河内の古墳探索・その16
玉手山古墳群から
2013/4/23

百舌鳥古墳群の見学を終え、玉手山に向かう。
玉手山古墳群は、百舌鳥や古市に隠れて、目立たないが、大きな古墳群らしい。
玉手山の古墳の上で昼食するつもりで、途中、コンビニ(LAWSON 柏原石川町店)で、弁当を買う。
1号墳は、柏原市立体育館のそばにあるようなので、体育館をナビにセットして、進む。
着いたところは体育館の第2駐車場。平日で空いていたので駐車させてもらう。
目の前に玉手山1号墳。午前11時半となる。

玉手山古墳群付近の地図

小松山古墳
(玉手山1号墳)

柏原市片山町
 (撮影日2013/4/23)

市立体育館第2駐車場のすぐ北にある。


 玉手山1号墳は 玉手山丘陵の稜線上の最北端に位置している。
  全長110mの前方後円墳  北に前方部がある。
   後円部径60m
   前方部の平坦面は、バチ形
  後円部3段・前方部2段築成
  墳頂部には板石積みの方形壇が築かれていた。
  後円部の埋葬部は未確認だが、前方部では粘土槨、後円部の裾では埴輪棺が確認されている。
 方形壇やテラスの一部には白色の小石が散布され、
         円筒埴輪(一部は朝顔形埴輪)は密接して並べられている。
 3号墳に続き、4世紀前半に築造されたと推定されている。
 後円部の頂上に大坂夏の陣で討ち死にした、徳川方の武将・奥田三郎右衛門の墓がある。
                                (説明板から)

玉手山1号墳後円部側
2号墳後円部先端(南)から見る

玉手山1号墳
後円部脇からくびれ部を見る

玉手山1号墳
くびれ部脇から後円部を見る

玉手山1号墳
くびれ部から前方部を見る

玉手山1号墳後円部

玉手山1号墳後円部頂の奥田三郎右衛門の墓


玉手山1号墳後円部から南を見る。

右手の墓地全体が、玉手山2号墳

左手の大きな建物が「老人福祉センター」で、
その後が 玉手山3号墳。





玉手山2号墳

柏原市片山町
 (撮影日2013/4/23)

墳丘全体が墓地となっている。説明板は見あたらない。

 玉手山2号墳は 墳長70mの前方後円墳
      墳丘全体が墓地。 別名 勝松山・勝負山

玉手山2号墳後円部
1号墳側(北)から見る

玉手山2号墳後円部から前方部を見る
奥の建物は老人福祉センター

玉手山2号墳前方部から後円部を見る

玉手山2号墳 西側の道路からみるくびれ部付近

    

勝負古墳
(玉手山3号墳)

柏原市旭ヶ丘
 (撮影日2013/4/23)

墳丘の北側が、老人福祉センターで削り取られている。

 玉手山3号墳は 全長100mの前方後円墳
  後円部に竪穴式石室と粘土槨という2基の埋葬施設があったと言われているが、
    副葬品などは不明。

  安福寺境内にある割竹形石棺は、この玉手山3号墳から出土したと伝えられている。
  1988年に後円部頂のレーダー探査を実施したところ、
   長さ3,3m前後の竪穴式石室が存在することが推定され、
    その石室の大きさから、割竹形石棺が伝承どおり、
     この竪穴式石室から出土した可能性が高くなった。
  割竹形石棺は香川県の鷲ノ山というところの石材でつくられたもの。

  ここから採集された埴輪片は、非常に古い特徴をもつもので、
    古墳時代前期でも、かなり早い時期に築かれた古墳だと考えられている。(説明板から)

玉手山3号墳
福祉センターの入口前を横切り後円部に上がる

玉手山3号墳後円部
公園になっている。ベンチがひとつ。

前方部は雑木林となっていて、入り込めない。

安福寺の割竹形彫文石棺蓋
重要文化財

柏原市旭ヶ丘 安福寺前
 (撮影日2013/4/23)

玉手山3号墳から出土したものと伝えられている石棺が安福寺前に置かれている。

安福寺山門



 この割竹形石棺蓋は玉手山3号墳から出土したと伝えられている
  同様の形態の石棺は、多くは四国の前期古墳から出土し、
  近畿地方では京都部八幡茶臼山古墳の舟形石棺と大阪府二本木古墳の割竹形石棺が知られている。

