山陰旅行記 その5
 鳥取県米子市・大山町・琴浦町
撮影日 2007/5/6〜11

島根・鳥取の旅行4日目。
午前は島根県安来市の古代王陵の丘を見学。
午後に鳥取県に入る。
「鳥取県の歴史散歩(山川出版)」は新版がまだ出てなくて、米子市淀江の向山古墳群が系統立てて掲載されていない。
妻木晩田遺跡という言葉自体がない。

とりあえず、掲載されていた淀江の上淀廃寺・岩屋古墳・長者ヶ平古墳、石馬谷古墳、
晩田にある晩田31号墳などをめざして進む。 

上淀廃寺
国史跡

米子市淀江
撮影日(2009/5/9)
地図

7世紀代(飛鳥後期)、上淀集落東側の高台に建立されたと推測される古代の寺院跡は、300年後の平安時代に消失。
上淀地区にあった名前のわからない寺という意味で「上淀廃寺」と呼ばれている。

平成3年からの発掘調査で金堂跡から法隆寺金堂壁画と並ぶ我が国最古の寺院壁画が出土
平成4年の調査では、金堂の東側に南北3塔が並ぶというわが国初の建物配置が確認された。


出土した仏教壁画  (説明板から)


壁画は金堂の壁の内側に描かれていたもので、
自然の絵の具を使って、仏や風景が描かれている。
「変相図」と呼ばれる仏教の物語が描かれていたものと考えられている。
寺院が焼失したために焼き付いて残っていた。
多量の壁土が出土し、そのうちの多くに壁画が含まれるている。
そのほか壁土に混じって仏像の破片や瓦などがたくさん出土している。

上淀廃寺 中心部配置図
(説明板から)

53m四方の中、
南側は回廊
東西両側は築地塀
北側は丘陵斜面で区画されていた。

金堂の東に三つの塔を南北に配置。
講堂は確認されていない。
石敷き跡が確認されている。



上淀廃寺中心部


奥が金堂跡
右側の一段高いところに塔が三つ並んでいた。




金堂跡

礎石を復元してある。

正面には階段があり、上の階は木造、下の階は石造りだった。

金堂の規模は南北12.4m・東西14.8m。



中塔跡の心礎
基壇は9.5m四方の瓦積み

心礎は南・北塔よりもかなり大きい。
三重塔と推定されている。

石馬谷古墳
小枝山5号墳
国史跡

米子市淀江
撮影日(2009/5/9)

地図

小枝山丘陵尾根上に位置。


石馬谷古墳


国の重要文化財「石馬」が出土したと伝えられる古墳で
坪根垣古墳とも呼ばれる。


石馬谷古墳復元想定図(説明板から)

全長61.2mの前方後円墳

後円部径34.5m・高さ7m・前方部幅20m
2段築成
葺石あり、円筒埴輪・形象埴輪(人物・馬・盾)あり
埋葬部は不明だが箱形石棺と推定されている。
6世紀中ごろの築造と推定されている。
石馬は、天神垣神社の南の山腹にある石馬谷古墳の前方部の西20mのところにあった石馬大明神に
江戸時代から
まつられていた。
その後、天神垣神社境内に安置されていた
この石馬は、1901(明治35)年学会に報告され、古墳時代のものであることが明らかになった。
大正年間に石馬谷古墳の前方部付近から採集された石製品が石馬の後足と判明し、
この石馬が石馬谷古墳出土のものと確認された。
石馬は、大山の安山岩を丸彫りしたもので、全長約150cm、高さ約90cm。
円筒形に作った後脚があるが、前脚は欠けている。
たてがみ、目、耳、鼻、口などのほか、乗馬するための道具である馬具が浮き彫りされており、全体が赤く塗られていたという。
本州では唯一の出土で、今は淀江歴史民族資料館に展示されている。

石馬谷古墳からは、ほかに裸の「石人」の下半身とみられる石造物も見つかっている。

向山古墳群
ムコウヤマ
国史跡

米子市淀江
撮影日(2009/5/9)

石馬谷古墳をふくめて「向山古墳群」として国の指定史跡となっている。
前方後円墳8基・円墳1基・方墳3基など計16基が確認されている。

整備された古代伯耆の丘公園の一部分として、自由に見学できるが、現状保存のところが多い。
(少し古い写真を見ると木が大きくなくてよくわかるようだ)


