北村さんちの遺跡めぐり
更新日2011/5/26

兵庫県・その1 2011/4/2〜3

兵庫県立考古博物館の「茶すり山古墳」特別展のパンフレットを見て、茶すり山に行きたいと思った。
特別展示期間は過ぎているけれど、本物の茶すり山を見たい!
孫にも会いたい!

6:25 自宅発
    徳光ETC専用ゲートから北陸自動車道

    米原JCTから名神高速道
      黒丸SA  休憩
    吹田JCTから中国自動車道
      中国豊中ICから宝塚ICまで渋滞にはまる。
      西宮名塩SA  休憩
    神戸JCTから山陽自動車道     ETC料金 2000円
10:55 加古川北IC から一般道
石の宝殿へ!      

高砂の地図

石の宝殿
生石神社
オウシコジンジャ

兵庫県高砂市阿弥陀町生石
 (撮影日2011/4/2)

11:16着。
想像していたよりも、かなり巨大でびっくり!やはり本物を見なければわからない。

石の宝殿
推定500トンを越える巨岩
幅6.4m・高さ5.7m・奥行き7.2m
竜山石として知られる凝灰岩で出来ている。



岩山の中腹を削って作ったもの
三方を岩に囲まれ、池に浮かんでいるように見えるため、「浮石」とも呼ばれる
この池は、天候に関係なく水位が変わらないと言われている。

石の宝殿
後の三角の出っ張り。
巨大なブラウン管テレビと誰かが言っていたが、
まさしくそんな感じ!

古墳の石室を削り出そうとしたという説が
最近では主流になっているようだが、
大きすぎるのではないのか?

生石神社の社伝によると、
大穴牟遅(オオアナムチ)神と少毘古那(スクナヒコナ)神が出雲国からこの地に来た時に
石の宮殿を造ろうとして一夜のうちに工事を進めていたが、工事半ばで土着の神の反乱が起こり、反乱を鎮圧したが、
その間に夜明けとなり、宮殿を正面に起こす事が出来なかった。
たとえ社が未完成でも、二神の霊はこの石に籠り国土を守ることを言明されたと伝えられる。


石の宝殿の上には
樹木が生えている。





生石神社は、石の宝殿と呼ばれるこの巨大な石造物を神体としている。
生石神社の石の宝殿と、宮城県鹽竈神社の塩竈、宮崎県霧島神宮の天逆鉾(あめのさかほこ)を総称して、
「日本三奇」と呼ぶ。

高砂市・姫路市の地図

竜山古墳群

兵庫県高砂市米田町島ほか
 (撮影日2011/4/2)

竜山古墳群は生石から竜山にかけて7基確認されている。

竜山1号墳
生石神社の境内駐車場奥にある。

竜山1号墳の石棺
坂の途中にあって滑り落ちそう!


竜山1号墳の墳丘や石室が破壊され石棺が流出した。




竜山1号墳は墳丘の形は不明

岩盤を削った平坦地の上に竜山石による石組みの刳抜式横穴式石室(幅約1m・長さ約1.5m)を築き、
家形石棺(長さ約1.2m)を設置
と考えられている。
古墳時代終末期(7世紀)の単独墳と推定されている。
竜山5号墳 竜山6号墳
生石神社の南の住宅街の奥、竜山の山裾に加茂御祖神社があり
そこから竜山に続く山道を上る。かなりきつい坂道。中腹に大きな文字!


