更新日 2014/4/14

近畿の古墳めぐり2013晩秋その4
大阪市内の古墳
2013/11/29

大阪にいる長男一家が引越しをしたというので、大阪へ。三日目。
長男宅に駐車させてもらい、公共交通機関で大阪市内の古墳めぐり。
大阪で初雪が観測されたという日で、風がとても冷たい。
天気がいいかと思ったが、小雨が降ったりしている。

8時10分 出発
阪急宝塚線・岡町駅(8:26) - 梅田駅(8:34)    
地下鉄谷町線・東梅田駅(8:47) - 出戸駅

大阪市の地図

花塚山古墳

平野区瓜破東四丁目 瓜破霊園内
 (撮影日2013/11/29)

出戸駅から南西約500m、瓜破霊園の北端に墳丘が残っている。徒歩10分。9時30分 着。

 花塚山古墳は 径25m・高さ2.5mの円墳である。
  幅約5mの周濠があったと考えられている。
 5世紀の築造と推定されている。
 本格的な発掘調査が行われていないので内部構造は不明だが、
  頂上部には木棺直葬の遺物があるものと推定されている。
 「花塚山古墳」の石標には、
  「5世紀に築造された円墳で、同じころにつくられた古市・百舌鳥古墳群や、
   近くの長原の小方墳群とは形式が異なる。」と刻まれている。 

 南西から見た墳丘

東から見た墳丘


ゴマ堂山古墳

平野区瓜破東四丁目 瓜破霊園内
 (撮影日2013/11/29)

花塚山古墳と同じく瓜破霊園内にある。  花塚山から南西約200m。
石碑も説明板もない。円墳らしいが・・・・。詳細不明。


ゴマ堂古墳

ゴマ堂山古墳  方向を変えてみる
削られて方墳のようにも見える。

徒歩で出戸駅まで戻り、今度はバスに乗る。
市バス(住之江公園方面行)で、出戸バス停(10:14ころ)-鷹合4丁目バス停。

酒君塚古墳

大阪市東住吉区鷹合2丁目5
 (撮影日2013/11/29)

長居公園通「鷹合4丁目バス停」から北東600m、
斜めに進むわけにいかないから、1kmほど歩かなければならない。
10時38分 着。
酒君塚公園となっているが、古墳には見えないな。

 日本書紀仁徳天皇の41年3月条によれば、
  酒君は百済の王族で、仁徳天皇の命を受けて鷹を飼育したとある。
 鷹合という地名もこの伝承による。
 江戸時代中期に成立した「摂津誌」によれば、鷹合村に、鷹甘部の墓があり、平塚と称すとある。
 発掘調査の結果、上部を削られて低くなった古墳に、
  江戸時代の終わりから明治時代の初めに盛り土をして、墳丘状にしたものと分かった。
  もとの古墳の形など、詳しい事は分かっていない。       (説明板から)
  
 酒君塚古墳
  5世紀初頭頃の形象埴輪片が出土
  地籍図からは、西向きの前方後円墳と推定されている。

酒君塚と刻まれた碑が、
1901(明治34)年に立てられている。

東から西方向を見る


長居公園通に戻り
市バス(住之江公園方面行)で、鷹合4丁目バス停(11時ごろ) - 千躰バス停。
千躰バス停から西に約500m歩く。

住吉大社

住吉区住吉2丁目
 (撮影日2013/11/29)

南門から入る。
住吉大社は、摂津国一の宮。
昭和21年までは官幣大社であり、全国約2300社余の住吉神社の総本社。

現在ある本殿は全て1810年(文化7年)建立。
第一本宮から第四本宮にいたる4棟の御本殿は「住吉造」という。
いずれも国宝建造物に指定されている。


南門

石舞台(重要文化財)

住吉鳥居   四角柱の鳥居

反橋(ソリハシ) 別名太鼓橋

第一本宮

第二本宮 右手前は第三本宮

住吉大社境内には、古墳と思われる高まりが残っているそうだが、よく分からなかった。

住吉大社から東に約400mの東大禅寺も古墳の上にあるという。
山ノ中古墳ともよばれ、前方部を北北西に向けた推定全長65mの前方後円墳と推定されている。 



住吉大社から西へ。
南海高野線で、住吉東駅(12:32)-帝塚山駅 2駅区間乗車。

帝塚山古墳

住吉区帝塚山西二丁目8
 (撮影日2013/11/29)

