更新日 2016/6/11

大阪府南部から和歌山県へ
その12 河南町・太子町
2015/12/3~12/6

12月6日午前中に和歌山県から大阪府に戻り、河内長野市・富田林市の見学を終え、河南町へ。
大阪府南部の古墳見学・第3部。

河南町・太子町周辺の地図g    

金山古墳

南河内郡河南町大字芹生谷
 撮影日2015/12/6

以前から気になっていた金山古墳をようやく見学。  駐車場あります。
石室に2つの石棺が安置されているのに、びっくりです。

 金山古墳は  ひさご塚または二子塚ともいう。
  全長85.8mの双円墳という全国的にも珍しい形

金山古墳墳丘図

ほぼ南北に並ぶ
  大小ふたつの円丘を連結している。
2つの円丘は同時につくられている。
 北丘直径38.6m・高さ6.8m  南丘直径55.4m・高さ9.4m
 北丘は2段築成、南丘は3段築成
 墳丘の周りは深さ1.4mの濠がめぐっているが、水はなかった。
 各段の間と墳頂部の平坦面には葺石あり。斜面を覆う葺石は、くびれ部西側以外にはない。
 北丘には長さ約10mの横穴式石室があり、
   中には凝灰岩をくりぬいて造られた家形石棺が2個置かれている。

 石室や石棺の中はすでに盗掘されており、
   わずかにガラス玉、耳輪、馬具、鉄刀、土器の破片が出土した。
 石室前にはくびれ部西側へとつづく墓道があり、
     石室入口をふさいだあと、この墓道は埋められていた。
 一部だけ埋葬直後の姿に復元している。
 南丘にも石室へとつづく墓道が見つかり、横穴式石室があることはわかっているが、
     未調査なので大きさや中の様子などは不明。
 6世紀末~7世紀初頭の築造と推定されている。
 復元にあたり、敷石・葺石の部分はリュウノヒゲ、斜面の土の部分は芝で表現している。
 周囲の濠は現在田畑になっている。

発掘調査中の金山古墳 (説明板から)

羨道部に一つ玄室に一つ
計2基の家形石棺が置かれている。

金山古墳全景

左・北丘 右・南丘

北丘は2段築成、
    南丘は3段築成

北丘墳頂から南丘を見る

北丘の横穴式石室の
墓道と閉塞石を復元している。

北丘 閉塞石の後ろの天井が開口している

北丘横穴式石室内部 石棺が並ぶ

羨道部の石棺

羨道部の石棺内部

玄室の石棺は、あまり見えない

羨道から外を見る

南丘の石室か?

南丘2段目の区切り石


南丘から北丘を見る

北丘の石室部分が見えている。

とても楽しい古墳だ・・・・!

寛弘寺古墳公園

南河内郡河南町大字寛弘寺
 撮影日2015/12/6

近つ飛鳥風土記の丘に行ったときに、寛弘寺古墳群45号墳の移築石室を見学した。
今回は、現地保存のものを見学。
西側に駐車場とトイレが用意されている。

 寛弘寺古墳公園は、河南町の西部、千早川西側の丘陵上にある。
  この地域一帯はかつて狭い谷の入り組んだ丘陵地帯で、尾根の上には多くの古墳が点在していた。
  いくつもの古墳をまとめて寛弘寺古墳群(ツギノ木山支群)という。
 農地開発事業にともなう、この地域の遺跡の発掘調査は、昭和57年にはじまり平成12年まで続く。
  発掘調査によって確認された古墳は総数92基
  4世紀中ごろから7世紀後半にかけての築造と推定されている。
 寛弘寺の古墳はどれも小型であったため、ほとんどが古い時代に壊され消滅したが、
    4・5・6・7号墳の4基の古墳は古墳公園として、現地で保存整備された

寛弘寺古墳公園配置図    (説明板より)