向山古墳群配置図
 (伯耆古代の丘公園パンフから)


古墳群の西側の公園の中にも古墳があったらしいがどうなっているのか?
公園の中に帆立貝式古墳が復元されているというが、
中に入らなかったのでよくわからない。


向山4号墳



向山4号墳復元想定図
(説明板から)
向山丘陵の最も高い位置に所在する。
全長64.5mの前方後円墳
後円部37.5m・高さ10m・前方部幅28m。
くびれ部の東側と前方部の南側に造出しがある。
2段築成の後円部に葺石あり
須恵器円筒埴輪・形象埴輪(動物)・鉄鏃などが出土
埋葬部は未調査
5世紀末〜6世紀初めごろの築造と推定されている。



向山4号墳


よくわからない

向山7号墳



向山7号墳

円墳または方墳で、長さ20m高さ4.5m
須恵器・円筒埴輪などが出土

6世紀前葉の築造と推定されている。
後世墓地として利用されていた。

向山3号墳



向山3号墳のくびれ部あたりか


全長39mの前方後円墳 
後円部23.5m高さ3m前方部16.7m
須恵器・円筒埴輪・形象埴輪(盾)などが出土
5世紀末の築造と推定され
群中最古とされている。

向山2号墳


向山2号墳


後世の改変によってくびれ部付近が破壊を受けている。
復原全長16mの前方後円墳
後円部14.5m・高さ1.8m
須恵器円筒埴輪が出土
6世紀中ごろ〜後葉の築造と推定されている。

向山6号墳

向山6号墳は、全長40mの前方後円墳
後円部18m・高さ2m
須恵器。円筒埴輪などが出土
6世紀中ごろの築造と推定されている。

向山8号墳


向山8号墳

説明板が間違っている。
「一辺26m、後円部径18m・高さ2.8mの方墳」とある。
意味不明??!!!
早く直してほしい。


周溝が確認されている。
須恵器・円筒埴輪が出土。
6世紀中ごろの築造と推定されている。

向山5号墳
長者ヶ平古墳
チョウジャガナルコフン

長者ヶ平古墳は向山丘陵南端に位置
遊歩道は整備されていないので雑草を掻き分けて見学しなければならない。
その元気がなく、見学は断念。
数年前の地震で石室の崩壊が進んでいるときいたが、どんな状態なのだろうか?

長者ヶ平古墳は、全長48.5mの帆立貝型前方後円墳
葺石あり・円筒埴輪あり
後円部の南東に開口する全長10mあまりの大型の横穴式石室がある。
金銅製透かし彫り冠の破片や環頭太刀・銅鈴・三輪玉などが出土
6世紀半ばの築造と推定されている。

向山1号墳
岩屋古墳

向山丘陵北端に位置、群中一番有名な古墳

岩屋古墳復元想定図 (説明板から)

全長52mの前方後円墳
後円部30m・高さ6m・前方部幅20m。
後円部の東側に台状造出しがある。
造出しも含めると全長70mとなる。
二段築成で葺石あり

後円部南西側に横穴式石室が開口している。
須恵器・円筒埴輪・形象埴輪(人物・馬・水鳥)鉄刀・馬具などが出土。
石室は安政年間(1854〜60)に開口したと伝えられ副葬品はわかっていない。
6世紀後葉の築造と推定されている。


岩屋古墳 東側の造出し部

長さ14m・幅22mの方形造出し



岩屋古墳 右手前が造出し部

屋根のところが石室のある後円部
その左奥が前方部
後円部には南西に開口する全長9mの横穴式石室が切り石で築かれている。
石室は前室と後室からなる複式構造で、各壁を1枚の切石で構成し
入口はくりぬいた玄門を採用する石棺式石室と呼ばれる精美なもの


岩屋古墳 石室正面

前室の入口



岩屋古墳 奥室の入口

奥室の高さ2.5m・奥行4.8m・幅2.8m
入口の石壁中央に幅1m・高さ1.3mほどの方形のくり抜きが造られ、
これが前室との境になっている。




岩屋古墳 石室奥室内部


奥室は5枚の切石で作られ赤色の塗料が塗られている。

妻木晩田遺跡
ムキバンダ
国史跡

大山町妻木・米子市淀江ほか
撮影日(2009/5/9)
地図

向山古墳群の北にあり、案内表示のとおり進むと、妻木晩田遺跡の展示室に到着。
展示室の横では、現在立派な資料館を建築中。
このあたりは広い妻木晩田遺跡の中の洞ノ原地区と呼ばれるところだという。

