北村さんちの遺跡めぐり
更新日2011/2/25

京都北部の旅・その2
丹波から丹後へ
2010/11/21〜23

2010/11/22 
二日目は、京都府福知山市広峯15号墳から始まる。
AM 7:35 ホテル 出発

広峯15号墳
広峯古墳記念公園

福知山市東羽合
 (撮影日2010/11/22)

AM 7:40 着

福知山駅の真南500mの丘陵上に30基以上の広峯古墳群があった。
ほとんどか消滅しているが、
広峯古墳記念公園には、広峯15号墳を発見当時と同じ方向で実際の4分の3のスケールで復元してある。


広峯15号墳の復元墳丘



広峯15号墳
後円部の主体部が示されている。


こちらは2.5分の1の大きさで示されている。
調査時、土取りで半分近くが失われていた。
広峯15号墳は  全長40m・後円部径25mの前方後円墳
段築なし、埴輪なし、葺石なし
主体部は長さ10m・幅4mの墓穴に長さ3.6m・幅0.7mの木棺が直葬されていた。
棺は腐朽していたが棺内面には朱色が塗られていたと考えられる。
棺付近から 銅鏡1 碧玉製管玉2・鉄剣1・鉄斧1・鉄鉾1が出土。

銅鏡は「斜縁盤龍鏡」といわれるもので「景初四年・・・」と刻まれていた。
「景初四年」は実は存在しない!!

福知山の地図

長者森古墳(1号墳)
府史跡

福知山市旧夜久野町高内
 (撮影日2010/11/22)

AM 8:25 着
旧夜久野町高内の育英小学校校庭にある。
職員の方に了解を得て、見学。

学校入口側からみた長者森古墳
 
径23m・高さ5mの円墳
6世紀後半の築造と推定されている。

墳頂と校舎2階教室が同じくらいの高さで、授業の様子が見える。
子供たちに見つからないように・・・・
(説明板には墳丘に上がるなと書かれている。)

長者森古墳 校庭側に横穴式石室がある。

横穴式石室は全長13m
羨道長さ7m・幅1m・高さ2m 玄室長さ6m・幅2m・高さ3m
玄武岩を積み上げている。
明治37年、小学校建設時に発掘、保存。
須恵器や鉄製品などが出土。

長者森古墳 石室入口の石組

長者森古墳 石室内部

天井石はとても大きい。

牧古墳群

福知山市牧
 (撮影日2010/11/22)

AM 8:55 着
由良川と牧川の合流点から西北西の牧地区にある。
牧正一古墳、弁財1・2号墳、八幡古墳、道勘1〜4号墳、樋ノ口1〜11号墳などを合わせて牧古墳群という。

牧正一古墳
牧古墳群
市史跡

人名のような遺跡名は、この古墳が「正一位 吉備神社」の境内地に位置し、
古墳部分を含めて「しょういっつぁん」と呼び親しまれていることに由来する。

吉備神社

神社の小さな社殿(写真中央)の右横に墳丘がある。
昭和10年、道拡幅工事の際に石室が発見され、
石室から須恵器や土師器、金銅製馬具などが出土。

牧正一古墳
 
左側 後円部
右側 前方部

牧正一古墳実測図  (説明板から)

平成6年から8年の、遺跡保存のため確認調査で
 全長38mの前方後円墳と確認されて、
  元の姿をとどめていなかった墳丘を復元した。

葺石も確認されている。
もともと前方部と後円部のそれぞれに横穴式石室が確認されていたが、
  くびれ部にも石室が確認された。
一墳丘三石室という特異な古墳であることが判明した。
  (滋賀県の八幡社古墳を思い出す)
石室内部は未調査
後円部の第1石室 全長12m・玄室長4.7m・幅3m・羨道長7.3mの両袖式
前方部の第2石室 全長10m・玄室長4.6m・幅2.6m・羨道長5.4mの左片袖式
くびれ部の第3石室 全長7m・幅1.5mの無袖式

