更新日2016/1/30

大阪南部と和歌山県
その2 紀ノ川北岸の古墳
 
2015/12/3~12/6

第一日目、大阪府岬町の古墳見学を終え、10時38分和歌山県に入る。

和歌山県の地図g

木ノ本(釜山)古墳群 和歌山市木ノ本
2015/12/3

和歌山市木ノ本にある古墳群。
釜山古墳と車駕之古址古墳、消滅した茶臼山古墳がある。
紀ノ川流域の平地に立地する古墳として注目されている。


木ノ本古墳群周辺図  (パンフから)

木ノ本古墳群配置図  (パンフから)


釜山古墳
木ノ本(釜山)古墳群

大きな墳丘が残っている。説明板あり。

 釜山古墳は  径40m・高さ7mの大型円墳
  本来は径45mほどあったと推定されている。現状は径40mとなっている。
  周囲の畑に幅4mの周濠の痕跡がある。
  地形からみて、元は前方後円墳だったという説もある。

  明治31年に地元民が発掘したが、この時点ですでに盗掘を受けていた。
   鉄製武器武具類(直刀・鉄鏃・鉄槍・挂甲小札)、ガラス製小玉、滑石製小玉、円筒埴輪などが出土したが、
     現在所在不明。
  主体部は不明だが、
    墳丘上に2枚の板石が立てられていて、竪穴式石室または箱型石棺の蓋石と考えられている。

東から見た墳丘

車駕之古址古墳から見た釜山古墳

墳丘上には、石材があるらしいが、上がらなかったのが残念だ。個人所有だそうだ。

車駕之古址古墳
 
県史跡・出土品は県指定有形文化財
木ノ本(釜山)古墳群

車駕之古址古墳の北側にある木ノ本文化会館に、駐車のお願いに行ったら、車駕之古址古墳のパンフレットを貰えた。

史跡公園となっているが、墳丘が復元されているわけでなく、少し盛り土をして、規模を示すために石を配置しているだけである。

 車駕之古址古墳は  全長86m・高さ8mの前方後円墳  後円部径51m前方部幅41m
  段丘上に築かれている。
  南側に方形の造り出しがある。 2段築成で、川原石の葺石がある
  周濠があり、その外側には外提がある。  外提を含めると、総延長は120mとなる。
  
5世紀の築造と推定されている。

  主体部はすでに消滅していたが、
   後円部の撹乱土中より多数の埴輪の破片や ガラス小玉とともに
金製勾玉が出土
   金製勾玉は、日本で唯一である。朝鮮半島の古墳からは3例ほど出土している。
  1990年から数度の調査を経て、2007年公園として開園。

発掘前の測量図  (パンフから)
茶色の部分が、周囲より高くなっている。

公園整備図  (パンフから)
墳形は石で示されている。

車駕之古址古墳公園
中央が後円部  左に前方部

後円部から前方部を見る。
墳丘は高さがほとんど無くなっている。

前方部から後円部を見る

1990年に出土した金製勾玉  (パンフから)
 高さ1.8cm 重さ1.57g

頭部は
刻み目を入れた細い金の紐を張り付けて、飾っている。
国内では唯一の出土。

将来的には、墳丘の復元整備を目指しているそうだ。
現在、車駕之古址古墳は、墳長からみると、天王塚山古墳に次いで、和歌山県で2番目の大きさになっている。


消滅した茶臼山古墳は、西側の児童公園付近らしいが、痕跡も見当たらない・・・・・・。



木ノ本公園
かつて茶臼山古墳があったのか・・・・




大谷古墳
(国史跡・出土品は重要文化財)
和歌山市大谷
2015/12/3

住宅街の中に史跡公園として、保存されている。

大谷古墳周辺の遺跡

  (説明板より)





 ●・・・前方後円墳

 ○・・・円墳

□  ・・・方墳



大谷古墳と晒山5・6・7号墳配置図

  (説明板より)



大谷古墳

駐車場がある。立派な説明板が3枚。

 大谷古墳は  紀ノ川下流北岸で、和泉山脈南麓につくられている。
  
全長67mの前方後円墳  後円部径30m・高さ6~8m
  後円部裾には幅50cmほどの溝が11mにわたって掘られ、29基の円筒埴輪が並べ立てられていた。
  埴輪は高さ約50cm、上端の直径が約30cm
  後円部頂上に長さ2.9m・幅3m・深さ0.7mの穴に石棺が納められていた。
  