西のほうに歩いていくと、順に、住居エリア・墳墓エリア・環濠がある。

洞ノ原地区・住居エリア




洞ノ原10号掘立柱建物


高床建物として復元

洞ノ原地区・墳墓エリア
洞ノ原墳墓群

山陰特有の四隅突出墓や、四隅は突出しないけれども四隅突出墓とよく似た四角い貼石墓が24基
30メートル四方の範囲に密集している。(弥生中期末〜後期前葉)。
洞ノ原の四隅突出墓は日本海側で最古のものと考えられている。



洞ノ原墳墓群配置図 (説明板から)


1世紀から2世紀にかけてつくられた墓
11基は四隅突出型墳丘墓
大きな墓の周りに一辺1〜2mの小さな墓がいくつもある。
妻木晩田遺跡には他にも墳墓群があるが、
洞ノ原地区はその中で最も古い墳墓群と考えられている。

洞ノ原1号墓
6.5×5.4mの四隅突出型墳丘墓
突出部を含めた長辺は8.9m
弥生時代後期初頭

北側の突出部がやや長く、
踏石を並べて墓道として使われたと考えられる。
墳丘上には土器が供えられていた。
2号墓の次に築かれた


洞ノ原2号墓


方形墳丘墓
8.4×6.9m・高さ0.5m

斜面に貼石
墳丘上には土器が供えられている。
弥生時代中期末〜後期初頭
この墓地のなかで最初に築かれた
中心となる1号墓と2号墓の周囲に、
 4〜5メートルの大きさの墓が4基と、1.3メートル〜2メートルの超小型の墓が18基も築かれている。
超小型の墓は子供のお墓だろうと考えられる。
四隅突出墓は、出雲に先行してして西伯耆で発達したものではないかとも考えられている。
四隅突出墓は、山陰を中心に、福井、石川、富山など北陸地方にもあって、日本海を通じての交流がうかがわれる。



洞ノ原15号墓


小さな方形墳丘墓






洞ノ原7号墓


4.4×4.0m・高さ27cmの四隅突出型墳丘墓
斜面に貼石
墓道とみられる突出部には、大き目の石を並べる。
弥生時代後期前半

洞ノ原8号墓


4.9×4.4m・高さ26cmの四隅突出型墳丘墓
斜面に貼り石
周りから儀式用とみられる土器が出土
弥生時代後期前半


小さな四隅突出型墳丘墓


赤ちゃんのお墓か
1m四方ぐらいの大きさでも四隅突出型
すばらしい!
墳墓群の西に古墳と思われる高まりがいくつかある。

古墳についての説明板がひとつあったがじっくり見てこなかった。
弥生時代の遺跡の説明が主で、古墳についての説明がほとんどない。



晩田山29号墳



洞ノ原地区最大の古墳

晩田山17号墳

29号墳と遊歩道をはさんで反対側にある。

径50m・高さ5mの円墳
箱式石棺があり、
鉄剣・鉄斧・鉄槍・鉄矛・鉄刀などが出土。

洞ノ原地区・環濠

尾根の先端で、幅5m・深さ2.5mもある壕で囲まれた砦がある。
砦は、東西65m・南北推定90mの広さがあり、そのなかに竪穴式住居6・堀立柱建物13棟が確認されている。



洞ノ原地区・
環濠跡

景色がとてもよい

平野側の壕のそばには、高い建物(望楼)があり、ノロシをあげた跡もみつかっている。

妻木晩田遺跡とは
鳥取県の淀江町(現松江市)と大山町にまたがる。
ゴルフ場建設を発端として発掘調査がおこなわれ、弥生後期(1世紀後半〜3世紀前半)を中心とする886軒の建物からなる集落と、
山陰地方特有の四隅突出墓を主とする多数の墳墓群という、大規模な弥生遺跡だと判明した。
6地区(洞ノ原地区、妻木山地区、妻木新山地区、仙谷墳墓群、松尾頭地区、松尾城地区)と、
隣接する小真石清水遺跡をあわせて妻木晩田遺跡といわれている。