牧正一古墳後円部の第1石室

後円部の石室は石材がかなり露出していて
 羨道・玄室の位置が確認できるが
 他の2石室は、
 一部の石が露出する程度でよくわからない。

弁財1号
牧古墳群

牧正一古墳の北西200mの丘陵先端に1号墳がある。永明寺墓地駐車場のすぐそばにある。

弁財1号墳
径20m・高さ5mの円墳

 墳頂に厳島神社がある。
横穴式石室は玄室長さ5.5m・奥壁幅1.8m・高さ2m以上
羨道長さ3.8m・入口幅1.45m
鉄刀や金銅鈴、馬具、土器などが出土
なかでも八鈴鏡は径16.9cmで、貴重なものだという。

弁財1号墳 石室

ほとんど埋まっている。

弁財1号墳の墳頂の厳島神社

小祠の土台の石も天井石?
すぐ山側に2号墳がある。

八幡古墳
牧古墳群

弁財1号墳からすぐ、山道に入った左側に八幡社があり、その境内にある。

八幡古墳
 
小さな社殿の前に墳丘
径11mの円墳
墳丘は半壊。

八幡古墳
墳丘上には
 横穴式石室の石材が一部露出
石室もかなり壊れていると思われる。

弁財2号墳
牧古墳群

八幡古墳から弁財1号墳に戻るとき、両古墳の中間ぐらいに石室の石材らしいものを発見。

弁財2号墳

小さな墳丘の草むらの中に
 天井石らしき石材が数個露出している。

径10mの円墳
道勘古墳群は八幡古墳の奥にあるらしいが、見学しなかった。

稲葉山古墳
府史跡
三段池公園

福知山市猪崎・三段池公園内
 (撮影日2010/11/22)

AM 10:05 着

稲葉山古墳群は、現在三段池公園がある猪崎の段丘南端に位置し、
前方後円墳である10号墳を盟主とする10基からなる古墳群
前方後円墳1、方墳2、円墳7基

昭和31年、地元の高校生が発掘調査にあたり、保存整備されたそうで
「稲葉山考古館」と名付けられた屋根つきの立派な掲示板があるが、
掲示物は色あせて、説明文や写真は判読できなかった。
整備してもそれを守っていくことが大変な事なのだということを、考えさせられる古墳だった。

古墳そばで作業している男性が親切にして教えてくれたけれども、詳しい事は現地ではわからなかった。

稲葉山10号墳
手前後円部
奥 前方部
雑草が深く、なかなか墳丘に入り込めない。

稲葉山10号墳は 
 全長38m、後円部径24.5mの西向きの前方後円墳
後期後半の築造と推定されている。
消滅した9号墳の2基の箱式石棺が墳丘のふもとに置かれている。

箱式石棺   
雑草もありよくわからない

1号石棺は経塚に再利用されているとか・・・・
三段池公園には三段池の北側の体育館のそばに「古墳の丘」と名付けられた場所があるので見学に行く。
体育館周辺は、翌日の福知山マラソンの準備で忙しそう。
体育館脇から坂をのぼったところに古墳らしい高まりがある。
この辺りが「池の奥古墳群」といわれる所で、5号墳が府史跡となっているはず。
説明板を探すが見当たらない。


池の奥古墳その1

池の奥古墳その2

三段池公園には他にも監物山古墳群牛坂古墳群があるという。
それよりも現在「ウリ坊とみわちゃん」で人気の福知山動物園がこの公園にある。
時間があればみたいんだけど・・・・・。

私市円山古墳
国史跡(平成6年から)

綾部市私市町円山
 (撮影日2010/11/22)

AM 11:20 着

由良川を見下ろす丘陵上に築かれている。
舞鶴自動車道のトンネルの上に、私市円山古墳公園として整備されている。
昭和63年、舞鶴自動車道の事前調査で発見、トンネル化で保存。

私市円山古墳
 平地から見上げる。


自動車で行ける所まで上がる。

私市円山古墳
全長81mの造出を持つ円墳
径71m・高さ10m

三段築成 葺石あり
2列の埴輪列
造出は葺石で方形に区画され、
 その内側と外側に円筒埴輪を立てている。
造出では家形・短甲形等の形象埴輪や土師器も出土。
5世紀中ごろの築造と推定されている。

私市円山古墳
 墳頂から造り出し部を見る。


いい景色!


