更新日 2014/10/7

四国の遺跡めぐり
第19回 徳島県その3
板野町・鳴門市
2014/4/20〜26

4月26日、土曜日。四国の旅最終日。
午前に美馬市から始まり、徳島市の阿波史跡公園までを見学後、
板野郡板野町にある「徳島県埋蔵文化財センター」へ

板野町・鳴門市の地図

徳島県埋蔵文化財センター
西山谷2号墳移築石室ほか
板野郡板野町犬伏86-2
撮影日2014/4/26

センターの前庭ベンチで昼食。 すぐ横には、石棺が展示されている。



向寺山古墳出土 石棺


文化の森建設敷地内で確認された箱形石棺
園瀬川に面する標高21〜21.7mの尾根上に位置している。

石棺は上部に緑泥片岩(阿波の青石)の積石をもつという稀な構築形態
内法 長さ195cm・南短側石幅40cm・北短側石幅30cm・深さ30cm
遺物なし


桧北山古墳群出土 箱形石棺

阿讃山脈南麓の鳴門市大麻町桧地区に位置。
標高85mの高さにあり、墓壙は地山をほぼ垂直に掘り込んでいる。

石棺は長軸2.14m・短軸0.87m・深さ33cm
内法で長軸1.65m・東側幅33cm・西側幅20cm
直刀・刀子が副葬されていた。
宝幢寺3号墳とよく似た刀子が出土しているので、
       
5世紀後半の築造と推定されている

西山谷2号墳の石室が埋文センターの敷地内の高台に移築保存されている。


西山谷2号墳石室は、高台に保存されているが・・

覆い屋におおわれいて、よく見えない・・・・
西山谷古墳群は鳴門市大麻町大谷の阿讃山脈南麓尾根上に位置する古墳群で、
    高松自動車道の建設に伴う事前調査で
6基の古墳が検出された。
  
 
西山谷2号墳は 標高74mの尾根上、
  
南北径20m、東西径18m・高さ2mの円墳
  中央に南北方向の結晶片岩石積の
竪穴式石室がある。
    竪穴式石室は全長4.72m、北幅1.05m、南幅0.83m
    墓壙は南北6.5m、東西4.8mで全体が結晶片岩で覆われている。
    石室には粘土でつくられた棺台があり、
刳抜式木棺があったと考えられている。
    石室の床には水銀朱が塗られていて、特に北側が多量だった。
  棺内北側から鉄鏃、ヤリガンナ、鉄剣、鉄斧、鉄片、青銅鏡など多くの副葬品が出土
  棺外からは鉄槍や土器が出土した
  
3世紀半ばの築造と推定されている。

西山谷2号墳・竪穴式石室実測図(古墳辞典から)

西山谷2号墳石棺内副葬品出土状況 
      (説明板から)
鉄鏃・・断面が円形をした片縞造り        
鉄剣・・全長30.3cm 身の長さ20cm、身幅2.5cm
     短剣と推定されている
青銅鏡・・面径12.5cm、重量157.6g        

尾根上に築かれた西山谷2号墳 (説明板から)

西山谷2号墳石室内の様子 (説明板から)

この埋文センター内には、大代古墳の石棺が展示されている。
写真は大代古墳の項で。

天河別神社古墳群
アマノカワワケジンジャコフングン

県史跡
鳴門市大麻町池谷
撮影日2014/4/26

県道12号線池谷トンネルの上に保存されている。

天河別神社


トンネルのすぐ南に天河別神社があり、
社殿の裏に1号墳、横に2号墳、
       背後の尾根上に3号墳以降が分布している。




  


天河別神社古墳群配置図

   (平成21年3月
     天河別神社古墳群3号墳の現説資料から)