帝塚山駅から西にすぐ。12時37分 着。
門が閉じられていて、入ることは出来ない。
通りかかった男性は、長く住んでいるが、掃除の時くらいしか門は開かないと言っていた。

 帝塚山古墳は、
 西南西に前方部がある全長88mの前方後円墳
  後円部径49m・高さ9m 前方部幅39m
  前方部は後円部より約2m低くなっているが、
    基底が後円部から前方部にかけて1m低くなっているから、実質的には1mの差があることとなる。
 墳丘には円筒埴輪が樹立していて、往時南北両側には周壕の一部であるため池があった。
 4世紀末~5世紀初めの築造と推定されている。
  
 現在、後円部頂には、明治天皇の記念碑が立てられている。所有者は財団法人住吉村常盤会。
  
 今は、帝塚山古墳は一つだけだが、
  明治時代までは、俗に「大帝塚」と「小帝塚」と呼ばれる大小二つの古墳があり、
  この地に館を持っていた古代豪族の大伴氏の大伴金村とその子の墓とされていた。
 大帝塚の方は、現在の大阪市立住吉中学校の敷地となり、
  小帝塚の方が帝塚山古墳として現存している。      (説明板・HPから)

東から見た帝塚山古墳
門が閉じられていて入ることはできない。
まわりには家が立ち並び墳丘もなかなか見えない

立派な墳丘があるようだ。
説明板があるようだが、遠すぎて読めない。
望遠でようやく読めた・・・・・

住宅のすき間から見る墳丘その1

住宅のすき間から見る墳丘その2

帝塚山古墳から西へ、今度は阪堺電軌阪堺線の塚西駅をめざす。
午後1時となり、お腹もすいたなぁ・・・・と、探していたら、塚西交差点そばに「ごんラーメン」を発見!昼食だ。
  
ゆっくりラーメンを食べて、電車に乗ろうとしたが、阪堺電軌阪堺線というのは路面電車で、停車場が分からない。
  
とおりがかりの人に聞いたりして、もたもたしてしまった。
停車場は道路の白線で示してあるらしい。
  
阪堺電軌阪堺線・塚西(13:45)-北天下茶屋駅  4駅区間乗車。
北天下茶屋駅は、路面ではなく、駅舎がある。

聖天山古墳

阿倍野区松虫通の聖天山公園内
 (撮影日2013/11/29)

聖天山公園に残っている。   14時 着。
円墳で、現在は径10mほどか?

 聖天山古墳
  元は大きな古墳だったらしいが、昭和26年に、採土で削っていくうちに、石室が発見され、
  埴輪・土器・直刀・馬具等の副葬品が出土したが、現在は行方不明。
  6世紀の築造と推定されている。
  付近には、かつて天狗(てんぐ)塚・柘榴(ざくろ)塚といわれる小丘があり、
     土器・刀剣・馬具類が出土したそうだが、現在その痕跡は見あたらない。

聖天山古墳

外周を高さ3m程の石垣で保護されている。
中に大きなクスノキが1本立っている。
案内板はない。

聖天山公園の南側には正圓寺があるが、この正圓寺のある丘も、古墳ではないかといわれている。
(西に前方部のある前方後円墳か?)


北から見た正圓寺境内

古墳だとしたら、
長さ100mくらいの大きなものになるかも・・・
左(東)が後円部かな
お寺なのに狛犬と鳥居がある。
いろいろおもしろいお寺だ。

正圓寺本堂前には、
「聖天山山頂」の標識がある。

「大阪五低山」に選ばれことを知り、
      お寺で作成したとのことである

珍しいお寺の鳥居
      上が盛り上がっている。
奥の院はお稲荷さん?