「観涛処」の大きな文字

姫路藩の儒者・永根文峰(1802−1833)が19才の時に書いた文字を、
姫路藩の家老が石に刻み、1836(天保7)年に自費で完成させたという。
そこからさらに上り、平坦になった所からさらに南に上がったり下ったりして・・・竜山5号墳の説明板。

竜山5号墳墳丘

説明板がないと見逃してしまっただろう。
「墳丘に上らないで」と書かれているが、墳丘に踏み固められた道がついている。
山火事があったそうで草が黒くなっている。こわい!
竜山5号墳は 墳長36mの前方部を東に向けた前方後円墳
昭和51年、後円部から竪穴式石槨が発見され、鏡・玉・剣・刀・斧・鍬などが出土
4世紀後半の築造と推定されている。
竜山5号墳からさらに南、竜山山頂に向かうと竜山6号墳。

竜山山頂には竜山6号墳がある
山頂には、三角点と岩がある
径35mの円墳
説明板がないので詳細は不明。

山にいつも来ているという男性と道連れになった。

来た道を戻り、山を下る。
丸亀製麺高砂北店にて、昼食。
午後は姫路市から・・・。

壇場山古墳
ダンジョウザンコフン
第1、2、3古墳を含めて国史跡

姫路市御国野町国分寺
 (撮影日2011/4/2)

周壕跡がとてもきれいな大きな古墳だ。

壇場山古墳 全景
右 前方部



壇場山古墳 東側周壕跡
奥が
後円部



壇場山古墳 周辺図
 (説明板から)

壇場山古墳

全長143mの前方後円墳 後円部径82m・高さ9m 前方部幅85m
南南東に後円部を、北北西に前方部がある。
くびれ部の西側に造り出しあり
周濠をめぐらし、その外側には周庭帯がある
葺石あり 埴輪あり
5世紀前半の築造と推定されている。
5世紀前半の築造と推定されている。




壇場山古墳
前方部から後円部を見る


かつて墳丘上には天満神社が建っていたが、現在は撤去されている。



壇場山古墳の後円部頂

組合式長持石棺の蓋(長さ3m、幅1.4m)が露出
縄掛け突起が見えている。
短辺の突起が見える。
石室を造らず、石棺を直接埋めたと考えられている。



壇場山古墳
後円部から前方部を見る

墳丘をぐるぐるまわって散歩している男性がいる。



壇場山古墳 西側周壕跡

左奥から手前右へ
前方部 造出し部 後円部


神功皇后が征西の途中、この山に壇を築いて戦勝を祈ったという伝承からこの名前が付けられた。


陪塚第2古墳(櫛之堂古墳)
南西側にある

径20m以上の円墳と推定されている。
長持形石棺の小口の石材が露出しているというがわからなかった。


陪塚第1古墳(林堂東塚古墳)

東側の民家の合間にあり、かなり荒れた状態

小円墳と推定されている。
第3古墳は、壇場山古墳の前方部北方にある山之腰古墳で、1921(大正10)年に一括して国指定史跡となる。

山之越古墳
国史跡

姫路市御国野町国分寺
 (撮影日2011/4/2)

壇場山古墳の前方部北方にある。
「史跡第3古墳」という石碑が立っていて、壇場山古墳の第3陪塚といわれていたが、
現在では壇場山古墳の次の世代の墳墓と考えられているようだ。

山之越古墳

石棺のある所が盛り上がっている。
方墳も50mを超えるととても立派だ。
今までは一辺50m・高さ7mの方墳と考えられていたが、
今年(2011年)2月の現説で、
一辺60mの方墳で、幅17mの周壕を確認し、葺石や埴輪片なども見つかったことが発表された。
周壕の外側は現在の道路とほぼ一致しているという。
5世紀中ごろの築造と推定されている。

山之越古墳の墳頂に露出した石棺蓋
縄掛け突起が見える
こちらは長辺の突起が見える




山之越古墳の石棺は
蓋だけではなく身の部分も見えている。


上の写真の反対側

鏡・刀剣・玉類が出土しているということだが、
石棺は、正式には調査されていないという!!!