私市円山古墳
 造り出しの横から見た墳丘




私市円山古墳
 墳頂に示された埋葬部分


奥から
第1主体部
第2主体部
第3主体部

中央主体部(第2主体部)
 墓壙を2段に掘り組合式木棺を安置
 短甲・しころ・冑・鉄刀・鉄鏃・農工具・鏡・玉類・竪櫛などが出土
北側主体部(第1主体部)
 第1主体部の後、北側に隣り合うように、墓壙を2段に掘り組合式木棺を安置
 短甲、冑などの武具一式・金具・鉄剣・鏡・玉類・竪櫛等が出土。
南側主体部(第3主体部)
 小さな主体部で、鉄鏃と農工具がそれぞれまとめられた状態で出土

第1と第2の被葬者は親子か兄弟の関係か?

綾部市の地図

聖塚・菖蒲塚
国史跡

綾部市多田町取畦
 (撮影日2010/11/22)

PM 0:10 着

聖塚・菖蒲塚の二つ合わせて国史跡。
由良川の支流八田川が形成する吉美盆地に二基の大型方墳が並んで造られている。

南西側の聖塚
一辺54mの方墳 二段築成。
南側に造出があり、幅12mの周濠が巡る。
葺石あり・埴輪あり
明治時代に 
 彷製神獣鏡・冑・三角板革綴短甲・刀剣・
 矛・銛・鏃・勾玉・ガラス玉などが出土。
墳中期前半の築造と推定されている。


聖塚古墳の墳頂から墳裾角を見る。

周壕跡が田んぼになっている。


北東側の菖蒲塚古墳

一辺30mの方墳 二段築成
南側に二段に突出する特異な造出がある。
幅6mの周濠が巡る
葺石あり、埴輪あり
中期前半の築造で、
聖塚に先行すると考えられている


菖蒲塚古墳 南側から見る

手前 造出し部
墳頂はへこんでいる。
造り出し部の形は見た限りではよくわからない。

綾部市の市街地の「バザールタウン・アスパ」で食事。

久田山古墳群

綾部市里町
 (撮影日2010/11/22)

PM 1:15 着

久田山古墳群総数90基余りで構成される墓域で、弥生時代後期から古墳時代末までの墓が確認されている。
天文館の隣に、久田山H1号墳が保存されている。

久田山古墳群H1号墳
向こう側に前方部がある。

全長28mの帆立貝形古墳
後円部径18m
南側に幅10m・長さ7mの前方部がある。
 (説明板には造り出しのある円墳と紹介されている。)
5世紀の築造と推定されている。

久田山古墳群H1号墳
 右側前方部
H支群は、丘陵南西端に分布する10基からなる。
綾部市文化会館と天文館パオの建設でほとんど破壊された。
平成20年にはB支群が発掘調査され、完存・未盗掘の久田山B2号墳の横穴式石室から豊富な遺物が出土した。

札の前古墳

綾部市西原町
 (撮影日2010/11/22)

PM 1:35 着

西原町にある古墳その1。

道路から見た札の前古墳

中央の木が生えている部分



札の前古墳 墳頂に天井石が露出している。


由良川を見下ろす河岸段丘上に築かれた
径14mの円墳
未調査

申酉古墳
(さるとり)

綾部市西原町
 (撮影日2010/11/22)

西原町にある古墳その2。
札の前古墳の北、国道27号線の1本北を走る市道沿いの民家にある。

申酉古墳
民家の玄関横に横穴式石室が露出している。


奥壁がないのでどちらが入口か分からない。

径12.7mの円墳

申酉古墳 反対側(南)から見た石室

こちらが入口。


申酉古墳 石室内部

石室は現状で長さ7m、幅1.5mほどの無袖式

塩谷古墳群
塩谷古墳公園

京丹波町曽根字塩谷
 (撮影日2010/11/22)