5世紀末の築造と推定されている。

墳丘図    (説明板から)
 

石棺出土状況   (説明板から)
 
 石棺は九州阿蘇産凝灰岩の組合式家形石棺で、長さ2.9m・幅1.6m・高さ1.6m
 蓋に環状の突起がある。石棺内部には朱が塗られていた。
 昭和32(1957)年の発掘調査で、後円部頂から組合式石棺が発見されたが、
    その中や周辺から装身具、武器・武具、馬具など多くの副葬品が出土。
 特に
馬冑・馬甲は、実物としては初の発見となった。(その後、朝鮮半島で20以上が発見されている)
 馬冑は、日本では他に埼玉県行田市の将軍山古墳と福岡県古賀市船原古墳の2例で出土している。
 被葬者は、出土した人歯から20~30才と推定されている。



棺を収めた穴の様子
 (説明板から)

石棺を埋設する途中に、
 石棺の周辺に副葬品として
   武器・武具を配置したようだ。
 石棺内は、盗掘されていたが、
   鏡・ガラス玉・耳飾り・帯飾りなどの装身具と刀・冑・挂甲などの武器・武具があった。
 石棺外の西側から、短甲があり、その下に馬用の甲冑・鐙・鞍などがあった。
 石棺外の東側には、ミニチュアの農具(鍬・鎌)や工具(手斧・鑿・ヤリガンナ)の鉄製の刃と滑石製の玉があった。
 石棺の東には、木棺が置かれ、中には、馬につけるための、轡や鈴や飾り金具があった。

出土した馬冑・馬甲

出土した馬具(轡・杏葉・雲珠・辻金具・馬鈴・鐙)
(ともに説明板から)    

駐車場から見た大谷古墳

後円部脇から前方部を見る

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る
 出土遺物は国重要文化財に指定されている。
 昭和58年、史跡整備のための墳丘規模確認調査
 石棺は発掘調査後、現地に埋め戻され墳丘は史跡に指定された。
出土品リスト (説明板から)
装身具・・・  碧玉管玉(18) ガラス勾玉(21) ガラス丸玉(221) ガラス小玉(約10000)ガラス棗玉(1) 
 垂飾付耳飾(5) 素文鏡(13) 四葉形飾金具(27) 帯金具(7) 銅鈴(3) 滑石小玉(229)
 滑石有孔方形板(1)
農工具・・・  鉄鍬(8) 鉄鎌(10) 鉄手斧(15) 鉄ヤリガンナ(10) 鉄刀子(10) 鉄鑿(8)
武器・・・  鉄刀(7) 鉄剣(2) 鉄矛(5) 鉄鏃(870片)
武具・・・  衝角月冑(1) 短甲(1) 挂甲小札(約300) 胡録(28) 
馬具・・・  馬冑(1) 馬甲小札(約400) 鞍(2) 壺鐙(2双)
 面繫付金具(12) 鏡板付轡(1) 鈴付杏葉(3) 雲珠(2) 辻金具(4) 馬鈴(4)

墳丘に、今も石棺が埋まっていると思ったら、ワクワクする・・・・。

晒山古墳群 和歌山市大谷
2015/12/3

大谷古墳後円部の北東そばに5号墳、大谷古墳から東に下ったところに6・7号墳が保存されている。
7号墳横に、6・7号墳の説明版がある。

 晒山古墳群
 
 大谷古墳がある背見山の支尾根に分布する古墳群で、
  円墳8基と前方後円墳2基(大谷古墳を除く)10基が確認されている。
  土取り工事により消滅の危機にさらされ、昭和43年(1968)から緊急発掘調査。
  2号墳と10号墳(背見山古墳)が前方後円墳で、その他は円墳と考えられている。
  1号墳は粘土槨、2号墳は木棺直葬や土坑墓、3号墳は礫槨、4号・10号墳は横穴式石室を主体とする。
  5世紀前半~6世紀後半の築造と推定されているが、
  大谷古墳や背見山古墳を中心として、5世紀末~6世紀前半のものが集中している。
  
