吉備路へ・・・・    その8  花光寺山古墳から トンギリ山古墳

2012/3/31  吉備路 4日目、最終日。
午後5時に大阪の長男宅に行く約束があるので、逆算すると、午後2時半には、岡山を出なければならない。

朝一番に、浦間茶臼山古墳と宮山西塚古墳を見学後、瀬戸内市に入る。
雨がやまないなぁ・・・・

岡山市東区・瀬戸内市・備前市の地図

花光寺山古墳
県指定史跡
瀬戸内市長船町服部
撮影日2012/3/31

9時24分 花光寺山古墳 着。


左(北側) 天神山古墳 右(南側) 花光寺山古墳

二つの古墳の間に道路が通り、行政区も別となってしまったが、
本来同じ丘陵上に並んでいる古墳だ。

花光寺山古墳は瀬戸内市
天神山古墳は、備前市。

花光寺山古墳は 全長100mの前方後円墳
 後円部径54m・高さ8.5m 前方部前端幅28m・高さ4.5m
南南東に前方部がある。
 葺石あり(7,8cm大の円礫) 後円部には円筒埴輪が3重にめぐる。
 1936年の調査では、後円部中央に凝灰岩製の組合式長持型石室(棺?)が直葬されていて、
  石室の前後に小石室が付設されていた。
 石棺の蓋には前後と左右に1対ずつ縄掛け突起があり、
  身の内法は長さ1.6m・幅0.5m・深さ0.55mで赤色顔料が付着していた。
 北側の小石室から遺物が出土、
   鏡2面、太刀、素環頭太刀、短剣、槍先、刀子、銅鏃、鉄鏃など(東京国立博物館蔵)
   (説明板から)
4世紀後半の築造と推定されている。


 花光寺山古墳後円部
  向こう側(南南東)に前方部

 花光寺山古墳 後円部頂は径20mほど
  葺石らしい集石もある。

 花光寺山古墳 後円部から前方部を見る

 花光寺山古墳 前方部から後円部を見る

新庄天神山古墳
市指定史跡
備前市新庄
撮影日2012/3/31

新庄天神山古墳は、
全長120mの前方後円墳といわれていたが、径40mの円墳の可能性が高くなった。
葺石あり 円筒埴輪がめぐる
1945年ごろ盗掘され、竪穴式石室の中に船形石棺の身がおかれ、
  水銀朱で染まった別造りの石枕がみつかった。
石枕の上には、首に掛けられていたかのような状態で、勾玉1を含む管玉36が残されていた。
腕にあたる部分から碧玉製石釧、貝釧などが発見されている。
棺外には、鉄剣10・鉄鏃2をはじめとして、多くの鉄器類が副葬されていた。
4世紀の築造と推定されている。  (説明板から)


 新庄天神山古墳 上り口(右側)
   左側は花光寺古墳

 新庄天神山古墳
    登る途中にある小さな天神社

 新庄天神山古墳 墳頂部

 新庄天神山古墳
  前方部と思われていたところを見下ろす

馬塚古墳
マツカコフン
瀬戸内市長船町土師
撮影日2012/3/31

10時15分 一つ目小僧(馬塚古墳) 着

馬塚古墳は、径25mの円墳  高さは西側6m・東側3m
 北に開口している左片袖式横穴式石室は全長8.1m
  玄室の長さ5.01m・最大幅2.0m 羨道長さ3.05m・幅1.4m
6世紀後半〜7世紀前半の築造と推定されている。(説明板から)


北側の道路から見る馬塚古墳

ぽっかりとあいた穴が、一つ目のように見えるので、別名「一つ目小僧」

現代のお墓の上に 石室が見える。



 馬塚古墳 西側から見た墳丘

 馬塚古墳 開口部

 馬塚古墳 石室内部

 馬塚古墳 内部から外を見る

牛文茶臼山古墳
市史跡
瀬戸内市長船町牛文
撮影日2012/3/31

長船中学校への上がり口に「案内板がある。
10時34分 牛文茶臼山古墳 着。

牛文茶臼山古墳は 全長50mの帆立貝形前方後円墳
後円部径38m・高さ5.5m 前方部長さ14.8m
長船平野の南東部、桂山の北側山麓の北東にのびる尾根の頂部、標高32mの地点につくられている。
北東から南西に軸を置き、前方部が南西方向(山側)にある。

