吉備路    広島県福山市から岡山県へ       見学日2012/3/28〜31

          その1 岡山県笠岡市

岡山県には 大きな古墳がある。陵墓にはなっていないので、墳丘にも上がれるという。
広島県福山市には「古墳ロード」と名付けられたところがある。見たいなあ・・・
今年の春は、吉備路へ・・・・・・。


2012/3/28
5時50分   自宅 発
         多賀SA 10分休憩
         京滋バイパス 経由
8時58分   吹田JKTから中国自動車道
9時05分   宝塚から渋滞7kmの表示 20分で渋滞ほぼ抜ける。
9時31分   神戸JKTから山陽道
         三木SA 15分休憩
11時15分  吉備SA すこし早目の昼食
12時10分  鴨方ICから一般道へ
12時22分  笠岡古代の丘スポーツ公園に到着 

笠岡市の地図

長福寺裏古墳群 笠岡市走出
撮影日2012/3/28

かわいい遠足園児一団と遭遇!
駐車場に駐車して古墳群を歩きまわらなければいけないかなあと思っていたが、
車道があるようなので、助かった。




現地案内板
左が北北東、右が南南西となる。


長福寺の裏山、標高90mほどの細長い独立丘陵上の約600mほどの間に列をなして築かれている。
 
前方後円墳2基・造出し付円墳2基・方墳4基・円墳数基からなる古墳群。
 
これらの古墳は出土物などから、5世紀代に次々に築造されたものと推定されている。

七つ塚古墳
長福寺裏古墳群
笠岡市走出
撮影日2012/3/28

七つ塚だが、一辺10mにも満たない小さな方墳が4基並ぶ。

東端の2号墳は、一辺8m・高さ1.5mの方墳で、1号墳より先に築かれたと考えられている。
 内部主体は木棺で墳裾から須恵器の壺と甕の破片が出土。

1号墳一辺9m・高さ1m弱の方墳で内部主体は長さ2.2m・幅0.5mの箱式石棺
 この箱式石棺には小さな副室が付いていて、中に須恵器の壺とはそう、土師器の碗が出土。
 主室からは刀・剣・斧・鍬先などの鉄器や滑石製勾玉・臼玉が出土、

3号墳と4号墳は1号墳より先に築かれたと考えられている。
 墳丘盛土がほとんど失われている。4号墳の内部主体は木棺で棺内から鉄刀が出土。

出土した須恵器は朝鮮半島とのかかわりをうかがわせるものだ。(説明板から)




七つ塚古墳

左から4・3・1・2号墳






 1号墳
   1号墳は一辺9m・高さ1m弱の方墳


1号墳の箱式石棺が埋め戻されている。

奥の方が主室部分
手前が副室部分

 東端の2号墳
   2号墳は、一辺8m・高さ1.5mの方墳

   2号墳の木棺(の位置)を示している。


左・4号墳  右・3号墳

4号墳の木棺の位置が示されているらしいが、
笹で見えなくなっていた。

双つ塚古墳
長福寺裏古墳群
笠岡市走出
撮影日2012/3/28




双つ塚古墳 実測図  (説明板から) 

墳長60mの前方後円墳  備中西部で最大の前方後円墳
後円部径40m・高さ5.5m  前方部幅38m・長さ30m・高さ6m

墳丘の周りには浅い周壕と周庭の高みが残る。
2段築成
埴輪列が段築部と前方部つけ根のくびれ部頂部で確認されている。
埴輪の特徴から仙人塚より先に築造されたと考えられている。
5世紀中ごろの築造と推定されている。
後円部の中心に大きな盗掘穴があり、内部主体は完全に破壊されているが、
穴から銅鏡1面が採集されている。

双つ塚の周堤東側に接するように小円墳(双つ塚東古墳群)3基が並んでいる。
調査された北端の1号墳は、径13mの円墳と推定されていて、円筒埴輪が出土した。   (説明板から) 



双つ塚古墳
左奥・前方部 右手前・後円部 


周壕・周庭が後円部のまわりに残っている。

  双つ塚古墳 後円部から前方部を見る

双つ塚古墳
前方部のなぞの石材(石室石材?)

  双つ塚古墳 前方部から後円部を見る
   後円部頂は、盗掘でくぼんでいる。

 双つ塚古墳 
  後円部の盗掘穴縁にあるなぞの石(石室石材?)
 
双つ塚古墳の横姿

左の前方部の方が高いのは
   後円部頂が盗掘されたからかな?
 



双つ塚の周庭東側に接するようにある3基の小円墳のひとつか?

ほかの二つは墳丘を確認できない。? 