日岡山公園の古墳

加古川市大野
 (撮影日2011/4/2)

日岡山公園には、日岡御陵などの日岡山古墳群がある。
西側駐車場に駐車。
花見には少し早いようだが、桜祭りでにぎわっている。

日岡山公園周辺の古墳

西車塚古墳
日岡山公園

西車塚古墳

径23mの円墳で、周壕が残る
埋葬施設や出土物は不明。
4世紀後半の築造と推定されている。
南大塚古墳
日岡山公園

南大塚古墳
前方部裾からくびれ部・後円部を見る
周壕は畑になっていたが復旧した。

全長90mの前方後円墳
後円部径57m・前方部長さ33m

南大塚古墳
後円部の墳頂には石材が散乱している。





西大塚古墳
日岡山公園

西大塚古墳
前方部から後円部を見る


西大塚古墳
全長74mの前方後円墳 後円部径40m・高さ3.5m、前方部高さ1.5m
埋葬施設は不明
周壕から円筒埴輪の破片が出土
4世紀の築造と推定されている。

西大塚古墳 後円部




その他の日岡古墳群

西大塚古墳の西、標高59.9mの日岡山山頂に日岡御陵がある。
景行天皇の皇后印南別嬢の御陵とされている全長85.5mの前方後円墳で「ひれ墓」と呼ばれている。
公園東側の住宅の中に北大塚古墳が保存されている。が後円部径52mの前方後円墳だが前方部は削平されている。
日岡山公園の西にある佳福院という寺の西の竹林の中に勅使塚古墳がある。
全長60m、後円部径35mの前方後円墳で、周濠の痕跡が残る。後円部に葺石がある。
東車塚古墳は消滅。
西条古墳群
国史跡

加古川市山手
 (撮影日2011/4/2)

15:20  着

西条古墳群は5世紀代に築造された3基の大型古墳を中心とした古墳群で、1973(昭和48)年に国指定史跡となっている。

加古川市の地図

尼塚古墳
西条古墳群
公園として整備されている。

尼塚古墳全景



尼塚古墳全長51.5m・高さ6mに復原される造出付円墳
造出は長さ6m・幅13m
幅7mの濠がめぐる。2段築成
上部の斜面は葺石で覆われている。
上段と下段の境にはテラスがあり、埴輪が並べられていた。
5世紀の築造と推定されている。(埴輪の特徴から)

尼塚古墳の造出部
少し残っている。



人塚古墳
西条古墳群
西条廃寺
史跡公園となっている。

人塚古墳全景

西側(写真左側)が発掘調査され、今年(2011年)2月現説があったそうだ。


人塚古墳
東側から見る

周壕跡が残っている。



人塚古墳
は 径60mの円丘の西側に小さな高まりが確認できる。
西側部分の調査の結果、くびれ部を検出し、前方部があった可能性が高くなった
先端部は破壊されているために長さは不明。
二段築成 上段に葺石あり
テラスには円筒埴輪列がある 
5世紀前半の築造と推定されている。

西条廃寺(県史跡)の塔跡

人塚古墳の東隣にある。
背後に見えるのは人塚古墳
西条廃寺は
奈良時代初期(7世紀末)の、法隆寺式の伽藍配置をもつ市内最古の寺院跡
塔や講堂・金堂などの建物の基壇(基礎)、中門・回廊跡などが復元されている。
行者塚古墳
西条古墳群
公園として整備され、造り出し部には埴輪、土器が並べられ築造当時の姿に復元されている。

行者塚古墳

左奥 後円部
中央 造出部
右手前 前方部

行者塚古墳は 全長約100mの前方後円墳。後円部径68m
段築あり 葺石あり、埴輪あり、周濠あり
5世紀始めの築造と推定されている。

行者塚古墳 前方部から後円部を見る

後円部からは鰭付円筒埴輪列が出土
家形・甲冑形・盾形などの形象埴輪も出土


行者塚古墳
後円部から前方部を見る

埋葬施設は
 粘土槨
で、墓壙は長さ10m・幅7m(内部は未調査)
これとは別に、2か所で副葬品の木箱らしきものが発見され、
 西副葬品箱から、鉄製品・青銅製品が出土
 中央副葬品箱から金銅製帯先金具や轡、鋳造鉄斧などが出土


