更新日 2014/6/8

四国の遺跡めぐり・第3回
愛媛県その2・砥部町・伊予市
2014/4/20~26

4月21日、二日目午後に入る。

お昼ごろ 砥部町の運動公園に到着。

松山市・砥部町の地図

大下田古墳群
1・2号墳は県史跡
伊予郡砥部町宮内・松山市上野町
撮影日2014/4/21

八ツ塚古墳群から西に約1.2km、砥部町の運動公園古墳が保存されている。
とべ動物園もあるが、この日は休園で、閑散としている。

運動公園東口から、運動公園入口に通り抜けるだけで、通行料が必要ときき、びっくり!
とりあえず、運動公園入口の駐車場でお弁当を食べ、南側の山頂の1号墳へ。
比高差40mほどを登らなければならない。

2号墳は、1号墳から駐車場に戻り、西の山を登らなければならない。
3号墳は、北側の山を登らなければならない。
1号墳を登り降りしただけで、力尽きてしまった。

後で気がついたが、2・3号墳は双室墳だった・・・・・。
何が何でも見学して来なければならなかった。大失敗・・・・・。

大下田古墳群は 愛媛県総合運動公園の敷地内に保存された古墳群
 駐車場を挟んで南北の丘陵上にあり、
 北側の北大下田山には山頂の3号墳を中心として55基、
 南側には1号墳を中心に10基以上が分布。

 1・2号墳は県史跡、北側の高台にある古墳群は「古代の森」として整備されている。

1号墳   大下田山の山頂にある。駐車場南側。
 
径20mの円墳
 南西に開口する
両袖式横穴式石室は、推定全長15m 玄室の長さ3.3m・幅2.3m・高さ2.6m
  玄門部は袖石を立て、玄室床面は羨道よりも低くなっている。
  玄室内は未盗掘で、子持ち高杯、鉄製直刀、刀子、金環、銀環、玉類などが出土
 墳丘からは、円筒埴輪が採集されている。
 
6世紀後半~7世紀初頭の築造と推定されている。
 被葬者5人の家族墓と考えられている。 

北から見た墳丘

南西から見た墳丘  説明板の右に石室開口


手前の墓道を含めて全長15m


羨道から玄室を見る


玄室内部
 


玄室から外を見る
玄室床面は羨道よりも低くなっている。
2号墳は 径20mの円墳
 
2基の横穴式石室を持つ双室墳
  1号(東)石室は玄室長3.2m・幅1.7m・高さ2.3mの両袖式
  2号(西)石室は 玄室長4.8m・幅2.1m・高さ2.3mの両袖式
    1号石室とほとんど同じ構造。
  どちらも玄室床面が羨道よりも低く、閉塞石が残っている。
3号墳  駐車場北側の山頂にある。
 
全長34mの前方後円墳
 
2基の横穴式石室を持つ双室墳
 西側の前方部石室は玄室内を板状立石で2分し、手前に屍床がある。
 後円部石室は、全長10.3mの大型石室

現在は南北に分かれているが、もとは一つの山だったのだろうか?

水満田古墳群
ミツマタコフングン
伊予郡砥部町麻生
撮影日2014/4/21

かなりの山奥だけれど、水満田古墳公園として整備されていて、そばまで車で行ける。
駐車場もある。



水満田古墳公園 配置図
  (説明板より)

正式名称は
水満田西古墳群(金毘羅山支群)

金比羅山の南西斜面に27基の古墳が群集していて、
現在水満田古墳公園として整備公開されている。

2・4号墳 埴輪をめぐらせている
11・13・21・24号墳 周溝がある
2号墳 墳裾に石をならべている
すべて横穴式石室で、
  多くのお供え物とともに数人の人が次々と葬られていた。
丘陵の高いところから低いところへと
     古い順に古墳がつくられて行ったと考えられている。



説明板の古墳名の付け方が一定していない。「水満田2号古墳」とか「金毘羅山3号墳」とか・・・・・

水満田2号古墳  径17m・残存高3.4mの円墳
 公園内では最も高い所にある。
 平成5年発掘調査


石室模式図 (説明板から)