PM 2:40 着

ため池整備事業の土取りのさい発見され、1989(平成元)年に発掘調査、12基の古墳が確認された。
5世紀末〜6世紀前半の築造と推定されている。

塩谷古墳公園

階段をあがったところに円墳が保存されている。

その中で最も大きい5号墳から巫女形埴輪2点が出土した。

塩谷5号墳

5号墳は径15.5mの円墳


出土した巫女形埴輪 (説明板から)

葬られた人に仕えるように立てられていた。
高さは約75cm

他に、円筒埴輪・形象埴輪、須恵器・鉄鏃・刀子などが出土した。


奥から2号墳 3号墳 4号墳

塩谷5号墳から見る


6号墳?

5号墳の次に大きい

向こうの南の丘は発掘中。


発掘中の塩谷南古墳群


塩谷古墳公園から見る。

塩谷古墳公園から、発掘中の古墳が見えたので、そのそばまで行ってみる。
発掘のためにつくられたらしい鉄板道路がある。
雨がひどくなってきたので発掘作業の人達はテントの中で休んでいた。
「塩谷南古墳群」と名付けられているときいた。
土器などが出土しているそうだ。発掘報告は来年度になるという。

発掘中の塩谷南古墳群

テントの上に古墳群がある。
京丹波市の地図

宮の浦古墳群
国史跡

京丹波町曽根字塩谷
 (撮影日2010/11/22)

PM 3:30 着
塩谷古墳公園の北側の田んぼの中にある。

宮の浦古墳群

右側 1号墳
(町史跡)  径25mの円墳
 削られて方墳のように見える。

左奥 2号墳  径11mの円墳


宮の浦1号墳の横穴式石室開口部

これは奥壁側で、
石材が抜かれて壊れた木材の扉がある。
物置として使われているのか?


宮の浦1号墳の石室内部

雨のせいもあり、真っ暗で熊でも出てきそうで怖かった。

石室は全長11.8m・玄室長4.1m・幅2mの片袖式
2号墳のことは忘れていて、そばまでは行かなかったが、
  墳丘上に横穴式石室の石材がいくつか露出しているそうだ。

雨がかなり降ってきたので、今日はここまでとし、舞鶴のホテルに向かう。

PM 4:50 ホテルアルスタイン 着
すぐそはにあるショッピングセンターで、お土産を買い、夕食を済ませ休む。

2010/11/23
三日目、用事を済ませ、丹後に戻ったのが午後3時。ぎりぎりまで丹後の見学。

与謝野町古墳公園

与謝野町字明石
 (撮影日2010/11/23)

PM 3:00 着

資料がもらえるのでまず見学。
2回目の訪問なので、さらっと終わろうと思ったが、じっくり見学してしまった。
はにわ資料館では豊富な埴輪や出土品の展示があり、楽しめる。
蛭子山古墳群は、全長145mの前方後円墳(1号墳)を含む8基からなり、その中の3基が国史跡
作山古墳群は、5基の中形古墳と1・2号墳に関係する26基の古墳周辺埋葬からなる。


与謝野町古墳公園配置図
(パンフから)




蛭子山古墳群

蛭子山古墳(1号墳)は、昭和2年の北丹後地震で後円部中央に地割れができ、
その中に埴輪が並んでいるのを発見、
昭和4年、災害復旧工事のとき、石棺を発見、その後3回発掘調査された。(1929・84・90年)


        駐車場(西)から見た蛭子山1号墳
          (左 前方部  右 後円部)


蛭子山1・2号墳実測図
 (はにわ資料館展示から) 

蛭子山1号墳は、
 全長145mの前方後円墳 (復元長170m) 
日本海側では第三位の大きさ
 後円部径100m・高さ16m、前方部幅62m・高さ11m。
 三段築成、葺石あり、埴輪列あり。
 古墳時代前期後半(4世紀後半)の築造と推定されている。