後円部2段築成
墳裾に円筒埴輪と朝顔形埴輪、後円部頂上に楯形埴輪があった。
1912年、後円部中央の竪穴式石室が掘られ、
 石室からは、金銅製帯金具、鏡、貝釧、鉄刀、甲冑の小札、馬具の一部、須恵器などが出土。
5世紀末の築造と推定されている。

この古墳の北側4m離れた所にある小茶臼山古墳は、径10mの円墳で陪塚と考えられている。
両墳とも、埴輪片が採集されている。 
           (説明板・須惠古代館パネルから)


牛文茶臼山古墳を
     北側麓から見上げる。


左 牛文茶臼山古墳後円部
右 小茶臼山古墳




 牛文茶臼山古墳 後円部 北側から見上げる。
  左奥に前方部がある。

 牛文茶臼山古墳
   竪穴式石室のあったところはくぼんでいる。




牛文茶臼山古墳
 後円部から前方部を見る。

 牛文茶臼山古墳出土の画文帯四神四獣鏡
  直径20.8cm 東京国立博物館蔵
          (古代館パネルから)  

 牛文茶臼山古墳出土の小鈴付獅噛文帯金具
  東京国立博物館蔵
          (古代館パネルから)

 小茶臼山古墳 牛文茶臼山古墳の陪塚か
  北から見るときれいな円墳に見えるけど・・・・

 小茶臼山古墳
   南から見ると、だいぶ削られているなぁ・・・ 

築山古墳
須惠古代館
瀬戸内市長船町牛文
撮影日2012/3/31

牛文茶臼山の南なのだけど、桂山をぐるっと回らないと行けない。
11時 須恵古代館 着。
築山古墳のそばには、須惠古代館があって、瀬戸内市の遺跡が紹介されている。
入館料は無料。
ボランティアの方たちが交替で当番をして、地元の人たちが守っている小さな資料館はとても魅力的だった。

築山古墳全長82mの前方後円墳で、前方部を東に向ける。
 後円部径38m・高さ9m  前方部幅66m・高さ10m
 2段築成 各段の縁と墳丘裾に円筒埴輪がめぐる。
 二重の周壕があった。
1870年、後円部中央の割石小口積みの竪穴式石室が掘られ、現在はその上部が失われ、家形石棺が露出している。
 石棺は阿蘇熔結凝灰岩製と考えられている。
 鏡・玉類・武具・馬具などが出土。
5世紀後半の築造と推定されている。


 築山古墳北側から見た墳丘 右・後円部
  広高山の北西麓につくられている。

 築山古墳 南から見た墳丘
  くびれ部あたりに造出がある。後円部がコロンと丸い!


 築山古墳 後円部中央には石棺が露出している。
  右奥に前方部がある。

 築山古墳 左の写真とは方向を変えて見る。
  まわりの石は、竪穴式石室の石材と思われる。

 築山古墳 石棺内部その1
 いい仕事してます

 築山古墳 石棺内部その2
  反対側は、ボロボロです

 築山古墳 後円部から前方部を見る
 右側のくびれ部付近には造出のふくらみが見える。

 築山古墳 前方部から後円部を見る
 後円部が高さが1mほど低いのは、削られているからかな。

 築山古墳 
   前方部端にある社殿のミニチュア
・・・⇒

 ミニチュアとは思えない精巧な造りに見入ってしまった。
  高さ1mほどの社殿です・・・・・ 




築山古墳出土の神人竜虎画像鏡
 (古代館パネルから)


 直径20.3cm
 本物は東京国立博物館にある。

築山古墳は、資料館、きれいな墳丘、石棺など見どころ満載です。
おまけに、ミニチュアの社殿も見学できる。

旧長船町西須恵地区から北の旧邑久町に行くときに近道だった山越えの道、
  現在は自動車も通れないような峠の集落に、二つの前方後円墳があるという。
亀ヶ原大塚古墳と金鶏塚古墳。
後円部を向かい合わせて、二つの前方後円墳が並ぶ。


山の中の集落にエミューがいた!

