関西への旅・その1
豊中市
2006/10/21

大阪で就職している長男が引越しをするので、手伝いに行ってきた。
結婚30周年記念として、ついでに大阪北部の古墳と滋賀県湖西の古墳を見てこようと決めた。


2006/10/21

6:45   美川ICから高速に入る。
 トンネルの名前を調べながら、車中を楽しむ。
8:10   賎ヶ岳SAで休憩
9:00   雪野山古墳ふもとにある「あかね古墳公園」が見える。
    見学したいけど、雪野山周辺は次の機会に取っておこう。
9:20   大津SAで休憩
10:00   茨木ICから一般道へ
10:40   豊中市へ入る

 長男との待ち合わせは、午後1時。それまでにどれだけの古墳が見られるのだろうか?    

長男が「阪急宝塚線・岡町駅のそばに古墳がある」と言っていたので、調べると、
その古墳は、桜塚古墳群の中の大石塚・小石塚古墳とわかった。
まずそのあたりの古墳探索をしよう!

豊中市役所の南側周辺から阪急岡町駅の西側にかけて、かつて桜塚古墳群があった。
桜塚36墳といわれていたが、現在は5基しか残っていない。
この古墳群は、大阪北部における最大のものだという。

豊中市桜塚古墳群配置図


桜塚古墳群データ

名前 大きさ 時期 埋葬施設
 大石塚古墳 前方後円墳
 全長90m
 4世紀末 葺石・埴輪
 小石塚古墳 前方後円墳
 全長49m
 4世紀末  粘土槨 葺石・埴輪
 大塚古墳 円墳
直径56m・高さ8m
 5世紀前半  割竹形木棺3 埴輪
 御獅子塚 前方後円墳
 全長55m
 5世紀前半の中ごろ   2つの埋葬施設  埴輪・葺石
 南天平塚古墳   帆立貝形前方後円墳
 後円部直径24m
 5世紀後半  割竹形木棺1 埴輪
消滅  狐塚古墳 前方後円墳
 全長27m
 5世紀中ごろ〜後半  粘土槨2
消滅  北天平塚古墳 円墳
 径21m
 粘土槨に木棺 埴輪

桜塚のあたりは豊中市の中心あたりだが、わき道に入ると駐車ができないくらい道が狭い。
夫と交代で車を降り、見学。
まず大塚古墳に行く。

 大塚古墳
桜塚古墳群)

大阪府豊中市
 (撮影日2006/10/21)

大塚古墳は豊中市役所の南、大塚公園の中に保存されている。
桜塚古墳群最大の円墳。

大塚古墳全景
桜塚古墳群の東部支群代表
5世紀前半の築造

段と墳頂には埴輪が並べられていた。
円筒埴輪のほか、家・盾・きぬがさ・動物などの形象埴輪も出土した。


大塚古墳実測図
直径56m・高さ8mの円墳
濠幅12〜13mで濠を含めると直径80mの円墳になる。
3段築成で墳頂は平坦。
現在は2段に復元してある

墳頂の平坦面
主体部の様子がわかるようになっている。
遺体を南北にして3体葬られていた。(割竹形木棺)

東側には長さ3.6m・幅1.6mの粘土槨に一体、
中央と西側は同じ墓坑(長さ10m・幅6.3〜6.5m)で長さ7mほどの割竹形木棺が二つ埋葬されていて、
  それぞれに遺体が葬られていた。
三つの埋葬施設はそれぞれ第1主体部(東側)・第2主体部東槨・西槨と呼ばれている。
これらの中には短甲・兜など鉄製品を中心とした多くの武器・武具が納められていた。
全国で始めての石製把付短剣(長さ38cm)や中国漢代の鏡をモデルにした方格規矩獣文鏡長さ3cmの勾玉など(三つとも国重文)も出土した。

第1主体部   硬玉製勾玉・璧玉製勾玉・同管玉・ガラス製平玉・同小玉
  ・滑石製そろばん玉・鉄刀・鉄鏃など
 第2主体部   東槨  方格規矩獣文鏡・鉄刀・鉄剣・刀子・冑・短甲・櫛など
 東槨棺外  鉄槍・革製盾
 西槨  鉄刀・袋状漆製品
 西槨棺外  鉄斧・石製短剣・鉄鏃など

計500点以上が出土した。

大塚古墳の道路を挟んで南にある南桜塚小学校の東隅に復元保存されている御獅子塚古墳へ。

豊中市の地図y

 御獅子塚古墳
桜塚古墳群)

大阪府豊中市中桜塚
 (撮影日2006/10/21)

桜塚古墳群の1基。 敷地内は立ち入り禁止。

御獅子塚全景
大塚古墳墳頂から写す。
周濠のある南向きの前方後円墳。
全長55m(周濠を含めると70m)の前方後円墳
後円部径35m・高さ4m  前方部幅40m・高さ35m
周濠幅約7m・深さ0.7m


御獅子塚後円部
北側から写す
墳丘に登る階段があるのに立ち入り禁止
5世紀前半の中ごろに近い時期の築造。


御獅子塚古墳実測図
2段築成で、2段目斜面にだけ葺石があった。
埴輪は1段目平坦面に径約18cm・高さ50cmのものが並べられている。
埴輪は円筒埴輪と朝顔形埴輪。
7本に1本の割合で朝顔形埴輪が配されている。
これらの中には焼きの硬いもの(須恵質)も少し見られる。


