山陰旅行記 その1 
島根県出雲市
 撮影日 2009/5/6〜11

2009年 ゴールデンウィークは出雲大社へ。ETCとナビを完備、万全を期して出発。

出雲大社から戻りながら、島根・鳥取の遺跡を見学する。

2009/5/6
  5:30 自宅発
    美川ICから高速道路に入る。
 7:00 刀根SA トイレ休憩
 7:30ごろ 米原JCT
 7:50 あかね古墳公園 通過
 8:25 桂川SA
 9:00ごろ 吹田JCT
 9:50 加西SA
11:20 米子道
11:45 蒜山高原SA 昼食 ガソリン補給


蒜山高原から見た大山
まだ雪が残っているみたい


13:00 米子ICで高速をおりる。
  自動車専用道路の無料区間と有料区間を通りながら、
14:25 古代出雲歴史博物館到着

島根県立
古代出雲歴史博物館
島根県出雲市大社町
撮影日 2009/5/6

2000年に出雲大社境内遺跡で発見された宇豆柱がホール真ん中に展示されている。
宇豆柱は一本の柱材が直径1.35mあり、3本束ねると直径3mになる。
この宇豆柱を使った古代の出雲大社本殿の10分の1の模型が展示されている。

荒神谷遺跡出土の銅剣358本(国宝)
加茂岩倉遺跡出土の銅鐸39個(2008年に国宝となる)
石見銀山遺跡の出土品なども展示。

特別展は「輝く出雲ブランド・古代出雲の玉造り」
わが石川県から
小松市八日市遺跡、片山津玉造遺跡などのの出土品が展示されていた。


古代出雲歴史博物館


博物館から歩いて北島国造館の前をとおり、出雲大社に行く。


島根

出雲大社

島根県出雲市大社町
撮影日2009/5/6

地図




出雲大社東側脇入り口






残念ながら、出雲大社は現在修理中。
本殿は覆い家に覆われてみることができない。がっかりしてしまった。


出雲大社全体

白い枠組の中に修理中の本殿がある。

現在、「平成の大遷宮」といって国宝の本殿はじめ境内すべての重要文化財の修理をしている。


仮殿(旧拝殿)



神様は仮殿に祀られている。
平成25年に完成予定で「「本殿遷座祭」が行われるという。




勢溜の鳥居







溜の鳥居から南を見ると
にぎやかな門前町(参道)の向こうに
大鳥居が見える。

出雲大社は平成25年になってからもう一度いかなければならない。

今夜の宿は「平田メイプルホテル」
午後5時になってしまったが、通り道にある上島古墳へ。

駐車スペースをようやく見つけて駐車。坂を上がる。

上島古墳
アゲシマコフン
国史跡

島根県出雲市国富町
撮影日2009/5/6

地図

平地から約35m上ったところにある。
昭和24(1949)年、開墾中に石棺と石室が発見され調査。優れた遺物が出土して有名になった。


覆い家の中に石棺
その右側に竪穴式石室


右上の建物は収蔵庫(?)


埴輪や葺石は発見されていない。


同じくらいの大きさの石棺と石室が並ぶ。
石室は開口している。


石棺蓋

石棺は直接土中に埋められていた。
出雲地方では類例の少ないくり抜きの家型石棺で
身にも蓋にも縄掛状突起がある。

石棺から
 男性成人人骨一体とともに耳環1・メノウ製管玉9・ガラス製丸玉22・ガラス小玉152・五鈴鏡1
 ・鈴釧・刀子・太刀1・金銅製板状金具6・音叉状鉄製品1・針状鉄製品2・須恵器蓋杯3組
 などが出土した。
竪穴式石室(長さ1.85m・幅0.7m)からは、鉄鏃40〜50、石突1、2組の馬具類 が出土
 この竪穴式石室は遺物の埋納用と考えられている。
周辺から須恵器や土師器の破片が発見されている。

古墳時代後期初め(6世紀中ごろ)の築造と推定されている。

上島古墳は 急斜面に造られた径15m・高さ2mの円墳と考えられている。
  埴輪なし・葺石なし

午後6時ごろ 平田メイプルホテルに到着。
走行距離は今日一日で614kmとなる。
夕食は、ホテルの向かいにある「風風ラーメン」
・・・・・・
お疲れ様でした。

二日目です。
8時過ぎにホテル出発。

出雲大社が修理中で、物足りず、予定外の日御碕に向かう。


日御碕神社に向かう途中の展望台からの景色


日御碕神社

島根県出雲市大社町
撮影日2009/5/7

地図





山あいから見える朱塗りの日御碕神社は
素敵だった!