  5・6・7号墳が、大谷古墳の史跡指定範囲に含めて保存されている。
 晒山5号墳   大谷古墳後円部そばにある

5号墳  説明版は大谷古墳のもの
5号墳の説明はない。

5号墳の墳丘はコンクリートでおおわれている。
調査はされたのか?
 晒山6・7号墳
  
晒山6号墳は、径12mの円墳で、木棺直葬と考えられていて、須恵器壺3と釘状の鉄器が出土

  
晒山7号墳は、径10mの円墳で、墳丘北側に円弧状に21本の円筒埴輪列があった。
   
木棺直葬と考えられ、須恵器杯と器台(破片)、土師器甕2が出土している
   
どちらも5世紀末の築造と推定されている。                  (説明板から)

6号墳

7号墳  墳丘横に6・7号墳の説明板


奥出古墳 和歌山市園部
2015/12/3

古墳らしく残っているのだが、中は藪で、入り込むのがやっとの状態。
説明板はない。
鳴滝団地東の県立有功丘学園の北端道路沿いにある。

 奥出古墳は 鳴滝古墳群から北北東の和泉山地から派生した尾根に立地する。
  
径25mの円墳 
  
南南東に開口する横穴式石室は、玄室長さ3.25m・幅1.77m・高さ約2.3m  羨道長さ2.93m・幅0.9m。
  石室の壁には和泉砂岩の巨石を用い、玄室の下方よりも上方に大型の石が使われている。
  
  封土の流出が著しく、石室の天井石がすでに露出している。現在、石室は埋め戻されている。

北から見た奥出古墳
向こう側に石室が開口しているらしい。

墳丘は荒れている。

石材が露出している。

墳頂の石 墓石か・・・  宝篋印塔か・・・
元は墓地かもしれない

長く放置されている感じがする・・・・。

園部円山古墳
ソノベマルヤマコフン
市史跡
和歌山市園部
2015/12/3

地蔵寺の境内にあるが、地蔵寺に行くまで道がとても狭く、本当にこれでいいのかと思ってしまった。
地蔵寺の本堂西側にある。
現在、石室は覆屋で保護されている。
説明板あり

 園部円山古墳は  鳴滝川の東岸、和泉山脈から南に派生する尾根の先端に位置。
  
径25mの円墳
  南西に開口した
両袖式横穴式石室は 全長9.55m
    玄室長4.3m・奥壁幅1.9m・中央幅2.7m  羨道長4.6m・幅1.5~1.8m
      柱石と石梁で造られた前道部は幅1.1m、高さ1.9m

 天王塚山古墳(岩橋千塚古墳群)をはじめとして
    紀ノ川下流の古墳の多くが扁平な緑色片岩を用いた石室なのに対して、
      園部円山古墳は砂岩の巨石を用いている。

 玄門部にやや幅の狭い空間をつくりだしていることや
    玄門部の上部に緑色片岩の板材を梁のように架けること、
      玄室内から羨道を通って石室外に抜ける排水溝をもつことなど、
        石室の構造は岩橋千塚古墳群を意識していることがうかがえる。

  中世に石室が再利用されたため、出土した副葬品の残りは悪いが、
     鳳凰の透かし彫りが施された圭頭太刀の柄頭や金銅装の刀、
        華やかな装飾を施した馬具、耳環が出土

 出土品は
 玄室から
   馬具(轡1・杏葉4・辻金具・雲珠)、武器(圭頭太刀・金銅装刀など)、
    耳環(金環4・銀環2・銅環1)、土師器6など

 羨道から、馬具残欠・須恵器など
 石室外から、須恵器・滑石製小玉などがある。

 
6世紀後半の築造と推定されている。  その後3回の追葬が行われたと考えられている。

1982年 地蔵寺の境内整備工事の際、偶然石室を発見する。
      県内最大級の玄室が完存していたため、地権者の英断で保存された。
1983年 規模形状確認調査
1985年 市指定文化財になる
1988年 石室調査

                       (説明板から)

墳丘図 (説明板から)

石室図 (説明板から)

東から見た墳丘
手前の墓地造成中に見つかったのかな?

擁壁の上あたりに石室がある。

墳丘はかなり改変されている。

覆い屋の中に石室が・・・

柵の隙間から見るが、よく見えない・・・

ズームしても玄室内が見えない・・・・

もっとはっきり見たかった・・・・・。

園部円山古墳の見学を終えたのが、お昼の12時半を過ぎて、
大通りにあるファミリーマート
和歌山園部店で昼食を買い、島本石油ニュータウン六十谷で給油

泣澤女の古墳につづく

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