愛想が悪くて、カメラを向けるとそっぽを向く。



古墳までの道は、どう考えても自動車は通れない。手前の空き地に駐車、徒歩で古墳そばまで行く。

亀ヶ原大塚古墳 瀬戸内市長船町西須恵
撮影日2012/3/31

11時32分 亀ヶ原大塚古墳 着。

亀ヶ原大塚古墳全長40mの前方後円墳
 後円部径20m・高さ3m 前方部幅20m・長さ24m・高さ4m
南北方向に主軸があり、南に前方部がある。開墾などにより改変されている。

後円部と前方部にそれぞれ横穴式石室がある。
後円部の石室は不明だが、
前方部の石室は前方部の中央に主軸に直交して横穴式石室が築かれ、西に開口している。
  右片袖式で全長7m 玄室長3.3m・幅1.9m 羨道部長3.7m・幅1.3m
6世紀後半の築造と推定されていて、当地域では最後に築かれた前方後円墳と考えられている。
未調査。   (説明板から)


 現在
   亀ヶ原大塚古墳は竹薮となっている。

 亀ヶ原大塚古墳 後円部上にある石材
   後円部の石室のものか?

 亀ヶ原大塚古墳 前方部から後円部を見る。
   後円部の方が1m低い!

 亀ヶ原大塚古墳 
  後円部(南)から前方部(北)を見る。

 亀ヶ原大塚古墳 前方部の石室 西側に開口
  左側が後円部の墳丘

 亀ヶ原大塚古墳 石室入口

 亀ヶ原大塚古墳 玄室部分
   奥壁は幅1.2m、高さ1mの巨石

 亀ヶ原大塚古墳 内部から外を見る

金鶏塚古墳 瀬戸内市長船町西須恵
撮影日2012/3/31

亀ヶ原大塚古墳の後円部の北東に、後円部を向かい合わせてあるのが金鶏塚古墳。

金鶏塚古墳推定全長35mほどの前方後円墳
 北東に前方部、南西に後円部がある。
 墳丘はかなり破壊され、主体部も残っていない。
 削られていて築造当時の形状を残すのは前方部の墳端のみ
竪穴系横穴式石室があったと考えられている。
1894年に開墾により出土した遺物は東京国立博物館に収蔵されている。
鏡・環頭柄頭・鉄刀・鉄矛・兜片・金環・勾玉・ガラス製管玉・鉄鏃・青銅製馬鐸・鉄斧・須恵器・埴輪片などが出土。


出土した馬鐸

  (古代館パネルから)

馬鐸は3個出土していて、最大高さ16.7cm・最大幅9.4cm。
 これらは同じ鋳型で造られた可能性が高い。
馬鐸は全国で40例あまり知られているが、
  県下では倉敷市天城の頓々山古墳から同じ文様を施す1例のみ。



 金鶏塚古墳 後円部  道路で削られている
  向こう側に前方部がある。
  知らないと古墳とは思わないかも・・・

 金鶏塚古墳 前方部から後円部を見る。

他にもいくつかの古墳があるというが、確認はできなかった。

鶴山丸山古墳
国史跡
備前市香登本、福田
撮影日2012/3/31

赤穂線の香登駅の南の鶴山に保存されている。

12時 鶴山丸山古墳 着。

鶴山丸山古墳は 径60mの円墳
標高60mの鶴山山頂にある。
 2段築成 葺石あり 埴輪あり
墳頂に竪穴式石室があり、家形で彫刻を施された石棺がある。
 三角縁二神二獣鏡1面・内行花紋鏡など29面、
  石製品(碧玉製四脚盤、合子、坩器台 勾玉、管玉)
  鉄製品(刀剣、鏃、斧)などが出土して、東京国立博物館に収蔵されている。
4世紀後半の築造と推定されている。
昭和11年に調査。(説明板から)



鶴山丸山古墳の刳抜式家形石棺 模式図
   (説明板から)






 鶴山の南麓にある「鶴山丸山古墳」の
                    石碑と説明板

  石棺は埋め戻されているという。

 鶴山丸山古墳の墳頂部  石碑が立つのみ。
  かなりの急坂を登った所にある
  墳丘斜面は林になっている。


池灘古墳
市史跡
備前市香登本、福田
撮影日2012/3/31

12時20分 池灘古墳のフェンス前 着。 北側の自動車学校そぱに駐車。


なぜか 池灘古墳は柵の中にある。

柵のすき間をすり抜ければ入れるということだったが、
 そのすき間にも有刺鉄線が張りめぐらされて入れない。

ここまで来たら、何としてでも柵を越えるぞ!



