河内の古墳探索・その12
誉田御廟山古墳周辺
2013/4/22

午後12時40分になってしまったが、昼食ができそうなところがない・・・・・・。盾塚古墳へ。

古市古墳群配置図  (パンフレット)

古市古墳群周辺の地図   (ヤフー地図)

盾塚古墳公園

藤井寺道明寺6丁目
 (撮影日2013/4/22)

ヤフーの航空写真で見ると、きれいな帆立貝の形がわかるが、消滅古墳である。
一度破壊され、元の位置に復元、公園となっている。

盾塚古墳復元模式図     (説明板から)
藤井寺道明寺住宅建設に先だって、
  1955年に埋葬施設が調査された。
後円部に長さ6.9mの割竹形木棺を納めた
 長さ7.8m・幅1.8mの粘土槨があり、
 その上部は、
 13枚以上の赤漆・黒漆塗りの盾で覆われていた
大量の鉄製の武器・武具・農工具や
    鏡・玉類などが出土した。
5世紀初めの築造と推定されている。  (誉田御廟山古墳より先に築造された?)
1988年ころからの建て替え工事の際の調査で、
造出や楕円形の周壕をもち、
   葺石と埴輪(円筒埴輪・器材埴輪)がある全長88mの帆立貝式古墳と確認された。
古墳は消滅したが、調査結果をもとに元の位置に復元されている。  
     (説明板・古墳辞典から)

盾塚古墳 後円部復元

盾塚古墳 前方部復元
造出は復元されていないようだ。


赤面山古墳
国史跡

藤井寺古室2丁目
 (撮影日2013/4/22)

 古室山の南側には西名阪自動車道が走っているが、その高架の下に保存されているのが赤面山古墳だ。

 赤面山古墳は 現状は一辺15mの方墳
  南の大鳥塚古墳の後円部に接するようにつくられている。
  埋葬施設などは不明。
  大鳥塚古墳と同じ5世紀前半の築造と推定されている。

赤面山古墳
単なる土の山に見えるけど古墳です。

赤面山古墳 
高架の下の道路を曲げて保存されている。

  

大鳥塚古墳
国史跡

藤井寺市古室2丁目
 (撮影日2013/4/22)

赤面山古墳のすぐ南にある。


大鳥塚古墳

前方部南西角から見る


左奥・後円部

大鳥塚古墳実測図

大鳥塚古墳は、前方部を南を向ける
墳丘長110mの前方後円墳
 後円部径72.6m・高さ12.3m
 前方部幅50m・高さ6.1m
国府台地の西側縁辺部に位置する。
くびれ部両側に造出がある
葺石あり 円筒埴輪列あり
埋葬施設は不明だが、銅鏡2面、鉄剣、鉄刀、鉄矛、鉄鏃が出土したと伝えられている。
埴輪は円筒埴輪のほか、家・きぬがさ・盾・甲形などの形象埴輪がある。
5世紀前半の築造と推定されている。
北には方墳の赤面山古墳、南には金銅装の馬具が出土した円墳の丸山古墳がある。
                         (説明板から)

大鳥塚古墳 後円部側

大鳥塚古墳 後円部脇から前方部を見る
左奥前方部

大鳥塚古墳前方部から 後円部を見る
右奥 後円部

大鳥塚古墳 前方部前面手前から
背後が後円部


誉田丸山古墳
応神天皇陵陪冢
羽曳野市誉田
 (撮影日2013/4/22)

大鳥塚古墳のすぐ南に、誉田御廟山古墳(応神陵)があるが、その誉田御廟山古墳の参道の東側にある。


誉田御廟山古墳(応神陵)御拝所入口から入ってすぐ
      左の木立が、誉田丸山古墳


正面奥に誉田御廟山古墳がある。



入口から入って右奥には、「宮内庁書陵部 古市陵墓管区事務所」がある。

 誉田丸山古墳は、径50mの円墳
 誉田山古墳が築造されるときにはすでに存在していたらしく、
      これを外堤に取り込む形で陵墓がつくられている。
 1848年(嘉永元)に大量の副葬品が出土し、
      誉田御廟山古墳の後円部のそばにある誉田八幡神社には保管されている。
      この丸山古墳から出土したと伝えられている品が保管されている。
 金銅透彫鞍金具(附 金銅轡鏡板・金銅花形辻金具・鹿角装刀残闕・馬具鋲及鎧等残闕・発掘関係書類)が
      国宝
に指定されている。

誉田丸山古墳

誉田御廟山古墳(応神陵)御拝所から見る

もともと存在していた丸山古墳や二ツ塚古墳を取り込んで、誉田御廟山古墳がつくられたのか?