復原された造出部

造出部は
 北側9m、南側9m、西側14m、東側12.4mのいびつな台形で、斜面には葺石
 平面には円筒埴輪が並べられている。
 壺形埴輪・家形埴輪や、食べものを模した土製品や土器が出土
 後円部との間の谷部からは囲形埴輪が出土した。
  
宮山遺跡
市史跡

加古川市八幡町上西条
 (撮影日2011/4/2)

独立丘陵のようになっていて、「宮山農村公園」として保存されている。

宮山遺跡配置図  (説明板から)

宮山遺跡は
縄文時代の住居跡、
5世紀の円墳1基、6、7世紀の円墳6基、
平安時代の掘立柱の建物跡1棟、祭祀の建物跡1棟、祭祀場1箇所
が保存されている。

須恵器・土師器、中世の磁器が出土
わずかに縄文土器片、弥生土器片、サヌカイト片なども出土した。



宮山住居跡

縄文時代晩期の敷石式住居跡
地面を円形に掘り、その底に石を敷き詰めている。
宮山大塚の周りの平坦な所にも住居跡が残っていると考えられている。



宮山大塚古墳

雑木で墳丘の観察は難しいが
周壕跡があり、形の確認ができる。
宮山大塚古墳
帆立貝形前方後円墳で後円部径40m・高さ6m
幅6mの堀がめぐる
5世紀後半の築造と推定されている。

宮山大塚を中心として、周囲に横穴式石室がある直径15〜20mほどの円墳が6基ある。
6世紀の築造と推定されている。


1号墳
 
2号墳

3号墳

4号墳

 5号墳

6号墳

1号墳には右片袖式の中規模の横穴式石室が完存しているそうだが、見逃した!!大失敗。

正法寺古墳公園

三木市別所町正法寺
 (撮影日2011/4/2)

正法寺古墳群は、正法寺集落の背後、美嚢川と加古川の合流地を望む段丘上から正法寺山にかけて所在する。

正法寺古墳公園全景
調査の結果、横穴式石室を主体部に持った16基(調査は9基)の古墳が確認された。

調査後、1号墳と1b号墳に隣接して、2号墳・3号墳の石室を移設した。




1号墳
横穴式石室は天井石まで残っていた。
周溝の形から
一辺16mの方墳と考えられている。
石室入口には柵があって中には入れない。

1号墳石室内部
両袖式
側壁は持ち送り気味に築かれている
室の床面は礫が敷き詰められていた
須恵器長頸壷や馬具など多数の副葬品が出土した
石室全長9mほど



1b号墳
1号墳の墳丘東裾で確認された古墳

石室の残存長約5.4m、羨道幅約1.1m、玄室幅約1.4m
左片袖式


2号墳
墳丘と天井石及び左側壁の一部を失っていた
石室長約6.4m、羨道幅約1.1m、玄室幅約2.0m
右片袖式石室



2号墳の奥壁上から石室入口を見る

床面から直刀や須恵器高坏などの遺物が多く出土



3号墳

墳丘が削られ、天井石を失っていた
石室長約4.8m、幅約1.3m
無袖の石室



他に4号墳(金製のイヤリングなどが出土)や10号墳(石棺出土)などが調査されたが、消滅した。

加古川市・三木市の地図

時刻は午後4時45分になった。
午後6時に、有馬温泉で長男一家と合流するためには、もう行かなければいけない。
16:55 山陽自動車道 三木小野IC
17:00 三木SA トイレ休憩
     神戸北ICを過ぎた途端渋滞、
17:35 西宮北IC    ETC料金 450円

長男家族と約束の午後6時に、ぎりぎり間に合う。
今夜の宿泊は有馬温泉 ミントリゾート・イン・アリマ。
孫に初節句の兜を届けることがてきた。

兵庫の旅その2につづく

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