河内の古墳探索・その18
一須賀古墳群
2013/4/23

堺市、柏原市、太子町の古墳を見学して、近つ飛鳥風土記の丘に午後4時を過ぎて、到着。
近つ飛鳥博物館も見学したいが、時間がなくて、古墳群の配置図のパンフだけ頂いて、すぐ古墳見学へ。
博物館のすぐそばのI支群からJ支群・B支群を見学。

一須賀古墳群
近つ飛鳥風土記の丘

南河内郡太子町・河南町
 (撮影日2013/4/23)

近つ飛鳥風土記の丘(一須賀古墳群) 全体配置図    (現地説明板から)

一須賀古墳群は、1.5km四方の範囲に250基あまりの古墳が、
 23のグループに分かれて分布している。
横穴式石室を埋葬施設とする径10〜20mの円墳が中心で、
 石棺をもつものもある。
近つ飛鳥風土記の丘園内では、100基余の古墳を保存していて、
 そのうち40基を見学できる。
土器や鉄器のほか、
  金銅装のくつやかんざし、ミニチュアのかまど形土器などが出土している。
6世紀〜7世紀にかけて、
  中でも6世紀後半に最も多く築造されたと推定されている
  (説明板・パンフから)

博物館でもらった配置図より、古墳の数が多いので、。
説明板の方が新しいと考え、説明板の図を掲載する。
(少し手直しした)


写真と古墳番号は
  違っているところがあるかもしれない・・・・・?


博物館の横から、I支群・J支群を見学。

一須賀古墳群
I-5号墳

博物館からすぐのところにある。道路の下に小さな石室が保存されている。

I−5号墳

小さな横穴石室がある。天井石は失われている。

土器や鉄鏃が出土。

6紀中ごろの築造と推定されている。



小さな石室で、ちょっと見たところは竪穴式石室のようだが、横穴式石室だ。



I支群・J支群周辺の拡大図

        (J支群の説明板に加筆)


一須賀古墳群
?-1号墳・?-2号墳

J支群に行く小道に入ったところに2基の古墳がある。
J支群ではないようだが、案内板がなく、支群名も番号も分からない。I支群の中に入るのか?
手前の古墳はかなり立派な古墳だが、、仮に?-1号墳、?-2号墳としておく。

 ?-1号墳
少し離れたところから見るととても立派
2段築成で周堀があるように見えてしまう。

本当のところはどうなのだろう?

しっかりした墳丘がある
 

墳頂は窪んでいるから、       
     石室はないなぁと思ったら・・
・ 

向こう側に石室が開口していた
 

石室内部
 
 ?-2号墳

?−1号墳の次にある?-2号墳
石材が転がっているだけ・・・

?-2号墳から?-1号墳を見る
 


一須賀古墳群
J支群

道沿いに古墳が並んでいる。がずっと上り坂でかなりきつい・・・・。

J支群は一須賀古墳群の中央部、博物館へのびる尾根上に分布する支群。15基の古墳が確認されている。
いずれも径10m前後の円墳で、横穴式石室がある
7号墳と8号墳のところでは、石室を真上から見学できるように、遊歩道に橋をかけている。(説明板から)

 J-1号墳
 J-3号墳
 J-4号墳

 
J-5号墳(?)

 
 J-6号墳

半壊の石室

石室内部
 
 J-7号墳は、遊歩道のそばに天井石が露出している。
  遊歩道から、下に下りると、立派な石室がある。

遊歩道脇に露出した天井石

天井石の間から石室が見える。

羨道部から玄室を見る

玄室から 石室入口を見る
 J-8号墳


遊歩道の橋の下に石室がある。

J-8号墳から引き返し、B支群の見学に行く。

一須賀古墳群
B支群

   B支群周辺の拡大図

B支群は18基確認されている。
このうち内容がわかるのは10基。
尾根上に一列に並んでいる。
12号墳には2つの石室がある。
4基の石室には石棺があった。
3・4・7・14・15・16号墳は、径12〜15mの円墳
10・11・12号墳は、一辺12mの方墳
9号墳は、一辺25mの方墳

石室の奥行きは、5.3m〜8.5m
副葬品は、主に食器とイヤリングが出土している。
10基のうち5基から、米を蒸す道具のミニチュアが出土、
14・15号墳からは鉄鏃、15号墳から馬用金具が出土している。  (説明板から)

 B-7号墳
  B-7号墳は、径12mの円墳で、B支群の中ほどに位置する。
  横穴式石室がある。
  鉄釘とかすがいが出土しているので木棺があったと考えられている。
  石室は天井石が持ち去られ、基底部しか残っていないが、
  金製・銀製の耳環や、それに付けた金製の垂飾り、琥珀玉やかガラス玉なと、豊富な副葬品が出土。

B-7号墳 石室

B-7号墳 出土品 (説明板から)
 B-8号墳



説明板もなく、詳しい事は不明



 B-9号墳






B-9号墳墳丘

B-9号墳石室

石棺が、なんと竜山石で復元されている!

B-12号墳は、石室が2基ある古墳だそうだが、見学してこなかった・・・・・。

一須賀古墳群
移築石室

B支群の前の広場には、移築された3基の石室が保存されている。

 I-19号墳・I-20号墳
  近つ飛鳥博物館の駐車場建設に際して発見された。
  墳丘や石室の上部が削られていた径10mほどの円墳
  木棺が納められていたようだ。
  20号墳から、銀の指輪やガラス玉
  19号墳から、銀のかんざしやミニチュアの竈(カマド)・甕、
  ほかに須恵器・土師器・鉄釘などが両方から出土
  ともに6世紀中ごろの築造
  風土記の丘の多くの横穴式石室と比べると、小形の石材を使っているのが特徴
                           (説明板から)

I-19号墳
基底部しか残っていなくて埋もれそうだ・・・

 

I-20号墳
こちらも基底部のみ・・・・

 
 寛弘寺45号墳
  ここから南西約3kmのところにあった河南町寛弘寺古墳群から移築した横穴式石室。
  天井石はすでに盗まれていたが、側壁や奥壁などは、よく残っている。
  石室全長9.7m
  平滑に仕上げた花崗岩の大型石材を積んだ巨石墳
  7世紀前半の築造と推定されている。
  この時期ではわが国で最大級の横穴式石室をもつ。
  石室の周囲には排水溝がめぐっている。

 寛弘寺45号墳

 寛弘寺45号墳

一須賀古墳群は群集墳とはいうものの、ひとつひとつがしっかりした墳丘と横穴式石室があるのにびっくり!
群集墳にもいろいろあるなと思う。
見学の途中で、博物館閉館のアナウンスが聞こえたりして、かなりあせってしまった。
次回は博物館の見学をしたいなぁ・・・・・・。

午後5時半を過ぎ、今夜の宿泊地である奈良に向かう。
でもまだ明るく、奈良県葛城市の古墳を少し見学することになってしまう・・・・・・。

今回で河内の古墳見学は終わるが、奈良の古墳見学につづく・・・・・

河内の古墳探索 終わり

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