山陰旅行記 その7
 鳥取県鳥取市・岩美町
撮影日 2007/5/6〜11

島根・鳥取の旅も五日目。
午前中に、倉吉市の大きな石室や湯梨浜町の橋津古墳群などを見学、
青谷上寺地遺跡展示館でお昼をすきだので食事をと、お店を探すが、見つからず
「因幡のしろうさぎ」の白兎海岸で、昼食をとることにする。

白兎海岸
ハクトカイガン

鳥取県鳥取市青谷町青谷
撮影日(2009/5/10)

地図

子供のころ「因幡のしろうさぎ」の歌を母から教えてもらった
私が覚えている歌詞は下のとおり。

1、大きなふくろを肩にかけ
 だいこくさまが来かかると
 そこにいなばのしろうさぎ
 皮をむかれて赤はだか

2、だいこくさまの言うとおり
 きれいな水に身をあらい
 がまの穂わたにくるまれば
 うさぎはもとの白うさぎ
 
3、だいこくさまは誰だろな
 おおくにぬしのみこととて
 国を開きて世の人を
 助けなされた神さまよ


子供のときこの歌を覚えて昔話を知り、
大きくなってから鳥取県に白兎海岸というのがあるのを知り、いつか行きたいと思っていた。


うさぎに似た岩がある。

耳の小さなうさぎがうずくまっているように見える。
この岩は淤岐(おき)ノ島という
海岸側の気多前(けたのさき)と淤岐ノ島の間には、
海食による平島(ひらじま)がワニ(サメ)の背状に並ぶ。
白兎海岸はハマナスの自生南限地帯として国指定天然記念物
となっている。

白兎神社

白兎神を祀る
樹叢はスダジイ、モチノキなどの樹林からなり、
日本海海岸部の植物分布を示す貴重な例として国指定天然記念物となっている。
以前テレビで鄙びた白兎海岸の映像を見たことがあったが、現在は観光地化されている。

白兎海岸そばのドライブインは大賑わい、2階のレストランも順番待ちで、また昼食を食べそこねた。
次の目的地は岡益の石堂、その前に食事を・・・・・・。
ようやくマクドナルド鳥取丸山店発見、ハンバーガーの昼食。計930円。
岡益の石堂はもうすぐだ。


鳥取県
岡益の石堂
オカマスノイシンド

鳥取県鳥取市国府町岡益
撮影日(2009/5/10)

地図

山陰最古の建造物とされる。地震で崩壊がひどく、修復され、2006年には屋根も設置された。


岡益の石堂全景


明治29年に平清盛の孫・安徳天皇の陵墓参考地に指定され、現在は宮内庁で管理されている。



岡益の石堂
正面



岡益の石堂
凝灰岩切石の高さ1m強、6m四方の基壇の上に凝灰岩切石石壁を造っている。
高さ約2mの石壁は南北4m東西3.7mの長方形で、正面に当たる東側には幅1.2mの入口が開く。

石壁の中央に高さ1.78m・最大直径75.1cmのエンタシスの石柱と
その上に乗せられた忍冬唐草文の浮彫のある横1.92m・奥行1.18m・高さ92cmのマス形の中台がある。
中台の下の方に忍冬唐草文が浮彫されている。
この文様は中国の雲崗石窟寺院などのものによく似ており、大陸的色彩が強いとされている。
古代大陸仏教文化の香りがする。7世紀ごろの築造と考えられている。


石壁の中央にあるエンタシスの円柱


忍冬唐草文の浮彫はよく見えない。


石壁のひとつ


修復の跡が見られる
かなり崩壊していたことがうかがえる。

不思議な石造物だ??

