北村さんちの遺跡めぐり
更新日2011/11/25

京都市内の旅
山科と嵯峨
その1
2011/9/28、29

京都市内は歩かないと見学ができない。
がんばって歩こうと覚悟を決め、旅行を計画。
インターネットで公開されている京都市遺跡地図を参考に見学順を考えた。
    京都市遺跡地図

2011/9/28
午前7時、徳光PAから、MKツアーランドの高速バスで 京都へ。
   (MKツアーランドは金沢-京都 往復一人4000円)
尼御前SAでもう一人の乗客を乗せ、ほぼ満席のバスは、
南条SA、草津SAでの休憩を経て、
10時45分、京都駅前着

JR東海道本線で京都駅から山科駅へ     180円×2

地下鉄東西線で山科駅から椥辻駅へ      210円×2

椥辻から西へ折上神社まで歩く。

中臣群集墳(十三塚)

京都市山科区勧修寺付近
 (撮影日2011/9/28)
遺跡地図88・遺跡番号632

山梨区の勧修寺町周辺にはかつて13基からなる中臣群集墳(十三塚)が存在した。
現存するのは、稲荷塚と宮道古墳の2基だけとなっているが、坂上田村麻呂墓も入れて紹介する。

山科区の地図    

坂上田村麻呂墓

京都市山科区勧修寺
 (撮影日2011/9/28)
遺跡地図・遺跡番号632-5

勧修小学校の北隣りに、「坂上田村麻呂公園」という児童公園があり、
公園の半分くらいが坂上田村麻呂墓として整備されている。

坂上田村麻呂墓
墓の前に立つ石碑には
「征夷大将軍 正二位 坂上田村麻呂之墓
  と刻まれている。
この墓は明治20年平安遷都千百年祭に際し整備された。

見た目には小さな円墳。
平安時代初期の武将・坂上田村麻呂は、奈良時代の天平宝字2年(758)に、武将の坂上苅田麻呂の子として生まれた。
延暦20年(801年)、蝦夷地を平定するために征夷大将軍に任命され、遠く陸奥に出兵し、これをおさめて功績をあげた。
京にあっても弘仁元年(810年)の薬子の乱などに活躍し、官職は右近衛大将になった。
弘仁2年死去。54才。
この地で葬儀が行われ、嵯峨天皇の勅によって甲冑・剣や弓矢を具した姿で棺に納められ、平安京に向かって立ったまま葬られた。
田村麻呂は仏教の信仰も深く、清水寺を創建したことでも有名。
         (説明板から)

坂上田村麻呂墓

斜め横から



近年、山科区にある「西野山古墓」が、坂上田村麻呂の真墓であることが判明したというニュースが伝えられた。
西野山岩ケ谷町にある「西野山古墓」は、大正8年(1919)に偶然墓穴が発見され、
木棺内部から純金で装飾された大刀や金銀の鏡、鉄鏃などの副葬品が出土した。
8世紀後期〜9世紀前期の築造と推定され、
清水寺に残る文書の内容と一致、
時代的にも坂上田村麻呂の時代と一致、
被葬者が高位の武人であることを推定させる豪華な副葬品からも、
坂上田村麻呂の墓と特定したということだ。

宮道古墳
中臣十三塚

京都市山科区勧修寺栗栖野町
 (撮影日2011/9/28)
遺跡地図・遺跡番号632-3

勧修小学校の西150mの住宅街の中にある。
「宮道朝臣列子墓(みやじのあそんれっしのはか)」と伝えられている。

宮道古墳

径26mの円墳
主体部は不明、

「中臣十三塚」といわれる古墳の一つと考えられていて、
後期の古墳と推定されている。
宮道朝臣列子は、醍醐天皇の母方の祖母である。

宮道古墳 墳頂

新しい列子の供養塔は、平成19年(2007)、
大宅寺に奉安されている列子の両親と同サイズの塔を建立し奉安したものという。

宮道古墳 空堀が残る
  

折上稲荷神社
稲荷塚古墳
市史跡

京都市山科区西野山中臣町
 (撮影日2011/9/28)
遺跡地図・遺跡番号632-1

伏見稲荷から稲荷山を通して一直線に拝める場所にあり、
古くから伏見稲荷の「奥の宮」として信仰されているという折上稲荷神社。
この境内に古墳がある。

折上稲荷神社

和銅4年(712)社殿を建立

山科稲荷、伏見稲荷奥の宮とも呼ばれる。

鳥居の左奥に見える林が稲荷塚古墳



折上稲荷神社の拝殿と、その奥の社殿
稲荷信仰の主神である倉稲魂神ほか二柱を祭神とする。
長寿開運、商売繁盛の神として広く信仰を集めている

社名「折上」は「織上げ」に通じるところから
西陣の織物業者のふかい信仰をうけている。

折上稲荷神社は、「働く女性の稲荷さま」としても知られている。

稲荷塚古墳全景

径18m・高さ3mの円墳



稲荷塚古墳
 墳頂


五社稲荷神社となっている。




稲荷塚古墳 
後ろ側


古墳らしい形を見ることができる。



折上神社から椥辻まで歩いて戻る。
山科区役所近くの寿司屋「美松」で昼食

天智天皇陵(山科御廟野古墳)も見学したいが、墳丘を見られるわけではないのでであきらめる。

地下鉄東西線で椥辻駅から京都市役所前駅へ      280円×2

市役所の門番(?)のおにいさんに市バスのパンフをもらう。
バス停が判らなくてウロウロ・・・・。

市バス・205号で、京都市役所前から下賀茂神社前へ
バスの車内で、市バス専用1日乗車カードを購入     500円×2

下鴨神社

京都市左京区下鴨東半木町
 (撮影日2011/9/28)