横穴式石室は 全長7.8m 
玄室長4.5m・幅1.7m 羨道長3.3mの両袖式
 玄門部には仕切石、羨門には閉塞石が残っていた。
石室の中からたくさんの須恵器・鉄器・玉類と
円筒埴輪1・耳環4が出土
耳環と床に分布する赤色顔料の存在から、
東側に顔を向けて葬られていることが分かっている。
墳丘の低い位置からは、須恵器や埴輪が出土。
須恵器のうち、
  大型の甕や壷は墓前祭祀に使われたと考えられている
追葬が行われている。

 整備にあたって、石室内の土器は、町内の粘土を使って再現した。


2号古墳全景

2号古墳石室内部  見えない・・・・・
  
ガラス越しに石室が公開されているため、反射して、写真が撮れない・・・・
床面には、出土土器が復元展示されているそうだが、ガラスがくもって見えない・・・・・・残念
金比羅山3号墳は、標高182mの丘陵上にある 
  径20mの円墳 周溝なし 埴輪なし
 横穴式石室がある。
  玄室には、数人が次々と葬られていた。(一族の墓)
 武器(刀や弓矢)や馬具(轡など) 工具(斧や小刀)や須恵器(壺や皿)などが出土
 6世紀中~7世紀初めの築造と推定されている。

3号墳墳丘

3号墳 石室へ上がる階段


3号墳 石室正面
こちらはガラスがないので中が見える。
中には入れない。


3号墳 玄室内部

4号墳

       4号墳 墳丘

        4号墳 墳丘上の石材

6号墳

7号墳

10号墳

 
11号墳

 
12号墳

 
13号墳

 
20号墳

        20号墳墳丘

        20号墳石室跡か?
 
21号墳               

 
23号墳          

 
箱式石棺群
 4号墳の西隣に、箱式石棺が3基展示されている。
 石棺AとBは釈迦面山1号古墳(方墳)から出土(愛媛県総合運動公園建設に伴う発掘調査による)
 石棺Cは大下田2号古墳の北側から出土(愛媛県総合運動公園への進入路工事中に発見)



箱式石棺群 実測図
(説明板から)



 箱式石棺A・・・釈迦面山1号古墳(方墳)から出土(愛媛県総合運動公園建設に伴う発掘調査による)
         和泉砂岩と緑泥片岩の組合せでつくられている。
         床面に敷きつめられた川砂利にはベンガラが赤く付着していた。
         石棺まわりを粘土で厚くおおわれ、ほぼ完全な状態で保存されていて、
          中には人骨とともに、剣・刀子などがおさめられていた。
         人骨は熟年の男性と女性が一体ずつ埋葬されていた。

 箱式石棺B・・・釈迦面山1号古墳(方墳)から出土(愛媛県総合運動公園建設に伴う発掘調査による)
         緑泥片岩の組合せでつくられている。
          床面にも緑泥片岩の川砂利が敷かれていた。
         石棺まわりを粘土で密封されていたので、完全な状態で残る。
         中には熟年女性の人骨が一体埋葬されていた。

 箱式石棺C・・・大下田2号古墳の北側から出土(愛媛県総合運動公園への進入路工事中に発見)
         緑泥片岩の組合せでつくられている。床面はその板石を敷いている。
         周囲は粘土ておおわれていたが、中には何も無かった。腐食したと考えられている
         工事により一部が破壊、消滅した


箱式石棺展示

奥がA

真ん中がB

手前がC



水満田古墳公園には、はにわ窯と名付けられた登り窯もあり、焼き物体験が出来るらしいが、
使われているのだろうか・・・・。
 



水満田古墳公園には、記念スタンプもありますよ!