  石材は香川県の鷲ノ山産の凝灰岩を使用して製作したもので、
  口縁部に日本独自に発達した直線と弧線千を組み合わせた幾何学模様の直弧文と呼ぶ線刻が施されている。
  長さ2.56m・幅0.9m      4世紀のものと推定されている。     (説明板から)

安福寺石棺蓋 覆い屋の下にある

安福寺石棺蓋内部

安福寺石棺蓋  線刻が見える。

安福寺の鐘楼の下でお弁当を食べる。大きな蟻が歩いている。

安福寺横穴群
府史跡

柏原市玉手町
 (撮影日2013/4/23)

安福寺の参道両側には、35基の横穴がある。一部は少し離れた北西地点にもある。

 安福寺横穴群古墳時代後期の横穴古墳である。
  凝灰岩の岩盤をくりぬいてつくられ、中には棺をつくり出した横穴もある。
  また次々とつくられた横穴が、
     現代のマンションのように二層三層に重なって密集しているのも大きな特徴である。
  出土した土器などから、6世紀中〜7世紀初めの築造と推定されている。
  この時代は横穴式石室が多く、横穴は大阪府では、柏原市にしかみられない珍しいもの。 
        (説明板から)

安福寺横穴群その1

安福寺横穴群その2

安福寺横穴群 横穴入口

安福寺横穴群 横穴内部 きれいに細工されている。


安福寺は玉手山の麓にあって、そこから、7号墳のある玉手山公園に行こうとするが、
公園の入口が分かりにくくて遠くて・・・・・。 ずっと上り坂。

玉手山7号墳

玉手山公園

柏原市玉手町
 (撮影日2013/4/23)

玉手山公園の東入口から入ると、すぐ玉手山7号墳がある。

 玉手山7号墳は 安福寺の後ろにあることから後山古墳ともよばれる。
  全長150mの前方後円墳  古墳群中、一番大きい。
  西側に前方部がある。
  未発掘なので詳しい事は不明だが、後円部に竪穴式石室があったと考えられている。

  1980年に、後円部で滑石製の盒子が採集された。
   盒子は、容器の事で、長さ10cm・幅8cmの小さい楕円形をしている。
  この出土により、この古墳は玉手山古墳群の中で、
   もっとも新しい前方後円墳の一つであると考えられている。

  現在は、後円部に、大坂夏の陣の戦没者の供養の宝篋印塔が建っている。 (説明板から)

玉手山7号墳 後円部への上り口

玉手山7号墳後円部頂 宝篋印塔が立つ。
前方部は藪になっていて、入れない。

玉手山7号墳 東裾から見た後円部

玉手山7号墳 南から見た後円部
左手前は、石棺と石室の展示

7号墳の後円部から南に下りたところに、玉手山古墳群出土の石室や石棺の展示、
大坂夏の陣の両群群戦死者の供養塔、後藤又兵衛の顕彰碑、小林一茶の句碑などがある。
しかし、公園内は静か・・・・・。


展示されている竪穴石室
玉手山6号墳にあった2基の中の1基を移築。
6号墳は消滅している。

展示された組合式家形石棺
東ワカ山古墳(?)の石室にあったもの
蓋石には退化した縄掛け突起がある。

この辺りは、1615年(慶長20)の大坂夏の陣の激戦地になった所。
玉手山古墳群というより、大坂夏の陣古戦場として、有名らしい。


大坂夏の陣 豊臣方武将 後藤又兵衛の碑



小林一茶の句碑もある。

玉手山古墳群の配置図   (イメージ図)  
 地図と公園歴史館の展示を元に作成したが、11基の古墳しか描かれていない。
                   本来は18基あるはず・・・・


玉手山丘陵は、柏原市片山町から南の羽曳野市駒ヶ谷までの
   南北約3kmにわたる標高50〜100mの丘陵で、
この丘陵の稜線上を巧みに利用して、前期の古墳群がつくられた。
13基の前方後円墳と、5基の円墳がある。
4世紀後半前後の築造と推定されているものが多いが、5世紀代のものもある。

大坂夏の陣では、
1号墳から3号墳のあたりを中心とする一帯の争奪が焦点となり、
    激戦が繰り広げられた。

4・5・6号墳は住宅地となり、破壊されてしまったが、
竪穴式石室や粘土槨があり、内部から、鉄剣・銅鏃・玉類などが出土した。





玉手山古墳群のまとめ

1号墳
(小松山古墳)
墳丘長110mの前方後円墳  玉手山丘陵の稜線上の最北端に位置している。
 葺石あり 円筒埴輪、楕円筒埴輪
 後円部に竪穴式石室1基 前方部に粘土廓1基
 1号墳の北にある片山神社付近から、5世紀代のものとみられる短甲形埴輪が出土したので、
 このあたりにも古墳があったと考えられている。
2号墳 墳丘長70mの前方後円墳   墳丘全体が墓地となっている。
 葺石不明  円筒埴輪
 後円部に竪穴式石室に石棺か?
<一部損壊>
3号墳
(勝負山古墳