蛭子山1号墳後円部
 2号墳から見る


墳頂に石棺を展示した建物がある。

蛭子山1号墳の後円部中央から3基の埋葬施設と、2ヶ所の方形埴輪列が発見された
第1主体部(中央)は、巨大な墓壙内に砂利を厚く敷き詰め、その上に花崗岩製の舟形石棺を安置。
  盗掘されていたが、内行花文鏡・鉄製太刀・鉄製武器類などが出土。
  埴輪列は墓壙を埋めた後、溝を掘って樹立されていて、33本の埴輪が出土。
第2主体部(東)は全長4.6mの竪穴式石室で、石室を埋めた後16本の埴輪を並べていた。
第3主体部は木棺を直葬、埴輪列はない。

蛭子山1号墳・後円部頂の
 覆い屋の中に展示してある舟形石棺


全長3.1mの舟形石棺
加悦谷産の花崗岩なので
地元で作られたものとみられている。

1号墳から見た蛭子山2号墳

蛭子山2号墳
蛭子山1号墳の後円部と接するようにある。

一辺42mの方墳
2段築成、造出あり。
葺石、埴輪列が確認された。

蛭子山3号墳

2号墳の東隣にある。
遊歩道のそばにある。

蛭子山3号墳は、一辺15mの方墳
その他、蛭子山4〜8号墳は、全て小方墳

作山1号墳から見た蛭子山古墳群

中央に蛭子山1号墳後円部
その右に2号墳

蛭子山古墳群出土の埴輪 はにわ資料館内展示から
左から
朝顔形埴輪(2号墳) 朝顔形埴輪(1号墳) 鎧甲形埴輪(1号墳) 家形埴輪(1号墳)

 

作山古墳群

  
昭和4年に1号墳の石棺を発掘調査、平成元年に整備のための事前調査。
5→1→2→3→4号墳の順に築かれたと考えられている。
4世紀後半〜5世紀初めの築造と推定されている。

使われている埴輪や石棺の材質などで共通する点が多く、築造された年代は近いと考えられている。


蛭子山1号墳からみた作山古墳群

右 作山1号墳
左 作山2号墳

手前の建物は、はにわ資料館




右奥 作山2号墳
その前 作山3号墳
左手前の石積みは作山4号墳





作山1号墳 西側から見る。



作山1号墳
 全長36mの造出付円墳。 円部は径30m・高さ4m

 2段築成
 葺石あり
 墳頂や段上に埴輪列がある。
 古墳の中央には副室付の組合式石棺を直葬。
 墳丘の周囲には木棺・埴輪棺・土器棺などの周辺埋葬が15基存在。
 
作山1号墳の組合式石棺
墳頂に展示されている。

地元産の花崗岩を板状に加工。
棺の全長2.66mで、内部は2室に分かれ、
 主室に熟年男性の遺骸を安置、銅鏡1・石釧2・玉類50がが出土、
 副室からは、鉄剣12・鉄斧2・鉄小刀4・鉄鎌1などが出土した。

作山1号墳の造出部

造出部の先端部分は作山5号墳と重なる。

作山5号墳は、
1辺13m・高さ2mの方墳
葺石・埴輪なし。 1号墳に重なる。
木棺直葬で棺内からは銅鏡・石釧・玉類が出土。


作山1号墳の周辺埋葬の一つ・埴輪棺墓
埴輪棺に使われている埴輪は1号墳の埴輪と同じものである。

作山1号墳の周囲には
木棺墓6基・埴輪棺墓6基・土器棺墓1基・土壙墓2基がある。


作山1号墳出土の埴輪
 はにわ資料館内展示から

 左 合子形埴輪
    (蓋の付いた容器の形)
 右 円筒埴輪
    (丹後独特の形をしている)

作山2号墳

 直径28mの・高さ3.5m円墳。埴輪列あり。葺石なし。
 墳丘の周囲に木棺や埴輪棺などの周辺埋葬が11基確認。


作山2号墳の墳頂の埴輪復元



作山3号墳

1辺17m・高さ2mの方墳
葺石・埴輪なし。





作山4号墳
全長30m・高さ3mの前方後円墳

葺石あり。埴輪なし。

作山4号墳の後円部




      蛭子山古墳群と作山古墳群・実測図  (説明板から)


