更新日2014/8/24

四国の遺跡めぐり
第13回 香川県その5
高松市@
2014/4/20〜26

4月24日、四国めぐり5日目、こかね製麺所空港通店で、讃岐うどんの昼食後、午後の部が始まる。

高松市の地図

こかね製麺所空港通店の、すぐ北にある船岡池のほとりには船岡山がある。

船岡山古墳
国史跡
高松市香川町
2014/4/24

船岡山の山頂には船岡山古墳がある。
旅行前に調べた時は、墳丘はジャングルになっていて、見学はむずかしいということだった。



船岡山遠景


この山の頂上に古墳があるのか・・・。


手前は船岡池







船岡山古墳登り口


船岡山の北東ふもとにある。

登り口もわかったのに、登らなかったが・・・・

旅行が終わって調べたら、平成24年3月の現説資料がインターネット上で公開されていた。
2年前に現説があったとしたら、見学ができたのではないか?・・・・・・

船岡山古墳 双方中円墳だといわれていたが、
  平成20〜23年度の調査で、前方後円墳1基(船岡山1号墳)と墳形未確認の古墳(2号墳)と判明した。


船岡山古墳群墳形復元図
 (現説資料から)


船岡山1号墳墳長44mの前方後円墳
  特異な埴輪片が出土した。
 墳丘の形態と出土埴輪の様相から3世紀代の築造と推定されている。
 高松市茶臼山古墳に先行すると考えられている。

2号墳もほぼ同時期に築造された可能性が高い。

浅野小学校に、「船岡の石棺」といわれる石棺が保存されているが、
これは、鷲ノ山産凝灰岩製刳抜式石棺で、
     古墳時代前期後半(4世紀半ば前後)の制作と推定されている。
したがってこの石棺の出土地を船岡山1・2号墳に求めることができないことが確定した。
                          (現説資料から抜粋)
平成20年から23年度まで発掘調査
2012年(平成24年)に現地説明会

やはり船岡山に登ってみるべきだった・・・・・

矢野古墳 高松市三谷町
2014/4/24

船岡山から東に約3km、弘法大師が造ったという三郎池の西側の農地の中にある。
古墳の横で作業している女性二人に挨拶してから見学。

矢野古墳は 現状で径15mの円墳
 南西に開口する横穴式石室は両袖式
  羨道の長さ5.7m・幅1.2m・高さ1.7m  玄室の長さ3.8m・幅2m・高さ3m
 かつて2、3個の土器が出土したといわれている。
 7世紀の築造と推定されている。




南から見た矢野古墳





東から見た矢野古墳

石室入口 羨道は一部破壊されている。

羨道から玄室を見る
床には水がたまっていて入れない・・・・。

奥壁



矢野古墳と三谷石舟古墳は三谷地区にあり、
三谷地区コミュニティ協議会が立てた大きな案内板が
矢野古墳そばと三谷石舟古墳そばに建てられている。



   

三谷石舟古墳 高松市三谷町
2014/4/24

三郎池の東側にある石船池のほとりにある。後円部の東南裾から登り道がある。

後円部に2つの説明板があり、それぞれ「石船古墳」、「三谷石舟古墳」と書かれているが、
高松市のHPには、「三谷石舟古墳」となっている。



墳丘実測図
(高松工芸高校郷土歴史研究会
    「三谷石舟古墳測量調査報告書」1992から)
三谷石舟古墳は 
 平地に築かれた
全長88mの前方後円墳
 後円部径44m・高さ4.5m
 前方部の長さ44m・先端幅27m・高さ3.6m
 くびれ部幅20m
前方部1段築成 後円部2段築成
      前方部はばち型に開く。

 墳丘外側には、
   若干のくびれをもつ盾形の基壇状施設があるようで、それを含めると全長101mとなる。

 
後円部中央に鷲ノ山産の刳抜式舟形石棺の棺身が露出している。
   石棺は長さ3m・頭側幅0.76m・足側幅0.7m
   造り付けの石枕があり、側面には浮彫で一本のラインが入っている。
   足側には縄掛け突起がある。
  鷲ノ山石棺群の中では一番新しい段階に位置付けられている。
 かつて埴輪・須恵器・勾玉などが出土したと伝えられているが、現存しないので、詳細は不明。
 石棺の特徴から、
5世紀前半の築造と推定されている。


