河内の古墳探索・その7
2013年春 編その1
石の宝殿古墳
2013/4/21

「石の宝殿古墳」の見学。   寒い日で、外に出るのがつらい・・・・。
昨年(平成24年・2012年)10月に「石の宝殿古墳」の案内板を見つけたが、たどり着けなくて、あきらめた。
今年(平成25年・2013年)4月に、もう一度挑戦。

   寝屋川市の地図

前回とは一つ西側の道に入って、高良神社をめざす。狭い道・・・・・・。
高良神社前に駐車。ハイキングの家族連れとすれ違う。
鳥居横に、「ねや川文化と歴史のみち」と刻まれた石碑に、打上地区の自然についての説明があり、展望台もある。
天気が良ければ素晴らしい景色が広がるが、今日はくもり・・・・・・。

 石の宝殿古墳
国史跡
大阪府寝屋川市打上元町
 (撮影日2013/4/21)

高良神社の裏山にある。


  高良神社 一の鳥居
  鳥居をくぐった左奥に、古墳への上り口がある。

  高良神社 二の鳥居と本殿
高良神社の氏子の名字は、
   ほとんどか「田伏」「田中」「井上」らしい。
 石の宝殿古墳
 生駒山地から派生する丘陵の南斜面に築かれていて、現状は巨大な横口式石槨が露出している。
 主体部の横口式石槨は2石を組み合わせたもの。
 上面を平坦に加工した底石(下石)の上に、直径3m・高さ1.5mで埋葬部分をくり抜いた蓋石を重ねている。
  内部は幅0.9m・高さ0.8m・奥行き2.2mで、入口部分は幅0.5mとせまくなっている。
 入口部分の左側には丸いくぼみがあり、この部分に軸をはめ込む扉状の施設があったと推定されている。
 玄室部の前面には板状の2石が平行に建てられていて、羨道部を形成している。
 古墳の背後には3個の巨石が一列に並んでいるが、
   1988年(昭和63年)に行われた発掘調査ではこの列石の西側に続く石が埋っていることが確認された。
 この石と列石との設置角は135°で、この石を古墳の外側のラインにすると、
             古墳の平面形が八角形になる可能性がある。
 石槨内に納められていた棺の形状や副葬品などは不明
 発掘調査のときに石槨の周辺から須恵器の小片が出土していて、
        この土器や石槨の構造などから7世紀中ごろの築造と推定されている。
 北河内唯一の古墳時代終末期に属する古墳。

 横口式石槨は大阪府に約20例あるが、
    全て石川流域に集中しており、石の宝殿だけが他より離れていて、
       形式的にも明日香村の鬼の厠・鬼の俎と同じく、非常に特異なもの。
 日本に仏教文化が伝わって、死者を火葬した後、骨を容器に入れて納めたと推定されている。
 『河内名所図会』(江戸時代後期)によれば、このそばから、金銅製の骨壷が見出されたという。
 前面左に、「天岩戸大日如来」と刻んだ元禄9年(1696)の石碑があるが、
       天照大神の岩戸隠れにちなみ、神仏習合の信仰を表すものと言われている。
                          (寝屋川市HP・じゃらん観光ガイドから)

石の宝殿古墳 上り口。
右側の立て札は、石の宝殿古墳の説明板
ここから50mぐらい。

石の宝殿古墳 巨大な横口式石槨が露出
前面左の石碑には、
「天岩戸大日如来」と刻まれている。

石の宝殿古墳 東側から見た石槨
右の石が石槨

石の宝殿古墳石槨入口 
左の石の入口部分には丸いくぼみがある。
扉があったようだ。

石の宝殿古墳 西側から見た石槨

石の宝殿古墳 石槨内部

「石の宝殿」は、人工的な巨石が残る遺跡などに付けられた名称で、兵庫県と大阪府に5ヵ所あるそうだ。

黒姫山古墳につづく・・・・

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