後円部頂に2つの埋葬施設がある。
これらのなかには鉄製品を中心とした武器・武具が多く納められていた。

出土品リスト

 棺内  鏡・玉類・甲冑・鉄刀・鉄剣・鉄鏃・鉄製農具など
 棺外  盾・馬具など
 その他   碧玉製管玉・滑石製臼玉


さらに南にあり、一部しか残っていない南天平塚古墳へ

 南天平塚古墳
桜塚古墳群)

大阪府豊中市
 (撮影日2006/10/21)

桜塚古墳の中では最後の時期に造られた古墳
住宅地として整理されたときに、道路によって4分の3が削られ、現在は北西部分が扇形で残っている。

南天平塚古墳
西側から写す
直径24mの円墳
5世紀後半の築造

2段築成で、1段目のテラスに埴輪が並べられていた。
周りには幅7mの濠がめぐっていた。
案内板には「墳丘の南側には弧状に配列された埴輪列から、直交して突出する部分があった。」
とあるので、帆立貝形の前方後円墳といえるのではないか?


南天平塚古墳北側から写す
古墳を取り囲んで道路がある。
主体部は、粘土槨で、2基の木棺が埋葬されている。
木棺はコウヤマキ製の丸太をたてに割ってくりぬいた形のもの(割竹形木棺)で、長さ2.9m・幅0.85〜0.75m。
これによって初めてこのタイプの木棺の構造が明らかになった。
副葬品として、、変形六獣鏡や革製の盾・鉄製の太刀・槍・鏃・短甲などの武具や馬具が出土。

午後1時になりました。これから、長男との待ち合わせ場所に向かいます。

次の日の朝、朝飯前に大石塚・小石塚古墳に行く(10/22 8:00ごろ)

 大石塚・小石塚古墳
桜塚古墳群)

大阪府豊中市
 (撮影日2006/10/21)

大石塚・小石塚古墳は公園となっているが、園内は立ち入り禁止となっている。
最近、全域立ち入り禁止になったようだ。

「大石塚・小石塚古墳」という
石碑がある柵から園内を写す


(南側)

公園の東側の柵から園内を写す。

くびれ部あたりか。




園内には入れず、案内板も見つからず、大変残念だった。

大石塚・小石塚古墳 配置図
この付近は、現在のような住宅地となるまでは、原田神社の山林の一角だった。
御位塚古墳というのもあったが、消滅した。

南の大石塚と北の小石塚は、ともに前方後円墳で、
 いずれも、ほぼ南北一直線上に並んで造られている。
桜塚古墳群西支群代表
その位置関係によって、南石塚・北石塚とも呼ばれている。
伝承では宣化天皇皇女石姫・小石姫の墳墓となっているが、
宣化天皇は6世紀中ごろの天皇だからおかしい。

大石塚古墳は全長90mの前方後円墳
後円部径48m・高さ6m、前方部の高さ2.8m
後円部・前方部ともに三段築成。
墳丘に川原石を葺石に用い、石塚の呼称の起こりを示唆している。
円筒埴輪を巡らし周濠を持つ。
その周濠は前方部西側に凹地として残っている。
内部は未調査である。
古墳時代前期末(4C末)の築造と推定。

小石塚古墳
は大石塚古墳の半分位の規模で、崩れが激しいため現形に修復保存された(S55)。
全長49mの前方後円墳
2段築成。円筒埴輪・葺石がある。
埋葬施設は後円部中央にあり、粘土槨(長さ7.4m・幅3.1m)の木棺(長さ5.3m・幅0.55〜0.75m)である。
埋葬施設内は未調査。
古墳東側のみに堀の存在が確認されている。
古墳時代前期末(4C末)の築造と推定。

桜塚古墳群には、これらのほか、狐塚古墳北天平塚古墳などがあったが、宅地造成とともに消滅した。

狐塚古墳は全長27mの前方後円墳だったが、消滅した
埋葬施設は2基の粘土槨(西槨・東槨)だった。
西槨から、短甲・衝角付冑・鉄鉾・鉄鏃、やりがんな・馬具が出土した。
東槨から・鏡・鉄剣・鉄刀・駆使が出土した。
両棺外に盾が置かれていた。
5世紀中ごろ〜後半の築造

北天平塚古墳は径21mの円墳だったが、昭和10年代に消滅した。
幅7mの周濠があった。
埴輪片が出土した。
埋葬施設は粘土槨に木棺で
棺内から、鉄刀・鉄鉾・鉄鏃・刀子・やりがんな・馬具
棺外から、盾・短甲・衝角付冑・鉄地金銅装眉庇付冑などが、出土した。

豊中市の地図y
桜塚のあたりは豊中市の中心あたりだが、わき道に入ると駐車ができないくらい道が狭い。
道の狭さは、石川県の田舎暮らしの私には、信じられないくらい。
公園なら駐車場がほしい!
今回の旅は、これから見学するところも含めて、駐車場に苦労することになる。

10/22  9:00  朝食を食べ、池田市へ出発。

A 関西の旅池田 につづく

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