北村さんちの遺跡めぐり
更新日2012/1/20

2011年・奈良へ
その1
その前に京都
2011/11/20〜23

奈良県は、HPを始めてからは3回目の訪問となる。
今までに見られなかった奈良県の古墳を全部見学しようという勢いで奈良に向かう。
朝5時半に、自宅出発。
北陸自動車道・京滋バイパスを通り・・・・
その前にちょっと京都府。

8時半には、芝ヶ原古墳に到着。

芝ヶ原古墳
国史跡

京都府城陽市寺田大谷
撮影日2011/11/20

芝ヶ原古墳は以前2回探している。   (2007年11月と2008年11月)
住宅地なので道が一筋違うと分からない。
通りがかりの人も知らなかったりする。
今回は絶対探し当てるぞと、気合いを入れて・・・・・見つかりました!

芝ヶ原古墳
住宅に囲まれている。




芝ヶ原古墳の発掘時実測図   (説明板から)
芝ヶ原古墳(芝ヶ原12号墳)は標高50〜52mの丘陵北縁部に立地
南南西に方形の突出部がつく前方後方形
後方部は東西19m南北21m・高さは北で1.4m

前方部は、大部分が削平されていてよくわかっていないが、
外に開く形をしていたと推定されている。

墳丘の東側には丘陵から切り離すための溝がある。
葺石なし。
埋葬施設は、後方部の中央部分にあり、長さ2.3m・幅0.7mの組合式木棺直葬。
墓壙上には礫が敷かれ弥生時代末期から古墳時代初頭の庄内式土器が置かれていた。
木棺内から銅鏡1・車輪石形銅釧2・勾玉8・管玉187・ガラス製小玉1300個以上・鉄製ヤリガンナなどが出土した。
出土した土器から3世紀後半の築造と推定されている。
出土品は重要文化財に指定されている。 (1986年に発掘調査)

この芝ヶ原古墳が属する芝ヶ原古墳群は、13基確認されている。



芝ヶ原古墳の墳丘


城陽市の地図y

   芝ヶ原古墳周辺の古墳   (久津川車塚前の説明板から)

詳しくは城陽市の遺跡のページをどうぞ

上人ヶ平遺跡

京都府木津川市州見台
撮影日2011/11/20

ショッピングセンター「ガーデンモール木津川」のすぐ南にある。

弥生時代から室町時代にかけて栄えた複合遺跡。
弥生時代から古墳時代前期には、竪穴式住居や倉庫のある集落が営まれる。
古墳時代中期から後期にかけては、多くの古墳がつくられた。
奈良時代には、瓦生産の拠点となる。
平安遷都以後は、中世の墳墓がつくられていた。
その後は竹林。

現在は史跡公園となる。

上人ヶ平古墳発掘調査図 
(説明板から)

上人ヶ平古墳群は17基確認されている。
公園外の1号墳と公園内の5号墳は墳丘を残していたが、他は全て埋没古墳。

5・7・8号墳は奈良時代の瓦工房が創業した時期にも墳丘があり、
その周溝は瓦製作に利用されている。


上人ヶ平5号墳
5号墳の後には瓦工房の建物跡がみえる。

上人ヶ平5号墳
作り出しのある円墳
円丘部の径22m 方形の造り出がある
作り出しを含めると全長26m

2段築成 周溝あり
上段斜面と作り出し部に葺石がある。
1段目と2段目の間のテラス部と周溝の外側に埴輪列がめぐっていた。
埋葬部は不明
5世紀後半の築造と推定されている。

(上人ヶ平5号墳の発掘報告書はインターネット上で公開されています。)

上人ケ平古墳群
手前 7号墳  奥 8号墳


7号墳一辺10mの方墳
8号墳一辺13mの方墳

埋葬部は7・8号墳ともに木棺直葬。

上人ケ平古墳群
左15号墳、右6号墳 左奥 14号墳


上人ヶ平瓦工房建設のため削られて埋没し、
現在は、平面に古墳の形が示されている。

建物は瓦工房の復元建物
6号墳一辺11mの方墳14号墳一辺7.6mの方墳15号墳一辺10.4mの方墳
埋葬部は完全に失われていたが、形象埴輪を含む多くの埴輪が出土。

上人ケ平20号墳

現在、展望の丘として活用されている。


同じ公園内に市坂瓦窯跡も保存されている。
710年に開始された平城京や大寺院に瓦を供給した瓦窯が、この奈良山の低丘陵に築かれていた。
京都側には、木津川市の市坂瓦窯跡と上人ヶ平遺跡・五領池東瓦窯跡、相楽群精華町の乾谷瓦窯跡・徳所瓦窯跡
奈良側には、歌姫瓦窯跡・中山瓦窯跡・押熊瓦窯跡・山陵瓦窯跡
などがある。

市坂瓦窯跡2号窯

2号窯と8号窯が調査されて石組で表わされている。

市坂瓦窯跡は幅10mの狭い谷の両岸斜面に8基の窯が築かれていた。
奈良時代後期のものと考えられている。
 地図y

2011・奈良その2へ  つづく

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