   岡益の石堂付近の地図

岡益の石堂のすぐ南に、魚の壁画で有名な梶山古墳がある。
石室は閉じられているというので見学に行かなかったが、
梶山古墳の立地環境を見てこなかった後悔が残る。

鳥取市国府町の因幡万葉歴史館には梶山古墳の石室や岡益の石堂の複製があると後で知ったが、
行ってくればよかったかなあ。

このあたりには神垣古墳新井の石舟古墳などもあるし、
万葉歴史館付近には、鷺山古墳・姫塚古墳・宮下19号墳などもあるが、
ぶっ飛ばして、津ノ井地区に向かう。(後悔・・・後悔)      


鳥取県
坊ケ塚古墳

鳥取県鳥取市
撮影日(2009/5/10)

地図

「広岡集落の南側やや離れたところにある」という情報で見つかった。
山の裾部にあり、石室が開口している。


坊ケ塚古墳全景

径13mの円墳
6世紀ころの築造と推定されている。
副葬品などはみつかつていない
詳細は不明


坊ケ塚古墳開口部


石室の中には線刻壁画が、外から向かって入口の右壁、奥の玄室の三方に見られる
そのうち入口右側の壁の弓を引く人物像は保存状態がよい。
頭に被り物をつけ、足を左右に開き、入口に向かって弓を引いている。


外から向かって入口の右壁の線刻壁画



何が描かれているかわからないが、線がたくさんある。



坊ケ塚古墳石室入口

石室は天井に巨石3枚を重ね、うち中央の一枚は一段高くするという
因幡地方に特有の築造方法をとっている。




坊ケ塚古墳の南の山の中には空山古墳群があり、線刻の壁画を持つ横穴式石室墳があるという。

   坊ケ塚古墳付近の地図


鳥取県
六部山3号墳

鳥取県鳥取市久末
撮影日(2009/5/10)
地図

鳥取県の古墳というと、まず六部山3号墳と古郡家1号墳があげられているようだが、
見学できるようになっていない。


六部山3号墳のあたり


説明板があったのでこの辺りだと思うが、墳丘を特定できない

六部山3号墳全長63mの前方後円墳
高さ4.5m、前方部幅18m
六部山丘陵の先端を切断して築造されている。
前方部は低く細長い前期古墳の形をしている。
前方部を北東の平野部に向ける。
後円部中央に小型の割石が散在していることから、内部施設は竪穴式石室を持っているものと考えられる
4世紀中ごろの築造と推定。因幡地方最古の前方後円墳といわれる
陪塚と考えられる円墳がある。

六部山3号墳の付近には、多くの古墳や縄文時代の大路川遺跡や弥生・古墳時代の住居跡等各種の遺跡が残る。
北西500mの古郡家集落の背後の丘陵上に古郡家1号墳がある。
古郡家1号墳は、古郡家上ノ山の丘陵尾根にある。
 全長約90mの前方後円墳
 後円部径51m・高さ7.5m 前方部幅36m・高さ4.5m
 2段築成 葺石あり
埴輪あり(円筒埴輪・朝顔形・家形・盾形などの形象埴輪)
1957年発掘調査
後円部中央に長さ6m・幅1.5mの粘土槨(第1主体部)を設け、
その左右に1つずつ、一枚石で組み立てられた箱型石棺(第2・第3主体部)があった。
第1主体部から勾玉・管玉・鉄剣・異形の銅鏡が出土。
第2主体部には成人男性の人骨のみ遺存
第3主体部には朱で赤く全身を染められた成人の男子が土師器の壺を枕に埋葬され、
鏡・短甲・刀子・鉄鏃・やりがんな・櫛なとに囲まれていた
5世紀初めの築造と推定されている。
中期古墳様式をもつ因幡最大クラスの前方後円墳。


鳥取県
橋本38号墳
市文化財

鳥取県鳥取市橋本
撮影日(2009/5/10)

地図

橋本地区の集会所の近くで農作業をしている男性に場所を尋ねたところ、現地まで案内をしてくれた。
案内してもらわないと行けないような所。
民家と山すその隙間みたいなところに、横穴式石室の一部と家型石棺が残る。