三谷石舟古墳

大きな案内板があるところ(北西)から見る

左が後円部

手前は、ため池・石船池で、
以前は古墳の堀跡とされていたが、
発掘調査の結果、堀跡ではないとわかった。
この調査では、他に多くの小型古墳が、発見されている。

上り口から後円部を見上げる

後円部にある石棺身 周りに石棺蓋らしい石材が散乱。
側面には浮彫で一本のラインが入っている。

手前の足側に縄掛突起があるはずだが見えない・・

石棺の石枕  素晴らしい。

後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

前日には、磨臼山の石棺の石枕を見たが、これは墳丘にそのまま残されているのがすごい!!

この三谷石舟古墳は、香川県では4番目(富田茶臼山古墳・快天山古墳・石清尾山猫塚古墳)、前方後円墳では3番目の大きさだ。

高松市茶臼山古墳
県史跡
高松市新田町
2014/4/24

久米池の南の茶臼山にある。
1969年に発掘されたというが、45年の時を経て、登り道が荒れ果ててしまっている。
でも、二つの竪穴式石室が見られるからぜひとも見学したい!
西側の麓に駐車、「茶臼山石上一心院」から登るが、・・・


少し上ると分かれ道
右へ行けばよかったのに、左へ行ってしまった。



道がなくなりそうな中を、草をかきわけたり、よじ登ったりしながら、進む。巨石などもある。


巨石が祀られている。 

巨石が埋もれている。

ようやく着いたのは後円部。



登り道から後円部を見上げる



登ってしまえば、きれいになっているんだけど・・・・


後円部には「高松市茶臼山古墳」と「竪穴式石室」の二つの説明板がある。

高松市茶臼山古墳


墳丘測量図
  (さぬき市文化保護協会古墳勉強会から)

全長66mの前方後円墳
後円部径25m・前方部端幅11m
丘陵を利用して、後円部は自然地形上に盛土をしている。
北東方向に前方部がある。
後円部に2基の竪穴式石室がある。
          (昭和44年調査)
前方部や墳丘外にも、  
   小規模な埋葬施設が6基確認されている


 南にある第1主体部の石室は、長さ5.45m・深さ1.35m・幅は西方0.7m東方1.1m
  長さ10m・幅6.2m・深さ1.1m・傾斜角度50度の土壙の中に  築かれている。
  石室は、安山岩の板石を小口積みし、裏ごめとして多くの石と土砂が詰められている。
  床面には粘土が敷きつめられ、その上に木棺が安置されたと考えられている。
  蓋石は9個で、中には2.5トンもある巨石が見られる。
  石室の内部に頭を中央に向かい合わせた2体の埋葬が確認されて、
    その中央部に朱に染まって鍬形石が2個出土している
  その他、ガラス製小玉、硬玉製の管玉、勾玉などの装身具や、
    鉄剣5口、鉄太刀1振、鉄鏃4口、銅鏡1面、土師器2点なども出土している。

 北側の第2主体は、長さ5.9m・幅0.8m・高さ0.65mでの規模で、安山岩の塊石を使用。
  鉄製品が副葬されていた。


 4世紀の築造と推定されている。
 鍬形石は大和の権力者から分配を受けたものと考えられていて、近畿地方と密接な関係があった証拠とされている。 



後円部に2基の竪穴式石室


中央 第1竪穴式石室
手前 第2竪穴式石室




後円部から前方部を見る

前方部から後円部を見る

2つの石室を比較してみる。  石の形や積み方がずいぶん違うようだ

第1主体部

第1主体部 半分はかなり破壊されている
 

第1主体部 内部の石積みの様子
きれいな板石積みだ・・・・・!

第1主体部 内部から外を見る
 
第2主体部

第2主体部
 

第2主体部 内部の石積みの様子
  

第2主体部 内部 反対側
 

高松市新田町、前田西町、東山崎町にまたがる茶臼山山頂にあるので、「高松市茶臼山古墳」と名付けられたそうだ。
以前は小学生の遠足コースになっていたというが、もう道がない・・・・・




久米池から見た屋島

屋島って、ほんとにぺちゃんこの山なんだなぁ・・・・?!