池灘古墳は、径20m・高さ4.3mの円墳
北側には周溝が確認できる。
南に開口している両袖式横穴式石室は全長9.5m・幅2.5m・高さ2.3mで羨道部も残る。
備前市内最大の石室
発掘調査はおこなわれていない。  (説明板から)
6世紀後半の築造と推定されている。



池灘古墳の墳丘は雑木林だが、
その周りには周溝痕
が残っているようだ。


 池灘古墳 碑も説明板も柵の内側にある。

 池灘古墳 石室入口   南に開口している。
  羨道前面が壊されている。

 池灘古墳 石室内部

 池灘古墳 石室内部から外を見る

12時40分ごろ、 鈴与の備前西トラックステーション、 今日で閉店というスタンドで給油 (備前市香登本)

午後1時ごろ 丸山古墳のすぐ北の2号線沿いにある「大阪屋食堂 岡山」で昼食 (備前市香登西)

再び赤磐市に・・・。旧熊山町弥上にある古墳を探す。   赤磐市の地図

見上古墳
市史跡
赤磐市旧熊山町弥上
撮影日2012/3/31

午後1時35分 見上神社 着。



見上神社 社殿

見上古墳は、本殿裏の斜面にある。

見上古墳は、径10mほどの円墳
横穴式石室は、全長約6m、玄室長4.7m、幅1.8m、高さ2mの左片袖式。
天井石は、 4枚。


 見上古墳 墳丘

 見上古墳 開口部

 見上古墳 石室内部

 見上古墳 内部から外を見る。

詳しいデータが見つからない。

小丸山古墳 赤磐市旧熊山町弥上
撮影日2012/3/31

見上古墳の西の道路に半分に削られてしまった前方後円墳がある。

小丸山古墳は、全長33mの前方後円墳
墳丘の半分と石室が削られている。


 小丸山古墳 
  北から見ると前方後円墳らしく見える
が、
   見えない側の墳丘は削られてなくなっている。
 

 右の高まりが小丸山古墳
 道路が、前方後円墳を縦にすっぱりと切ってしまった。

 小丸山古墳の断面 削られたのは100年以上前のこと。

 小丸山古墳 後円部頂は、
       墓地として使用されていたのか?

見上古墳・小丸山古墳・畑古墳の位置関係(ヤフー地図)

畑古墳 赤磐市旧熊山町弥上
撮影日2012/3/31

小丸山古墳の北に石室が開口しているという。

畑古墳は民家の後ろに墳丘が残っている。
 南西に開口している左片袖式横穴式石室は、
  玄室長5m・高さ2m・幅2.5m 羨道長4.3m・幅1.6m・高さ1.9m
  陶棺2基が出土した。


 畑古墳 古墳がありそうな森だと思ったら、
                やはり石室があった。

 畑古墳 開口部
   私有地らしいが、家主がお留守のようで・・・・

 畑古墳 石室内部

 畑古墳 内部から外を見る

岡山市の中山にある古代吉備文化財センターに展示されていた陶棺が出土したという弥上古墳が、
近くにあるようだが、みつからなかった・・・。

トンギリ山古墳 赤磐市徳富仲尾
撮影日2012/3/31

徳富公会堂横に駐車。西側の山麓の野獣除けの柵を開閉しながら、山裾を進む。
午後2時15分 トンギリ山古墳 着。

トンギリ山古墳は 帆立貝形前方後円墳
後円部径17m・高さ7m 前方部長さ7m・幅7m
北に開口している両袖式横穴式石室は、
玄室長3.6m・幅1.8m・高さ1.6m 羨道長3.4m・幅1m・高さ1m 


 トンギリ山古墳 北から見た墳丘
  写真中央の少し上に石室がある。
  左側に前方部があるようにみえるが?・・・。

 トンギリ山古墳 南から見た墳丘


  トンギリ山古墳 開口部
     入口は狭くて、滑るように入室

 トンギリ山古墳 羨道から玄室を見る

 トンギリ山古墳 玄室
  床に石が集められている。

 トンギリ山古墳 内部から外を見る。
  

トンギリ山古墳が、吉備路の旅・最後の見学地となった。

午後3時      備前IC
午後3時半ごろ  龍野西SAでおみやげ調達
午後4時50分   中国池田IC
午後5時      長男宅へ  1才10ヶ月の孫と2カ月ぶりの対面。ちゃんと忘れずにいてくれました。
            きんのぶた豊中夕日丘店で夕食
午後8時      中国豊中IC
午後9時      黒丸SA 
午後9時33分ころ 米原JCT
午後11時25分  徳光スマートIC
午後11時30分  帰宅           今回は 1341km走り抜きました。

吉備路の旅    終わり

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