正式名称を加茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)という。
京都を流れる鴨川と高野川に挟まれた三角地帯に位置する。

上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命の母の玉依姫命と
玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀ることから
「賀茂御祖神社」と呼ばれる。

付属施設に糺の森、みたらし池がある。


賀茂御祖神社(下鴨神社)






本殿入り口





御祭神の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は古代の京都山城を開かれた神様。
玉依媛命(たまよりひめのみこと)は賀茂建角身命の子ども。
平安京の造営に当たって、下鴨神社で造営祈願が行われた。
玉依媛命の子どもの賀茂別雷大神は上賀茂神社の御祭神で、
下鴨神社と共に賀茂神社と総称され、京都三大祭りの一つ葵祭(賀茂祭)が両社で催される。


重文 神服殿
媛小松
「ちはやぶる 鴨の社のひめこ松 よろずよふとも 色はかわらじ」
          (古今和歌集 藤原 敏行)
夏・冬の御神服を奉製する御殿であったので、
 「神服殿」と呼ばれる。


糺の森の祭祀遺構復元

河原石を数個集め壺状に築いた中へ
 楕円形の河原石を直立させた遺構



糺の森の祭祀遺構復元 石敷き遺構


下段にこぶし大の河原石を丁寧に敷き並べ、
 その上に清浄な黄褐土でおおって祭壇とする。

平安後期の遺構と推定されている。
江戸時代の土器や銭貨(寛永通宝)を納めた遺構も出土しているという。

3年前に亡くなった実家の父が下鴨神社の前で食べた餅を食べたいと言っていたのを思い出す。
「えびす屋加兵衛」で矢来餅を買い、帰宅してから父の墓に供え、残りは美味しく頂いた。

矢来餅の「えびす屋加兵衛」


市バス・4号で、下賀茂神社前から上賀茂神社前へ    
ぐるっと回って行くバスだった。19停留所目で、約30分の乗車。

上賀茂神社

京都市北区上賀茂朝露ケ原町
 (撮影日2011/9/28)

正式名称を賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)という。

賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社で、賀茂神社(賀茂社)と総称される。
賀茂神社両社の祭事である葵祭で有名である。

賀茂氏の祖神である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を祀る。
「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味である。(ウキペディアから)

上賀茂神社

下鴨神社に比べるととても明るい。

重文 細殿と
 立砂

立砂は、
ご祭神が最初に降臨されたという
 本殿の後ろ2kmにある円錐形の神山にちなんだもので、
 神様が降りられるより代である。


本殿入口にある小さな棚尾神社も重要文化財



加茂曲水の宴開催地 渉渓園

昭和35年、曲水の宴を復活させようと、平安時代末期頃の庭園として造られた。

その後荒廃したが、平成6年、平安建都1200年に曲水の宴が復活した。


現在は曲水の宴は催されているのだろうか?

市バス・4号で、上賀茂神社前から四条河原町 
乗換で
市バス・205号で、四条河原町から清水道へ

清水坂を上がって清水寺へ

京都市中心部の地図

清水寺

京都市東山区粟田口東大谷山町
 (撮影日2011/9/28)

奈良末期778年に僧延鎮が開山し、平安建都間もない延暦17年(798年)坂上田村麻呂が仏殿を建立したと伝える。
現在の建物の多くは、寛永8年から10年(1631年から1633年)、徳川家光の寄進によって再建されたもの。


清水寺
左 仁王門
右 西門 その後ろに三重塔






夕暮れの清水寺の舞台
手前が修理中

アテルイとモレの顕彰碑

平安遷都1200年を記念して、
1994年(平成6年)11月に
「アテルイ・モレ顕彰碑」が建立されている。

 説明板
 8世紀末ころ、日高見国胆沢(岩手県水沢市地方)を本拠とした蝦夷の首領・アテルイは、
中央政府の数次に及ぶ侵略に対し、十数年に及ぶ奮闘も空しく、
遂に坂上田村麻呂の軍門に降り同胞のモレと共に京都に連行された。
 田村麻呂は敵将ながらアテルイ、モレの武勇、人物を惜しみ
政府に助命嘆願したが容れられず、
アテルイ、モレ両雄は、802年河内国で処刑された。
 この史実に鑑み、田村麻呂開基の清水寺境内にアテルイ、モレの顕彰碑を建立す。

山科の坂上田村麻呂墓は、平安遷都1100年祭にさいし整備され、
アテルイ・モレ顕彰碑は、平安遷都1200年を記念して建立されたという。
因縁めいてますね・・・・。

帰りは清水坂から五条坂を下りる。かなり歩く距離が増えてしまった。

市バス・205号で、東山五条から四条河原町へ 
歩いて、宿泊先の「ホテル アルファ京都」へ

近くの餃子の王将で夕食
ホテル1階のセブンイレブンで、翌朝の朝食を調達、
ゆっくり休む。 本日は、8kmほど歩いた。

その2につづく

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