正圓寺境内には、松虫塚白龍神社というのもある。
お百度参りをしているらしい女性がいる。

聖天山古墳から北東150mくらいのところに 丸山古墳があった。
丸山古墳は、円墳で、優れた埋葬品が出土しているが、現在は碑があるだけだ。

この付近は、吉田兼好が隠棲し、その間「徒然草」を著述したところと伝えられている。

松虫塚

阿倍野区松虫通1-11-5
 (撮影日2013/11/29)

聖天山から、南の松虫通りに出て、東に約400m歩くと、道路わきに石碑がある。
14時10分  着。  松虫塚の伝説の説明板もある。

松虫塚

元は小さな古墳だったと考えられている。

近くには、同じような
  小町塚・播磨塚などもあるそうだが・・・・・。
松虫塚にはいろいろな物語が伝承されているようだが、元は古墳だということは間違いないようだ。

松虫塚から北東へ約150m、
阪堺電軌上町線・松虫駅(14:19)  -  天王寺駅前駅   2駅区間乗車

御勝山古墳のそばの生野区役所に行くためのバス時刻を調べてから、天王寺公園へ。
(行き先によってバス停が違うので、バス時刻を調べるだけでも、とっても時間がかかったのだが・・・)

茶臼山古墳
府指定史跡
(天王寺公園)

大阪市天王寺区茶臼山町1
 (撮影日2013/11/29)

茶臼山古墳は天王寺公園の中にある。
天王寺公園に入るには、大阪人以外は、150円の入園料が必要だ。(15時すぎ)

茶臼山は 大坂夏の陣や冬の陣(1614・1615年)で、激戦の地となったが、
 元々前方後円墳と考えられ、河底池は周濠の痕跡とみられていた。
 昭和61年(1986)に発掘調査で、家康の本陣跡の建物や堀割が確認されたが、
 全長200mの大前方後円墳だという確証は得られていない。
 四天王寺には、茶臼山古墳から出土したという石棺が残っている。 (説明板ほか)


南から見た茶臼山古墳

周壕のある前方後円墳に見える…

盛土で作られているそうだから、
やはり前方後円墳?

前方部とみられる付近
「茶臼山古戦場跡地」の説明板がある。

後円部とみられるあたり



旧黒田藩蔵屋敷長屋門
    (天王寺公園内)

「軍師官兵衛」でおなじみ黒田藩だ。





天王寺公園から見る通天閣






天王寺公園内の美術館の向こうに見える
     あべのハルカス


あべのハルカスの低階はオープンしていて、
たくさんの人が訪れていた。

茶臼山古墳の北東にある四天王寺には、長持形石棺蓋が保存されている。
四天王寺に古墳があったということか。
これとは別に、現在「熊野権現礼拝石」となっている石材も、石棺材と考えられている。
この「熊野権現礼拝石」は阿蘇ピンク石といわれる石材だ。

今回、天王寺公園で時間を取られて行けなかったが、機会があったら、ぜひ四天王寺に見学に行きたい。

市バス・天王寺バス停(16:12) - 生野区民センター前バス停

御勝山古墳
府指定史跡

大阪市生野区勝山北三丁目16
 (撮影日2013/11/29)

バス停の東200mに墳丘。 16時30分  着。薄暗くなってしまった。
区役所内に、御勝山古墳の説明と出土品が展示されている。


推定復元図 (区役所内展示から)

南北112m・東西55m・高さ8m
周壕を含めると全長150mの前方後円墳

昭和49年(1974年)の発掘調査で埴輪や葺石が発見された。
その後も数度の発掘調査が行われている。

4世紀末~5世紀前半の築造と推定されている。
岡山ともいわれている。
前方部は道路(勝山通)と公園に姿を変え、西側は周濠の名残りをとどめるのみである。
大坂冬の陣のとき、徳川秀忠の陣所になり、戦勝を記念して御勝山と呼ばれるようになったという。


西から見た後円部

歩道橋上から見た後円部

北から見た前方部
公園です。

空から見た御勝山古墳 (区役所内展示から)

 古墳から出土した埴輪  円筒埴輪、家形埴輪の破片など  (区役所内展示から)

区役所で、御勝山古墳の資料展示の見学を済ませ、
市バス・生野区民センター前バス停(16:56) - 天王寺駅前 

地下鉄谷町線・天王寺(17:14) - 東梅田     

梅田駅前の阪急デパートには、とてもたくさんの人がいる。
くたびれたので、ちょっと休んで、夕食をと思ったが、落ち着かなくて、結局・・・・・
阪急梅田駅(18:12) - 岡町駅(18:30)
駐車場に置いてあった車に乗って、昨晩に引き続き、今夜も、伊丹イオンで食事をすることとなった。      

20時20分、今夜も長男一家の旧宅に宿泊。
明日は最終日。

兵庫県・山本奥古墳群につづく

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