誉田御廟山古墳(応神天皇陵)と周辺の古墳
     (HP世界遺産暫定一覧表より)

丸山古墳は 
  誉田御廟山古墳の前方部中央のこぶみたいに見える部分
誉田御廟山古墳の東側には
二ツ塚古墳(全長110mの前方後円墳
         後円部径73m・高さ9.9m 前方部幅60m・高さ8.6m
          4世紀末〜5世紀初頭の築造と推定         )
東馬塚古墳(一辺30mの方墳)
栗塚古墳一辺43mの方墳)
西側には東山古墳(一辺50mの方墳)
があるが
誉田丸山古墳も含めて全て「応神陵陪冢」として宮内庁が管理している。

羽曳野市役所のそばにある全長225mの墓山古墳も、応神陵陪冢に治定ているそうで・・・・・・。

誉田御廟山古墳
応神天皇陵
羽曳野市誉田3・5・6丁目
 (撮影日2013/4/22)

応神天皇陵恵我伏岡陵として、宮内庁が管理している。


パノラマで見る
   誉田御廟山古墳前方部

 誉田御廟山古墳は 前方部を北北西に向ける
  墳丘長425mの前方後円墳
   後円部径250m・高さ35m 前方部幅300m・高さ36m
  墳丘長は大仙古墳(仁徳陵古墳)に次いで2番目だが、面積や体積では大仙古墳を上回る。

  くびれ部両側に方壇状の造出しがある。
  三段築成 墳丘と内堤の内外の法面に葺石がある。
  墳丘の平坦面と内堤・外堤には円筒埴輪がめぐり、
     円筒埴輪の総数は推定2万本以上と推定されている。
  二重の周濠が巡る。
  東側では先に造られた二ツ塚古墳を避けて少しいびつな形になっている。
  5世紀前半頃の築造と推定されている。

 墳丘内部は調査されていないが、
  石室や石棺の一部が露出していたと伝えられていて、
  竪穴式石室があり、長持形石棺が納められていたと考えられている
 古墳の南側にある誉田八幡宮に竪穴式石室と長持形石棺の一部と思われる石材が残されている。
 円筒埴輪は基部の径が40cm前後の大型品が多く、
   形象埴輪には家・蓋・靱・水鳥・馬形等があり、
    蓋形木製品や各種魚形(クジラ・タコなど)土製品も出土している。
 5世紀前半の築造と推定されている。

 墳丘前方部の西側が大きく崩れているのは、734年の地震でくずれたことが明らかになっている。
 江戸時代には、後円部頂に誉田八幡宮の奥の院があり、
    神社の関係者だけが、八幡宮から周壕を渡って墳丘に入ることができたことや、
      墳頂には赤壷(円筒埴輪)が並んでいたことなどの記述も残っている。
 しかし幕末の陵墓修復事業以降、立入が出来なくなってしまったようだ。


誉田御廟山古墳(
応神陵) 御拝所への参道

左手前の木立は誉田丸山古墳

誉田御廟山古墳 前方部の北東角辺りから見る周濠
 右奥が後円部だが大きすぎて良く見えない
左の建物は天理教の施設

午後1時を過ぎて、食堂を探す。
誉田御廟山古墳の前方部角の西側の大通りの三差路で「ギョーザの王将」発見。
ようやく、昼食。
でも、昨日の昼食も「ギョーザの王将」(多賀SA)だった・・・・・・・・。

蕃所山古墳
国史跡
藤井寺市藤ヶ丘2丁目
 (撮影日2013/4/22)

保存の仕方がおもしろい。


蕃所山古墳の周辺図
      (
HP世界遺産暫定一覧表より)

蕃所山古墳
 直径22m・高さ3mの円墳だが、
 本来はもう少し大きかったと考えられている。
濠があるかは不明
埴輪や葺き石は確認されていない。

蕃所山古墳

住宅街の中で、
 周囲を道路で円形に囲まれ、
  小さな山となっている。

周辺の住宅街ができるときに、
 計画的に現在のような形で墳丘が保存された。

   

サンド山古墳
応神天皇陵陪冢
藤井寺市藤ヶ丘1丁目
 (撮影日2013/4/22)

蕃所山古墳の北約110mのところ、藤ケ丘会館に接してある。


サンド山古墳の周辺図

   (
HP世界遺産暫定一覧表より)

墳丘が変形していて、本来の形は不明

 現状では 長さ30m・高さ3mで
   前方後円墳状の形
をしている。

サンド山古墳南西側の墳丘

サンド山古墳北東側の墳丘

サンド山古墳の南西200mには、直径15〜20mの円墳のサンド山2号墳が発掘調査で見つかっている。

その東側には、直径22mの円墳の藤ノ森古墳墳丘長53mの前方後円墳・蕃上山古墳のあったことが確認されている。

これらの古墳や、蕃所山古墳やサンド山古墳などは古市古墳群内では小型の古墳だが、
  大型前方後円墳にともなう陪塚ではなく、それら自身で一定のまとまりをもってつくられた古墳だと、
     最近は考えられているようだ。        (藤井寺市・羽曳野市のHPから)

はざみ山古墳へつづく

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