この4基の古墳は、古くから「寛弘寺の七ツ墓」としてよく知られ、
      歴史的にも貴重なもの。
寛弘寺古墳群の出土遺物は
     大阪府立近つ飛鳥博物館で保管・展示されている。
 寛弘寺古墳群のツギノ木山支群は、寛弘寺古墳群の北東の一角。
 ツギノ木古墳として知られていた5号墳をはじめとして15基の古墳が確認されている。
 4世紀中ごろ~5世紀後半に築造されたと推定されているグループと
 6世紀後半以降の築造と推定されているグループに分かれる。
 4、5、6号墳が古いグループ、7号墳が新しいグループになる。
 4号墳は 径29mの円墳
 5号墳も ほぼ同じ大きさだが、西側に長さ3m・幅4.5mの方形の造り出しがある。
 6号墳は 一辺21~22mの方墳
 5世紀前半~後半までの間に5号墳→4号墳→6号墳の順に造られたと推定されている。
 いずれも埋葬施設は未調査だが5号墳には円筒埴輪列がめぐり、船形埴輪も出土している。
 7号墳は 径12mの円墳で横穴式石室がある

寛弘寺古墳群全体図
    (説明板から)

黄色の部分が寛弘寺古墳公園となる。
ツギノ木山支群は、
 古墳公園となった4・5・6・7号墳以外は
  消滅している。
 昭和57年~平成12年にかけて発掘調査。
 40、41、45号墳の石室は近つ飛鳥風土記の丘に移築されている

4号墳  西の道路から見上げる

4号墳  5号墳から見る

5号墳
  4号墳から見る


右が方形の張り出し部


5号墳頂の平坦面

5号墳 西側の方形の造り出し

6号墳 5号墳から見る

6号墳の拡大

7号墳  6号墳から見る

5号墳  6号墳から見る


シシヨツカ古墳
アカハゲ古墳
塚廻り古墳

平石古墳群

大阪府南河内郡太子町加納
 撮影日2015/12/6

シシヨツカ古墳・アカハゲ古墳・塚廻り古墳は、河南町加納の道路脇に並んでいるみたいなのだけど、
特定に至らず・・・・。駐車ができれば、じっくり探すのだが・・・・


アカハゲ古墳あたりかな? 

シシヨツカ古墳あたりかな?
 シシヨツカ古墳は 東西34m、南北26mの貼り石を施した3段築成の方墳
  周濠も含めると東西60m、南北53mの大規模な終末期古墳
  横口式石槨は全長11.4mで奥室、前室、羨道からなり、隙間には一部漆喰が残存。
  漆塗篭棺・亀甲繋文銀象嵌円筒大刀柄頭・龍文金象嵌鞍金具など豪華副葬品出土。
 アカハゲ古墳は、終末期の方墳
  東西約70m、南北40m以上の平たんな壇の上に高さ1.64mの墳丘を三段積み重ね、
   最上段は東西22m、南北14mル以上の大きさ
  横穴式石室がある。
  排水口は墳丘下部3カ所で確認されている。
  出土品としては、漆塗りかご棺や褐色のうわぐすりをかけた陶器製円形すずりの破片など
   朝鮮半島の影響を色濃く示す遺物が確認されている。
  平石古墳群に属する。 古墳の規模は7世紀前半の天皇陵に次ぐ大きさ。
 塚廻り古墳は平石古墳群に属する終末期の古墳
  大規模な方墳の可能性が高いと言われている。
  横穴式石室がある。
   奥室は、壁・床・天井全てが1枚の石でできており、
    長さは2.3m、幅、高さは1.31mもの広さを持つ。
   羨道は奥室より幅も高さもやや大きく、石室は南に開口している。
  盗掘を受けてはいるが、棺台・籠棺、鉄刀、ガラス玉などの破片がたくさん出土している。

今はどういう状態で保存されているのだろうか?