又は勝松山古墳)
墳丘長100mの前方後円墳    老人福祉センター「やすらぎの園」のすぐ南に隣接。
 葺石あり 埴輪は不明

 後円部に竪穴式石室1基・粘土槨1基があったと云われているが詳しいことは不明
 安福寺境内にある割竹形石棺蓋は、この古墳から出土したと伝えられている。
<消滅>
4号墳
墳長50mの前方後円墳 消滅
 葺石不明  円筒埴輪  
後円部に粘土廓
<消滅>
5号墳
(鏡割古墳)
墳長75mの前方後円墳 後円部径45m・前方部幅30m 消滅
 葺石あり  円筒埴輪
 後円部に竪穴式石室1基と粘土槨1基 前方部に粘土槨2基
 石釧やヤリガンナなどが出土
<消滅>
6号墳
(すべり台古墳)
墳長69mの前方後円墳 後円部径40m・前方部幅35m
 葺石あり 埴輪は不明

 後円部に2基の竪穴式石室があり、鏡などが出土。
7号墳
(後山古墳)
墳長150mの前方後円墳   玉手山丘陵の最高所にある。
 葺石あり  埴輪は円筒、朝顔、家、土師器壺

 後円部に竪穴式石室1基と粘土槨1基があると考えられている。
 竪穴式石室から 
石製合子、石製坩などが出土 
8号墳
(東山古墳)
墳長89mの前方後円墳 給水タンクの横あたりにある。
 葺石あり 埴輪は円筒、楕円筒、朝顔、家など
 後円部の粘土廓とみられる埋葬施設がある。鉄剣が出土。
9号墳
(クサダ谷古墳)
墳長65mの前方後円墳 後円部径33.2m・高さ5.7m 前方部幅17.7m・高さ2.6m
 葺石あり :円筒埴輪、朝顔形埴輪 土師器壺

後円部の竪穴式石室に粘土棺床がある。
<消滅>
10号墳
(北玉山古墳)

墳長51mの前方後円墳 後円部径33m・高さ4m 前方部幅22.5m
 葺石あり :円筒埴輪、楕円筒埴輪、朝顔形埴輪、形象埴輪

 後円部に竪穴式石室、前方部に粘土廓がある。
 銅鏡・玉類などが出土したが、自動車道建設で完全に破壊された。
<消滅>
11号墳
前方後円墳か?   葺石不明 埋葬施設不明  埴輪不明  
 現在は工場地帯となっている。
<消滅>
12号墳
(駒ヶ谷北古墳)
墳丘長55mの前方後円墳
 葺石あり 円筒埴輪
  後円部に粘土槨があり鏡などが出土
<消滅>
13号墳
(狐塚古墳)
前方後円墳
 葺石あり 円筒埴輪、二重口淵壺
 後円部に粘土廓があり杵形石製品、勾玉などが出土
<消滅>
14号墳
(駒ヶ谷宮山古墳)
墳長65mの前方後円墳  玉手山古墳群の最も南に位置している。羽曳野市駒ヶ谷
 葺石あり 円筒埴輪列がある。

 後円部に竪穴式石槨1基、前方部にで粘土槨2基がある。
 竪穴式石槨と南側の粘土槨には、割竹形木棺の痕跡が残る。
 埋葬施設からは、
  青銅製の鏡、鉄製の刀剣や斧、石釧・勾玉・管玉、ガラス製小玉などの副葬品が出土。
 古墳時代前期の築造と推定されている。
駒ヶ谷駅の北東約400mにある丘陵上にあったが、土取り工事のため消滅。
<消滅>
15号墳
(西山古墳)
円墳 全長不明
 葺石不明  埴輪不明

 竪穴式石室があり、四獣鏡、鉄剣、鉄製品片などが出土 
16号墳
(伯太比売神社古墳)
前方後円墳 全長不明 
 葺石不明  埴輪不明 
?号墳
(東ワカ古墳)
円墳 横穴式石室に家形石棺か
 調査された中で唯一の横穴式石室をもつ後期古墳と考えられている。
 位置は調べたが、わからない。

玉手山公園から、1号墳そばの駐車場まで戻る途中、西を見ると古市古墳群が見える。


左から
誉田御廟山古墳(応神陵)  仲津山古墳(仲姫皇后陵)  市野山古墳(允恭天皇陵)
       奥に見えるのは岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵)

玉手山古墳群と、古市・百舌鳥古墳群の関係は一体・・・・・・・どうなのでしょうか?