  蛭子山古墳群
蛭子山1号墳 全長145mの前方後円墳 (復元長170m) 日本海側では第三位の大きさ
後円部径100m・高さ16m、前方部幅62m・高さ11m。
三段築成、葺石あり、埴輪列あり。
3基の埋葬施設がある。
蛭子山2号墳 一辺42m・高さ4.75mの方墳
 
2段築成、造出あり
  葺石、埴輪列が確認された
蛭子山3号墳 1辺15m・高さ1.5mの方墳
蛭子山4〜8号墳  3号墳の南に連なっている。
それぞれ小さな方墳で、現在林の中に保存されている。


  作山古墳群
作山1号墳 全長36mの造出付円墳。
円部は径30m・高さ4m

葺石・埴輪列がある。
古墳の中央には副室付の組合式石棺を直葬。
墳丘の周囲には木棺・埴輪棺・土器棺などの周辺埋葬が15基存在。
作山2号墳 直径28mの・高さ3.5m円墳。埴輪列あり。葺石なし。
墳丘の周囲に木棺や埴輪棺などの周辺埋葬が11基確認。
作山3号墳 1辺17m・高さ2mの方墳。葺石・埴輪なし。
作山4号墳 全長30m・高さ3mの前方後円墳。葺石あり。埴輪なし。
作山5号墳 1辺13m・高さ2mの方墳。葺石・埴輪なし。 1号墳に重なる。
木棺直葬


滝岡田古墳
町史跡

与謝野町(旧加悦町)滝
 (撮影日2010/11/23)


こちらも2回目の見学
以前より、古墳の周りが整備されたよう

滝岡田古墳

滝集落背後の平野を見下ろす段丘上に立地している。

1984年の発掘調査で、天井石を失った大型の石室が発見された。


滝岡田古墳


20mの円墳



滝岡田古墳石室入口
近づくと明りがともる。

右片袖式の
横穴式石室
全長9.82m・玄室長4.12m・幅2.26m・高さ2.44m
羨道長5.7m・幅1.88m
多数の須恵器のほか、
 鉄刀、鉄鏃などの武器、轡などの馬具類、金環などの装身具が出土。


滝岡田古墳石室内部

奥壁は2段積み、玄室床面には河原石が敷き詰められ、
    主軸に沿って排水溝が設けられている。
玄室は奥に行くほど狭くなっていて、奥行きがあるように見せている。
金銅装太刀、馬具など加出土。

出土した須恵器から、6世紀末〜7世紀初めの築造と推定されている。


滝岡田古墳出土の金環

  はにわ資料館展示から 

滝岡田古墳群出土の馬具

  はにわ資料館展示から 


 

新戸古墳
市指定文化財

京丹後市大宮町奥大野
 (撮影日2010/11/23)

  
ここは3回目の訪問となる。以前の2回はともに説明板は見つかるけれども、石室が見つからず・・・・


丸いミラーの左に説明板
背後の森が新戸古墳



説明板の真上あたりに石室が開口している。





新戸古墳 前方部から見た後円部

墳丘はしっかり残っているようだが、
竹が生えていてかなり荒れている。

新戸古墳は

全長35m、後円部径21mの前方後円墳

今回は石室が見つかるまで探す覚悟でのぞむ。
そんな大きな古墳でもないのにどうして石室が見つからないのか?
HP「古墳とかアレ」さんの地図で石室の場所を確認、ようやく崖の途中にある石室を発見!


新戸古墳石室開口部  


崖っぷちで危険なところに開口

新戸古墳石室内部


両袖式の横穴式石室は、全長7.2m以上、
玄室長6m・幅2.1m・高さ3.4m 羨道長1.2m以上・幅1.2m

奥壁のほぼ中央に、奥行1.3mの巨大な石棚がある。

石室内部から外を見る


石材が落ちていて危ない
砂も入り込んでいる。
もう少し整備してほしいかな。


丹後の地図

  

赤坂今井墳墓
国史跡

京丹後市峰山町石丸
 (撮影日2010/11/23)

