更新日 2014/7/27

四国の遺跡めぐり
第10回 香川県その2
善通寺市
2014/4/20〜26

4月23日、4日目、観音寺市、三豊市の見学を終え、善通寺市に入る。
まず、青龍古墳へ

善通寺市の地図

青龍古墳
市史跡
善通寺市吉原町
2014/4/23

いかにも古墳らしい森・・・。
鷺井神社の境内に、青龍古墳がある。(別名 鷺井神社古墳)
インターネット上で 「青龍古墳調査報告書」(1994年)が公開されている。

青龍古墳は、径42mの円墳、周堤部まで含むと78mとなる。

青龍古墳地形測量図
   (「青龍古墳調査報告書」(1994年)から)



古い資料には
   2重の濠をもつ前方後円墳として紹介されていたが、
平成5年の調査で、
 周囲に広大な周堤部をもつ2段築成の円墳とわかった。

2重濠にみえる古墳の南側は、
 戦国時代に築かれた土塁と濠である可能性が高く、
          ほかにも随所に改変の痕跡が確認された。
中世の山城跡「天霧城跡」を間近にのぞむ立地から、
      砦として使用されたのではないかと考えられている。


 古墳北側の濠部分には珍しい片葉の葦が自生し、
  神社東方約100mの場所には、眼病に効果のある水がわくという鷺ノ井があるなど多くの伝説が残る。
      (説明板から)



鷺井神社
(説明板には青龍神社となっている)は、
  弘法大師の雨乞い祈祷に由来し、
    青龍大権現を祀ると伝わる。


墳丘の東を削って、社殿が建っている。



青龍古墳 墳丘


左から墳丘・広い周堤

墳丘上には「青龍古墳」と刻まれた石碑がある。


大塚池古墳吉原椀貸塚 善通寺市吉原町
2014/4/23

青龍古墳の南700mほどにある大塚池の中に、横穴式石室が露出している。

大塚池古墳吉原椀貸塚は、径25mの円墳
 墳丘はため池の堤の造成のために土取りされ、ほとんど残っていない。
 横穴式石室は全長12m、玄室長6.2m・幅2.5m  羨道長6.6m・幅1.7m
 6世紀末〜7世紀初頭の築造と推定されている。

 「もてなしの折にお膳の椀がたりなくなり、この塚に詣でて椀を借りていった。」という椀貸し伝説がある。

池の中に石室

石室の中に入ってみたい・・・・・。

公園となり、りっぱな説明板があるということだが、説明板見なかったなぁ…・

王墓山古墳
国史跡
善通寺市善通寺町有岡
2014/4/23

周辺は古墳公園となっている。駐車場完備。
インターネット上で「王墓山古墳調査慨報」(1983年)が公開されている。

 王墓山古墳


墳丘地形測量図 (報告書から)
全長45mの前方後円墳
 後円部径25m・前方部幅20m(推定)・高さは5mほど
前方部の南半分は削られている。
  前方部と後円部の高さはあまり変わらない
 2段築成
 独立小山塊に盛土をして、つくられている。

南東に開口する横穴式石室は、石室全長7.5mの両袖式


石室平面図 (報告書から)


  玄室長さ3m・幅1.85m・高さ2m以上  羨道長さ4.5m・幅0.75m・高さ1.5m
  玄室の西壁に沿って石屋形がある。  県下では唯一の石屋形。
  
 屋形長側壁 上端長さ1.9m・下端長さ1.85m 高さ1.35m
   屋形短側壁 上・下端長さ0.85m
  副葬品として 金銅製冠帽・首飾り・耳環などの装身具、馬具類、須恵器・土師器などの土器類が出土した。
 6世紀初めの築造と推定されている。
  石屋形の東側床面に屋形の壁石を割り敷いて棺台とした形跡が見られることや
    須恵器に時差が見られること、遺物が2次的に動かされた状態で検出されたことなどから、
      6世紀後半に追葬があったと考えられている