松岳山古墳
マツオカヤマコフン
国史跡

柏原市国分
 (撮影日2013/4/23)

 国分神社がある丘陵には、小さい円墳や方墳が10基ほどあり、松岳山古墳群といわれている。
 その中でもっとも高い所にあるただ一つの前方後円墳が、松岳山古墳である。

松岳山古墳の模式図 (説明板から)

松岳山古墳は 前方部を南西方向に向ける
 墳長130mの前方後円墳
  後円部径72m・高さ16m 前方部の幅32m・高さ6m
 高い後円部に低く平らな前方部がある。
 周囲には板状の石を斜めに積んだ部分がみられ、これをふくむと古墳の全長は155mとなる。
 前方部2段・後円部3段築成
 周濠がある。

 古墳の周囲には円筒埴輪や朝顔形埴輪・鰭付楕円形埴輪などが立てられていた。
 墳丘の葺石は、板状の石を垂直に階段のように積み上げている。
 後円部に、安山岩の板石を積み上げた竪穴式石室に長持形石棺を納め、
                 南北の外側に副室がある構造の埋葬施設がある。
  石棺は、蓋と底に各1枚、側面に4枚の計6枚の石を組み合わせたもので、
   蓋石と底石には堅い花崗岩を、側面の石にはやわらかい香川県鷲の山産の凝灰岩を使っている。
  石棺は 内側の長さ2.5m・北端の幅1.09m・南端幅0.87m・高さ0.7〜0.75m。
  石棺の蓋石の南端と側石の南北両端には縄突起がある。
  石棺の中には、頭や体の部分に合わせて底石を浅くほりこんでいる。
  石棺の南北の両端近くに、高さ1.8〜2.3m、幅1.4mの立石が置かれているが、
        その正確な用途はわかっていない。

 石棺の周りには板状の石が多く落ちているが、。
   これはもともと竪穴式石室の石材で盗掘された時に壊されたものと考えられている。
 盗掘にあっていたが、
  鏡や硬玉製勾玉・碧玉製管玉・碧玉製丸玉・ガラス製小玉・石釧・鍬形石・鉄剣・
  鉄刀・鉄鏃・銅鏃・鎌 など多彩な副葬品が出土した。
  出土した鉄製の武器や農工具類の総重量は50Kgにもなる。
 このほか、くびれ部付近でも箱式石棺が見つかっている。
 石棺の形や出土品などから、4世紀末の築造と推定されている。
 1965(昭和40)年に発掘調査。


松岳山古墳 上り口

松岳山古墳 前方部から後円部

松岳山古墳 後円部から前方部

松岳山古墳後円部頂 石棺と立石が露出している。

松岳山古墳後円部 方向を変えて
周りに散乱しているのは、
石棺が入っていた竪穴式石室の石材と思われる。
竪穴式石室は破壊されている。

松岳山古墳 方向を変えて

松岳山古墳 石棺

松岳山古墳 石棺内部
水がたまっている

松岳山古墳 立石1

松岳山古墳 立石2
 松岳山古墳のある丘陵には、小さい円墳や方墳が10基ほどあり、松岳山古墳群と呼ばれている
  その中でもっとも高い所にあるただ一つの前方後円墳が、松岳山古墳。
 松岳山古墳の前方部(西)に接する長方形墳の茶臼塚古墳では
   竪穴式石室から三角縁神獣鏡や碧玉製品が、
   安山岩板石を積んだテラス状部分から鰭付楕円形埴輪が出土した。
 茶臼塚古墳の西方の茶臼山古墳からは、
   三角縁神獣鏡などの鏡が3面(いずれも国重文)が出土している。


茶臼塚古墳のあったあたり。

完全に消滅している。
右側に松岳山前方部先端がある。

国宝の船氏王後首の墓誌がこの丘陵から発見されたと伝えられ、
    船氏の墓の石標が建てられているというが、確認してこなかった。
  船氏王後首の墓誌は、
    長さ29.7cm・幅6.9cm・厚さ0.1cmで、表面に86字、裏面に76字が陰刻されている、667年の日本最古の墓誌。

太子町二子塚古墳につづく・・・・。

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