天河別神社古墳群は 鳴門・板野古墳群の中心にある古墳群で
  阿讃山脈から南に派生する標高28.5mから16mの尾根上に位置する。

4号墳を境に
二つの尾根に分かれ、南東尾根には1・2号墳(円墳)、
    南西尾根には3(前方後円墳)・7・8(円墳)号墳がある。

11基以上の古墳で構成されている

5・6・9・10号墳は、この図の北方にある。


1号墳
 径25m・高さ2.6mの円墳 2段築成
   北側に幅3〜4mの周壕が残っている。
   埴輪はない。土師器壺が出土
 石囲いで囲まれた南北主軸の
竪穴式石室は結晶片岩が使用されている。
   南北5.08m 東西北側幅1.1m 東西南側幅1m 蓋は木製だったと考えられている。
   石室床面から
コウヤマキ製の木棺材が確認され、舟底状の木棺が安置されていたと想定されている。
 銅鏡(珠文鏡)1・鉄剣2・鉄斧1・ヤリガンナ1・刀子2・土師器片が出土
 大代古墳、愛宕山古墳と同じ構造で、前期前半の築造と考えられている。
 広報なると2005年11月には、
   西山谷2号墳より古い3世紀後半の築造ではないかと書かれている。

社殿の後ろにある墳丘

社殿で削られている。

 2号墳  1号墳の南に築かれている
 径26mの円墳
  墳丘裾の東から南側部分にかけて礫敷きのテラスがある。
  3段築成でそれぞれの裾部には列石を伴い、一部には葺石がある。
  埴輪はない  広口壺・二重口縁壺・短頸壺・甕胴部が出土
  結晶片岩を使用した南北主軸の竪穴式石室は5mほどの大きさと考えられている。


2号墳

神社社殿の横にある

 3号墳
 全長42mの前方後円墳
  前方部は直線的に柄鏡形になる。
  前方部や後円部の墳頂平坦面には砂岩小礫による礫敷きが見られる。
  墳丘から土師器の二重口縁壺が出土

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る
 調査から5年が過ぎ、雑木が茂りつつある・・・・・


  4号墳 
 以前は前方後円墳といわれていたが、径20〜25mの円墳と訂正されている。
  埋葬部もほとんど消滅していたが、礫敷きの粘土槨に割竹形木棺があると考えられている。
  舶載斜縁二神二獣鏡片・鉄剣・鉄槍・鉄鏃が副葬されていた。


4号墳 墳丘

5号墳〜8号墳円墳とみられている
5号墳は、径20mの円墳だったようだが、土取りのため消滅
  過去の盗掘で直刀・勾玉・管玉・銅鏡が出土している。

天河別神社古墳群の築造時期については、まだまだ研究の途中のようだ。
これからの成果に期待したい。

宝幢寺古墳
県史跡
鳴門市大麻町池谷
撮影日2014/4/26

天河別神社古墳群の下トンネルから東に100mほど行くと、宝幢寺への案内表示がある。

宝幢寺古墳


宝幢寺古墳実測図

宝幢寺古墳
は、全長47mの前方後円墳   後円部径28m
 標高27〜32.5mの尾根上につくられている。
 前方部先端には自然地形から墳丘を切り離した区画溝がある。
後円部南裾には基底石列石が確認されている。
刀子片と朱が付着した砂岩小礫、勾玉・管玉が出土したといわれているが、
   
埋葬施設は不明
墳丘からは円筒埴輪と朝顔形埴輪が出土
4世紀後半の築造と推定されている。

宝幢寺

本堂右横から奥に、少し上ったところに墳丘がある。

前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る

後円部には宝幢寺の歴代住職の石塔がある。


萩原墳墓群 鳴門市大麻町池谷
撮影日2014/4/26

宝憧寺境内の本堂から宝憧寺古墳へ行く途中の歓喜天前に「萩原移築古墳」がある。
「萩原墳墓群」の埋葬施設 3基が移築保存されている。
説明板がないので、詳しいことはわからない。

1号墓は、県道工事にともない調査後、消滅となっているが、ほかの墳墓はどうなっているのだろうか?