午後2時ごろ
  (㈱カンサイ宮の下SS(伊予市)にてガソリン給油(31ℓ)  出発から 852km   
フルサービスのお店で、窓も拭いてもらい、車もリフレッシュ 

伊予岡古墳群
県史跡
伊予市上吾川
撮影日2014/4/21

水満田古墳公園から、車で約15分
伊予岡八幡神社の境内に古墳群がある。



伊予岡八幡神社

859年創建の伝承がある。
江戸時代には、大洲藩主加藤氏歴代の祈願所だった。


古墳群についての新旧2枚の
説明板があって、2つの古墳配置図があるが、
    私達が見学したときの感じとは、どちらも違うような気がして・・・。
二つの説明板では、古墳番号の付け方も違う・・・・。10基の古墳があるというが、10基以上ある・・・・。
正式な調査はされていないということなのだが・・・・。

前方後円墳といわれている月陵(8号墳)も、あくまでも前方後円墳の可能性があるということだ。
昭和23年の説明板(旧説明板)には、1~10号墳の形と大きさが記されているが、そのデータの古墳がどれなのか特定できないものもある・・・




伊予岡古墳群配置図
(新説明板に加筆)
仮11・12号墳を加筆したときに追加した。
あくまでも見学したときのイメージである。

新しい方の説明板の配置図を元にしている。






伊予岡古墳群は、八幡社殿の周囲に散在する古墳群で、 円墳と前方後円墳がある。
社殿建築・風雨・戦乱等で全壊または半壊し、中には全く原形を留めていないものもある。
埋葬施設は横穴式石室や竪穴式石室が見られ石室の一部が露出しているものもある。
土器が出土している。
当地の豪族伊予津彦の子孫の墓と伝えられている。
一説には綏靖(スイゼイ)天皇の兄八威耳命の子孫が伊予の国司に任ぜられた者たちの墓だともいわれている。
地元で、古くからこの古墳とこの森を八ヶ森ともいい(境内には八ヶ森神社がある)、古墳を神になぞらえて祀ったと考えられている。

1号墳
 伊予岡八幡神社の摂社の五穀神社の東にある。
 1号墳は半分くらいに削られて、跡に神社が建てられている。

1号墳の削られた所に建つ五穀神社
後ろの高まりは2号墳

1号墳の残った墳丘の前に小祠が並んでいる。
2号墳

中央奥 2号墳  右手前が1号墳

西から見た2号墳
3号墳  前方後円墳 全長16.7m・高さ3m 半壊
 封土厚さ75cm・石槨内長さ3m・幅上部78cmの石槨がある。
 石槨の周囲は径30cm~15cmくらいの扁平な円石を使って築造し
  天井石は安山岩の柱状節理で、自然石を利用している。

本殿後ろに半分になった墳丘

小祠の後ろの斜面に石室の石材露出
分かりにくくなっている。
4号墳  円墳


3号墳の横から北に少し下りた所にある。

「広幡神社」と書かれた小祠がある。
5号墳 円墳 周囲54m・高さ3m



4号墳の西にある。
6号墳 円墳 周囲60m・高さ3m

5号墳の西にある。

7号墳 月陵の東にある。全長27mの前方後円墳
 前方部長さ9.9m・幅9m 後円部周囲60m・高さ3m

後円部
 

後円部から前方部を見る
 
8号墳 全長36mの前方後円墳  
  後円部径18m・高さ3m 前方部長さ12m・幅9.9m
 古くから月陵と呼ばれる。

後円部から前方を見る

前方部から後円部を見る
9号墳 円墳 
 高良神社の前左にある。

かなり高い墳丘

横から見た墳丘
10号墳 9号墳の右隣りにある。
 高良神社で削られている。

高良神社の鳥居の後ろにあるはず・・・・

鳥居の右側 墳丘か
(仮)11号墳 説明板には書かれていない。
 高良神社社殿の横にある。
 墳丘上に祠があるから、古墳に間違いないと思うが・・・・。

社殿横に高まり

墳丘上の祠
(仮)12号墳 説明板には書かれていない。


6号墳の西に高まりがある。

墳丘上には、祠がない・・・。

墳丘と墳丘番号が一致しているのかどうか・・・・・分からない。
筆者の独断と偏見かも・・・・・・・。

午後2時50分 サンクス伊予松前店にて休憩 チョコで糖分補給。

難波奥谷古墳へつづく

目次トップページ