王墓山古墳全景 東から見る

発掘前はみかんの木が生い茂っていた。


後円部東北基部から
  箱式石棺が発見されたと伝えられている


かつては陪塚7基を従えていたといわれている。

前方部から後円部を見る

後円部から前方部を見る

石室は2段築成の上段にある。入れない・・

石室は、古墳の日(4月29日)だけ開けられる。

検出された横穴式石室
         (説明板の写真から)


天井石は調査時すでになかったが、
床面には豪華な副葬品が前面に置かれていた。

宅地計画届け出がなされたことで、昭和57年に調査され、横穴式石室が見つかり、その後(59年)国史跡となった。

宮ヶ尾古墳
国史跡
善通寺市善通寺町
2014/4/23

宮が尾古墳と宮が尾2号墳が整備されて、古墳公園となっている。駐車場あり。

インターネット上に「史跡有岡古墳群(宮が尾古墳)調査報告書」(1993年)が公開されている。

宮が尾古墳



宮が尾古墳配置図   (説明板から)
   中央 宮が尾古墳
   その下 宮が尾2号墳

 
7世紀の初めの築造と推定されている。

昭和41年、山林の開墾中に偶然発見された。
横穴式石室は地下に残されていたので、ときどき雨水がたまっていた。

平成4〜6年に全体を発掘調査、2号墳を発見
平成7〜8年度に保存整備工事。


宮が尾古墳は 径20mの円墳



整備された宮が尾古墳

南に開口している両袖式の横穴式石室
玄室長4.5m・幅2m・高さ2.1m、
 羨道長4.5m・幅1.2m・高さ1.7m
玄室奧壁、両側壁、羨道右側壁に
    線刻画が描かれている。





玄室奥壁線刻画 (報告書から)
奥壁鏡石には、
6名の人物、船、騎馬人物、船、人物、船。

玄室西壁武人画 (報告書から)
   西側壁には3名の武人が描かれている。
  
    

石室入口 入れない!古墳の日(4/29)だけ公開
  

ようやく玄室が見えた
  

奥壁

そばにある原寸大の石室レプリカで、
大きさを実感!?

宮が尾2号墳は  宮が尾古墳の発掘調査時に発見された埋没古墳
 横穴式石室基底部しか残っていない。

 2号墳の羨道に、線刻のある小さな石材が1個あるが、この石材の線刻と、
  宮が尾古墳の盛り土の中から見つかった石材の線刻が接合することが分かり、
   両古墳がほぼ同時期に築かれたと考えられている。

羨道から玄室を見る

墳丘上から石室を見下ろす
 



12時半を過ぎて、昼食場所を探すが、なかなか見つからなくて・・・
結局、コンビニ(Daily善通寺生野本町店)で弁当を買い、市民会館で石棺を見ながら食事しようと思ったが、
会館ロビーでは、飲食禁止となっていた。
午後1時になれば、老人クラブの和室が使えるから、そこで食べてもいいよと言われ、
皆さんが囲碁にいそしむ部屋の片隅に座って、食事をさせていただいた。
ありがとうございました。

磨臼山古墳出土割竹形石棺
国指定重要文化財
善通寺市文京町三丁目
市民会館ロビー
2014/4/23

善通寺市市民会館ロビーに、磨臼山古墳出土の石棺が展示されている。

磨臼山(遠藤塚古墳出土石棺
 磨臼山(スリウスヤマ)古墳(国史跡)は、生野町の磨臼山(標高121m)の尾根上にある前方後円墳。


磨臼山古墳実測図
    (市民会館内展示説明板から)


全長50mの前方後円墳
後円部径28m・高さ4m 前方部長さ22m・高さ2m

葺石あり埴輪あり

4世紀末の築造と推定されている。

 昭和時代に後円部から掘り出された石棺は、鷲ノ山産角閃安山岩製のくり抜き式石棺
  棺身の大きさは、2.37m×0.79m、内部には朱が詰められていた。
  見事な作りつけの石枕がある。
  

磨臼山古墳出土石棺
蓋は破壊されていたが復元展示

石枕の見事な彫り 素晴らしい!!
  首のあたりにある勾玉形の模様が何ともいえない!!