フェンスの中に小さな石室が保存されている

移築石室その1

移築石室その2

移築石室その3
 萩原古墳群は、天河神社古墳群の西の尾根にある。
  標高10〜24mの尾根から斜面全体にかけて
22基の埋葬施設が検出
  県道鳴門池田線の工事に伴い調査され、埋葬施設の一部が宝幢寺の境内に移設されている。

 
1号墓突出部をもつ弥生末期の円形の積石塚
  径18m・高さ0.8mの円丘部に長さ8.5mの突出部を山側に向ける
 
2号墓突出部をもつ弥生末期の円形
  径21.2mの円丘部に長さ5,6mの突出部を平野側に向けている。

 埋葬施設の上には砂岩円礫と多量の白色円礫がみられ、讃岐産の土器がお供えされていた。
  さぬき市津田のけぼ山古墳や赤山古墳でも
       後円部の頂上に小さな白色の石が見られるので、同じような風習か?
 埋葬施設はどちらも
      
積石木槨構造 (木棺を安置する木槨を設置して、木槨外周に
                 結晶片岩の囲み壁とその外に河原石積みの石槨を配している)
   奈良県桜井市のホケノ山古墳の石囲い木槨の祖形ではないかと考えられている。

 
弥生時代終末期の築造と推定されている。
   2号墓→1号墓の順に築造されたと考えられている。
  
 他の埋葬施設は中期の箱式石棺と後期の小竪穴式石室が中心。 

 1号墓は昭和55・56年に調査後消滅
 2号墓は平成18年度に調査 

ぬか塚古墳 鳴門市大麻町萩原
撮影日2014/4/26

天河別神社から西に約1.2km、大きな民家の裏庭にある。
家の人に挨拶をして、見学をさせていただく。

 ぬか塚古墳は、元は径30m・高さ5mの円墳
  南に開口している右片袖式の
横穴式石室は全長4.8m 
   玄室長3.24m、奥壁幅1.5m・、最大幅1.7m 前壁幅1.6m 玄門部幅1m
             奥壁高2.4m、前壁高さ2.4m 羨道高さ1.6m
  1927年(昭和2年)の発掘調査では、鏡や馬具、装飾品など豊富な出土があったと記録されているが、
   現在所在が明らかなものは、馬鐸1点だけである。
  6世紀後半の築造と推定されている。
  砂岩の角礫でつくられていて、羨道天井部のみ結晶片岩を使用
  川の対岸にある春日神社古墳群の一つと考えられている。   (古墳辞典から) 

墳丘

開口部

石室内部 床には水がたまっている。

奥壁

ぬか塚古墳のすぐ北東にある春日神社も古墳だという。



古墳の上に建っている春日神社の社叢




大代古墳
県史跡
鳴門市大津町大代字日開谷
撮影日2014/4/26

四国最後の見学地・大代古墳へ。
宝幢寺から東に約4km、高松自動車道鳴門ICのすぐ西にある大代古墳トンネルの上に現地保存されている。

 大代古墳群は  
  平成12年に高速道路建設の事前調査で発見され、古墳は当初調査されて消滅する予定だったが、
   トンネル工法により保存された。

大代古墳群実測図
   (鳴門市教育委員会2011から)

阿讃山脈東端南麓から南に派生する標高41〜43mの尾根上に位置

全長約54mの前方後円墳の大代古墳と
後円部と前方部の先端に接してさらに2つの円墳があり、
    2・3号墳と呼ばれている


大代古墳北側の
2号墳は、直径約22mの円墳
南側の
3号墳は、直径約15mの円墳
2・3号墳は陪塚と考えられている。

また東尾根部東端斜面において箱式石棺1基を検出している。


 
大代古墳全長約54mの前方後円墳
  後円部南北径31m・東西径45m  前方部長23m、
   くびれ部幅18m、前方部前面幅21m、墳高は後円部6.7m、前方部3.3m
  前方部、後円部とも2段築成
  葺石はあるが、全体ではなく、裾部を列石状に区画している程度。
  円筒埴輪、朝顔形埴輪、家形埴輪、盾形埴輪の破片が出土
   (第1段テラス上や前方部墳頂に円筒埴輪列があり、
           後円部墳頂に形象埴輪が並んでいたと考えられている。)
  後円部頂に南北方向に南北約7.4m、東西約4.5m残存深さ約80cmの墓壙の中
  内法で長軸3.7m、北小口幅1.1m、南小口幅1.0mの
竪穴式石室があり、その中に刳抜式石棺がある。
  石棺内から、滑石製臼玉28・緑色凝灰岩製管玉1が出土した
  原位置から移動した遺物は、鏡片、装飾品(管玉・臼玉) 武器(鉄鏃・銅鏃・鉄剣片・鉄刀片・鉄鉾片)
    武具(短甲片) 農工具(鋤先・鉄鎌) 工具(鉄斧・刀子・ヤリガンナ・鉄鑿)など。
  
