古墳からは15分くらい歩く。
A-1号墳(深谷古墳)には、説明板がある。

 1番  A-1号墳 (深谷古墳)
  全長35mの前方後円墳 
    後円部22×19m・前方部長さ16m・くびれ部幅8.5m・先端部幅16m
   後円部はやや不整形で2段築成、くびれ部は比較的細く、前方部はバチ形に開く。
   葺石あり。
  主軸方向は N-80°-W  標高158.5m
  古墳群の最北端に位置し、琵琶湖に張り出す尾根上に単独で築造されている。
  湖上交通を意識した立地となっている。

 深谷古墳 道路から見上げる

深谷古墳 後円部側


深谷古墳 前方部から後円部


深谷古墳 後円部の盗掘坑

八ツ岩支群まで戻り、東側のふもとに下りる。
下りようとしたら、石室が見えた。

 八ツ岩支群の石室開口墳

墳丘 石室背後から
 



開口部


石室内部

八ツ岩支群から東にふもとに下りる道があり、すぐふもとに到着。午後2時過ぎた。
獣除けか柵があって、出られず・・・・無理やりまたいで脱出。
さあ、ここから駐車した宇賀神社まで戻るのが大変だ。

 西野水道
県指定文化財

長浜市高月町西野
撮影日2012/5/1

ほりぬき公園の管理事務所にパンフレットが置かれている。

2代目の西野水道

初代にしてはきれいだと思ったら、
2代目だった。がっかり・・・・。
思い込んでいたので、初代は見てこなかった。
大失敗!

現在は3代目の大きなトンネルが通っている。
西野水道とは・・・。
賤ヶ岳山系が南へ延びて西野の西山という山のふもとに、琵琶湖に向かって貫かれている排水用の岩穴。
高さ約2m・幅1.5m・長さ259m、粘板岩の堅い岩盤を刳りぬいている。
西野の村と耕地を自ら守るために行われた大土木事業だった。

天保11年(1840年)能登から3名の石工がきて仕事にとりかかった。
最初は琵琶湖側から掘り始めた。
西側から掘った穴と、東側から掘った穴が途中でぴったりと合ったという。

宇賀神社まで歩き、車に乗って西野水道に来たのが3時ころ。
まだ帰るには早いので、高島市マキノの斉頼塚古墳を探しに行く。

高島市の地図g

 西牧野古墳群
斉頼塚古墳

高島市牧野町
撮影日2012/5/1

以前、探したが見つからなかった斉頼塚古墳。     前回のページ

周辺は以前と比べると、別荘がたくさん建っている。
西牧野古墳群には、別荘地からは、フェンスがあって入れない。

前回と同じ説明板のあるところから、フェンスを開閉して林の中に入る。
一帯は石材が露出した古墳がいっぱい!

西牧野古墳群
マキノ高原を流れる知内川の西側の標高134〜180m付近にある。
南北約200m、東西約130mの範囲に計47基の古墳がある。
現状で確認できる古墳の全てが円墳で、大きさは、直径約5.3〜21m、高さは0.6〜3m程。
主体部は、現在確認できるものは全て横穴式石室。周溝のある古墳も確認されている。
6世紀半ばの築造と推定されている。
この古墳群の北東約800mの所にある、150基以上の円墳で構成される北牧野古墳群とともに、
 最大規模の古墳群を形成している。
この中でも中心となる古墳は、斉頼塚古墳。
製鉄遺跡群が隣接して分布することから、製鉄集団と密接な関係があったのではと、想像されている。
大半は未調査。
(説明板から)

西牧野古墳群その1

西牧野古墳群その2

西牧野古墳群その3

西牧野古墳群その4

西牧野古墳群その5

西牧野古墳群その6

西牧野古墳群その7
前回も見たなぁ・・・・

西牧野古墳群その8

周溝があったような感じ・・・・・
他にも多くの墳丘がある、・・・・

探しまわるが、斉頼塚古墳は見つからない。
最後に小高い丘の上が残る。もう、ここしかない!・・・・・あった!

 斉頼塚古墳  

斉頼塚古墳石室実測図
   (滋賀県文化財保護協会 紀要20号
       楢崎1号墳の研究から引用)

斉頼塚古墳
 西牧野古墳群中の1基
直径13〜14m・高さ4mの円墳

 標高150mに位置し、
 墳丘の東南部には右片袖の横穴式石室が開口している。
  石室は全長7mの右片袖形。 玄室長5m・幅2.2m〜1.6m
 石室の奥壁中央部には、県内で唯一、九州の古墳によく見られる、石棚が造られている。
  畿内的特徴と九州の特色を兼ね備えた構造となっている。 

斉頼塚古墳 集落にのびる尾根の先端に位置する。
墳丘は 上の方だけ。

斉頼塚古墳  開口部
 

斉頼塚古墳 石室入口

斉頼塚古墳 石室内部

斉頼塚古墳 立派な石棚

斉頼塚古墳 石室内部から外を見る

斉頼塚古墳がみつかり、すっきりした気持ちで家路に着く。
時刻は午後5時少し前。
猿の一家が山に戻るのを目撃、獣除けの柵があっても、猿はすぐ越えてしまう。

道の駅「河野」でおみやげを買い、午後8時ごろ福井市のコパで夕食。
午後9時半帰宅。
帰りは高速料金を倹約、慣れた一般道で戻った。

横山古墳群と古保利古墳群  おわり

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