  
丹後半島最大の平野部である中郡盆地から日本海へ抜ける、狭隘な谷筋に面した標高55mの丘陵先端部に立地する。
赤坂今井墳丘墓は16世紀の山城造りで一部削られているものの、
ほぼ当時の姿を伝える
北近畿最大の方形周溝墓
墳丘は東西36m・南北39m・高さ3.5mでほぼ正方形に近いきれいな形をしている。
墳頂平坦面は広く、南北27m・東西25m
墳丘裾部には、四方に幅5〜9mの平坦面をもつ。特に西側平坦面は幅9mあったと確認されている。
これら平坦面を含めた
墓域は南北51m・東西45mとされている。
弥生時代終末期前後、すなわち3世紀前半頃の築造と推定されている


赤坂今井墳丘墓の測量図

(『シリーズ遺跡を学ぶ・北近畿の弥生王墓・大風呂南墳墓』から)

墳丘の背後(西側)を大きく切断し、
  その切断にともなう土で墳丘を方形に盛り土した。
墳丘裾部の平坦面には、各辺に埋葬施設が造られている。
墳頂部に、6基の埋葬施設がある。
墳裾部は、19基以上の埋葬施設がある。(部分的にしか調査していない)

埋葬施設の様子
墳頂部
  第1主体部
(中心埋葬
)
 墳丘の中央部からやや西寄り墓壙長さ14m・幅10.5m・深さ2mで
  弥生墳墓の埋葬施設としては全国最大。
 その上面西側で検出された南北に並ぶ柱穴列は、埋葬儀礼に伴う施設と考えられる。
 墓坑上面からは円礫と破砕された土器が出土した。
 これらは埋葬後に捲かれたものとみなされ、
  土器は庄内式の古段階に併行する時期の特徴を有している。
 墓壙に置かれたくり抜き式の船底状木棺は、全長7m・幅2m。
 木棺内部は調査していない。
  第4主体部  第1主体を切り込んで作られている。
 墓壙は長辺7m・短辺4.2m・深さ1.8mで、
  その上層では、第1主体部と同様に円礫と破砕された土器が出土。
 土器は第1主体部と同じ時期のものである。
 墓壙底から、全長4.4m・幅1.3mのくり抜き式の船底状木棺が出土
 朱が敷かれている棺内から
  鉄剣1点、ヤリガンナ1点及び頭飾り・耳飾り一式(勾玉30個以上・管玉182個以上)が出土。
 頭飾りは着装された状態で、ガラスと碧玉製で三連に連なっており、
  布などに編み込んでいたと考えられている。
 ガラス管玉には、
  古代中国の顔料で「漢青」の主成分として使用されたケイ酸銅バリウムが含まれていた。  
第2主体部  くり抜き式の船底状木棺
第3主体部  箱形組合せ式木棺 破砕せずに甕を供献
墳丘裾部  墳裾部は部分的にしか調査していないが、
  大小の木棺墓・土坑墓・土器棺墓など19基がを確認されている。


築造には大規模な土木工事が行われ、埋葬施設における副葬品のあり方も明らかとなった。
平成12年度より、発掘調査。


赤坂今井墳丘墓


日暮れてからの写真だ。




以上、現地説明板・HP京丹後ナビ・シリーズ遺跡を学ぶ「北近畿の弥生王墓大風呂南墳墓群」などを参考にさせていただきました。

2016/12/16に加筆しました。

  

赤坂今井墳丘墓を真っ暗な中、見学。
帰路に着くこととする。
午後5時15分を過ぎて、いつ自宅に着くのやら・・・・。
PM 6:30 舞鶴とれとれセンターは休業日でトイレだけ借りる。
PM 6:50 舞鶴東IC
       〜
PM 7:08 小浜西IC
PM 7:25 小浜市の「こく亭」にて、こくラーメンの夕食
       きざんだネギがどんぶりいっぱい出てきて、美味しいラーメン。
PM 8:45 敦賀IC〜美川IC(北陸自動車道)
PM 10:15 自宅着   今回はなんと  1146km 走った。


京都北部の旅  おわり

  

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