石棺の石材は、さぬき市津田町火山産の白色凝灰岩
  
4世紀末の築造と推定されている。  岩崎山4号墳より少し新しい古墳とみられている。


石室と舟形石棺   (古墳辞典から)

大代古墳石棺

 刳抜式舟形石棺は石室のほぼ中央に安置され
 縄掛突起を含む全長が2.84m、
 内法長2.23m   全幅87cm、内法上端幅66cm、 深さは約42cm、同内法約24cm
 両小口部外側面にそれぞれ縄掛突起がある。
 棺全面に水銀朱の塗布が認められる。



大代古墳石棺 複製
   (徳島県埋文センター展示から)


後世の盗掘により石室の上半部分は破壊されていて、
   石棺の蓋はない



津田町の火山(ヒヤマ)産の石材
  40kmほどの道のりを運ばれたのだ。


トンネルの上に保存された大代古墳 

大代古墳 (1号墳)後円部から見た2号墳

大代古墳(1号墳)後円部から前方部を見る
前方部の奥に3号墳が見える

2号墳から大代古墳(1号墳)後円部を見る

鳴門板野古墳群については、さぬき市文化財保護協会HP、徳島県の歴史散歩(山川出版社)
ほか多くの皆様のHPを参考にさせていただいた。
ありがとうございました。

鳴門・板野古墳群について    「徳島県の歴史散歩(山川出版社)」から抜粋
 鳴門市大麻町の山地の麓には、弥生時代終末期から古墳時代前期にかけて、前方後円墳を核とした首長墳が集中する。総称して鳴門・板野古墳群と呼んでいる。
 主な古墳は、西山谷2号墳  池谷宝幢寺古墳(県史跡)  天河別神社古墳群(6基・県史跡)
  萩原1号墓(消滅)・2号墓  大代古墳(県史跡)  板野の愛宕山古墳(県史跡)、
 発掘調査で埋葬施設が判明した西山谷2号墳、天河別神社1・2号墳、愛宕山古墳、大代古墳は、いずれも結晶片岩板石積みの竪穴式石室を構築しており、鮎喰川産の土器を供献するなど、気延山古墳群との親縁性を示している。
 西山谷2号墳は全国最古級の竪穴式石室で、石室外周に萩原1・2号墓に類似した一種の囲み壁をつくっている。
 積石木槨から竪穴式石室の成立を考える上で興味深い。
 近年、東阿波型土器が大和・河内地域の遺跡から相当量出土することをふまえ、大阪府茨木市の将軍山古墳や紫金山古墳、高槻市の闘鶏山古墳を始めとする摂津・北河内地域に点在する結晶片岩石積みの竪穴式石室について、その用材石室構築技術が、阿波地域から提供されたとみる説が定着しつつある。
 鳴門板野古墳群には中国製の銅鏡の副葬がみられるのも特徴である。

鳴門・板野古墳群はこれから、まだまだいろいろなことが明らかになっていくものと思う。今後の成果に期待します!

すべての見学を終えて、
午後3時20分、 鳴門IC
 淡路ハイウェイオアシスでおみやげを買い、
垂水JCT−西宮JCT− 尼崎IC を通り 
午後6時10分、イオン伊丹店に到着 長男家族と会う。

豊中市内で、ガソリン給油 出発して1790kmとなる。

長男宅に宿泊させてもらい、
翌4月27日は午前10時半ごろまで、二人の孫と遊び、その後帰路につく。
11時15分 吹田IC−多賀SA(昼食)−北鯖江PA(休憩)
午後3時12分 美川IC  帰宅は3時22分。
旅行の全走行距離はなんと 2078kmとなった。

その夜は、長女夫婦にタケノコをいっぱいもらって 一緒に食事。

本当に、お疲れさまでした・・・・・。

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