コンビニ(MINISHOP久米池東店)で、休憩・・・・

久本古墳
市史跡
高松市新田町
2014/4/24

高松市茶臼山古墳から北に約800mのところにある。
久本古墳の発掘調査報告書がインターネット上で公開されている。

久本古墳は、 立石山塊からのびる支丘の先端部に位置している。


久本古墳墳丘図 (報告書から)

直径36mの円墳と考えられている
周溝がある。周堤らしいものもある。
墳丘盛土が流出しているので、段築は不明。

横穴式石室は全長10.8m
玄室4.5m・高さ3.3m  羨道長さ6.3m・高さ2.1m
玄室奥に県内唯一の石棚が見られる。
棚の下には陶棺が置かれていた。
土師質亀甲型陶棺といわれるもので、
  長さ2m・幅0.68m・復元高さ0.88m、
  中からは鉄鏃1本が出土
 仏教文化の影響が色濃い承台付銅鏡や、多量の土器(須恵器)や鉄製品、石器などが出土した。

 7世紀第一四半期に、石棚の下に土師質陶棺を安置するとともに側壁に土器(須恵器ほか)などを供献し、
 7世紀第3四半期ごろまで遺物を供献する祭祀が行われていたと推定されている。
 陶棺以外の埋葬は確認されていない。
 椀貸伝説が伝えられている。


久本古墳

ほとんど石室の部分しか残っていない

背後には遠くに屋島が見える


入口の羨門は立派!

玄門部も立派!

立派な石棚がある。石棚の下に陶棺があった。

玄室から外を見る

大きな天井石!

 古墳そばに、二人の男性がいて、親切にしていただきありがとうございました!

山下古墳 高松市新田町
2014/4/24

山下古墳は、久本古墳の北800m、岡山公民館のそばにあると聞いていたが、場所がはっきりしない。
近くまで行って、外で遊んでいた小学校高学年らしき女子3人に公民館の場所を教えてもらって、ようやく到着。
墳丘はほとんど失われているが、石室は良く保存されている。




山下古墳墳丘周辺図  (久本古墳報告書から)

墳丘の東隣にあるのは民家。
岡山公民館は墳丘の北東にある。

墳丘はほとんど失われていて、墳丘規模や形態は不明。
ほぼ真南に開口する両袖式横穴式石室は、
 現存長9m
  玄室長5.05m・幅2.55〜2.85m・高さ2.5〜2.8m
   玄室天井石は長さ4.5m。厚さ0.8m・幅3mの巨石
  羨道部は残存長さ4m・幅1.5m・高さ1.2m

 流入土があることから玄室・羨道とも実際はもっと高さがあると考えられている。
 出土遺物は確認されていない。
 久本古墳に先行すると考えられる巨石墳です。

墳丘は削られて、石室の部分だけ残っている。

西から見た墳丘

石室入口 羨門は破壊されている

入口から石室内部を見る

玄室 天井石は巨石1枚

石室内部から外を見る


神高古墳群 高松市鬼無町山口
2014/4/24

「神高古墳群(2005年)」の報告書がインターネットで公開されている。

神高古墳群は、古宮古墳を中心とした古宮支群、平木1〜4号墳の平木支群、
     山野塚古墳と鬼無大塚古墳が単独で存在している。

神高古墳群配置図(ヤフー地図)

神高池の北西に3基の近接する横穴式石室が露出している。

神高池北西古墳 (神高古墳群古宮支群)
 神高池の中にある。石室の基底部分が残っている。
 昭和63年の調査の結果、玄室長4m以上・最大幅1.45m 羨道長1.5mと判明した。
 出土はほとんどが中世のものだった。

神高池北西古墳
   石室露出


池の中に
  石が散乱しているようにしか見えない。

元の位置にあるものは、
   ほとんどなかったそうだ。

神高池北西古墳のある神高池の西のほとりに、30mほどの間隔で、石室が2基露出している。

神高池西古墳 (神高古墳群古宮支群)
神高池の西のほとりにある2基の石室のうちの、北側。
横穴式石室の玄室が道路わきに倉庫として利用されていて、石室下半分は埋没している。
 玄室は現状で全長5.6m・幅1.9m、南に開口している。