橋本38号墳(橋本古墳)の案内板と説明板

左下に苔むした石棺が見えている  
橋本の石棺と呼ばれている





石室の下の方が残った中に石棺が置かれている。

玄室は全長4mと推定されている。


橋本38号墳の石棺
雑草に埋もれそう

石棺は凝灰岩をくりぬいたもので
全長2.2m・幅1.05m全高1.15m身の深さ0.38m

石棺の床に切石が敷かれている。
蓋には左右3個ずつ縄状突起がある。
古墳時代後期の築造と推定されている。


鳥取県
布勢古墳
国史跡

鳥取県鳥取市布勢
撮影日(2009/5/10)
地図

住宅街に公園として残る。山王社(日吉神社)の北にある。
布勢城というのもあったらしい。



後円部より前方部を見る






前方部から後円部を見る


後円部頂にはくぼみがある。
北側のくびれ部造り出しも残っているが、
写真ではよくわからない

布勢古墳は、 全長60mの前方後円墳
 後円部径30m・高さ6m  前方部幅20m・高さ4m
葺石あり・埴輪あり
湖山池の東岸の標高30mの丘陵上にあり、前方部を西に向ける。
北側のくびれ部には造出しがある
未発掘
墳丘から須恵器や埴輪が出土し、6世紀代の築造と推定されている。

コカコーラウェストパーク(布施運動公園)でトイレ休憩

鳥取大学構内に、大熊段1号墳三浦古墳があるというが自動車で来ても見学できないよね。
自動車で一回りして、あきらめる。
このあたりには山ヶ鼻古墳などの大きな石室を持つ古墳がある。

今日はここまでとして、
明日帰路に着くためのガソリンを補給(日ノ丸産業 賀露店)後、
イオン鳥取北ショッピングセンターに行く。
お土産を買い、レストラン街で食事 1786円(和カフェ chaya)
夕方7時にジャスコ発
本日の宿泊地、湖山池南西の松原にある「ホテルウェルネス因幡路
に7時40分に到着。

さすがに旅行五日目になると疲れがたまってきて、思うように身体が動かなくなってきた。
明日は最終日、とりあえず休みます。

六日目に入った。今日は最終日。
今日は早めに切り上げて、石川県の自宅まで帰ることになる。

鳥取砂丘に行く。
鳥取砂丘では「世界砂像フェスティバル」をしていて、なかなか駐車もできないことになっている。
らくだを見たいと思ったがあきらめる。
北陸の人間である私からすると、ラッキョウの産地は福井県だけれど、全国的に見るとラッキョウの産地は鳥取県? 
砂丘地にラッキョウ畑が広がる。


鳥取県
小畑古墳群
コバタケコフングン

鳥取県岩美町平野
撮影日(2009/5/11)

地図

鳥取市から岩美町に抜ける駟馳山(シチヤマ)峠の山裾にある後期古墳群。



小畑古墳群配置図
(説明板より)


1・2号墳は現存
4・6・7・8号墳は記録保存

3号墳は1号墳近くの道路沿いに移築保存

墳丘がほぼ完全に残っていた5号墳は
布施運動公園(コカコーラウエストパーク)に移築保存
(布施運動公園には昨日行ったのに・・・・・)

3〜7号墳は平成12・13年発掘調査  8号墳は昭和54年発掘調査

8号墳径11mの円墳
3〜7号は20mほどの方墳
4・5号墳では、2段の石垣状の列石(外護列石が確認された。
埋葬施設は横穴式石室
石室は「中高式天井」と呼ばれる石室中央の天井石を一段高く積み上げるもので千代川右岸を中心に分布しているもの
3・5・7号墳から家形石棺が発見された。
釘・刀・刀子などの鉄製品、金銅製の馬具、耳環・管玉・ガラス小玉などの装身具、須恵器などが出土
古墳時代後期後半(6世紀半ば〜7世紀)の築造と推定されている。

穴観音古墳
(小畠1号墳)

(小畑古墳群)
玄室の周囲に33体の石造観世音菩薩が祀られていたので里人は「穴観音さん」と呼びならわしてきた。
平成2年、石室崩壊の危険性が認められ観音像を取り出して別に安置所を設けた。



穴観音入口


穴観音古墳は、径11m・高さ3.9mの円墳
南側に開口する横穴式石室があり、玄室天井を中高天井とする。



穴観音石室内部
穴観音の中に入れないので、カメラを突っ込んで撮影。

中にあるうすい箱みたいなものは何だろう?