日御碕神社鳥居



出雲風土記に美佐伎社とある古社 。
現在の建物は
江戸幕府3代将軍徳川家光の命で1634年に造営が始まり、
松江藩主松平直政が1644年に完成させた。



日御碕神社楼門




上の宮と下の宮からなりすべてが国の重要文化財となる
朱塗りの社殿は桃山時代の面影を残す権現造り。


楼門をくぐると、正面にある下の宮


(日沈宮、祭神アマテラスオオミカミ)




右手の高いところにある上の宮
(神の宮、祭神スサノオノミコト)




境内には、稲荷社もある。


朱塗りの社殿はすばらしい
宝物もたくさん所蔵されているが非公開だそうだ。



日御碕神社の西の海に浮かぶ経島(フミシマ)はウミネコの繁殖地(国天然)だ。


経島全景

ウミネコは日本海近海で繁殖する唯一のカモメ科の鳥で、12月に飛来し、7月に北の海に移動する。
経島は日御碕神社の神域であり、立ち入りは禁止されている


経島の頂上付近

出雲文化伝承館

島根県出雲市浜町
撮影日2009/5/7

地図

出雲文化伝承館は出雲平野の大地主であった江角家の母屋と長屋門、庭園を移築
松平不昧公(ふまいこう)が愛用した茶室「独楽庵」と露地、
現代数寄屋建築の茶室「松籟亭」、なども移築されている。
文化財や美術品の展示施設、そば処がある。



出雲屋敷
明治29年に建てられた、出雲地方の大地主であった江角家の母屋。
出雲流庭園も造られている。
展示室には、付近の遺跡の説明のほか
大念寺古墳の石室のレプリカが展示されている。

職員の方に
「今から本物の大念寺古墳の石室を見に行きたいのだけれど、石室の鍵は開いているだろうか?」
とたずねたら、問い合わせをしてくれて、鍵はかかっていないことを教えてくれた。

今市大念寺古墳
国史跡

出雲市今市町
撮影日(2009/5/7)

地図


大念寺
浄土宗のお寺
本堂の右奥の墓地の中に石室が開口している。


墓地の間から見える横穴式石室

石室は、奥室・前室・羨道からなり、奥室と前室にそれぞれ石棺を置いている。

石室内部
長さ12.8mの両袖式横穴式石室

玄室長5.8m・幅2.9m・高さ3.3m
前室長3.1m・幅2.4m・高さ2m
羨道長2.5m・(残存長)・幅1.6m・高さ1.8m

奥室に石棺が現存する。
前室の石棺は基底部しか残っていない。


埋葬施設:横穴式石室(両袖式・複室式)
埋葬施設規模:
棺:横口式家形石棺(玄室)
   組合式家形石棺(前室)
出土遺物:金銅製履、金環、丸玉、太刀、槍身、馬具、鉄斧、須恵器、円筒埴輪

奥室の石棺
石棺の長さ3.3m・幅1.7m・高さ1.7m

巨大な凝灰岩をくりぬいたもの






石棺内部

蓋と身が隙間なく組み合わされている。
すばらしい






前室にある組合せ式石棺の基底部

基底部しか残っていない。



石室内から外を見る




出雲平野を見渡す丘陵の先端に築造された古墳時代後期(6世紀中ごろ)の築造と推定されている。
石室が開口したのが1826年、境内の拡張によるもので多数の副葬品が出土したと伝えられている。
     今市大念寺古墳実測図

墳丘は北側の大部分が破壊、南側もかなり削られているので、詳しい規模は不明だが、
全長91mの前方後円墳(県内最大規模)とみられている。
  (全長100mとする説もある)   後円部径不明・高さ6m  前方部幅不明・高さ6m
石室の羨道部付近では版築状互層という高度な土木技術が使われている。
 石室のすぐ上には、小さな礫が敷き詰められ浸透した雨水が石室に入らないような工夫がされている。
 現在副葬品の多くの所在が不明となっているが、記録によれば、
 金銅製履・金環・丸玉・太刀・槍身・斧頭・馬鐸・轡・鈴・雲珠・須恵器などが出土したとある。

大念寺庫裏には、鏡板・直刀片・須恵器の杯などが保管されている。

上塩冶築山古墳
国史跡

出雲市上塩冶町
撮影日(2009/5/7)

地図

民家の横から入るのかと思ったら、周りはすっきりしていた。


駐車場から見た上塩冶築山古墳





墳丘実測図(パンフから)

かなり削られているが
直径42〜43m・高さ6mの円墳と推定されている。 



石室入り口

南西方向に開口している。
凝灰岩の切石で造られていて、全長は14.6m



玄室内には丁寧に加工された大小2個のくり抜き式家形石棺が置かれている。

小棺は奥壁に接して置かれ横口は入り口側に設けられている。
大棺は小棺の手前にあり西壁に接して置かれている。


玄室の大棺付近から入り口を見る

玄門部は、側壁に柱状の切石を立て、
その上にマグサ石をのせた両袖式のもの。
発見時は玄門部には切石が多く積まれ閉塞されていた。
石室が開口したのは1887(明治20)年。

円筒埴輪や須恵器壺の破片が出土
金銅製冠・金銀製円頭太刀・装飾品(玉類など)・馬具


石室の形
(パンフから)

石室の長さ14.6m

玄室長さ6.6m・幅2,8m・高さ2.9m 羨道長さ5.6m・幅1.8m・高さ2.2m

大石棺(手前)は 長さ2.8m・幅1.4m・高さ1.7m
小石棺(奥)は   長さ2.1m・幅1.4m・高さ1.4m

上塩冶地蔵山古墳
国史跡

出雲市上塩冶町
撮影日(2009/5/7)