道路わきに露出

入口背後から見た石室


石室内部
ほとんど埋まっている


倉庫としても使えないくらい狭い。

こめ塚古墳 (神高古墳群古宮支群)
 神高池の西のほとりにある2基の石室のうちの、南側。
 露出した石室石材が崩れた横穴式石室。
  推定玄室長5m・幅2m 羨道長]3m以上幅1.6m南に開口。

道路わきに石室が露出 

石室がしっかりあるように見えるが・・・。


背後から見る。


石室が埋まって天井石が置かれている感じ。


石室が露出した3基の古墳から、西へ約100m。高松西高校の南側に古宮古墳がある。
見学自由。

古宮古墳 (神高古墳群古宮支群)  市史跡(昭和63年)

墳丘は未調査だが、径30mほどの円墳と考えられている。西へ下る緩斜面に立地している。

南に入口がある両袖式横穴式石室は全長9.6m以上
 玄室長さ5.9m・幅2m・高さ2.9〜3.2m   羨道長さ3.7m以上・幅1.5〜1.7m・高さは玄門で1.9m
   多数の須恵器・土師器・鉄釘とともに、
   鉄地金銅張の馬具や銅製の刀装具、金環やガラス小玉などの装飾品が出土した。

天井石が露出した状態で古くから開口、、奥壁側の天井石が落下していたが、昭和59年〜60年に調査。
 落下した天井石を元に戻して、整備した。
   羨道の半分は天井石が傾いて不安定な状態なので、未調査で埋まったままとなっている。





古宮古墳



墳丘には天井石が露出

祠の後ろに開口している

玄室入口  大きな天井石

玄室内部

玄室から羨道を見る
羨道の天井部が開口していて、階段で石室に下りる

羨道の前半分は、
天井石が傾いていて埋まったまま。

高松西高校の体育館の西隣に、平木1号墳の石室が保存されている

平木1号墳
直径19mの円墳 周壕がある。


墳丘測量図  (1990年測量)



全長11.1mの横穴式石室があり
     玄門が強く突出している。
 玄室は 長さ5.4m、・
       幅は奥壁側1.6m・玄門側で2m、
       高さは2.1〜2.4mの両袖式
 玄門は 長さ0.6m・幅1.2m・高さ1.55m
 羨道は大部分が破壊されている。
 羨道前面には墓道もある。


 須恵器・土師器・金環・鉄刀・鉄斧などが出土
 木棺に使われたと思われる釘や須恵器製陶棺(破片)が出土

北側を除いて大きく削られ、石室の一部が露出していたが、
   昭和58年調査、 平成元年試掘調査、 平成7年試掘調査を経て
          現在墳丘が復元され、東横には体育館が建っている。

平木1号墳復元墳丘
説明板にある発掘前の写真では、石室付近しか残っていない。  




玄室内部

玄門手前から見た玄室内部

玄門の床石 玄門部の強調?
平木2〜4号墳は、1号墳北側の山にある。

今岡古墳
県指定史跡
高松市鬼無町佐藤
2014/4/24

神高池から北東に約1km、香川誠陵高校の東側山頂にある。
眺めるだけにした。

今岡古墳は 全長60.4mの前方後円墳
  後円部径27m・高さ3.5m  前方部前端幅20m・高さ2.5m
  葺石あり
  埴輪が多く使われている。円筒埴輪のほか家形やきぬがさ形等の形象埴輪も多く採集されている。
  
5世紀の築造と推定されている。

 昭和39年(1964)に、
  前方部で全国的にもまれな
組合式陶棺が発見されて、若い女性とみられる人骨と鏡や玉類が出土した。
  当時の中心であった近畿地方の強い影響を受けているとみられている。
  後円部にも埋葬施設があると考えられている。(高松市HPから)


南から見た今岡古墳

山頂部分だけ・・・・

どこからのぼればいいか分からなくて、あきらめる。
北側のふもとに説明板があるそうだから、北から上るのか?

石清尾山古墳群につづく

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