ところで、
「鳥取県の歴史散歩(山川出版)」に出ていた晩田山31号墳はどこ?・・・
県立米子白鳳高等学校前の西から妻木晩田遺跡へ上る県道の左側に「晩田山31号墳」があるということが後でわかる。
・・・・見学してこなかった。
晩田31号墳の上り口には、解説板が設置されたという。残念!
晩田31号墳は古墳時代後期(7世紀前半)につくられた方墳で、石棺式石室を持つ。

妻木晩田遺跡周辺の地図

 

午後3時50分  妻木晩田遺跡発
今日の宿は三朝温泉。
夕食もお願いしてあるので、三朝温泉に6時過ぎに着くように調整しながら進む。

岡岩屋堂古墳

鳥取県大山町岡
撮影日(2009/5/9)
地図

国道9号線から海側の岡地区に入ると町内の案内図があり、「岩屋堂古墳」や「隠岐の神塚」の場所がわかる。

岡岩屋堂古墳

民家の横に石室部分が残っているが
ボロボロの状態



岡岩屋堂古墳石室の石積み


半壊状態の石室にカメラを突っ込んで撮影
きれいに積まれた石が見えている。

このままでは崩壊してしまいそう。

岡岩屋堂古墳は、全長29mの前方後円墳
横穴式石室がある。
 奥行3.3m・奥壁幅2.15m・高さ2.2mの玄室は切石造りで壁面には朱が塗ってある。
 前方部にも石室があるが規模は不明
古墳時代後期の築造と推定されている。




隠岐の神塚


後醍醐天皇が隠岐に島流しになられたとき、
途中のこの場所で休まれたという。

古墳と思われるが、古墳としての説明はまったくない・・・

近くには「お船頭山」という山があるが、後醍醐天皇を隠岐から大阪の港にお送りした船頭を葬ったところといわれている。

別所5号墳

鳥取県琴浦町
撮影日(2009/5/9)
地図

道の駅「ポート赤碕」の建物の後の「赤崎ふれあい広場」に保存されているが公園の築山になってしまっている。


別所5号墳

説明板もなく詳しいことは不明
「赤崎ふれあい広場」の案内図には「古墳」とだけ書かれている。
別所5号墳は 径31m・高さ5.2mの円墳で海岸の石を使った葺石が見られる。


別所5号墳の周溝にある箱式石棺。

別所17号墳の石棺を移築したそうだ

そばの案内板には
別所5号墳 周溝内埋葬(移築復元)」とあるが、
間違っているのか?

詳しいことは不明。
周辺には別所古墳群があり、 全長53mの前方後方墳である笠取塚古墳があるという。


別所5号墳の墳頂からみた八橋狐塚
(望遠で)

後円部が丸く左側に前方部が続く

八橋狐塚古墳
ヤバセキツネヅカコフン

町史跡

鳥取県琴浦町
撮影日(2009/5/9)
地図

道の駅「ポート赤碕」から国道9号を東へ500mくらい、老人ホームの案内板にしたがって行くと、ホームの横にある。


八橋狐塚古墳・前方部側から後円部を見る



説明板には、全長87m・高さ6mの前方後円墳とあるが、
鳥取埋文情報のホームページでは全長61.7mとなっている。。

周囲には幅5mの周溝の跡がある。

くびれ部の西側に小型の横穴式石室が1基見える。(と説明板に書いてあるけど、見えない?)

主石室は全長2mで内部は天井が低く、階段状の入口をもつ竪穴系横口式石室
古墳時代中期の築造と推定されている。
盗掘された跡があり詳細は不明。

鳥取埋文情報では、鳥取県最大の古墳は、明日行く予定の北山古墳(全長110mの前方後円墳)である。

午後5時30分八橋狐塚古墳出発。
午後6時10分、今日の宿泊地「三朝ロイヤルホテル」着。
給付金が出た土曜日ということで、満室のホテル。
食べきれないほどの豪華な夕食「蟹と海鮮と和牛の洋風懐石」で満足。

山陰の遺跡・その6(倉吉市・湯梨浜町・鳥取市) につづく


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