 古墳群の中ほどには、広場があり、トイレや説明板、竪穴住居がある。
「笹岡市北部の史跡と文化財」という説明板には、
古墳関係では、長福寺裏山古墳群以外に、弓場山古墳と小池の古墳が紹介されている。


竪穴住居の平面表示
 

実際の住居跡は埋め戻した。
弥生時代後期(紀元後1〜3世紀頃)の住居跡がこの場所で確認された。
この山には、古墳の他に弥生時代の遺跡がある。
遺跡は尾根全体に広がっていて、特に東塚古墳の東側と、広場付近で、たくさんの弥生土器が出土した。

一つ塚古墳
長福寺裏古墳群
笠岡市走出
撮影日2012/3/28

一つ塚古墳は 墳長21mの造り出し付円墳  円丘部径16m・造り出し部長4m・高さ1.5m
 円丘部の頂は盗掘でくぼんでいる。
 その下に板状の自然石を立てたものがわずかに残っているため、東西方向に長軸を向けた箱式石棺の存在が推定されている。
 出土物はない。   (説明板から)


  一つ塚古墳 円丘部

  一つ塚古墳
  左側に造出があるはずだが、はっきりしない。


仙人塚古墳
長福寺裏古墳群
笠岡市走出
撮影日2012/3/28




仙人塚古墳実測図

墳長43mの造出付円墳
  円丘部径35.5m・高さ5.5m 造出部長さ13.5m・高さ1.5m

周壕と周庭があり、円丘部の周囲には葺石が鉢巻状にめぐっている。
造出部では、須恵器が出土、埴輪列も確認されている。
 
5世紀後半の築造と推定されている。


円丘部では二つの竪穴式石室が見つかっている。
 一つ目は中央のかなり深い位置にあり、長さ3m・幅高さとも80cmで、盗掘を受けて造出側に開口しているが、
もともと横口が付いていたという説もある。
扁平な石を積み上げて築き、床には小さな丸石を敷いている。
出土品はないが、明治時代に出土したという短甲がアメリカのメトロポリタン美術館に収蔵されている。

 二つ目の石槨は、墳頂表土直下でみつかっていて、中央よりやや北よりにある。
破壊されていて、下半分だけが残る。
中央主体を葬った後、次の主体を上へ重ねて作った珍しい構造の古墳。  (説明板から)



仙人塚古墳

写真中央の小道を行くと、竪穴式石室に着く。

  仙人塚古墳 円丘部には穴がある

  仙人塚古墳 穴の階段を下りると石室が・・。

  仙人塚古墳 石室内部

  仙人塚古墳 石室内部から開口部を見る
 
  仙人塚古墳 造出から円丘部を見

   仙人塚古墳 周壕と周庭が残っている。

竪穴式石室を見られるとは思っていなかったので、感激です。
この旅では、ほかにも竪穴式石室を見ることになる。(金蔵山古墳など)

東塚古墳
長福寺裏古墳群
笠岡市走出
撮影日2012/3/28




東塚古墳実測図


墳長50m弱の前方後円墳
後円部径25m・高さ3.5m 前方部幅(推定)28m・高さ2.5m
5世紀後半の築造と推定されている。

周壕と周庭をもち、円筒埴輪も出土。
開墾で墳丘の南半分が破壊され、真っ二つの状態だったが、平成12年に復元された。
(灰色の部分は復元されたところ)


後円部主体は残っていないが、前方部には半壊の竪穴式石槨が残っている。
この石槨は長軸に平行し幅1.2m・長さ3m弱で、床面には平石を敷いている。
床面から小型の五獣鏡、メノウ製勾玉と滑石製臼玉、
  武器(刀・剣・鏃)・工具(刀子・ヤリガンナ・斧)・農具(窯・鋤先)・馬具(轡・鏡板・ホ具)などの鉄器と、
     短冊形の小さな砥石・木棺などに用いたと思われる大小のカスガイが出土。
遺物から仙人塚より後に築造されたと推定されている。



東塚古墳
左手前 前方部  右奥 後円部

  東塚古墳 前方部から後円部を見る
   東半分(右側)がけずられ、
     復元したところを石で表わしている。

  東塚古墳 後円部から前方部を見る。
   元の墳丘部分は木が生えている。


東塚古墳の横姿
左が前方部


復元した部分ばかりが見えている。

午後1時40分、長福寺裏山古墳群の見学を終え、西に山を下る。
南北に走る側道との合流点右側に古墳がある(堂の上塚古墳)というが、探すのに失敗。

小池の古墳
市史跡
笠岡市走出
撮影日2012/3/28

長福寺裏古墳群のある山の北側の麓にあるので、同じ古墳群といっても間違いはないだろう。
「高田組」という会社の南側の民家の横から山道にはいると案内版がある。

小池古墳の案内板のそばに
石槨みたいな石があり水がたまっている


何なのかな?



小池古墳は、市内最大の横穴式石室を持つ径30mの円墳
左片袖式の石室は、全長11.8m
玄室長6.9m・幅2.6m・高さ2.7m 羨道残存長4.8m・幅1.55m
石室入口部分が破壊されている。
出土品が全くないので、築造年代は不明だが、古墳時代後期の築造と推定されている。


  小池古墳 墳丘

  小池古墳 石室開口部

  小池古墳 石室内部

  小池古墳 石室内部から入口を見る

りっぱな石室を見て、午後2時10分、広島県福山市へ向かう。

  


吉備路の旅・その2 へつづく

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