翌日、三谷石舟古墳でも、石枕の彫を見ることになる。

丸山古墳 善通寺市204
2014/4/23

北向八幡神社に説明板がある。

丸山古墳は、鶴が峰から北西に延びる尾根上の北向八幡神社裏にある。



丸山古墳実測図 (説明板から)
下が、北西となる

全長54mの前方後円墳 後円部径30m
埋葬部は社殿建築時に、後円部の一部とともに失われているようだ。
出土物も不明 くびれ部でみごとな版築土層が確認できる。

5世紀中ごろの築造と推定されている

北向き八幡入口 丸山八幡ともいう。

社殿のある所が、後円部 後ろに前方部が延びている。

後円部から前方部を見る
前方部には、「丸山古墳」と書かれた石碑がある。

前方部から後円部を見る
 

北向八幡神社の前にある説明板には「丸山古墳」のほかに「国指定史跡有岡古墳群」「鶴が峰4号墳」の説明もある。

国指定史跡 有岡古墳群
 善通寺市内には4
00基を越える古墳の存在が確認されている
 なかでも筆ノ山・我拝師山で北部を、大麻山で南部を限られた弘田川流域の有岡地区には
   同一系譜上の首長墓と考えられる前方後円墳が集中している。
 
野田院古墳・磨臼山古墳・鶴が峰4号墳・丸山古墳・王墓山古墳・宮が尾古墳は、
   4世紀〜6世紀にかけて築造された県下を代表する古墳で昭和59年(1984年)国指定史跡となる。
鶴が峰4号墳


鶴が峰4号墳実測図  (説明板から)

大麻山東部山麓から東に伸びた標高125mの丘陵で、
    数多くの古墳が確認されている

4号墳はこの鶴が峰の南西尾根上にある
    
全長26mの前方後円墳 後円部径13m
主体部は戦時中に盗掘されたが、その時長い石室が発見され、
   中から玉類が出土したという記録がある。

5世紀前半の築造と推定されている。

丸山古墳は、大麻山の北麓にあると思ったけど、実は東の鶴が峰からのびる尾根先につくられていた。

野田院古墳
国史跡
善通寺市善通寺町野田
2014/4/23

標高400mをこえる山に登る(もちろん車で)。公園になっている。駐車場がある。
平日だけど、ピクニックに来ている人達が、ちらほら。

野田院古墳は 大麻山の北西の中腹にある。


野田院古墳墳丘模式図 (説明板から)

大麻山北西麓のテラス状平坦部(標高405m)につくられている。
全長44.5mの古式前方後円墳  
 後円部径21m・後円部高さ2m
 前方部の長さ23.5m・幅0.8〜6.0m・高さ1.6m

前方部は盛土、後円部は安山岩塊の積石でつくられている。

墳丘やその周囲から、弥生時代の特徴をもつ壷形土器が多く出土した。、

後円部に2基の竪穴式石室がある
 第1石室は、全長5.15m・幅0.7〜0.9m・高さ1m
 第2石室は、全長5.70m・幅0.85〜1.0m・高さ1m
   ガラス玉・鉄剣・土師器などが出土。

 前方部はくびれ部が細く締まり、先端がバチ形に開く発生期の前方後円墳の特徴を示していることなどから、
      
3世紀後半の築造と推定されている。

平成9〜13年度 発掘調査   調査中に二つ目の竪穴式石室がみつかる。
平成14年度 保存整備工事

中世には野田院という山岳仏教寺院があったといわれている。



野田院古墳

手前
・後円部  
右奥へ前方部が延びている。



墳丘全体を見るための展望台がある。

きっちり積み上げられた石

よく似たのものは、東北の堰下古墳かな・・
(堰下古墳は葺石だけど)

後円部の断面の1/2のレプリカ、この上が展望台

前方部から後円部を見る
第1石室

 第1石室上から
 

第1石室内部その1


第1石室内部その2
 
第2石室

第2石室上から
 

第2石室その1
 

第2石室内部その2
 

竪穴式石室がすごい!




善通寺市の市街地にそびえる善通寺五重塔


善通寺市のシンボル


現在のものは、明治35年(1902年)に再建された




多度津町につづく

トップページ