石室全長11.2m
玄室奥行5.5m・幅1.6m・玄室の高さは3.5m

古墳時代後期(6世紀後半〜7世紀前半)の築造と推定されている。

小畠3号墳 移築復元
(小畑古墳群)

国道9号改築工事に伴い発見、調査。
墳丘の大部分が失われ、石室の天井部分が転落した状態だったが周溝が確認された。
小畠3号墳は一辺27mの方墳
ガラス玉・管玉・耳環などの装身具や馬具・鉄鏃・刀子・土器などが出土した。

石室の一部を、造られた当時に近い形で移築復元した。


覆い屋の中の石室


全長12mの横穴式石室の内部に
家形石棺がある。



3号墳の石棺

厚さ18〜20cmの底石3枚・短側石2枚・長側石2枚・蓋石2枚からなる。
発掘調査時には盗掘により破壊、石材が散乱、
長側石が1枚しか発見されていない。

足りない石を足して石棺を組み立てた。
石棺は長さ2.5m・幅1.2m・高さ1.4m、蓋石には縄掛突起が8個ついている。


奥壁側から


右側奥壁




小畑古墳群では、5号墳と7号墳からも家形石棺が出土しているが
それぞれ異なった形態をしている。


小畑古墳群の近くにある石碑


石室の石材を利用している?





源頼朝の愛馬「生月」の生誕の地

「いけづき」と「するすみ」という名馬の話を
子供のころ、児童本で読んだことがあるなあ・・・。


鳥取県
高野坂古墳公園

鳥取県鳥取市岩美町岩常
撮影日(2009/5/11)
地図

因幡北東部、岩美町小田川中流域の丘陵中腹から山裾にある後期古墳群。
見事な加工の家形石棺がある横穴式石室を持つ2号墳は古くから知られていた。
10号墳が移築保存され公園となっている。

公園の周囲には30数基の古墳や横穴墓が点在している。
S60年からH2に広域農道整備に伴い9基を発掘調査。


高野坂10号墳全景

現在地から北西に50mのところにあったものを
築造当時のまま移築復元した。



高野坂10号墳の石室内にある家形石棺



高野坂10号墳は  下段12m・上段8mの2段に築成された上方下方墳
南に開口する全長8.8m・幅2mの無袖型横穴敷き石室がある。
その内部にくりぬき式の家形石棺が置かれている。

石室の天井は、残っていないが、天井の一部を高く積む中高式天井が考えられる。
石室の床面から銅製壺鎧(馬具)や帯金具や鉄鏃、須恵器などが出土。
特に壺鎧は忍冬文がある豪華なつくりのもの

6世紀末の築造と推定されている。
中高式天井は千代川以東に多く見られるもので
家形石棺は鳥取県で11例の中の6例がこの地域に集中している。

移築された高野坂10号墳の背後の林の中にも崩れかけた古墳がある。


崩れかけた古墳その1






崩れかけた古墳その2




崩れかけた古墳その2
石室内部


たけのこが生えている。
来年には崩れているかもしれない。

古墳以外にもこの周辺には弥生時代から室町時代の遺跡がある。

午前10時 高野坂古墳公園出発、帰路につくこととする。
午前11時ごろ 余部鉄橋 通過

余部鉄橋

新しいコンクリート橋建設中


午後0時15分  豊岡市の王将で昼食。
   2時ごろ   舞鶴市とれとれ市場で休憩
   3時30分   今回最後の見学地である小浜市の若狭国分寺跡・国分寺古墳に到着

小浜市の若狭国分寺跡・国分寺古墳のページ



午後4時40分 道の駅河野(福井県)で休憩。あと100km。
   7時ごろ ジャスコ小松でラーメンの夕食
   7時45分 帰宅
   
5泊6日の旅が終わった。
約1400kmのながーーいドライブが終わった。

山陰旅行記  おわり

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