地図

出雲工業高校のそばにある。


上塩冶地蔵山古墳全景





羨道から見る石室内部

前室は奥行2.35m・幅2.25m・高さ2.15m
奥室は奥行2.6m・ 幅2.4m ・高さ2.5m




奥室にある石棺は祀られている。




石棺の手前にある有縁石床




石室内から外を見る




現状で一辺15m・高さ5mの方墳状

石室全長8mで、羨道・前室・奥室に分かれている。中に家形石棺1・有縁石床1がある。

古墳時代後期の築造と推定されている。古くから開口しているので出土品は不明。

宝塚古墳
国史跡

出雲市下古志町
撮影日(2009/5/7)

地図

出雲西高校の東100mのところにある。一保塚(イッポヅカ)ともいわれる。
盛土の多くが失われているため規模・形は不明。

宝塚古墳全景

築造当時、地表より高かったはずの石室の床面が、度重なる洪水などにより水田面が上昇したため、
水田面より低くなり、羨道部には土砂が流入している。


宝塚古墳石室入口

羨道部には土砂が流入して埋まっていて
直接玄室に入る穴が開いている。



石室の形
(パンフから)

片袖式の横穴式石室で
玄室は奥行3.6m・幅2m・高さ2.5m


横口式家形石棺が東壁に接しておかれている。


石棺は長さ2.3m・幅1.2m・高さ1.5m

蓋・身とも刳り抜きだが、身の南壁は別の切石で補っている。


奥壁と天井石



葺石はないが、埴輪片(円筒埴輪)が確認されている。
出土品は数個の鉄鏃。

妙蓮寺山古墳
県指定史跡

出雲市下古志町
撮影日(2009/5/7)

地図

日蓮宗 久遠山 妙蓮寺

寺の西、かなり離れたところに、妙蓮寺山古墳がある。

妙蓮寺山古墳
左側 後円部
手前にある石はなんだろう?
葺石はないという。
 横穴式石室を持つ全長49mの前方後円墳
 後円部の直径25m・高さ4.5m  前方部の長さ24m・幅22m・高さ7.5m

前方部が後円部より3mほど高い位置にある。
石室は南西に開口している。


石室の形(パンフから)
横穴式石室は全長8m

玄室長さ4.4m・幅2.1m・高さ2.4m
羨道長さ2.0m・幅0.84m・高さ1.5m



玄門部

玄門は2枚の板石を観音開きになるように据え、
その手前に直径30cm・長さ105cmの円柱状の石を置いて閉塞する構造





石室内部

凝灰岩の巨石を刳り抜いて作られた
 横口式の石棺が置かれている。
家形石棺の長さ2.2m・幅1.2m・高さ1.1m


奥壁と天井石



玄室の長さ4.4m・幅1.9m・高さ2.2m
出土品として
ガラス玉・鈴・太刀柄頭・雲珠・杏葉・須恵器
玄室戸口に切石を観音開き状に置き閉塞する手法は、朝鮮の古墳に見られる。

古墳時代後期の築造と推定されている。
出土遺物や石室構造が大念寺古墳と類似点が見られる。

放れ山古墳
県指定史跡

出雲市古志町
撮影日(2009/5/7)

地図


放れ山古墳全景



標高10mの妙蓮寺山の東端にある。現在は切通しのため独立丘陵となる。


放れ山古墳実測図(パンフから)

径13m・高さ3mの円墳と考えられている。
埴輪なし葺き石なし

大正年間に発掘され
金銅装頭推太刀・同小刀・直刀刀子片・鉄鏃・雲珠・轡、杏葉・金環・須恵器などが出土。


石室内部

玄室の長さ3.27m・幅1.7m・高さ2.05m
羨道の長さ2.05m・幅1.1m・高さ1.7m



北側壁(左側)に沿い石床1基、
南側壁に接して二人分に仕切った石床
がある。




放れ山古墳奥壁

奥壁の一枚石は幅1.7m・高さ2.8m、

大梶古墳

出雲市古志町
撮影日(2009/5/7)

地図

公民館の庭にフェンスに囲まれて、石室の部分だけが残る。


大梶古墳
基底部だけなのか?石室が埋まっているのか?
見ただけではわからない。
墳丘の封土が流出しているので形は不明。
石室は天井石が失われているが凝灰岩の切石でつくられている。
石室の構造は石棺式石室
石棺式石室は古墳時代の終わりごろの築造と推定され、出雲国では15基確認されている。

石室の大きさは
玄室長さ2.45m・幅1.75m・高さ1.8m 羨道長さ2.20m・幅1.45m・高さ0.9m
昭和28年発掘され
金環・土師器杯の破片・埴輪破片・弥生式土器片・須恵器・鉄製品片などが
出土。

午後1時を過ぎた。

LAWSON出雲塩冶店でお弁当を買い、西谷3号墓の突出部で昼食。

山陰旅行記・その2 につづく


 

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