葉室公園
葉室石塚古墳・釜戸塚古墳・葉室塚古墳

大阪府南河内郡太子町葉室
 撮影日2015/12/6

葉室公園
葉室石塚、釜戸塚、葉室塚の3基の大古墳に囲まれた歴史公園
墳丘は公園内の小高い丘となっており、古墳を生かした公園として憩いの場になっている。
広々とした公園は、芝生や木々などたくさんの緑に囲まれている。

葉室公園案内図 (現地説明板から)

磯長谷古墳群の中でも、
ここは古墳が集中してつくられていて
葉室古墳群と呼ばれている。

 釜戸塚古墳 
 径45mの円墳
 北側の丘陵を掘り込み、馬蹄形をした濠をめぐらしている。
 墳丘の中央部が大きく陥没しているので、横穴式石室が存在したと考えられている
  (羨道と思われる部分に大型の切石が残っているので、岩屋式の石室か?)
 7世紀前半の築造と推定されている。
 聖徳太子御廟と似た規模・構造をもつ。



釜戸塚古墳全景

濠がしっかり残っている。




石塚古墳側から見た釜戸塚古墳


以前は果樹園として利用されていたらしいが、
    現在墳丘上は荒れ放題・・・。

 石塚古墳
 径30mの円墳
 大型の横穴式石室があったが、壊されている。
 石室内からは家型石棺片、木棺片、須恵器が出土している。
 6世紀末~7世紀初めの築造と推定されている。


石塚古墳全景

低い墳丘になってしまっているが、
かつては横穴式石室があったという。




ベンチが置かれて、
葉室公園では、休憩場所のような存在だ。


 葉室塚古墳
 東西75m・南北55mの長方形墳
 大きさから言うと、春日向山古墳(用明天皇陵)や山田高塚古墳(推古天皇陵)と同等の規模。
 2段築成
 北側は堀をめぐらし、南側は低い張り出し(前庭部)をもつ。
 墳丘の形状からみて東西2つの横穴式石室があると考えられている
 推古天皇陵や二子塚古墳も1古墳2石室で、平面プランが似ている。

葉室塚古墳全景

濠があったのか?

西側(右側)は
大きく破壊されている。


雑木林の間から
    大きな墳丘がみえる。

大きな古墳なのに、発掘調査もされず、整備もされず、静かに存在しているのがかえって面白い。
葉室塚古墳こそこそが、本当の敏達天皇陵ではないかという説もある。

山田高塚古墳
(推古天皇陵)

磯長谷古墳群

大阪府南河内郡太子町山田
 撮影日2015/12/6

2013年4月には、近くの二子塚古墳から眺めただけで終わったが、今回は間近で見学。
駐車場がある。

 東西59m・南北55m・高さ11mの方墳
 3段築成 最上段は東西34m・南北25mの長方形

 江戸時代の文書によると、羨道の前面が崩落して横穴式石室が露出し、
 石室内は右に推古天皇、左に竹田皇子の石棺がおかれていたとある。

 また、墳墓は江戸時代以降の改修で、
   原形とは異なる修築がおこなわれたともいわれている。

 7世紀代の築造と推定されている。

山田高塚古墳を北から見る

南西角から、御拝所へ向かう道がある



南側中央にある御拝所

とってもりっぱな墳丘だけれど、
   葉室塚古墳はもっと大きいのです。

2013年の二子塚古墳・山田高塚古墳の見学のページ

二子塚古墳
磯長谷古墳群

大阪府南河内郡太子町山田
 撮影日2015/12/6

二子塚古墳は、2013年4月に見学した。
全景のいい写真がなかったので、写真を撮りにもう一度。


二子塚古墳を 東から見る。

いい写真が撮れた!


二子塚古墳
   山田高塚古墳から見る



全行程終了!
道の駅「近つ飛鳥の里・太子」  みかんを買い、
午後3時45分 太子ICから 南阪奈道路(ETC 110円)-たじはや料金所(ETC 470円)
    -八尾本線料金所(ETC 510円)-京滋バイパス-名神高速-北陸自動車道
    -白山IC(ETC 4840円)
        (一体、高速道路の料金システムはどうなっているのでしょうね?)
8時10分ごろ、帰宅。

今回の旅行の走行距離は、1235kmとなった。

大阪南部と和歌山県の旅  終わり

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